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「自律的に生きる」=「他律的に生きない」ということか?
最近、自律的に生きている人は少ない。お金の損得で物事を決めている(他律的)。そうした他律的に生きる人々の中で、真に「自律的に生きる」には何がポイントになるであろうか?(簡単ではないと思うから)

A 回答 (16件中1~10件)

金の損得で決めることが必ずしも、自立的に生きていないとも言えないでしょうね。

人それぞれだから、こうしたから、自立的に生きられる、という一般解はないように思います。等式は間違っていますよ。逆らうことが自立的に生きることではないですし。
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 ★★ (No.1補足欄) ~~~~~~~~~


   > 会社で自律的すぎたため、異動することになりました。

 を正確に表現しますと、
   「会社で自発的価値観により独断先行して利益を出すことがねたまれ、上司連中から別の事業所に飛ばされることになりました」です。
 真に自律的に生きるのが困難なので、このような質問をさせて頂きました。
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 ☆ この補足説明を受けられた方も その文章の解明につとめておられますが 並行してわたしも探究したいと考えました。
 (1) 《自発的価値観》――たしかに独自の価値観というものは ひとによってはありますが 《自発的》という言葉を飾ることはあまりないでしょう。価値観の実行を《自発的》におこなっているという意味なのでしょうか?
 (2) もしそうだとすれば 《自律的》は そういう実践のあり方を言うと考えますが その点はどうですか?
 (3) ただし確かにその実践が 《独断専行》になるというのであれば それは《自律的》というにはふさわしくないでしょう。程度によって 軽い勇み足である場合も含まれるでしょうが 組織において・もしくは共同作業である場合 自分の分担をわきまえていないのであれば そのぶん自律的ではありません。
 (4) 利益を出すことについて そのこと自体が 社会からの要請や強制という意味で 他律的だと考えるということなのですか? その点は ここでは問うていませんか?
 (5) いづれの行動にせよその結果 ひとからねたまれ おまけに自分の処遇にまで影響が出た--この点について 問うているのですか? 上下関係における《他律性》が問題だということなのでしょうか?
 (6) 《真に自律的に生きる》とはいったいどういう意味なのでしょう? その《真に》というところです。
 (7) けれども 《真に自律的に生きるのが困難なので》と述べておられます。ということは・つまり《困難だ》という認識もはっきりしているということは 或る程度はその事例などに即して ご自分でも分析やらをなさっていると思われますが どうでしょう? つまり そのあたりの分析などをみなさんの前に明らかにして 問い求めるのがよいかと考えます。

 ★★ (No.3補足欄) 原始共産制から3千年かけて、人間はヒト型進化(自律的)からアリ型進化(他律的)へと移行しており
 ☆ どうもこの種の歴史観が いったい何を言おうとしているのか 分かりかねています。
 (8) シュメールの社会は すでに統治する者とされる者との二階建て構造になっていたはずです。紀元前四千年ないし三千年のころです。
 (9) 《原始共産制》は たしかに現代でも家族のあいだに見られるというような説明をなさっていたと思いますが もしそうだとすれば 問題は原始時代のことではないように思われます。
 (10) 家族のあいだで 互いに責任を分かち合って社会的な共生の中核をかたちづくっていると考えるのであれば それとしてひとは自律的に生きています。のではないでしょうか?
 (11) ひととほかの生物とは 基本的に違うと見なければならないでしょう。アリにアリ社会として生きるほかに選択肢はありません。そのようなことは考えたこともないでしょう。それに対してひとは たとえ例えば奴隷になっていたとしても その他律性について考えることをおこないます。
 (12) 《ヒト型進化(自律的)からアリ型進化(他律的)へと移行しており》とはいったい何のことですか? ヒトがアリになることはあり得ません。仮りになったとしても そのことを知るというのが 人間です。自律性の芽はつねにあります。
 (13) 竜馬の土佐の武士二分制度ではありませんが 身分制は理論的に なくなっています。かつては 身分の制約を超えるためには その身を犠牲にするという一段階・一世代を経なければならなかったわけですが その他律性は わたしたちは超えて来たのではないですか?

 ★ (趣旨説明) 真に「自律的に生きる」には何がポイントになるであろうか?
 ☆ 以上の主題ないし論点について一つひとつきちんと考えること。そして ほかの人たちとの考え方における交通を絶やさないこと。これが ポイントになると考えますが いかがでしょう?

この回答への補足

>ヒトがアリになることはあり得ません。
ありえます。現に異星人の中にはそうした進化をした種族もいます。

補足日時:2010/04/02 19:16
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 ANo.2,10,11かな、シンボル写真でご確認ください。


 人間の自律性とその志向は、どこからきていて、何に基底を持っているとお思いですか?
 ただ自律が大事でそういう志向性があるから、思考したり、志向したりしているのが質問者さんの立場ですか?
 物事で無から有がどのように生じてきますか?それが可能ですか。
 ある日突然に無が有を生じているのですか?
 アリさんたちを自律性無思考、無志向の喩に出しておられますが、蟻になり、蟻の意識を持ったことがありますか。
 草木たちはどうですか?
 アヴェロンの野生児って居ましたね。狼に育てられる人間、人間社会に育てられる人間や動植物。
 そこでの野生の生活。
 これらは自律性の問題で、質問者はどのように位置づけていますか。
 蟻には蟻の存在性がありませんでしょうか?
 まぁ説明のために比喩的に出されただけでしょうが。一応齟齬と矛盾をなんとなく感じておりまして。
 皆さんのご回答への応答を拝読して、質問者さんが何を思っているのかなんとなく分る気がしました。
 65年前中学で頭を傾注していた自分が彷彿として顕れてきました。とても懐かしい。
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#1,12です。
すこし、話が脱線しているようですが、ちゃんと戻しますので、あと少し、質問させてください。

あなたは、以前の書き込みで、技術職であると、書き込んでいましたが・・・

>「会社で自発的価値観により独断先行して利益を出すことがねたまれ、

と、書いていますが、一つには、技術職で、独断先行で利益を出すことができるのでしょうか?(営業なら、分かりますが・・)という疑問です。

二つ目には、飛ばされるとの事ですが、それは、4/1からですか?
また、技術職は、一般に別の事業所に飛ばすことは難しいのですが、
別の事業所にも、同じ内容の、技術職の職場があるということですか?

以上、三つ回答ください。
この、疑問が解けたら、自律の問題にも答えたいと思います。

宜しく、お願いします。
 

この回答への補足

>技術職で、独断先行で利益を出すことができるのでしょうか?
できます。カイゼンは利益になります。
>飛ばされるとの事ですが、それは、4/1からですか?
いいえ。
>別の事業所にも、同じ内容の、技術職の職場があるということですか?
あります。しかし職種も変わる可能性あるので、どこへ行くか決まっておりません。

補足日時:2010/04/02 19:11
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#1の者です。

>会社で自律的すぎたため、異動することになりました。
を正確に表現しますと、
「会社で自発的価値観により独断先行して利益を出すことがねたまれ、上司連中から別の事業所に飛ばされることになりました」です。
真に自律的に生きるのが困難なので、このような質問をさせて頂きました。

何を言っているんでしょうか?

>会社で自律的すぎたため、異動することになりました。
>つまり「価値観や世界観」をモロに経営陣にぶつけたため、
>飛ばされる、という意味です。
>「自己の客観視」が未熟ゆえの結果でしょう。

と、過去の回答に書いていますよ。

>「価値観や世界観」をモロに経営陣にぶつけたため
が、どうして
>利益を出すことがねたまれ
となるのでしょうか?

説明いただかないと、意味が分かりません。
説明宜しくお願いします。
 
 

この回答への補足

「価値観や世界観」をモロに経営陣にぶつけ、中間管理職に、利益を出すことがねたまれ、たのです。あまり質問内容と関係がナイヨウな。。。

補足日時:2010/03/30 21:27
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 ANo.4のご補足でも思いが渡りましたが、やはり規則は確かに他律的存在です。


 非成文の社会規範や教え、教育も。成文の法規範は無論のこと。
 一定団体の規範とされるものはそういう規範を含みながら、マニュアルであることもあります。
 両面がありえます。
 宗教団体の規範は一般信者devoteeなどには緩いでしょうが、自由自律にするためということでありながら、他律的である事は否めないでしょう。
 教育や修行がそういうものでありましょう。
 そこに文化文明の偽りが内在、介在しています。
 相いうものを越える事は、精神異常か山奥での一人ということになりかねません。
 ことばのやりとり、文法一つとっても規範や当為を無視する事は難しいです。
 以心伝心か釈迦から菩薩たちへの伝えのように無言の直感だけでいけるか、ということでもあります。
 質問者さんが、いう自律や、自律の主体の分析と認識を論理や知性、或いは科学でなく追及することが要せられと存じました。
 それで西洋哲学から禅宗や東洋思想に旅し、ここ40年ほどはヒンドゥに傾いています。Self-Realization Fellowshipというところの提言です。あまり忠実なdevoteeではありませんが。
 70半ばに為り、10年ちょっとは少し逸脱もしながら、まじめにはなっていますが。
 自己性(これは仮想で、実はないのですが)のなんたるかの見切る事から開始しますね。
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 ANo.3回答へのご補足はともすれば、行き当たりばったりのわがまま、恣意、無責任、不統一、無原則、無政府とも為りかねない要素を内包しており、小学校高学年から中学までの私の陥った過ちに為りかねません。


 ご質問者は精錬鍛錬して表現というか、思考のことば存在形式を工夫されると批判の隙がなくなると存じますが。
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No.7です.。


お気づきのことと存じますが、「現象」として捉えようとすること自体が、すでに「他律性」を意識しています。
意識を消失していない限り、どの瞬間をとっても、「自律性」が完全にゼロになることはあり得ません。
自律・他律(能動・受動)の狭間に生きているのでしょう。。。
生じている「現象」として受け止めるのもいいでしょうし、「現象」を生じせしめている(全体の部分としての)主体として「自身」を常に意識し続けるのもいいでしょう。

その、両者の狭間に、「わたし」が存在しうると思います。
両者の境界は自由に設定しうるものでしょう。

この回答への補足

「自律性」が完全にゼロになること、はあり得ます。
このまま他律化がすすめば、いずれ中央ホストコンピュータによって管理された個体が社会を作るようになります。自然界にはアリやハチのように遺伝子プログラムにより、反射的=他律的にしか動けない生物が存在します。よってヒトがそうならない可能性はありません。個体はアメやムチで他律的社会行動をとらされている現代の人類が、完全にアリ型化する可能性は否定できません。(今は移行期ととらえるべきと思います)

補足日時:2010/03/30 05:24
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うすぎたないおたまじゃくしや、


みすぼらしいやせがえるより、

人形のほうに価値があるようです。
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「他律的に生きる」を選択するにしても、「自律的に生きる」を選択するにしても、そういった人生を選択しようとする「自立性」は存続しているわけで。

。。
また、同様に
「他律的に生きる」を選択するにしても、「自律的に生きる」を選択するにしても、そういった人生を選択させてしまいうる「他律性」も存続しているわけで。。。
結局のところ、自律的(能動的)かつ他律的(受動的)の両者は存続しているというところでしょうか。。。
片方のみでは成立し得ない人生と言うところですかね。。。

この回答への補足

要は現象ではないでしょうか?
自律的判断で他律的行動をとった場合→現象としては「他律的」でしょう?
他律的=「金に困ったから働く」「規則があるからゴミをちらかさない」など、現象面として、いくら自律的判断が数秒行われたとしても、現象としては自分の外側の要因にスイッチを押されて長い時間動く。要は人形のようですね。人形のからくりが、あなたの言う「自律的判断」ではないでしょうか?

補足日時:2010/03/29 22:20
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