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写真でもテレビでもそうですが、
カラーよりも白黒が先発したのは何故なのでしょうか?

現実の物体(被写体)は白黒ではなくカラーですから、
カラー情報を装置に入力したらそのままカラーで出力したほうが、
カラー情報を白黒に変換して出力するよりも
仕組みがシンプルになりそうなものだと思ったのですが、
実際には白黒技術のほうが先に発明されていますよね?

この辺りの歴史や技術的背景を教えて頂ければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

簡単に言えば、カラー情報を取り込む装置が作れなかったからです。



白黒だと、黒を入れるか入れないかだけですみます。濃淡は黒色の点々の分布で薄くも濃くもすることができます。つまり情報が「黒があるか、ないか」だけの情報ですむわけです。

カラーは原則的に色の三原色(赤・青・緑)を組み合わせて表現します。このとき、一番難しいのは、三色が適正に合うかどうかです。

版画を例にしてみるとわかりやすいでしょう。
今でもカラー刷りにするには、赤のインクで刷り、その上に青のインクを乗せ、最後に緑のインクで刷って仕上げます。このときに色の置く場所がぶれると、ぼやけて版画の出来がわるくなります。

写真の場合、白黒なら感光は1色だけですが、カラーフィルムになると、3色の感光が必要です。最初の頃は三色の感光を同じ露出にそろええることが難しかったのと、焼き付けるときに三原色をぶれずに焼きつけるのに手間がかかりすぎたのが、カラー化が遅れた原因です。つまり白黒なら1色なのに、カラーでは3色必要で、技術的に3倍難しいものだったのです。(露出の技術を考えればもっと難しかったかもしれません)
私は40前半ですが、私の生まれた時の写真はモノクロなのに、2才下の弟はカラーです。同時期に生まれた地方出身の人の写真はまだ白黒が多いですので、結構コストの差(つまり機械導入費や手間の差)があったのだと思います。

テレビも同じです。今は液晶ですが昔はブラウン管テレビでした。ブラウン管テレビは、奥のほうから電子銃で画面に電子を打ち込みます。そうすると、見ている画面がぱっと光るのです。これを人間の目では残像になる程度の速さでどんどん打っていきます。そうすると人間の目には画面全体の画像として映るのです。
これも白黒なら電子銃は1個で済みますが、カラーになると三原色分の3個必要になります。また電子銃があたる画面の裏側には、当たったら光るように三原色が塗ってあります。
これを簡単に言えば、同じ画面サイズで比べた場合、白黒なら1個の的になるところが、カラーだと3個に分割されていることになり、カラー化はいきなり3倍難しいなるということです。
白黒テレビが発明された当時は、電子銃の制御技術も発展途上でしたから、いきなり3倍難しくすることはできなかったのです。

これが白黒が先に出来た理由です。カラーを取り込む技術も、それを再表現する技術も装置も無かった(あっても採算に乗らないぐらい高かった)のです。
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要約すると



白黒は 『1』種類の情報を 二次元の平面に焼き付ける技術
カラーは R・G・B 『3』種類の情報を 二次元に焼き付ける技術
  (それも時間的、平面的なずれをつくらないように注意しながら)

だから情報量がすくない白黒が先発し、情報量が多くいろんな調整が必要なカラーがあとに続いたのです。これはいままでの回答者の方々が答えてくださったことですね。

ちょっと話題を変えます。生理学的に見ると、人間の網膜には
「白黒」光覚細胞 と
「カラー」色覚細胞 の
二種類が存在します。(棹体細胞と錐体細胞)

白黒細胞は主に対象物の明暗や輝度、それから視野の辺縁部分の情報を伝えるために存在し、カラー細胞は視野の中心部分にしか存在せずまた視野の中心部分の色情報のみを伝え明暗情報を伝える能力には劣ります。

人間の視覚は、明暗の情報と、カラーの情報をまったく別個に受け取ってそれを脳みそで合成して感知しているのですよ。だから技術が発展していない段階では、まずはより重要でかつ単純な、明暗の情報のみをつたえる白黒写真・モノクロ映画が発達したわけ、といえます。

白黒/カラーの歴史は実は、人間の視覚の仕組みをなぞって発展してきたのですね~。
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追伸



あなたはPCを使っていると思いますが、プリンターでの出力は凄い技術で成り立っているんですよ。

赤青緑黒→赤青黄黒

にPC内で変換して出力しているのです。
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カラー技術というのは白黒が発明された時にどうやったらカラーになるかは解かっていました。

問題はカラーにする素材をどうするのかです。

 写真は銀を酸化させることで白と黒を表現するのは簡単でした。カラーにするのは赤色素・青色素・黄色素が必要なのです。ですが、ネガでその色の反対色をフィルムに焼き付く塗料が見つからなかったのです。最初期は4枚同時に写真(各色フィルターを取り付ける)を撮影し、印画紙に黒写真・赤写真・青写真・黄写真を印刷しカラー写真にしたのです。これは19世紀には発明されています。これですと4倍のコストがかかりますし、ズレる可能性があります。尚、この技術で作られた映画が『風と共に去りぬ』です。現在は1枚のネガに全てを焼き付けることが可能になっています。

テレビはもっと大変で、赤・青・緑(RBG)の発色によって色を表現しています。LED(発光ダイオード)で、青と白の発明で特許訴訟が起こりましたが、青の発明が出来たため大型のLEDテレビが開発出来ました。開発者及び開発元企業は莫大な利益になったのです。
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光はフォトン(光子)からなります。

   フォトンの多少が濃淡で白黒であらわされます。
フォトンにはいろいろな種類がありカラーが出来ます。   カラー表示ににはフォトン7の仕分けが必要で、白黒より手間がかかります。    実際はもっと複雑ですが。
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 写真の三段論法 ~ 定着・透過・分解 ~
 
 投影の技術は、はるか昔に出現し、手書きでなぞっていました。
 ダゲールが銀鉛を定着、レントゲンが透過の原理を発見して、写真の
歴史がはじまり、マンセルが色彩に番号をつけたのです。
 
── ダゲールが写真術を発明して以来、画家の使命は終ったのだ。
 いろいろ議論する人たちはいるだろう。しかし、写真術以前の絵画が、
誇らかに独占していた実用性は、すでに色あせてしまったのだ。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060606
 絵空事 ~ ダゲール以後の画家たち ~
 
 Daguerre, Louis Jacques Mand? 17871118 France 18510610 63 /異1781~18510710-0712(89)
 R?ntgen, Wilhelm Conrad    18450327 Duitch 19230210 78 /1895 X線 1901 ノーベル賞
 Munsell, Albert Henry     18580106 America 19180628 60 /1905《マンセル色標》
 
── マンセルは画家としての立場から、色をとらえたかったようです。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780208
 PRAD《印刷入門》 序章:色のイロハ
 
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色の識別より、単純に明暗の識別のほうが遥かに容易だから。

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