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やっかいなテーマでお邪魔します。

「感動する」という表現があります。ネットの辞書には「感動」の説明で

>[名](スル)ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。

とあります。

さて同じ音楽を聞いても、同じ絵画を見ても、同じドラマを観てもそうですが感動するポイントは人により違うようです。

私の知り合いで「洋楽のよさが分からない」といって演歌ばかり聴いている人がいます。趣味は人それぞれなのは言うまでもないことです。しかし、ここでは趣味について喋喋しようという意図はありません。

人によって「より深く感動することが出来る」というのは、どうもその人の「才能」ではないか、という印象が拭えません。

このページをご覧の皆さんは「質問タイトル」についてどうお考えでしょうか。

※より深く感動できることができないことより「いい」という前提が質問内容から伺えると思います。それは否定しません。

A 回答 (2件)

>人によって「より深く感動することが出来る」というのは、どうもその人の「才能」ではないか



その通り、それは疑う余地のない事です。


道端に落ちている石ころ1つに強く何かを感じる人もいれば、それは‘ただの石ころ’でしかない人もいます。

優れた表現作品(アートなり文学なり)を生み出す‘表現者’に共通する性質、それは、他の人が思いもつかないポイントに強くインスパイアされる・・つまり「心動かされる」という性質がまず不可欠な様に思えます。これは間違いなく、彼等の特筆する才能の1つですね。(勿論それだけではなく、それを形にする能力も不可欠ですが。)

ただ、本当に優れた表現者というのは、表現活動においてパーソナルなものを多分に有するものです。
絵画やドラマや音楽は所詮、よその人に用意された‘感動生成機’でしかありません。「感動する」対象が「絵画やドラマや音楽」でしかない人は所詮、人と似たりよったりなものに感動しているだけの‘凡人レベル’の範囲内でしかないのかもしれません。
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この回答へのお礼

ぐるどふぃしゅさん、回答をありがとうございます。

質問の主旨を超える部分で「有意義」な回答をいただきました。この質問の次あたりにご回答の内容に抵触する質問をしようと思っていました。これを「余禄」というのですかね。近いうちにもう少し絞った質問をさせていただきます。

お礼日時:2009/08/13 21:59

難しく考える必要は無いと思います



感動をするという事をは何かに対してドーパミンが出るということ

ならばあなたの言う才能と言うのは
何に対してどれだけの量のドーパミンが出せるかの違いです

それは才能というか能力だと思います
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この回答へのお礼

さかなきらさん、回答をありがとうございます。

ドーパミン、ですか。ドーパミンを出す才能ということですね。

どうもそういった一種の「還元主義」ではとらえきれない魅力を「感動」という現象はもっています。そのことへの質問だったのですが、質問の仕方がまずかったですね。仕切り直しをしたいと思います。

お礼日時:2009/08/13 21:55

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