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 ある脚本家の人が元々は女優志望だったのですが、芽が出ず脚本家として才能があったことにその後気付き成功したという実体験から「小学校で向かないかもしれない夢ばっかり膨らませる教育はよくない」と言ってました。

 向いていることをすることをしたほうが良いという考えを教育として小さいころからしても良いみたいな事を言ってました。

 正直、自分の経験からも
 小学生と中学生の間にある教育スタンスのギャップを感じました。
 中学生になってから急に自分も周りも環境も「大人のリアル」さが出てきて、親も友達も変わってしまってことにショックを感じてました

 皆さんはどう思われますか?

A 回答 (11件中1~10件)

結果論だけでのもごとを語るのはもっとも愚かで机上論にしかならないことですよ。



>「小学校で向かないかもしれない夢ばっかり膨らませる教育はよくない」
ではどうしてそのことが向かないとわかるのでしょうか?
チャレンジしてみなきゃ向くか向かないかわかりません。
その脚本家の方も実際に女優になろうと努力して、芽がでなかったから向いてないとわかったのではないですか?

またその方が脚本家として成功するのにその女優経験がまるっきり生かされなかったのでしょうか?
そんなことは無いと思います。
女優の経験した後だから脚本家として大成したのではないでしょうか。

教育スタンスのギャップは学校が変わればあって当然です。
小学校だって転校すれば、または校長先生が変われば変わります。
そういう変化があるんだということを教えるのも大事な教育ですよ。

その脚本家の方からの経験から何かを見るとしたら、一つのことを挫折してもそれでゲームオーバーでは無い。
リカバリーするチャンスはあるものだ。
ということではないでしょうか?

今の日本は失敗したらそれでおしまいのように考えるところがあります。
でも現実は、失敗から多くのものを学び成長し、次への成功の糧にしていきます。
そういう強さを教えないためにちょっとした挫折ですぐにつぶれてしまうところがあるように感じます。
かなえられない夢を沢山持って良い。
そこに向かってチャレンジすることで多くのことを学べるのですから。

あと、もう一つよく無いのは夢を複数持ったりすることを中途半端ということでしょう。
例えばスポーツ。
日本はあるスポーツをしたらそれだけに専念しないといけないところがあります。
それじゃ、何に向いているかなどわかりっこない。
子供の頃は多くの経験をすることが大事です。
だから複数のスポーツ団体に所属し楽しみながらその競技の基礎をしてみる。
そういうことが大事なのに、勝にこだわり、将来に障害を残しかねないような練習をさせ、逆に子供の夢を摘み取ってしまうような指導をする。

スポーツに限らずに楽しむ程度で安価で簡単に多くの経験が出来るようにする。
そういう経験の中から自分でかなえられそうな夢を見つける事は良いことです。
子供の内は沢山の選択肢を持って、その多くの選択肢に向かってさまざまな経験をして徐々に絞り込んでいく。
絞り込んだ後に失敗しても、また別のことでリベンジが出来る。
そういうことが大事で、これが向いていることだからこれを夢にしろと押し付けても、これは向いてないからとやる前から諦めさせるのも、良くないことですよ。
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その脚本家の方の言いたいことが「小学校で向かないかもしれない夢ばっかり膨らませる教育はよくない」などと簡単な言葉ですべてを言い尽くすことはできないでしょうから、それについてあえて触れようとは思いません。



しかし、子供が自由な夢を持てるような環境を整えるのは必要なことだと思います。
そして、子供に夢を押しつけるのと、子供が自由な夢を持てるように考えるのとは次元の違う話です。
(誰かがそう回答しているという意味ではありませんので)

そのような意味で、もっと(子供に限らず)夢に対して大人が論議することは大切だと思います。
また、結局は大人が安易に「駄目だ、駄目だ」と言って夢を持たないと、子供も夢を持つ人間には育たないでしょう。
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 子供に夢が無くなったら日本は終わりだと思います。


小学校の間は夢をふくらませる時だと思います。
 中学高校に行くに従って自分の実力と夢との妥協で人生を選択して行くのが学生時代だと思います。
 私の学校では多くの子供が夢を持っていません。「せめて学校の先生ぐらいにはなりたいな。」と思って欲しいと頑張っています。
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政治家が政治をやりたくてたまんねwwwな人が居る?


世襲がどうのとか言ってるけど、親が夢を押し付けることそのものが世襲と変わらないのに何故か政治家ばかりの世襲しか考えないでしょ?

大人は子どもの行動を夢見がちな無知な存在と軽くしか見てないのですよ。
だから己の夢を押し付ける。

夢を見ることは挫折をすること。
大いに結構じゃないか。
大人はちゃんとフォローしてやればいいのに。
見守ってやれ。命に関わるときだけは介入する程度で。
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NO 5の 方 の・・・・


最後に、子供に夢を押し付けないでください。
市中の教育関係者として、自分が叶わなかった夢を子供に押し付ける保護者が多くてイヤになってきます。
・・・・・・・・・・・に 賛成です。
確かに 小学生は 夢をもち 中学生で 諦める 傾向にあるようですね。
そして 中学で高校で 夢に ついて 述べる若者は 幼い頃(小学生以前より)その 夢を 追求していた子供だけ?に 限定されえるといえば 極端でしょうか。
・・・・・・・・・・・・・
成功者は 夢について しゃべることが できます。
しかし 夢を 持ってがんばったが 「夢破れた 人々」 は 夢についても さらには 人生 に ついても しゃべれません
しゃべったとして
「 人には それぞれの 人生があり 強制できない 」 など
だれが きいても 反論できない 正論ばかりです。
また 成功者は 子供に夢を 持たせない 「現代社会の 欠点を 声高に」主張するでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・
私の周りにも  あるスポーツで 日本一になれ オリンピックに出ろ!!と 親から 学校の先生から または 指導者から 強制され あるいは 子供が自発的? に頑張って 強くなり
この世界で ある程度 有名になり あまり 勉強せずに スポーツ推薦で 大学まで いった若者が たくさんいます。
しかし ほとんどの というより 1人も 夢が かなわないから  それから 先が ないのです。
何を しているのか 解らない若者が 多いのです。
○○で 働いています と 胸はって いえない? 見たいです。
夢破れて 若くして 人生を 厭世的に おくるより 普通の夢が いいのでは ないでしょうか?
しっかり 勉強して 良い大学に 行き 就職しなさい!!という 夢で いけない のでしょうか?
この 大不況時でも それなりの 大学卒は 高望みしなければ ちゃんとした 超一流企業に 「簡単に」就職できるのですから。
その中で 自分のシュミを 一生かけて 追求すれば ?よいのでは ないでしょうか
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もし、小学校と中学校のスタンスギャップが嫌で、子どもにギャップを感じさせたくない、というのであれば、小学校からエスカレーター式の学校を選んであげるといいと思います。


最近は小中一貫の公立学校もできてきているようですしね。

でも、やはり7歳からいる小学校と、大人になりつつある中学生と、扱いも教育も違って当然だと思います。ただし、それは子どもの性格・親の環境、価値観などによっても違いますけれど。

ショックを感じる、というのは違った意味でよい傾向ではないですか?自分の人とを相対的にみることができたりね。

文頭の脚本家になった方の受けてきた教育、住んでいた環境、そういうものが違いますし、担任になった先生の質によっても本当に違うのが教育です。

私も子どもが居ますが、その全ての学校という枠の中でまかなおうというのは無理があることを知っていますので、社会教育(学校と家庭教育以外)を大事に考えたいと思ってます。
結局子どもは見たこと聞いたことのあるものから夢も生まれるでしょうし、将来を考えるでしょうから。
結局は机上の空論より、体験。こればっかりは学校のセイでもなんでもなく、親の責任ではないですか?
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 ある人が言いました


「大人になるってことは、夢を諦めること」

 またある人がいいました。
「夢は見ることが楽しいのではなく、夢に向かっていくことが楽しい」

 またある人が言いました。
「夢を追いかけている自分が好き」


ある人はいいました。
「叶わぬ夢をおいかける徒労よりは、現実に生きるよ」

ある人はいいました
「人生いろいろだよね」

ある人は言いました
「可能性を追い続けることが回りの迷惑にならないなら、足搔けばいいんじゃないの?」

ある人は言いました
「回り道のない人生はつまらない」

そこで私は結論付けました

人生色々
最終的に当人が決めるものであって、悩むだけ悩めばいい
今、自分の夢がないからといって、永遠に夢を追えないわけでもない。


最後に、子供に夢を押し付けないでください。
市中の教育関係者として、自分が叶わなかった夢を子供に押し付ける保護者が多くてイヤになってきます。
子供は親の玩具ではない、ということだけ。(質問者がそうとはおもえませんが)
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小学生の教育に将来の進路まで責任を持たすこと自体が


ナンセンスです。

好きこそものの上手なれといいますから、
女優のように、しばらくは売れなくて当然というような
仕事に関しては、それでも好きだから続けるという
スタンスがないと大成するものも大成しません。
そういう意味では教育は無関係ですね。

もちろん、向いていることをしたほうがいいという
考え方自体もおかしなものではありません。

逆に中学生で夢も希望も持たせずに、
目の前の受験に汲々とさせるのもどうかと思います。
職業選択の自由の前に、とりあえず大学にいっとけ
というような風潮が一番いけないことではないかと思います。
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奇しくも、R25の最新号で、坂本龍一さんが同様の事を仰ってます。


http://r25.jp/b/honshi/a/long_interview_details/ …
(冒頭の一部を抜粋)
「新譜のリリースとライブでしばらく日本にいて気づいた。
夢を持たなきゃいけない強迫観念を、みんなが持たされてると。
夢そのものがダメだというのではない。
それを知ったうえで選ぶなら、自由なのだ。」

これに尽きるかなと感じてます。
何かにつけて、脅迫的なんじゃないでしょうか。

それと、日本の教育現場は、”世間”の真実を教えず、絵空事とも言えるような”社会”についての事ばかり教えているようにも感じるのです。
例えば、実際には(西洋的な)「個人」や「社会」なんて日本には存在しないのに、日本にも存在するかのような教え方をしてます。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/0020 …
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2008 …

「夢」の問題も上記と同じような”強迫性”を私は感じてます。

某ドラマのように超現実的な事柄ばかり叩き込むのも良くないでしょうが、「無い」ものを「ある」と教え続ける事も罪深く思えてなりません。
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それは結果論に過ぎないと思います。


夢を持たせることで成功した人もいますからね。
(逆にそういう人は、夢を膨らませ続けることが出来た教育のおかげとも言えます)

それに夢は勉強(に限らず体育もコミュニケーション能力なども)への関心意欲の原動力ですし。

それに教育は夢を持たせることだけでなく、夢が叶わなかったときのフォローもしています。

その脚本家の方が脚本家としての才能に気づけたのも、夢が叶わなかったときのための教育を施していたからです。
(脚本家なら国語、英語はもちろんのこと、歴史や社会派ものなら社会科、ミステリーものなら理科・算数・数学などなど…)

きっと教育がその人の夢である「女優一本」のみしか施されていなかったら、その人は今ごろ脚本家にはなっていないでしょう。
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