特攻隊(特別攻撃隊)について
■昨日NHKのテレビ番組でゼロ戦の特集がありました。
何気なく見ていましたが、その中で聞き捨てならない解説がありました。
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特攻隊は3機一組で編成され、実際に突撃する隊員は特攻前夜に知らされました。
ゼロ戦一機は片道の燃料で、残りの二機は見届け役でしたので燃料は満タンでした。・・・・・・・・・・・・・
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■実は、この話は私が以前から持っていた重大な疑問に光を射すものでした。
以前、知人のカナダ人を特攻記念館に案内した時、そのカナダ人が、特攻隊員の生き残りの人と文通しており、
その人の写真を見たいと言い出したのです。それで、館長にそのことを尋ねると、
「この記念館には、戦死した隊員のみが展示されています。生還した隊員の写真はありません。」
というものでした。
大体、戦争記念館の館長などは、生還した兵士などが最も適任のはずなのに、そういった人々を無視して、戦争を知らない人が物知り顔で講義する。おかしな話だと思いました。
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■これらの話を総合すると、特攻出撃はイジメではないかと疑うようになりました。
次のように話すサイトもあります。
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/02092.HTM
離陸した特攻機は、飛行場の上空を旋回しながら隊列に三機編隊を組み、編隊を組みおえると機首を戦闘指揮所へ向けて急降下しました。そして、みんな一様に三回翼を左右にふりながら最後の別れを告げると、急上昇して開聞岳の彼方へ消えていきました。
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■NHKの話は、一般人の会話ではなく、アナウンサーの解説でした。
もし、二人のパイロットが見届け役であれば、話は全く違います。そもそも戦況が絶体絶命の時、見届けも何もないはずです。現場を見届けるといっても、特攻の成功率は限りなく0で、艦船に接触できる確率だけでも5パーセントでした。
すると、見届け役の二機は、撃墜された戦友を確認し、黙って報告のために帰っていったことになります。
一体、事実はどうだったのでしょうか。
質問1. 特攻機の編成はNHKの説明のとおり、三機一組だったのでしょうか。
質問2. 特攻機は一機のみで、他の二機は見届け役だったのでしょうか。
質問3.特攻機の統計はウィキペディアなどにもありますが、一体、こういった見届け役の特攻機は統計上、どのように扱われているのでしょうか。
質問4. もし、NHKの言う上記の件が事実であれば、私は、特攻の真の目的は、米国に打撃を与えることではなく、気に入らない日本兵を始末するためだったと考えざるを得ません。それでも、特攻を正当化する理論的根拠がありますか。
質問5. その他、何でも結構です意見を下さい。一部の回答でもかまいません。私は、この分野は素人です。よろしくお願いします。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
特攻には、航空機、潜水艇、小型ボート、人によるものがあります。
一説では航空機による特攻命中機は、450機であり、陸海特攻機数が約3450機、戦死者数が約3600人、航空機による特攻命中率は約10%です。
39%と17%という説は、特攻命中率が高くなる計算方法らしく、だいたいの説で5%のようです。
特攻の被害は、沖縄戦だけで撃沈26隻、損傷164隻、ある時期の戦死者数が4907人で負傷者数が4824人のようなので、多少は増えます。
出撃機数は、出撃回数の場合もあり特攻機が帰還を繰り返す例も多く3450機より多くなります。
潜水艇と小型ボートによる被害は数隻で命中率は数%のようです。
航空特攻がおこなわれたかについては、パイロットの能力低下や護衛機の減少により、通常攻撃の成功率が絶望的になったからです。
マリアナ沖海戦では、航空機378機の損害で大型艦6隻の損傷だけで、台湾沖航空戦では航空機300機の損害で大型艦2隻を大破壊しただけです。
それに対して、第一回の航空特攻隊は14機の損害で大型艦1隻撃沈、大型艦1隻を大破壊、大型艦4隻に損害です。
14機が出撃して命中が7機の命中率が50%です。
同時期の通常攻撃では、250機で大型艦1隻撃沈、小型艦2隻撃沈、1隻大破壊だけです。
特攻隊の命中率が低いといわれますが、航空攻撃や砲撃による命中率は数%が普通であり、末期の日本軍では数%の命中率も低下しました。
人道的に無視すれば、指揮官には合理的な戦術と考え、無駄死にするより良いと考えて特攻を選びましたが、後に特攻しか考えなくなります。
現在では理解しにくいですが、上官と部下は体当たりしかないという気持ちであり、信頼する上官の命令により体当たりすることに、あまり抵抗がなかったという隊員の証言があり、特攻に否定の人もいました。
見届け役は、特攻機の護衛と被害確認のためで重要な役です。
これがないと特攻機が全滅したり、効果的な作戦ができません。
特攻機と同じか2倍の数の例もあり、特攻隊に何度もついて行くつらい役であり、修羅の翼という有名な本があります。
戦後、軍の上官や部下は敗戦責任や戦死者に対する思いから軍の仲間で集まることが多く、世間に積極的に体験を知らすことを遠慮する人が多く館長になりにくい状況でした。
映画の『あゝ、決戦航空隊』、『最後の特攻隊』、本の『大西瀧治郎 生出寿』が理解しやすいです。
No.6
- 回答日時:
開聞岳 陸軍の知覧飛行場でないですか
いじめ等ありません死にたくなくとも当時自己犠牲の精神です家族の為郷土為国の為 今の
自爆テロに通じるところがあります、ジハード聖戦
直援機 戦果確認の他特攻機の 盾になって 敵弾を受ける命令も受けていた
正当化する根拠等ありませんその時代に生きた 若者の 報国ですし その様に教育もされて来た。
その様な体験した●●氏がいます
http://www.amazon.co.jp/%E4%BF%AE%E7%BE%85%E3%81 …
戦う戦法ないのです正攻法で攻撃しても攻撃機は敵戦闘機に撃墜 高射砲の接的信管バリャブルタイマー
撃墜されました。
どうせ落されるならという考えもあったと思います 最高速度の速い零戦に爆装 爆戦ですね
飛行機に爆弾を抱いてもエネルギー的にたいしたことではない 速度で貫通力など決まります
鉄甲弾で艦の内部で爆発させないと威力が無い
零戦の急降下速度も決まってますそれ以上だすと分解する
特攻隊の生き残り 終戦で出撃予定の人 訓練中の兵隊を指す一部 機体発動機故障不時着したまれな方
はいますが
出撃すれば皆散華してしまいます
ミュージアムの館長 戦後何年になると思います当時20でも90歳近いですよ 無理でしょうよ
思いついたとここんな所です
No.5
- 回答日時:
>ゼロ戦一機は片道の燃料で、残りの二機は見届け役でしたので燃料は満タンでした。
実際の特攻隊は、出撃しても米艦隊を発見できずに戻ってくる事が多かったですから、片道燃料なんて事は有りません。
(沖縄戦時の帰投例は全出撃の半数にも上る)
戦艦大和の逸話[当初燃料は片道分との指示が出た]とゴッチャになってます。
←大和も実際には、担当者の尽力で2往復以上できる燃料を搭載して出撃しています。
そもそも、神風特攻の最大の被害は、特攻機の残存燃料が引火して突入した艦船の弾薬などを誘爆させる事です。
(燃料を減らしたら被害が少なくなってしまいます。)
>大体、戦争記念館の館長などは、生還した兵士などが最も適任のはずなのに、そういった人々を無視して、戦争を知らない人が物知り顔で講義する。おかしな話だと思いました
記念館が最も気にしなければ成らないのは、散華された隊員とそのご遺族です。
ご遺族にしてみれば、頭では生還した方に何の罪が無いと分っていても、感情はそれでは収まりません。
また戦後に生き残った元特攻隊員を「特攻くずれ」と称して蔑む風潮もありました。
(世間の冷遇から自暴自棄になる者も存在しましたし、犯罪を行うものが自称する事もあり、あまり良い印象が有りませんでした…。)
ご遺族にしてみれば自分の肉親を身代わりにして、のうのうと生き残った人物が物知り顔で講義する事を如何思うでしょうか?
>これらの話を総合すると、特攻出撃はイジメではないかと疑うようになりました。
特攻に赴くパイロットに、1人で行かせる訳にいかないと、特攻には不必要な機銃手や通信手が同乗した例や、隊長が特攻による無為の犠牲を減らそうと機材故障、体調不良、天候不良、理由を付け出撃を回避しようと奔走した事などはありますが…。
僅か数例程度の特攻であったならそういった事もあるかもしれませんが、特攻を実施した人員は生還を考えない挺身隊を含めれば14,009人もいるんですよ。
なお、ヒロポン(覚醒剤)は戦中以前は強力な強壮剤という認識でした。
(戦後に軍から放出された大量の覚せい剤の乱用で、中毒患者が出る様になって初めて危険が認識された。)
P-51のパイロットの様に単独で長時間海上飛行するのであれば、連合軍でも同様の覚せい剤は配布されていましたし、コカ・コーラ(コカ・コーラの名称は、コカインとコーラを原材料に使っていたから)にも以前はコカインが混入されていました。
(米軍だとイラク戦争などでパイロットに誓約書を書かせた上でアンフェタミンを配布している…。)
No.4
- 回答日時:
質問の直接の回答ではありませんが、関連事項として。
特攻の生みの親とされる(個人的には軍令部の謀略だと思ってますが)大西中将は、敗戦時に自決しますがそのときに大量のヒロポン(覚醒剤)を児玉誉士夫にわたしたとされています。それが、児玉を戦後の右翼のフィクサーにした資金源であるという話は置いておいて、そのヒロポンは何のためにあったのか?
これは、出撃する特攻隊員に渡されたものなのだそうです。菊の紋の入ったチョコレートに混入させていたともいいます。
いじめかどうかは知りませんが、志願した多くのかたがいたのも間違いのないことでしょうが、話はそんなに純粋なだけではなかったことも真実だと思います。
No.3
- 回答日時:
私はそのNHKの番組を見てはいませんが。
>特攻隊は3機一組で編成され、
綺麗に3の倍数の機数での出撃ばかりというものではありません。
そもそも特攻は三機編成という話自体も聞いた事がありませんし、戦果確認機は一つの攻撃隊で一機程度しか見当たりません。
>ゼロ戦一機は片道の燃料で、残りの二機は見届け役でしたので燃料は満タンでした。
ある特攻出撃の記録において、全機ないし一部の機が「敵を見ず」と記録されたものが存在します。
このような記録上で損失機は「未帰還」又は「自爆」と書かれるものであり、「敵を見ず」は基地に帰還したものと考えられます。
出撃しても敵艦を発見できるとは限りませんので、特攻機であっても燃料は満載であったと考える方が自然でしょう。
No.2
- 回答日時:
質問1.特別攻撃隊は、それぞれ一隊一隊(出撃の)背景が異なります。
完全な志願、立場上志願、半分強制、完全強制と様々で、1回の出撃で、下士官は志願、士官は割り当てなど様々です。ですから、決まった形態は無いと見ていいでしょう。ただし、飛行隊によってはあったものもあるようです。時期によっても違ってきますし、当然、陸海軍でも違います。
質問2.戦果確認機は、「せめてもの情け」と言う感覚が多いようでした。この役に選ばれるのは、比較的ベテランや、出撃者の同期の者を選ぶ傾向が有り、いたたまれない心情の記録が多いです。また、戦果確認後、自身も突入する例も結構あったようです。
質問3.突入が確認できれば、入っていると思われます。
質問4.特別攻撃隊が制度になり、特別でなくなった時点で、正当化できないと考えます。しかし、それでも志願する若鷲が多かったのも事実で、これを賛える言葉も無いくらいです。
また、「いじめ」では無いですが、一参謀(だったかどうか忘れましたが)「けじめ」のための自爆強要は有りました。「我れ自爆す、天候晴れ」と言う有名な話が有ります。検索してみて下さい。
質問5.実態を、正しく知らないと、評価がとんでもない方向へ行きます。「 今 」の感覚ではわからないことが多いです。一種の極限状態を理解しないと。
No.1
- 回答日時:
質問1.2.三機一組?
三機一組という話は聞いたことがありませんが、編成としては突入機と護衛機、戦果確認機という組み合わせになっていたはずです。しかしながらそれぞれの割合が1:1:1とは考えにくいです。戦果確認機の割合は最小のはずです。
質問3.統計上、どのように?
ウィキはどうだかわかりませんが、通常は「出撃機数」と「戦死者」の二種類の数字がでることが多いようです。
質問4.気に入らない日本兵を始末するため?
わざわざ貴重な機体と燃料、訓練された搭乗員を失ってまでそんなことをする必要がありません。当時の兵士の命の値段は一銭五厘、なんとでもできます。殺したければ陸軍の歩兵に転出させればいいだけのこと。特攻の目的は敵戦力の減殺と戦意高揚以外の何物でもありません。
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