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信仰を持ち、神様はいると、断言して疑わない方にお聞きしたい。是非、教えてください。どうして、神様はいると断言できるんでしょうか?
実はついさっき、ある掲示板で十数年前に起きた、悪魔の所業ともいうべき恐ろしい事件の書きこみを読みました。事件の内容は敢えて書きませんが、あまりに衝撃的で、凄惨な事件だっため、正直気分が悪くなっています。

よく言われていることと思いますが、神様が本当にいるというなら、どうして、あんな事件が起きたんでしょう?

まだ、悪魔が人間が創って、人の不幸をどこかであざ笑ってる、というほうが、僕にはまだ信じられます。

毎日、われわれの知らない何処かで、人間の皮を被った悪魔がのうのうとのさばり、ある日当然、何の必然性もなく
平穏な日常に無意味な悪意を撒き散らしている。

毎日のように報道される、目を覆いたくなるような事件を見聞きしても、それでもなお、「神様はおられる」と断言できる理由、それを是非ともお聞きしたい。
今はそういう心境なのです。

質問の趣旨は正直自分でもよくわかりません。でも、ただ、神様が本当にいるというなら、今日読んだ痛ましい事件なんて絶対に起きるわけない、だから神様なんていないんだ、僕はそう思っています。
それて対極となる意見や思想があるというなら、一体どういうものだろう、とふと気になったのかもしれませんね。

それでは、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

私自身は「信仰を持ち、神様はいると、断言して疑わない」に入りませんが、参加させて下さい。



質問者が“神様とはこういう存在だ、あるいはこういう存在でなくてはいけない”と考えているような“人間社会をつぶさに観察していて、誰かが悪い事をしそうな時に罰を与え事件を未然に阻止してくれる神様:ある意味でお節介な、あるいは個人のプライバシーを侵害する神様:は存在しません。
これは経験上疑う余地のない明白な事実です。
悪い事をすると死んで地獄に落ちるよとか、来世は畜生に生まれるよとか言いますが、これはどんな悪い事をしても
この世では直接神様から罰を受けることがない事の裏返しです。
このように諭す以外に神様は実在すると説得する適切な方法がないものと思われます。

また最愛の家族が病気にかかり、あるいは交通事故に合って生死の境をさ迷う時、神様(仏様)に一生懸命お祈りしてもその甲斐もないことはよく目にする所です。

それでもやはり神様は存在すると思います。
この世界そのものが神様です。非常にクールで小さな事:実は私たち個人に取っては非常に重大な生死に関する事、道徳的に絶対に許せないと思われる事件さえも含まれる:には目をくれない神様です。

私たちが道徳的、倫理的に許せないと感じる行為が、このクールな神様の目から見て本当に許せない罪深い行為なのかどうかについても少し考える必要があると思います。

(1)ライオンがガゼルを取って食う
(2)誰かがペットを虐待した
(3)牛肉を美味しいと言って食べる
(4)ニューヨークでテロ事件があった
(5)イラク戦争で多くの人が犠牲になった
(6)通り魔事件で小学生が犠牲になった
(7)サル山で若い猿がボスの座を狙ってボス猿を襲った

質問者の感性では神様が(1)~(7)のどの行為を事前に阻止してくれたら神様は実在する事になりますか?

生きるために食べる、自分の見を守るために相手を刺した(正当防衛)・・・、自分が生存するために必要な行為は神様から許される行為であるとしても1本の線で区切れるような簡単なものでなく立場が変われば逆の判断になります。
つまりたとえ神様でも1本の線で区切って、おまえが悪いと決められない事の方が多いのではないでしょうか?

長々と書きましたが、結論はつぎの通りです。
私たちが道徳的、倫理的に許せないと感じる行為もクールな神様の目から見ると単なる日常のひとコマで正常に生命現象が営まれているだけの事ではないでしょうか?
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私は神を信じない人間ですけども、判る範囲で回答しますが、その神についての宗教に帰依するものにとっては、その信仰が全世界のすべてでしょう。

したがって疑うことはありえないのです。たとえどんな凄惨な事態が起きようと、それは、その神が起こしたことです。したがって信者はそれを信じて、甘んじるべきなのです。それが信仰というものでしょう。
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>神様はいると断言できるんでしょうか?


神の存在を客観的に証明をする事は不可能ですので、回答は理屈の世界ではありません。これまででも、また今でも神の名のもとに多くに命が失われてきました。他宗教の信者の命は、その存在価値を持っていないように感じます。

一つの例ですが、障害をもって生まれたお子さんのご両親がいます。最初は、「何故このような事が自分におきるのか?神も仏もいないのか?」と考える事もあると思います。そのご両親に、「神様、仏様は、あなた方ならこのお子さんを育ていけると思ったから、あなた方にそのお子さんを授けたのです」とお話しをしたとします。
この事で、障害者のお子さんであるご両親が共に生きる勇気を持てたなら、そのご両親の心には間違いなく神様、仏様はいるのだろうと思います。それを他人は否定することはできません。そしてそれは理屈の世界ではないと思います。

宗教の力は侮れません。何千年の時を生き抜いてきています。神の存在と宗教は同一には語れないと思いますが、神の存在、神的な存在を抜きにして宗教を話す事にも無理があります。人は弱く小さな存在と感じた時に、神や宗教はその心の中に入ってくるのだろうと思います。そのように自分を感じた時が来るまでは、質問の答えは出ないのかもしれません。
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>実はついさっき、ある掲示板で十数年前に起きた、悪魔


>の所業ともいうべき恐ろしい事件の書きこみを読みました。
>事件の内容は敢えて書きませんが、あまりに衝撃的で、
>凄惨な事件だっため、正直気分が悪くなっています。

いろいろ陰惨な事件が後を絶ちませんね。
精神異常者と思われるような人の猟奇的な殺人事件も年に
何回も報道されています。
また知る人は少ないでしょうが、ペルーの日本人大使館の
人質事件、あの時の犯人は全員射殺されたというのが公式
な報道ですが、実はそうではなく、軍隊によって陰惨に殺された
ということを知る人はごくわずかでしょう。

ただ驚くに足りません。
20世紀を通して、ファシズムの台頭・共産主義革命の嵐・
そして世界大戦と冷戦の中で何億もの人命が命を絶たれた
ことを知っていますから。

しかし歴史は長い目で見れば、人命を粗末にし人権を抑圧
する政権や思想を否定する方向で流れています。
ユダヤ人を大量虐殺したナチス・ドイツは滅びました。そして
全世界に共産主義革命を輸出し、革命による静粛と人権弾圧
を繰り返してきたソ連および国際共産主義は冷戦に負け、
結局崩壊しました。
かつての共産中国は半ば資本主義国家と化し、最後の砦の
北朝鮮は、いまや青息吐息の状態です。

この歴史の流れを神の見えざる手によるものと見るか、それ
とも自由と正義を求めつづけた人間の飽くなき努力の結果
と見るかは人それぞれでしょうが、私は前者の力を感じて
やみません。
(私の主観による判断ですので、客観的な証明はできないのですが)


>質問の趣旨は正直自分でもよくわかりません。でも、
>ただ、神様が本当にいるというなら、今日読んだ痛ましい
>事件なんて絶対に起きるわけない、だから神様なんて
>いないんだ、僕はそう思っています。
>それて対極となる意見や思想があるというなら、一体
>どういうものだろう、とふと気になったのかもしれませんね。

その答えは共産主義です。一番明快に、神を否定している思想です。
だがその共産主義がどの思想・宗教よりも一番人を殺して
いるのは、本当に皮肉な歴史的な結果であります。
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まず、あなたの仰る「神」というのが、何を指して言われているのか不明確なのですが。


「神」が居るなら、どうしてこんなことが起きるのか、と仰いますが、神道の神は、
はっきり言って「善い」も「悪い」もない、倫理的規定を殆ど伴わない存在ですよ?
また、東方や南アジアの宗教などでは、悪の神がおり、この世は善い神と悪い神の
争乱状態だと考えます。ですから、悪が行われているからといって、神の存在
を否定することは全く出来ません。

私はキリスト教を学ぶものなので、キリスト教のことをならわりとわかるのですが、
以下は他の方の質問で私が書いたものです。

>ユダヤ教・キリスト教では、自分に不幸があっても、それは神の与えた懲罰・
>試練と考えるわけであって、自分が不幸なときだけ「神はいるのか!」なんて
>問う人は、まあ、敬虔な信者の間にはいません。はっきりいって、漫画と映画の
>世界だけです。自分は不幸に会ってる、だから神が助けてくれるのは当然だ、
>なんて考えはしませんからね。自分が良いことをしたから、当然、神も
>報いてくれるなんて考えもしません。それこそ、それは人間の思い上がりと
>考えます。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=551406

神というのは、自分より遥かの高みの絶対的存在ですから、我々は神に
対しては何も要求できない立場に居るのです。現世で譬えれば、神は世界的な
大企業の社長で、我々は彼に生活を援助されているホームレスです。
「我々は不幸だから、神は当然救ってくれなければならない!」などと考えるのは、
そのホームレスがゴミ箱に落ちてた食べ物を拾って、食中毒を起こして、
それでその企業を訴えて、「賠償は当然だ!」と言ってるようなものです。

要するにですね、自分が不幸だから、自分には理解できない状況だから
といって「神はいるのか!」と問うこと自体が、人間の思い上がりだと考える
のです。
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そうですね。

悪い事件が最近は多いですが、確かにこんなことが続くと神様がいるのかな?と思っても不思議はないですね。でも自分のことは考えず、人の役に立つことだけを考えて生活している人も結構探すといますよ。この人たちだけを見ていると、神様もいるのかな?と思いますし、空気や太陽そして植物や動物などが安定して供給されている事実を考えると、やはり神様は存在しているのだろうと私は感じます。
最近は環境汚染なども問題になっていますが、それはやはり神様のせいではなくて、人間がやったことの結果でしょう。
そう考えると、悪いこともいいことも神様は人間に任せているような気がしてならないのですが、いかかでしょうか?
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2番です。


>>神様に全て頼んでしまうのはヒトのワガママでは??
>これは僕の質問の趣旨から大きく外れてしまいますね。
>別に僕は神に何かをお願いしてるわけではありませんよ。

あわゎ、すみません。
質問を読んで、もし神様がいるとしたら絶対そんなことは起きることは無い。と書かれていたので、いたとしたら神様は絶対だ。と、考えられてると読みとりました。
その辺はヒトの考え方しだいで、前に書いた通り私は神様は絶対だと思ってないので、一つ前の事柄の考え方が違うのでここはどうしょうもかみ合いませんね。


>ただ、全知全能とかって騒がれて、最も神聖視されてるやつの割には、世の中の悪に目をつぶりすぎだ、そう言いたいだけです。
>ちなみに、高いところから、人の不幸を傍観してるだけなら、ワイドショーを暇潰しに見てる主婦と大差ないですね。

もし神様が絶対であったらそんなコト許されませんよね。。。ここも私の考えと1つ前の出来事で違ってるので追求できませんが。。。
既にこんなご時世ですので神様は全知全能ではなさそうですね。。。
とか、言ったら宗教科のヒトに『それは神がヒトにあたえた乗り切らなければならない試練だ!!』とか言われそう。と、ふと思いました。

全知全能じゃなくていいから幸せをくれる神様が『いてほしい』って思います。
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回答希望の宗教を信仰しているものではないのですが、


なかなか面白い内容なので、意見を書かせて頂きます。
かなり希薄な知識なのでご容赦下さい。
あくまで個人的思想に基づいています。

「神がいると信じますか?」の問いにまず答えると、いないと考えます。

※「神」について
「神」とは自分自身なのです。
一人一人の心の中にいるのです。
それは「悪魔」でもあるのです。
自分自身に不安や疑いをもった時に初めて自分自身以外の
「神」を求めます。
そして、全ての事象を「神」の仕業にすることによって
現実逃避できるのです。
自分自身が悪いのに、「神」への祈りが足りないや、「神」の怒りというように、「神」のせいにするのです。
そうしないと人の弱い心は、押しつぶされてしまいます。
そうすることによって、自分自身を正当化するのです。
本当は、人間の欲望でしかないのに。

※宗教について
宗教を信仰するのと「神」を信じるのとは違った意味合い
をもつと考えます。
宗教=神を信じる ではないということです。
宗教=思想 なのです。
各宗教各派により、教えが違いますよね。
これこそが思想を意味します。
その宗教の思想に共感して、信仰となるのです。
「神」とは別のものと捉えるべきでしょう。
しかし、多くの宗教がこれを混同(意図的に)し、弱った人の心に入り混んできます。

※質問にたいして
以上のことから、私の意見をまとめると。
「神」とは人間の心や欲望であると考えられるので、悲惨な事件は「神」の仕業と言わざるをえないでしょう。
(これだと神がいるということになるのかな?)

「神」とはなにか?
それを考える余裕があることに、幸わせを感じる必要があります。
また、それらの葛藤や苦悩を抱えなければならないことに、不幸を感じざるをえない。
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他の人が少し後に質問している事件のことですか?


私も以前から神様がいるなら、どうして人間を
こんなに欲深く作ったんだろうと思ってました。
もっとまともに作れば、こんな世の中になって
いないのにと思います。

私は特定の宗教を信じているわけではありませんが
宗教家にいわせれば、

神の行うことを人間が理解しようとしても無駄である。

ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
>他の人が少し後に質問している事件のことですか?
いえ、おそらく違います。ここのサイトではありまえんから。ただ、かなり大体的に取り上げられて事件なので、
聞けばおそらくご存知かと思います。

ところで、よくいいますよね。神のやることなんて、凡人には理解されない・・と。

僕はろくに聖書や聖典とかろくに読んだこともないのですが、結局、あの手のものは、人間の本質となる煩悩から目をそらし、身勝手で独善的な価値観を一応にならべて繋ぎ合わせたものに過ぎない、くらいに思っています。

要は言葉のレトリックでなのでは?

お礼日時:2003/05/19 00:50

宗教、政治関連は教えてgooにふさわしい質問・話題とは思いませんので深入りする気はありません。



神も悪魔も人間が作ったものだと思います。
もし神が人間を等しく平等、平穏に暮らせるようにしていたら、神の存在価値を認めないでしょう。人間の力には限界があり超自然的な力に頼らざるをえないときがある。こうして人は神を作り宗教を信じて来たのではないかと思います。

肉親が吹雪にあったり、海で遭難して生存の可能性が五分五分だといわれたとき、不信心な人でも思わず「神様どうか助けて下さい、肉親が無事でありますように」と祈らずにはおられなくなる筈です。その場合の神は誰でしょうか。人それぞれでしょう。しかし、それが超自然な力を備えたものであることは自明です。それが神だと思います。

人生経験の少ないもの、守るべきものを持たないものはこのような「神」の存在を認めないか、必要を感じないでしょう。軍隊の指導者で自分の判断と命令で千人の兵の命を失うかも知れない立場にたった上官は理論的に作戦計画を立てても最後は神に祈るに違いありません。

逆に命を奪われたり苦境にたたされたりしたものは、思わず神を冒涜するでしょう。神の存在を認めていなければ冒涜してもしかたがありません。神は自ら手を伸ばして助けるのではなく、助けを必要とする人が祈りよりどころとするためにあると考えてはどうでしょうか。神は各人の心にあり、神社や教会の中にいるわけではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そうですね。martinbuhoさんの仰ることなら十分納得もできるし、敢えて否定する気にもなりません。いえ、むしろ喜んで共感させて頂きたいくらいです。

絶対的な存在としての神を祭り上げ、現世とか死後の世界とか超自然的なことにスケールアップするから、僕のようなどうして・・・という疑問もでてくるわけです。

お礼日時:2003/05/19 00:38

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