プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

弱い人だからこそ攻撃的になったりするものですか?

A 回答 (11件中1~10件)

「弱い犬ほどよく吠える」は人間にも言えること?



これは人間にも言えることではなく、犬に例えて人間の事を言っていることわざです。

虚勢を張り相手を威嚇したり、怒ったり、大声を出して自分の弱さを隠している様をいいます。

>弱い人だからこそ攻撃的になったりするものですか?

はいその通りです。 自分の弱さを隠す一つの方法として、意識してやる人と、無意識にやる人が居ます。

これ以外外に「負け犬の遠吠え」とか、「犬も食わない」「犬も歩けば棒にあたる」など犬にたとえた、ことわざは沢山あります。
    • good
    • 5

私の知り合いで、中卒だということをすごくコンプレックスに


思っている人がいて、自分の会社を作って慢心して、銀行の支
店長を呼びつけては攻撃して泣かせてた人がいました。
周りの人を攻撃して、ついに自殺未遂にまで追い込んだとか…
その人は過去のことを振り返り「あの頃の自分はコンプレック
スの塊でそういうことをしてしまった」と反省しています。

相手が自分の意見と違うことを言ってた場合、「ああ、そういう
意見もありますね」と冷静でいられる人は自分の軸がしっかりし
ている人だと思います。

逆に自分の意見を相手に認められなくてキレる人は、劣等感が
あったり自信がなかったりで、「自分の権利が侵害されるので
はないか」と常にビクビクしているのだと思います。

犬が吠える理由がよくわかりませんので、それが人間にも言える
かどうかは分かりません。
    • good
    • 4

犬が吠えるのは、それぞれに理由があり、生きていく為には必要不可欠なものです。


なのでその例えは人には当てはまらないと思います。
弱い、強い関係なく、一言で言うと「プライドの高い人」ではないでしょうか。
相手に見下されると感じる、相手にけなされた気がする、そういう気持ちが人を攻撃的にさせるのでは?
人に見下される、けなされたと感じることが一概に「弱いこと」にはならないと思いましたので・・・。
    • good
    • 1

>「弱い犬ほどよく吠える」は人間にも言えること?


さあ、どうでしょうね。

>弱い人だからこそ攻撃的になったりするものですか?
「だからこそ」とも言えないしね。
    • good
    • 2

弱い人間が吠えても叩かれてしまうだけです。

なので弱くとも利口(小利口と言った方がいいかもしれません)な者は吠えません。
弱くて馬鹿な者が吠えるのだと思います。そして利口な者(強い者)は馬鹿を排除します。そうして自分達に害が無くなったら相手にしません。基本メリットが無いから。弱くて馬鹿なものはそうして淘汰されていきます。
あなたの身近にそんな人がいるのならば、そこは淘汰された者が集う終着駅だということです。
    • good
    • 3

人間でもそういう人はいます。



劣等感が強く自己中心的な人ほど、負け犬の遠吠えとおぼしき悪しき言葉を吐いて、
人を攻撃します。
自分で自分のことが嫌いだから、人のことも嫌いになりがちです。

又、劣等感(自己嫌悪)の強い人は、自分で自分が嫌いなので、それだけで苦しいのです。
だから、苦しいから、自分で自分を直視できない。目を反らす。すると自分で自分が分からない。
だから自分のことを棚にあげて、他人に悪しき言葉を吐く、という構造あります。
すると自己中心的にもなる。

或いは又、劣等感(自己嫌悪)の強い人は、自分が悪口を言われているわけではないのに、
自分が悪口を言われていると思い込みがちです。自分が嫌いだからです。

自分が嫌いだということは、真の意味で自分に自信がないということなのです。それは例えば負け犬です。

例えばCが人に尋ねた。Aが答えた。Bも答えた。
Bは特にAを攻撃するつもりはなく、ただCの問題を解決したいから答えた。
そしてBの答えがCに受け入れられた時、Aはまるで自分がBから攻撃されたと思い込み、
Bに対して攻撃的になります。
するとこのAの態度はまさしく「自分を中心に、世界が回っている」という態度となります。
劣等感が強い人は、自己中心的になりがちです。

例えば特定の人格障害者に対して、誹謗・中傷・差別・偏見的発言をする人を見ます。
自分にも障害があるにも関わらず、です。

自分が他人を傷つけて、それによって自責の念にかられているAという人がいたとする。
自責の念は苦しい。だからその苦しみから逃れようとして、
Aは、他人を傷つけたのは自分ではなく、Bという人だ、というように思い込んでしまう。
そうとしか思えない構造を持った人もいるようです。

するとまるで鏡に写すように、Aは自分で言った悪口をBが言ったと主張し、Bを憎むのです。
「自分のことは棚に上げて…」が強くなると、こういう構造にもなったりもするのです。

こういう人は、心理社会的に成長し、感謝や謙虚さを身につけ、自分の過ちを認め謝罪するようになれば、
自分の劣等感や自己中心的な態度から開放されるはずなのです。

それは結局「本物の自己愛を持つ」ということなのです。

それを身につけないうちは、こういう人は何度でも同じ過ちを繰り返し、ちっとも成長していかないです。

そして、どうして人から嫌われるのか分からず、ますます孤立し、心が荒み、
遂には自分を支えてくれる人まで失います。自分を支えてくれる人とは、実は自分の鏡になってくれる人なのです。

自分の鏡になってくれる人がいなくなれば、この人はいよいよその場所から抜け出せなくなってしまいます。
だからこそ、感謝や謙虚さや謝罪が大切なのです。
    • good
    • 2

>「弱い犬ほどよく吠える」は人間にも言えること?



言えますね。


>弱い人だからこそ攻撃的になったりするものですか?

それも言えます。
ただ、性格が単純に攻撃的な人もいます。
強くても弱くても。
    • good
    • 2

それは違うなぁ。

犬にしても。弱い犬が吠えるのは怖いと思うからで、こっちから何もしなければ攻撃されないでしょ?人間だってそうじゃないですか?
だれだって嫌な事とかされたら、こっちが弱かろうが強かろうが、腹がたつしお返ししたくなるのが本音じゃないですか。ただ人間でも犬でも強い者は貫禄とか余裕というものがあるでしょ?弱者はそれがないので「威嚇」という手しかない。それが端から見て攻撃的に見えるのではないでしょうか。
    • good
    • 0

吠える、を人に置き換えると、まあ威圧するってことになるんじゃないのかな。



虚勢を張るとかね。

強い人は日ごろ意外に静かなんじゃないかなとは思うけど。
    • good
    • 2

攻撃的


という表現は当てはまらないのでは?

大きく・賢く・偉く・強く・知的に見せようとする会話や態度、の事を「吠える」と表現する場合が多いような・・・

これは、人間に当てはめてその通りだと自分は思います。

・・・残念ながら逆効果なのに
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!