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20代の女性です。

身体的に特徴のある私は、小学校の初日で教師から根拠もなく愚鈍扱いされて嘲笑されたことに始まり、それからも地域一帯で差別を受け続けることになりました。
また、道を歩けば見知らぬ人に罵られるし、顔を合わせたばかりでまだ会話すらしていない相手からも侮辱されたり嫌な顔をされたりで、要は、私は、人と深く知り合う以前に外面だけで拒否反応を起こされるという体験を積み重ねていました。
それでも、親しい友人に恵まれ、全てを達観しているつもりでした。

しかしある時から私は、その差別体験の影響だと思いますが、誰か親しい人を“盾”にしていないと、新しい環境に出たときに腑抜け状態になってしまうようになりました。
「全ての人に外見だけで拒絶される」「外見だけで学力・運動能力・人格・生活歴まで決め付けられる」という体験を重ねた結果、一人きりでいる時に限り、私は自分に「ブスで、不潔で、臭くて、センスがなくて、友達が出来たことがなくて、人間とまともに会話できたことがなくて、ガリ勉もしくは低能で、トロくて、○○○で…」という誤って誇張した自虐的な自己評価しか与えられなくなったのです。
そして、事実、私が友達を引き連れていないで一人でいる時、初めて私と出会う相手は、即刻私をそのような「底辺の人間」と判断して、顔を合わせた瞬間から蔑んでくる(ように感じられる)んです。
一方で、私が自分の友人たちを鎧のようにまとっていれば、初めて会ったときでも、人々は受け入れてくれます。
私の自己評価および私への世間の態度は、そんな風に両極端で、場面によって天と地ほどの落差があったように私には感じられました。

だから私は、友人と一緒にいる時だけは、自分の人間性に自信を持てて、新しいこと・新しい出会いに積極的でいられ、また、社会のほうも私の存在を認めてくれます。虎の威を借る狐なんです。

今はもう、私の身体的特徴は改善されました。
だけど、もう、新しい環境において自力本願で立場を得、独力で新たな人脈を築くということが、私には不可能になってしまいました。
親しい他人に依存していない時の私は、汚くて空っぽのただのモノでしか在れず、極度に自信が持てません。
一人のとき、初対面で好意的に接してもらっても、「誤解されている。絶対的に理解し合えない」とその度に思ってしまうんです。
そのままうわべだけの付き合いをしようとしても、過度に自信がない私に対して距離を置きつつ気を使いまくる相手とは、空疎な間柄にしかなれず、依存対象にもなり得ません。

単独の「私自身」は、本当に自信のカケラもないので、依存対象がいなくて集団の中で自分の位置が実感できないと、自分を「最底辺な汚物」としか思えません。
そして、汚物として生きることは、精神を消耗します。
また、内心では、「誰かに依存してさえいれば、私は何でも出来るのに…」と悔しがっています。

そんなこんなで、私は生活に行き詰っています。
ここ最近は、喜怒哀楽をほとんど感じなくなり、現実感が遠のいていて、物事を真剣に考えることが馬鹿らしく思われ、何事も投げやりです。
また、頭がこんがらかるようになり、話そうとしても言葉が頭に浮かばなくて、浮かんだとしても文法や単語や語法が乱れて、文章の構成の仕方も分からなくなり、満足に発話することができなくなりました。
友人たちに近況を知られて嫌われるのがイヤで、連絡を控えざるを得なくなってしまいましたし、自殺未遂を繰り返しもしました。

医者に数ヶ所行かされましたが、受診しても、頭の不具合が多岐に渡りすぎて、もはや何がどう辛いのか分からず、ぼーっとして言葉が何も思いつかず、また、感情がないので悲しみや憂鬱も意識の上になく、典型的な精神疾患の症状を訴えなかったので、無意味に終わりました。
医師と会話しながらも、私は着ぐるみの中で演技しているみたいで医師との会話が遊び半分にしか捉えられず、受診に身が入りませんでした。
あと、上記のような性格の欠点、およびそれの生活への悪影響を理解していただき、改善できればと思ったのですが、取り合ってもらえませんでした。
私は愚痴りたかったのではなく、トラウマを克服することを望んでいたのですが、それは精神科の領域ではなかったのでしょうか。
確かに、医師はこんな幼稚な話、聞いている時間はないのでしょう…。

私の内面世界は伝わりましたか…??

私は自分をどう受け止めて、どう生きることが望めるのでしょうか…。
けじめをつけて、いつか前に進みたいです。
 …素人が言うのもおこがましいですが、私はクラスターCの人格障害の、折衷型みたいな性質が出ているのかもしれないと思ったりします。

何か思うところがありましたら、教えてください。

A 回答 (7件)

ひじょうにしっかりと書かれていて、お答えするこちらのほうがはずかしくてためらいます。



トラウマを対象にする力のある医師は、困ったことに今の日本ではわずかしかいません。ほとんどの精神科医には、時間もないし聴く力もないのです。専門にしている医師をなんとか探してみることは一つの方法でしょう。その中でもピンキリだと思いますが。

読書が可能なら、図書館で外傷性精神障害(PTSD、解離性障害、他)の関係の本を見てみるべきです。(日本では岡野憲一郎医師、柴山雅俊医師)

根拠のない差別からのいじめ。その傷、トラウマ。世間は軽薄な日常語にしてしまい、それが人の人生にどれほどの苦痛を残すかを知らないのです。それを乗り越えるとはどういうことか。
「性格がよくないから直さなければならない」などと短絡しないことです。トラウマに神経がどう機能して現在の「性格」が生れているのでしょうか。神経(=あなたの身体)は自分から悪くなったのではないでしょう。
この荒れた時代です。「いじめられる側にも問題がある」というような責任転嫁に遭いやすいので身を守ってください。「外傷」であるということが鍵です。

この回答への補足

すいません!お礼文の表現にマズイ点があるので訂正させてください。「少し本筋と逸れてしまいますが…。」っていうのは、「私には、本当は過去のことなんて~」にかかります…(汗)原文だと、その前の部分が筋と逸れてると言っているようにみえますよね……?それは困る。。。失礼しました。

補足日時:2009/07/19 17:01
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

冗長な質問文を解読していただいて…。


>トラウマを対象にする力のある医師は、困ったことに今の日本ではわずかしかいません。

そうなのですね。
そういうリアルな話は、最近メディアでは取り上げられつつありますが、実社会ではオブラートに包まれている感があります。
だから、的外れな期待をしてしまいがちでした。

回答者様による生の情報を直接聞くことができ、受診については、とりあえずは前向きにあきらめる気持ちになりました。


外傷性精神障害について、自分と関連付けたことはありませんでした。
戦争とか犯罪、虐待や暴力など、最も深く残酷な体験をした人の陥るものだと思っていたので。
けれど、これを機に、本にはあたってみようと思います。


少し本筋と逸れてしまいますが…。
私には、本当は過去のことなんてとっくにどうでもいいことでした。
けれど、この歳になって、例えば大事なプレゼンなのに、人前に立った途端顔が激しく発火して、声が出ない…。震えがひどくて、原稿の文字を追えない…。まっすぐ立ってられない…。…気付いたら聞き手みんな寝ちゃってるし…!!…みたいな事が増えていって・・・。
何で昔はやすやすと出来たようなことが、今になって出来なくなるのか…。これが自分の実力だなんて、絶対認めたくない…。って思った時に、どうでもよかったはずの過去の体験が頭をもたげてきました。
過去のせいにしないストイックな生き方がしたいと思うし、過去のせいにすることは一般には嫌われる考え方だろうと思います。
けれど、現にPTSDという概念も存在するのだし、過去のことに思いを馳せることは誰にとっても、必ずしもナンセンスな話ではないんだと、思いたいです。

長文失礼しました。

お礼日時:2009/07/19 16:29

再レスありがとうございます。



何か余計なご心配をおかけしたようで申し訳ありません。
私は医師ではありません。ですから障害と決めつけたりはしません、できません。
私はあくまでも「性格」のお話を差し上げているはずですから、ご心配なく^^

ご心配なら立ち読みでもいいので、先刻ご紹介した本をお読み下さい。
あくまでも性格ですよ、性格というより性格傾向位のニュアンスで、シゾイドなどを感じただけです。
これは持たざるものにとっては、本当に羨ましい性格です。性格というより才能です。
そしてこの傾向が全くない人などいないです。
全ての人が七つの因子を持っているのです。後は強弱の違いだけです。

パーソナリティ障害の基本は「七因子論」なのです。
色の三原色はご存知ですか。PCディスプレイなどもそうですよね。
殆ど全ての色は、三色の強弱で表現できるのです。

そしてその要素が三つでなく七つもあるのですから、道理で同じ性格の人など
世界中探してもいないはずです。まさしく世界に一つだけの花ですよね。かけがえのないものです。

しかし実は、境界性人格の人は、統合失調症と間違われて診断されてしまうこともあるのです。
統合失調症と神経症の境界線上にある、という意味で「境界性」と云われているのです。
ですからシゾイドではなく、やはり境界性的なのかも知れません …分かりません(滝汗)。

重ね重ね、人様のご性格を勝手に想像で申し上げまして、ごめんなさいね。

そして最後の私の感想ですが、「よく分からない」ということは、つまり「円満だ」ということです。
どれか一つが明確に突出していないから、どれだかよく分からないのです。
それは私が素人だからということもあるとは思いますが、
私なりの感想としては、あまりご心配には及ばないのでは、とも思うのです。

貴方様は自己分析のできる方だと思います。基本を良書などで学べば、きっと改善・解決するような気がします。
ですからあまり私などがしつこくすると、ご自身の探求力育成の邪魔をしかねませんので、この辺で失礼致します。
長くお付き合いいただいてありがとうございました。
今後の益々のお幸せをお祈り致します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 22:09

レスありがとうございます。



まず、「○○性人格障害者」という言葉があり、同時に「○○性人格者」という言葉もあるのです。
「障害」の二文字があるかないかです。
又、近年「人格」と云わずに「パーソナリティ」と呼ぶようになってきています。境界性パーソナリティ障害、とか。
それは、「パーソナリティ」には「個性」という意味もあるからです。

>自分がPDかは分かりませんし、自己診断や病名を欲しがる気持ちは世間には冷笑されるでしょう。
>けれど、PDという捉え方を今の自分を割り切る手がかりの一つとすることくらいは、許されたいです。

ですから、自分を障害者として捉えるのではなく、性格の偏りとして捉えるのです。
著しく偏れば障害です。それがなだらかになれば、個性です。
なだらかにすることは、障害から個性への以降であり、それが改善・解決ということです。
よって近年は、そこを明確にするために、パーソナリティという言葉を使うようになってきた、と。

ですから、冷笑されることなどありません。自分を割り切るというか「自分を知る」ということです。
許されますよ、大いに。血液型なんかよりずっと信憑性に富んでいますから(笑)。

又、強迫性を一言で言えば「責任感が強い」です。強すぎると障害にもなると。
私が強迫性を感じると申し上げたのは、褒めたのです。そしてそれは決してお世辞ではありません。

それで、こんなご様子を伺うと、こじつけかも知れませんが、少しだけ貴方が自己嫌悪に陥っているようにも感じます。
つまり、ご自分を過小評価しすぎている、というようなことです。
するとこれも又こじつけかも知れませんが、失礼ながら、やはり少しだけ自己愛が萎縮気味の方なのかな、とも感じます。

…しかし実は、自己愛性者にも自己嫌悪があるのです。理想が高いからです。
理想の自分に比べたら、現実の自分は何てショボいんだ、ダメなんだ、というところからくる自己嫌悪です。

勝手な推測ばかり申し上げますが、どうも貴方が自己愛性人格の方にも思えてきました。
それで、自己愛性人格者が境界性人格者に一時的に変わることがあるのです。
又逆に、境界性の人が一時的に自己愛性に変わることもあります。
特に大きなストレスや厳しい現実の前では、自己愛性人格者は時として境界性人格者に変わることもある、と。
これはWIKIの "自己愛性人格障害" にも書いてあります。私も思春期はそうでした。
それで、境界性人格の人は、異性や親などに依存することも多いです。
ですから依存性ではなく、実は境界性であり、しかし境界性は一時的なもので、
真の姿は自己愛性であった、とか…。様々考えられます。

…でも、貴方の洞察力・感受性には、ある種天才的というか、閃きのような感性も感じられ…。
分からなくなってきました(苦笑)。

人様のことを推測ばかりで申しまして、大変失礼致しました。

今まで申し上げたことは、その殆ど全てが以下の本に裏づけされたものです。
決して私の独断ではありません。ご興味があればお読み下さい。

岡田 尊司 著 "パーソナリティ障害がわかる本" 株式会社 法研 (出版)



>なるほど…。
>私よりはるかに残酷な目にあってもケロっとしている人がいるのは、こういうところにからくりがあるのかもしれません。 

まさしくそうだと思います。
注射を痛がる幼児もいます。比較的ケロッとしている幼時もいます。
同じことでも、感じ方は人によって全く違うのです。痛がる幼児を人と比べて、頭ごなしに「弱い子だね」と叱っても、
それは本当に痛いのだから、あまり叱るのは可哀想なのです。

そういうことについては、以下の本に書いてあります。

加藤 諦三 著 "運命のうけいれ方" PHP研究所 (出版)
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この回答へのお礼

各々の人格には共通項があったり、一時的に入れ代わったりもするんですね。依存行動があるのは、実は一時的に境界性になってしまった自己愛性かも…とは、面白い。深いです。ご紹介の本は参考にさせていただきます。そういえば、ご回答文中のある箇所で言葉を濁していらっしゃいます(?)が……もしかしてこの箇所で示唆されているのは、私がひょっとすると某症候………((((;°Д°)))あっ、マイナス思考の深読みはここまでにしておきます。つい悪い癖で(><;)…ってなんか図々しい上に意味不明ですね。本当に失礼しました。軽く受け流してください。あと、No.5にさせて頂いたお礼も、今読み返すと意味不明でショックな私でした。ご丁寧なお返事、どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 19:54

貴方様の心の問題については、それは「一つ」です。


しかしそれを捉える学問が変われば呼び名も変わります。
そういう中で私は、パーソナリティ障害(人格障害)を持って捉えることをおすすめします。

私は素人ですが、どうも貴方様には、まず依存性人格(障害)を感じます。
又、自己愛が萎縮気味という点で共通すると思われる、境界性人格(障害)も少し感じます。
依存性はまさしくクラスターCですね。境界性はBです。
更には強迫性も感じます。ご質問文が緻密で論理的だと感じるからです。
強迫性はクラスターCになりますよね。
普通どれか一つではないのです。一番強いのが依存性でその次が境界性、その次が強迫性… といった具合です。

ともかく、どれにあたるかは簡単には決められませんが、「どうして人格障害が起きるのか?」
この最大の原因は共通しているのです。それは幼児期までの親子関係と云われています。

それは加藤 諦三さんの言葉を借りれば、「親が自立した心の土台を築いてくれたか?」ということです。
そして加藤さんは、親にしっかりとした自立心の土台を築いて貰えれば、
その後のことは乗り越えられる、とも言っています。
そしてこれは、例えばハインツ・コフートという精神分析家なども同じように言っています。
ハインツ・コフートの理論などは、しばしば人格障害を扱う専門家もこれを用います。

つまりは、あまり「トラウマ」としてばかり捉えようとすると、迷路に入ってしまうとも思うのです。

それで、解決方法ですが、私からは「本物の自己愛を持ち、本物の自尊心を持ち、自己嫌悪を脱する」。
或いは「誰のせいにも、何のせいにもしないで生きる」というような生き方をおすすめしたいのです。

私自身、神経質、強迫観念、自己愛性人格などで長年苦しんできました。
今は過去に比べれば、格段に違います。そういう私が最近考えることは、そのようなことなのです。
そしてこれは、決して私の独断ではなく、長年お世話になってきた神経質治療の森田療法や加藤 諦三さんなど、
これらの指し示していたものは、結局私の体験を通してみればこういうことだったんだ、という内容のものです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5120191.html 回答番号:No.11

それから森田療法についてですが、クラスターCにある強迫性の専門治療が、森田療法と言ってもいいと思います。

以上素人ながら僭越に申しましたが、このご質問文は大変見事に、貴方様の内面を表現しているのではないでしょうか。
もし本などを読んでの自力での解決が困難と思われた場合は、このご質問文をプリント・アウトするなりして、
パーソナリティ障害を扱う専門医やカウンセラーに見せるという手段もあろうかと思います。

貴方様の心の問題の解決が進みますよう、お祈り致します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

パーソナリティ障害(PD)について、当事者の方に見立てていただけるとは。
貴重なご意見をいただきました。

自分がPDかは分かりませんし、自己診断や病名を欲しがる気持ちは世間には冷笑されるでしょう。
けれど、PDという捉え方を今の自分を割り切る手がかりの一つとすることくらいは、許されたいです。

自己愛、自尊心をキーワードとして挙げていただきました。
リンク先などを見て思うのは、意外にも、私はその点では結構、健康かもしれない、と…。
無条件に自分を好きだと感じるから、自分の平凡な顔も好ましいし(顔の造作に関しては、昔からコンプレックスがないんです。質問文は誤解を招きますね)、自分に出来ることを自覚して、多くを欲しがろうとは思いません。
とか言いつつ一方では同時に、質問文に書いた切迫した心の状態があることも事実です。
…う~ん、矛盾!??
…難しい……。

また、質問文に強迫性があることをご指摘いただきました。
冷静になって見ると、確かに強迫的な文章の羅列に見えて、きもいです(笑)
読み切っていただいた方々には感謝です。
ただ、こんなふうに論理でガチガチになっていることについては、意識的にそうしなくてはいけないと思った面もあります。
「人に依存してしまうのが、つらいです」と一行で言っても、伝わらないからです。
「勝手に依存してろよ」って感じですもんね。
悩みにつかみどころがないから、じゃあ私は悩んでいないのか?というと、やっぱりそうとも思えません。
だから、頭の中を丸ごとくり抜いて文字ににすることで、相手に私の内部を追体験してもらうしか伝える方法はないという結論に至り、そういう中で緻密になりました。
けれどもやはり、これでも訴える力は弱いという印象があります。
精神疾患系の当事者か、余程のマニア(?)でない限り、読めないんじゃないかと…。
形だけが注目されて強迫性だけを読み取られる可能性も高いですし。
…なんだか遠くまで歩いてきてしまった感があります。


ところで、PDについて調べてみると、おっしゃる通り、親との関係性が基底にあるとされていますね。

>親にしっかりとした自立心の土台を築いて貰えれば、その後のことは乗り越えられる……

なるほど…。
私よりはるかに残酷な目にあってもケロっとしている人がいるのは、こういうところにからくりがあるのかもしれません。

長文失礼しました。

お礼日時:2009/07/19 16:43

先日知り合った男の子は、顔を奇妙に歪める癖がありました。


また、身体を極端に揺すって歩いたり奇妙な仕草がありました。

知り合って約半年ですが、急速に症状が収まり、今は仕事を探しに頑張っているそうです。
相当明るくなって大変安心しました。

もしかしたら、同じ症状だったのかと思います。この子の場合は、トゥレット症候群だったようです。
質問者様が同じ症状なら、普通のお医者さんでは無理なので、かなりの大病院で治療しないと、全体的な症状はよくならないと思います。

ちなみに、この子は同じ障害の当事者会で知り合った当事者仲間です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご心配いただきましたが、私はトゥレット症候群や脳疾患、および他の先天的な障害の兆候は昔から持っておりません。(自分で気づいてないだけだ、とか言わないで下さいね…。その点は客観的にも認められるはずですから。)
質問文後半の、医者に診察を受けるくだりの前後で脳の状態がアヤシイと感じられたかもしれませんが、これはあくまでも最近の話で、後天的なモノです。
また、質問文では「身体的特徴」とぼかさせて頂きましたが、純粋に美容的・外形的なレベルの話でした。恐縮です。

お礼日時:2009/07/19 16:26

随分大変な子供時代でしたね。


でも、もう身体的特徴は改善されて
心のクセだけがトラウマとして残ってるということですね。
そして、依存対象がいれば自信を持てて、
独りぼっちだと自信がもてない、つまり、後ろ盾を求めているということですね。
まず、過去の死骸を引きずって生きるのはやめましょう。
過去の体験のせいでであなたの中で外見の価値というものを重視し過ぎる傾向が見受けられます。
今でも外見には相当気を遣っているはずです。
そして、独りで他者と対面した時に、常に相手の視点から
自分の外見は大丈夫だろうか?変に思ってないだろうか?と
思ってしまうのではないでしょうかね。
それで努力するんだけど、いくら頑張っても空回りということですね。
自己嫌悪して「ブスで、不潔で、臭くて、・・・」などと思い、
また頑張ろうとして、「そんなことはない!自分はもう変に思われてない」と気合をいれるんですが、実際には自分がどう見えているか非常に気になってしまうという悪循環ですね。
自信というのは、ブスだろうが、キレイだろうが関係ないんですよ。
外見をどうにかして良く思われようとしたり、依存対象に頼ったりして自分を良く思われようとすることは、自信ではありません。
自信とは何か自分の外のものに頼れと手に入るものではありません。
外見や友達やらに頼っても自信にはなりません。
自信は外的なものに動じない心です。
あなたは外からの目を気にしている、つまり、普通だと思われたいし、
変だと思われたくない。さらには、いい人と思われたりキレイと思われたりしたいと思っているかもしれない。
これを捨てて下さい。
自分がこう思われたい、自分はこう思われたくない、
自分はこう思われただろう、というこれらの気持ちを捨てて下さい。
これは自分に対する価値判断をやめろということです。
これらは妄想であり欲望です。過去の体験のせいでこの欲が膨れあがっています。
どうせ、他人の気持ちは自分にはどうにもならないし、
その人その人によって価値判断は全然違うので、はっきり言って
どうでもいいことなのです。あなたはどうにもならないことを
どうにかしようとしてるだけです。
つまり、自分の外の人のどうにもならない心を自分でどうにかしようと
しているのです。だからあなたが外をどうにか支配しようとしている
にも関わらず、あなたが完全に外に支配される結果となるのです。
自分で想像した他人の心で自分の心を
ズタズタに引き裂いているのです。だから心が空っぽなんです。
他人の心をどうにかしようとするのではなくて、
自分の心のクセを治しましょう。
つまり、今の「私のこともっと評価して評価して!」と一喜一憂して
暴れて外に何か求めて依ろうとしている心が起こる度に、
「ゴミ妄想するな!」と一喝してください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「心のクセ」のない、健康的な思考方法について丁寧に解説していただき、叱咤激励していただき、大変参考になりました。
社会に生きる人はみな、“何事にも動じない自分”でいることで初めて、程度の差こそあれ、器用に生きているのですね。
それが確立されていれば、外的な属性なんて二の次ですよね。大人になって世界が成熟すると、TPOさえわきまえていれば、他人は割と外見を気にしないものですし。
他人の心を自分の都合のいいように支配したいという膨張した欲望を抱き、他人に期待するけれど、それには主観的な「妄想」が潜むからこそ、現実の下では破れやすくて、結果、「外」にとらわれ、支配されてしまう…ということなのですね。

揺らがない自分でいることが大事なのだとわかりました。
「心の強さ」「心の弱さ」というものは、何を基準に計ることができるのか謎でしたが、「強さ」とは、まさに「外的なものに動じない心」なのだと思いました。
こういう考え方を持てれば、自信を持って生きていけますね。

お礼日時:2009/07/19 16:24

私は、26さいになります。

特徴的な性格は私は、個性だと想います!
18からホステスをしてきて、散々差別を受けましたよ。
そのお陰もあって未遂もありました。

私はとてもali_bluさんのように、「自分をどう受け止めて、どう生きることが望めむや、けじめをつけて、いつか前に進みたい」
って尊敬します!!!
何も回答になってませんが、申し訳ありません。
頑張らないで少しずつやりましょ★
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この回答へのお礼

遅くなってごめんなさい。
回答ありがとうございます。回答になってないなんて言わないでください。。。

回答者様は10代で夜の世界(って言っていいですか?)に入られたのですね。
苦労したことでしょう。
私には想像も付きません。

ドラマとかでは見ますけど、実際差別もあるんですね。
でもホステスさんってみんなすごくあか抜けているし、何より魅力がないとできないことだし、完璧っていうイメージがありますよ。
レベルの高い女性でないと、つとまらないと思います。

部外者が偉そうに言ってしまいました…。

お礼日時:2009/07/19 16:19

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