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今の日本人は天皇や天皇家に対して、一部の例外を除いて一般的には「尊崇」の気持ちを持っておりますね。この気持ちは明治以来の教育の結果だと書いてる人がいるし、自分の浅い知識でも、明治天皇を日本の中心に意図的に仕立てた明治政府という風に思っております。
「万世一系の・・・」などというのは、いつから言い始めたことなのか? 江戸時代の人は、天皇家に対してどういう感情を持っていたのか、それをうかがえる文献などはあるのでしょうか?
枕草子なんかには「いと、やんごとなき・・・」などの表現がよく出ていましたが、一般庶民も貴族に対してそういう気持ちを持っており、それが江戸時代の庶民にもあったと考えられますか?
以上よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

天命の大飢饉に対して、何も対策を講じない幕府に対して、一般庶民のの間から「御所千度参り」という現象が自然発生的に起こっています。



http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/20 …

#1さんのおっしゃるように、江戸と上方では少し違ったかも知れませんが、少なくとも近畿地方の人々にとっては、天皇家は敬うべき対象だったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。リンク先読ませて頂きました。
「御所千度参り」という史実があったとは、畿内の庶民の意識を垣間見ることが出来て興味ある史実ですね。

お礼日時:2010/03/05 01:34

>江戸庶民の天皇家に対する気持ちは?



歌舞伎に公家荒という隈取があります。藤原時平や大伴黒主など国家転覆を図る大悪党の隈取です。このイメ-ジが江戸庶民の公家に対するイメ-ジだったのではと思います。天皇家を含め公家社会についてよく分からない、不思議な存在だったのではないでしょうか。
ただ、昔読んだ司馬遼太郎の本の中に、土佐では日本国のすべての人民は天皇の人民であり、天皇の下では領主も武士も農民も平等だとする一天万民思想が江戸初期からあったとする話が載っていたように思います(坂本龍馬に関連し、郷士・庄屋階層を中心に土佐藩の上士侍に対する反骨心を含めて)。
NO1、2の方も書いておられるように、時期・地域などのより違いがあると思います。御所千度参りを含め京坂地域と江戸庶民の感覚は違っていたように思いますし、大坂・京都共に侍の数が少ないことや、幕府権力を直接的に感じることが少ない分、朝廷・天皇家の存在が身近であったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「隈取」というのをもう少し詳しく知りたくなりました。

お礼日時:2010/03/05 01:38

京大坂ぐらいでしょう。

  それもよんどころない人というイメージである。

江戸など関東では公家の最高位で将軍位等の位を授けるぐらいにしか感じていなかったが、江戸の後期になると頼山陽の日本外史が通読本になり庶民の知識人レベルでは万世一系が理解できるようになってきた。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
京大坂と関東では大分に違うようですね。

お礼日時:2010/03/05 01:28

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