般若と般若面
般若をウィキペディアで調べましたら、
仏教におけるいろいろの修行の結果として得られたさとりの智慧
とありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
それでは般若面はどうしてあのような鬼のような顔をしているのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5% …
上記ウィキによれば
(1)「嫉妬や恨みのこもる女の顔」としての鬼女の能面。
(2)本来、「般若」 は仏教用語で、その漢訳語「智慧」の同義語である。
(3)しかし、般若と般若の面との関係は薄い。
一説には、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。
あるいは、『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。
(4)仏教用語としての般若が一般的でなくなった現代日本では、「般若」を「般若の面」の意味で、さらには、「嫉妬や恨みのこもる女性」という意味で用いることもある。
とありますが、納得できません。
どうして、まったく正反対の意味で能面になってしまったのでしょうか。
できればお考えをお聞かせねがいたく思います。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
すみません、前回は夕食後のほろ酔い加減だったため、
「とぐろを巻いて」回答してしまいました。
あらためて補足させていただきますね。
般若の面は般若坊に由来する通説の他に、
先の回答で少し触れた「般若=〈半蛇〉」という説もあります。
能面の〈蛇〉にも色々ありまして、
その蛇の度合いによって各々表せますが、
その中のひとつである〈半蛇〉の面が、
いつしか「般若」と呼ばれるようになったというのです。
(その一つが先の回答で触れた野上氏です。)
能面の蛇の分類の目安です↓ご参考までに。
http://www.net1.jway.ne.jp/hashiyu-8662/newpage6 …
般若心経の隆盛、怨霊退散信仰を基にする能『葵上』に沿う形で、
〈半蛇〉の面が「般若声により得脱する面」として「般若」と呼ばれるに至ったと考えられます。
ちなみに、蛇の「ジャ」の音は〈邪〉と同じで、
鏡餅や注連縄、案山子などに象徴されるように、
蛇は古の日本人にとって祭祀信仰の対象でもありましたね。
六条御息所の伊勢下向のくだりからも、
伊勢神宮や日本の神話と蛇との関連性など、何かあらたに見い出せるでしょうか。
海外ですと、メデューサなどがすぐに浮かぶのですが。
いずれにせよ、
鬼の形相のまま心は般若菩薩の来現かと想わせるほどに、
高貴で美しくも、羞恥に身悶え妖艶さを湛える女人は、
六条の御方をおいて一体誰が相応しいと言えるのでしょう。
神とも忌まわしきものとも畏れられてきた超自然なる蛇信仰と、
悲哀に満ちた中世の女の凄まじい情炎とが、
能の中で結実し、今日にまで継がれてきたのでしょう。
「形鬼心人(形は鬼なれども、心は人なるがゆえに)」という
世阿弥の言葉は、いまもなお、意味深長のように思われます。
もっと他の方のご意見を伺ってみたいので、私はこれにて。
お読み下さって、どうもありがとうございました。
回答ありがとうございます。
般若=〈半蛇〉説、おもしろいですね。
蛇類の面があるなんて知りませんでした。
しかもそれは女面!
そして、蛇の「ジャ」の音は〈邪〉と同じなのですね。
>伊勢神宮や日本の神話と蛇との関連性など、何かあらたに見い出せるでしょうか。
うーん、おもしろいですね。
これをヒントにいろいろ考えてみたいです。
六条御息所の評も、いいですね!
「形鬼心人(形は鬼なれども、心は人なるがゆえに)」
というのも初めて聞きまして、ほー、と思っています。
古の人の心を知るためには能の勉強はかかせないのだなー、と思いました。
素晴しい回答を下さったのに、返事が遅くなって申しわけありません!
またよろしくお願いします。
No.3
- 回答日時:
rupapo様、こんにちは。
お久しぶりです。能面は「彫る」ではなくて「打つ」と申します。
「精魂を打ち込む」ためでしょうか、能舞台上の演者同様に、足元の白足袋は欠かせないとのこと。
般若坊という僧侶が作った由来から江戸期以降、
「本面」と呼称される古い面を今なお忠実に「写す=忠実に模写する」のだそうです。
でも、面だけを造形的に鑑賞するというのは、ともすると、極めて近現代的な手法なのかもしれませんね。
原始当初の仮面は、動物の皮や頭を身に着け模倣し生存をかけて呪術的に獲物に近づくというアニミズムそのもので、
やがて死の世界との媒介としての神通力、老若男女の別を超越したシャーマニズムの意味合いがこめられていったと考えられます。
そしてそれはのちの時代においてでさえも、その演劇性と神秘性から≪価値転倒≫が生じる余地を孕むがゆえに、
例えば現実の女以上に面をつけた男のほうが強烈な凄みを表情に魅せることにもなるという、
つまり、面の特質上、正反対の意味での能面にもなり得ると思われるのです。
さて、毛描きに女の名残を示し、目元以下の造作が表す筋肉を強張らせた憤怒とは裏腹に、
額から瞼にかけて、内に沈む深い悲哀を湛えているのが「般若」だとするならば、
前シテがしばしばつける「泥眼(でいがん)」は、繭のように開いた虚ろな口元と毛描きの乱れにより、
のちの生霊の姿を予感させるかのような、内に秘めた深い心の闇から妖気を放つようにも映ります。
般若の面と申しましても、『葵上』の六条御息所など高位の女人に用いる白般若、
『道成寺』の蛇体の「肉彩色、そして『黒塚(安達原)』の鬼女に相応しいとされる黒般若などが存在します。
しかしいずれの変身譚のなかでも、「白練」という成仏得脱する女人の浄衣に例えたこれ一つに、究極の妖艶さと羞恥の美が集約されるような気も致します。
この点につき、馬場あき子氏は著書『鬼の研究』(ちくま文庫)で、六条御息所が女面の一時的変貌としての〈半蛇〉状態につき、野上豊一郎氏の説と共に以下のように記しています。
──「蛇から般若への推移は、超自然物から人間への復帰でもある」ともいっておられる。ということは当然、人間から超自然へと破滅してゆく心的過程をも表現しうるわけで、愛欲半蛇の妄念にまみれ、魂の地獄を彷徨することの窮極に〈般若の彼岸〉を遠望した命名であるとも考えられる。したがって、「葵上」における六条御息所が、般若の面をつけたまま成仏得脱にむかう趣向は、「一切是空」の『般若心経』の意を体したすばらしい演出で、徳田隣忠が抄物にのこした「白練のものなり」という、特殊な曲趣を理念的に肯かせようとしたもので、きわめて野心的なものであったということができる。──(266頁)
──・・・半蛇的兇暴、つまり人間放棄に近いいかりや怨みの極致を味わった者でなければ、その白熱の炎のなかにある透明な静寂は得ることができないという解釈であろうか。それは、あるいは執怨のはての、破滅的な空虚であるかもしれないが、けっして虚脱ではない。御息所の復讐が挫折に帰したあと、「この後また来たるまじ」と、ふしぎな、じつにふしぎな充実を感ぜしめつつ立ちあがる御息所には、その内がわに何かを確かめ得たやすらぎが生まれている。もともと御息所は、復讐をとげるにはむかない幾重にも屈折しやすい内面をもっていたのである。キリで、報復のための打杖を扱いながらも、僧の声に唱和して経文を誦する御息所には、地獄の底から救済を求める切実さがにじみ、忸怩たる内省のあふれをみることも可能である。能「葵上」を舞うにあたって、「尤も深く習ふべし」といわれた「心持気持」を、このような彼岸への脱出をかけた「白練般若」の心なのだと考えてはいけないであろうか。──(267-268頁)
──後半キリの場において、般若を着けて打杖を扱いながら経文を唱えてしまう御息所が、ついに床に安坐して「やらやら恐ろしの般若声や」と呻くあたりも、般若声に折伏せられたというよりも、内面的な否定と肯定の葛藤が頂点において決着がついたときの吐息である。聡明な理性がかえってきた証である。したがって、視覚的にはまことに異様でありながら、まったくの鬼女般若の扮装のまま、「忍辱慈悲の姿にて菩薩もここに来現す。成仏得脱の身となりゆく」と、心爽かに立ちつくすところは、まさに野心的演出であったので、般若そのもののなかに解脱の心をみつめていたのだと考えられる。──(p272-273)
この場合ですとやはり「悟りの道へと到達するひとつの過程」ということになるかと思われます。
いずれにせよ、後半の馬場氏の圧巻の迫力に押され、引用がつい長くなってしまいました。
相変わらず要領を得ない点につき、深くお詫び致します。
二千字にて^^
マシュマロさん、また回答を下さってありがとうございます。
能面は「彫る」ではなくて「打つ」というんですか。
これも興味深いですね。
>「精魂を打ち込む」ためでしょうか、
ナルホド、そういうことなのかもしれませんね。
>演劇性と神秘性から≪価値転倒≫が生じる余地を孕むがゆえに、
そうですね。
なんか日本の神話などでは神様は簡単に性転換していますしね~
聖徳太子が生まれ変わって親鸞の妻になったとか言う話もありますね。
般若の面にもいろいろあるのですね。
婆あき子さんの文章、おもしろいですね。
>六条御息所が、般若の面をつけたまま成仏得脱にむかう
なるほど、それで角の生えた恐ろしい面のことを、般若というのかもしれません。
大変勉強になりました!
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
実際に般若の面を見た事が有りますでしょうか。
面の見る角度を変えると悲しい表情になります、それは多分、人の心は一定では無く常に変化しているというのを表しているのではないでしょうか?
人の心は十界と言う物が有り、その一つの中にさらに十界が有り、その中を心が行ったり来たりしているので良い時も有れば悪い時も有ると言う事だと思います。
カテゴリーが哲学なので、もっと詳しく回答して下さる方がいらっしゃると思います。
目に止まったのでチョットおじゃましました。
失礼致します。
早速回答を下さりありがとうございます。
般若の面は見たことはないのですが、大念仏狂言の面は見たことはあります。
お面ってうまくできてますね。
見る角度によって違う顔に見えるので、舞台の上で喜怒哀楽が表現できるんですね。
人の心には十界があるのですか。
>良い時も有れば悪い時も有ると言う事だと思います。
私も同様に思いました。
人の心の中には嫉妬心もあれば、仏心もある。
それで混同されたのかなあ、と。
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