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都電のほぼすべては都バスにとって代わられたのに、いまだに都電荒川線だけは営業を続けています。
どうして荒川線だけ生き残っているのでしょうか?
1路線だけ残しておいたらむしろ経費がかかって、とても採算が取れているとは思いませんが・・・。

理由は何ですか?
なんらかの文化遺産的なものにしていされているとか・・・
かつての都電業務従事者のうち、どうしても都バスへの配置転換を拒む者たちへの就業の場として残してある(現在の就業者が全員定年退職を迎えたら廃止予定)とか・・・

石原都知事はどう考えているんでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

昔の昭和の高度経済成長期、道路上のトラックなどの自動車の交通量が増加して、同じ道路を走る都電などの路面電車は


渋滞に巻き込まれ、車と違って空いている車線へ変更出来ないから、渋滞からなかなか抜け出せず、定時運行出来ないのみならず
円滑に運転出来ずに渋滞をさらに悪化させ、都市機能を麻痺させるので、忌み嫌われました。
結局、路面電車と違って車線変更が出来るし、当時の一両単位の都電の輸送力も大型バスと変わらないから、
バスに置き換えた方が合理的だということで、都電は廃止されバスに置き換えられました。
都電のみならずバスでも運びきれない程の需要の多いところは都電やバスよりも輸送力が桁違いに大きい地下鉄も建設しました。

一方、先述の廃止された他の都電を含む普通の路面電車と違って、荒川線の大部分の区間は自動車が走行出来ません。
通常の鉄道と同様に電車走行専用区間、いわゆる専用軌道が大半、また道路上であっても多くが自動車が走行出来ない専用車線になっています。
通常の鉄道と同様に走行する道自体が自動車と電車が分離しています。
先述の廃止された都電などの路面電車と事例に匹敵する大渋滞に巻き込まれて大きく遅延する事態と渋滞悪化が起きません。
だからこそ先述の他の都電と同様に廃止する理由がありません。
需給関係上、荒川線の純粋な代替となる地下鉄を巨費を投じて整備してから廃止するという積極的な理由もありません。
それで残りました。

逆に、同じ都営である地下鉄浅草線、三田線、大江戸線を、普通の路面電車と同様に、路線の大半を道路上に走行させたら、
自動車と一緒に走行させたら、定時運行は出来ませんし、渋滞が悪化して、都市機能が麻痺するでしょう。
当然ながら、「道路上の走行自体を廃止しろ!」と言う世論が形成され、
結局、荒川線みたいに地上に専用軌道が用意できなければ、地下を走ることになります。
一方で、路線の大半が専用軌道の荒川線も、地下鉄みたいに地下化する必要はありません。
ただし、荒川線を延ばすならば、地上に専用軌道が用意できなければ、地下線で、いわゆるミニ地下鉄になるでしょうね。
仮に道路上を走行させるにも、路面電車の専用車線が必要となり、渋滞回避の為に道路の拡張、もしくはバイパスの建設が必要になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:26

昭和30年代末ころから都会では車の増加など道路の妨げになるという理由で各地の大都市では市電・路面電車を廃止する趨勢となりました。

政府が廃止する都市を財政的に応援したせいもあり、東京都ももちろんごやはり東京オリンピックもあることで、都電全面廃止を打ち出し、何年にもわたって少しずつ廃止を重ねていきました。
まず都心部の交通渋滞を起こす恐れのある路線を、銀座線をはじめとして廃止にとりかかったのですが、周辺部、特に荒川線の場合は専用道路も多く、他に代替交通もないという理由で廃止は後回しにされました。
昭和40年代も中頃を過ぎる頃から風向きが変わってきまして、各地でやはり路面電車は残すべきではないかという意見が強くなり、これをうけて各地の市電は進行途中の廃止計画を途中でストップする傾向が見られるようになりました。
現在市経営の市電が鹿児島、熊本、札幌、函館などに一部路線が残っているのはそのせいです。
東京都でもやはり最後まで残った荒川線を代替交通機関が不足すると言う理由で当時の美濃部知事が廃止に待ったをかけました。そのおかげでI線だけ生き延びたわけです。その美濃部さんでも荒川線が今のように東京都の名物になるとは予想もしなかったでしょうね。
なお荒川線は戦時中まで王子電軌という私営電車だったものを国策に従って都が買収したもので、そのためいろんな点で生粋の東京市電、都電とは異なり、それで江戸っ子の中には、あんなのは都電ではないという人がいるようです。

京都でもせめて金閣寺あたりの一線でも残して置けば市電で金閣寺見物という観光の目玉になったでしょうに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
当時の都知事は先見の明がありますね。

お礼日時:2010/03/04 20:07

東急世田谷線、都電も乗客で混雑しています。


遅いけど(バスなみ)、待たなくてすぐ来るのがよい。
車の渋滞には巻き込まれませんので、ほぼ定時運行です。
バスより便利です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/04 12:28

地元の者なんで、地元ならではの視点を挙げてみます。



都電荒川線の沿線には、いくつかの私立学校があります。JRの駅から歩いて行く事も不可能ではないが、いささか遠い。で、始業時間に近い8時頃には、これらの生徒が都電に殺到します。7500形のうち最後まで原型をとどめていた非冷房の7504号車(現在は引退して、荒川電車営業所構内の「都電おもいで広場」に展示中)は、晩年には増発の「学園号」と称して通学輸送に専念していました。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/kanren/omo …

これをバスで運べるでしょうか?路線バス車両の定員は50人から60人程度ですが、実際に60人乗ったらすし詰めで、身動きが取れません。都電の車両は定員96人となっています。実際に100人近くも乗る事はまずありませんが、それでも都電の方が輸送力は大きく、通学の生徒には貴重な足なんです。この事も存続の理由でしょう。

下記の「東京都交通局 2008経営レポート」の記事(23ページ)によれば、都電荒川線(「軌道」事業)の利用者は減少傾向にあり、2007年度は1日当たり52,733人となっています。しかし、需要がある以上、今後も恒久的に存続させるでしょう。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/information/keie …

実際、廃止され都バスに転換された路線の中には、地下鉄の無い江東地区(南北方向)や渋谷駅・六本木間など、
「バスでは輸送力が不足している感じ。でも地下鉄やモノレールを作るのは無理。都電を廃止したのは『失敗』だったんじゃないの?」
というものもあります。

ちなみに、都電は車両だけでなく人も「世代交代」が進んでいて、若い運転士が多くなりました。都電の全盛期から40年以上が経過し、当時を知る「現役」の関係者はもういないでしょう。路線が次々に廃止されていった時期は、当然ながら大半の従業員は(都電と言う職場がなくなり)「リストラ」されますから、東京都交通局の他の分野(地下鉄の駅員等)や、交通局以外の部署に配置転換されました。その一方で、皮肉にもバスの運転士が不足して「大募集」した(都電の運転士はバスの運転士資格を持たない)‥という事が「東京都交通局80年史」等の文献に書かれています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:32

>石原都知事はどう考えているんでしょうか?


 本人でないのでわかりませんが、おそらく現状維持と考えているのではないでしょうか。
 廃止しないといけない事情もありませんし、バス化するメリットもありません。

 路面電車を時代遅れの乗り物という認識が今でも残っている事は承知していますが、地球環境を考えますと認識を改めるべきであるという考えが広まってきているのも確かです。
 一度乗って思ったのですが、残って良かったと思っています。あと、都内で似たような路線があります。都営ではないのですが、東急世田谷線です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:31

端的に言えば「ユーザー」が居るから残っていると言えるでしょう。


廃止はまずないでしょう。余所が新車を入れたくても入れられない経営強いられている中、ごく最近新車を入れて車両の世代交代を図っているぐらい順調な経営環境といえます。
また、都電荒川線は道路の真ん中を走る「併用軌道」よりJRと同じく電車だけが通れる「専用軌道」が路線の8割ぐらいですから、道路の渋滞に巻き込まれることなく意外とスムーズに走行できる環境が整っています。
都電荒川線は一見地味なように見えますが、地下鉄やJR・私鉄はたまたバスのフィーダーとしての機能もありますし、それらがカバーしていないエリアをカバーする存在とも言えますので、東京の都市交通の一翼を担っているとも言える存在ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:30

鉄道従事員です。



他の方が殆どの理由を説明して下さっていますので、ほんの少し、残された頃学生だった身として聞いた話しをいくつか書かせて頂きますね。

都電網や池袋駅東口と浅草雷門間を走っていた都営交通のトロリーバス(現在の草64系統の原型。今は都バスの降車場となっているヤマダ電気日本総本店、当時の三越池袋店の正面から出てました)が交通渋滞の原因になると言うことで、普通のバス、地下鉄に変わってゆきました。

最後に残った2路線が27系統(赤羽-王子-三ノ輪)と32系統(早稲田-王子-荒川車庫)でした。この2系統は王子-荒川車庫間を併用していたので、まずは王子駅前から続く北本通を主に走行する27系統の赤羽-王子間が廃止されました。そのため32系統が三ノ輪-早稲田の運行となったのです。

その後この路線も廃止されることになったと言われましたが、最後の1路線であること、線路が殆ど専用軌道を走行しており、併用軌道が飛鳥山-王子間と小台付近から町屋付近までの短い区間でしかないこと、専用軌道を廃止しても、道路拡張に利用できるのは大塚付近のみで、他の場所は道路にしてもバスが走れるほど広くなく、しかもカーブがきつい、生活道路化しても車が走れる道路には出来ませんでした。

その上、1本だけにして、当時27系統に配属されていた車両を廃車にせず、32系統に全て走らせたところ、運行は団子運転とよく言われましたが、3台も4台もが連なって、あたかも3両編成や4両編成で運行しているのではと言うくらい頻繁に電車が来るようになったら、乗降客数が増えてしまい、廃止できなくなってしまった、と言う事情もあります。

であれば逆に東京名物として残すのも手、と言う面もありました。そんな折、梶原電停付近の和菓子屋が「都電最中」を新発売、これが鉄道マニアに受けて全国から買いに来るなど乗る人がまた増え、結果として花電車の運行などを経て32系統という路線名が「荒川線」という路線名になって残ったわけです。

実現は厳しいですが、向原(「むこうはら」と読みます。有楽町線にある小竹向原-こたけむかいはら-と同じ字ですが、読みは異なります。小竹向原は板橋区と練馬区の区境付近、向原は豊島区です)電停から池袋駅東口まで、支線を引いての池袋駅乗り入れの計画もあり、豊島区議会での承認も出ているほど人気の路線です。

この路線、今は運行管理システムも導入され、路面電車の形態は取っていますが、地方私鉄と同じ運行管理方法で運転されています。しかも均一料金なことが人気を呼び、また走行する場所付近に都営がバス路線を競合させないので、都営交通でも数少ない黒字路線です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:29

都電が走行しているところには、道路が狭くバスが通れないところもあります。


道路を拡張するにもできない状態です。(実際に乗ってみれば分かります)
代替交通機関もない地域もあるので残って当たり前なのです。

質問者様は赤字のように書かれてますが黒字です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:25

荒川線は都電の中でも専用軌道が多かったことから、生き残ることができました。



ちなみに都電は黒字です。
かなり優秀な経営をしているようですが?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:24

一部専用軌道もあり、公共交通機関として有効であるからと思います。


社会的なトータルな損得を考えると、個人が自動車を所有して、ガソリンを撒き散らすのは地球人からするとソンです。
したがって、各地で公共交通機関が見直されております。特にライトレールと呼ばれる市電は欧州、米国でも復活してきています。日本でも富山地区は万葉線、富山ライトレール、富山地鉄市内線ループ化などが行われています。
ドイツなどでは市電と乗り捨て自転車が複合化され市内への自動車乗り入れが禁止されているような都市もあるようです。
地球温暖化なども含めて、市電廃止は逆な話のように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
勉強になりました。

お礼日時:2010/03/03 09:22

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