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 「川を渡ったなら必ずその川から遠ざかり、敵が川を渡ってせめて来たときには、それを川の中で迎え撃つことはしないで、その半分を渡らせてしまってから撃つのが有利である。」
は理解できます。
しかし、続く
「戦おうとするときには、川のそばに行って敵を迎え撃ってはならない。」
のは、なぜでしょうか?

 ご存じの方、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

川のそばまで行って戦端を開くと、当然戦闘が進むに従って自らも川に入っていく結果になります。


この態勢が実に危険な状態で、迂回軍でもあれば後ろから逆に川に追い落とされることになるでしょう。
また川まで入っていかななければ、敵が身動きが取れない状態から引き返し始めた時黙って見逃すことになります。

これを避けるために半分渡らせてから戦端を開くのがいいわけです。
効率的に敵を殺すだけでなく、常に安全な地にいて隙を見せないのがいいわけです。
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孫子の解ではなく、一般的な戦理からの憶測ですが、


1つは、前項の条件を達せられなくなるため、
もう一つは川のそばに布陣し、迎撃体制を取ると、それ以外のところで渡河される可能性があるから(攻撃側は任意の地点から攻撃出来るので)、ではないでしょうか。
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読み下し文では「戦わんと欲する者は水に附きて客を迎うること無かれ。

」の後に「生を視て高きに処れ」と続いています。
マネジメント社の「兵法孫子」ではこの後に続く文を「敵に対し有利に攻勢に出れるよう高所に位置せよ」という事だと説明しています。
芙蓉書房出版の「戦略論大系1孫子」ではこの部分を「戦場を支配する要地を占領して敵を待て」と説明しています。
つまり水際よりも敵に対しより優位に立てる位置で迎え撃てという事でしょう。
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