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なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのでしょうか。

人間の場合、一般的には、女体は性的に愛撫の対象であり、
男性ばかりか、時に女性をも、ドキリと魅了する対象のように映ります。

ですが、男性の身体は、必ずしもそのかぎりではないと思われます。
漢字変換で「女体」は変換可能ですが、男性のそれは変換されません。
語彙にも性差が潜んでいるように感じられ、少々興味を抱きました。

(山の名称では「男体山」「女体山」と出てくるのですけれども、
「男体」は「女体」ほどには用いられていないようですね。)

以上、ご教示のほどよろしくお願い申し上げます。

A 回答 (33件中1~10件)

多くの生物種において、雄が雌を奪い合う競争により、優勢な個体の遺伝子を残す事で、自然淘汰より早い進化を可能にしています。


(そもそも性別(有性生殖)は、そのために生じた)
生殖機能を持つのは雌なので、一般的に雄が戦います。
だから、「魅力的」なのは雌だけでいいのです。
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この回答へのお礼

psytex様、早速のご回答をどうもありがとうございます。

仰ることは、確かに頷けます。
またしかしながら、「魅了する」という点においては、
雌より雄の方が華美であり誇張であったり、
とかく顕著な種類が多いとも考えられます。
孔雀の羽、鶏の鶏冠、ライオンの鬣(たてがみ)等々。

「雄が雌を奪い合う競争」には「雌を引き寄せる魅力」も不可欠のように映ります。
容姿的に雌が雄を気に入った中から選ぶとも言えるでしょう。

ところが、人間の場合には、逆でして、
一般的には容姿の点で性的魅力を放つのはむしろ女性の方なのです。

人間の性欲とは真に不思議なものですね。

お礼日時:2010/05/16 19:29

すっかりぼやぼやの頭でお邪魔致します。



やはり「禁忌の対象」である、と言う事が大きな要因に思えてなりません。
ヒトの雌は栄養状態さえ整えば、産後ひと月で次の妊娠が可能である事。
でもそれは、母胎と母体に大きな負担が掛かる事。
その為に、長期的にはヒトと言う種の存続の為に「避妊」と言う技術が生まれた事。
原始の避妊は、とにかくも「雄に手を出させない」事であったのではないか。

翻って他種の生物は、美しく着飾るのは主に雄です。
繁殖期の衣替えの美しさは雌よりも雄に多く見られるのですよね。

これは繁殖期が期間限定である事。
妊娠と出産が母体に負担を掛けない身体構造である事。
育児と言う親子ともに危険に晒される期間が無い、若しくは短期間である事。

妊娠出産の安全とそれに伴うある意味気楽さ?が、雌の雄に対する防御を不要にしていると思われます。
だから、他種の生物の「女体」は「禁忌」とする必要が無い。
幾らでも発情し、懸想され、懸想し、交尾しても、それに伴う危険や命の危機は無い(低い)。

ヒトの男女の発情要因が双方ともに「禁忌から生まれた幻想」に大きく由来するのと違って、
他種生物の発情要因は「期間原因」が大きく影響していたりして?とふと思いました。
勿論、全ての生物に組み込まれた「種の存続と子孫繁栄の本能」はあるのでしょうけれど。

「恐いもの見たさ」の最たるもの、が女体であり、性である?
知性による「知りたがり屋」の側面を見事に暴き、利用した文化が性、と私には思えてしまいます。

このヒトと言う種全体を覆う大きな「文化」から派生した細かな事柄の膨大さ。
身を苛む悩み痛みの原因にもなり、大きな幸せの要因にもなると言う不思議さ。
最近丁度「神道における穢れ」としての「女体」について、あれこれ考えている所でした。
不安定な体調の相手をしながらだと、つい無礼を働きますので質問を立てる事を躊躇っております。

興味深い質疑ですので追わせて頂きますね。
ありがとうございます。
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この回答へのお礼

yukkinn66ちゃん、ご回答をどうもありがとうございます。

年間を通じて生殖が可能になり「雄に手を出させない=避妊」が「禁忌」へ至るという
女性側の「戦略」こそが、女体だけが放つ性的魅力、つまり「幻想」の源であると仰るのですね。

「性交が妊娠・出産へと繋がる」という認識を人間が得て、あえて女性器を隠蔽するということ。
そうそう、身体を獣の皮や覆い隠したり装飾品で装う行為も、人間ならではの特徴です。
防寒を直接目的としたのではなく、身体をそれらで緊縛することで「呪術性」を意図したとみなせば、
文化とは「抑圧の所産」であり、根源的な面が認められるものかもしれません。

>「恐いもの見たさ」の最たるもの、が女体であり、性である?

けだし名言、ですね。 そしてその「恐いもの見たさ」のうちには、
現実の女体以前に、全く別である仮想の「モノ」を「視て」満足感を得ているのであって、
趣味嗜好の範疇にある以上は、性欲においても慣れや飽きが生じてもおかしくないことになります。

そして女性においても、別の女体が性的魅力を放つ対象と認められるのは興味深いところです。
これまで私の同級生が数名グラビアでヌードを晒しており、そのたびに仲間内で
「あら、彼女のオッパイ、縦長っぽいわね。」「ふうん。痩せているのに、意外と胸あるのね。」
などと、下世話な話で即座に持ちきりになったこともありまして、
さすがに同級生のそれには身内意識で大いに照れますが、全く見ず知らずの肢体には、
ちょっと意表を突かれて、思わずセンシュアルな心地に浸ってしまうことも無きにしも非ず。

一体、私達女性の頭の中では、どのようにして、同性ながらに駆り立てられているのでしょう。
そしてやはり、男性とは決定的に違うものなのでしょう(…と、思いたい、笑)

>「神道における穢れ」としての「女体」について、あれこれ考えている所でした。

「11ぴきのねこ」のご質問の流れでよろしかったでしょうか。

質問に例示した「男体山(栃木県)」ですが、かつては山岳修験の地として女人禁制だったそうです。
http://www.nikko-jp.org/perfect/chuzenji/irohaza …

聖地や山岳などへの恒常的、永続的な立ち入り禁止という女人結界を意図したもので、
源氏物語の宮下がりのような女性の「血」にまつわる一時的な排除とは多少異にします。
お産の禁忌は、生と死の間という境界的な聖俗隔離の意味合いが徐々に薄れていくにつれ、
仏事、儒教、陰陽道などの習合を経て、血穢の観念が民間信仰として流布したとも考えられます。

女性の穢れを嫌う女人禁制を敷き、従来の山岳信仰に非日常性を高める一方で、
結界の地に女人堂などを設置したり、開山の「母」の廟や祠が多く点在するのも興味深く、
山と里の伝承、或いは母子神信仰とも複雑に絡み合っているようです。

いずれにしても女性の穢れは、当時説明し得ない未知の自然の力として畏れられ、
逆に社会基盤を脅かしかねないという理由で、排除や差別化に至ったのではないでしょうか。

ところで、渡仏と大学以前をほぼ女の園で過ごした私には、
「女性が屈辱的な生き物」という感覚がいまだ解らずじまいなのですが、
一般的に「愛」の縛りのない性交に女性がなかなか踏み切れないヒントが
ここに隠されているのではないかと、ようやく察せられるようになった次第です。

それにしても、どうして女性は愛する男性ばかりに身を委ねたがるのでしょう。
ご自身では「愛」のないセックスも「可能性」としては想定し得るものでしょうか。
または「愛」の代りに「疑似恋愛」「尊敬心」「友情の証」などという代替感情にて、
やはり自ずと相手を幻影で少なからず覆いたくなってしまうものでしょうか。
女性心理や性欲とは、自身のことながら、いまだ理解しがたいところがとても多いのです。

あと、体調の方はいかがですか。 
これから暑くなりますし、ただでさえ頑張り屋さんの貴女のことです、
どうかあまり無理をなさらないで下さいね。

ご都合のよろしいときに是非またお願い致します。
ご回答を頂戴して嬉しかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/17 09:52

mashumaro2さん、お久しぶりです。



私としては、「女体」よりもこういうご質問の方にはるかに「性的魅力」を覚えずにはいられません。
それほど興味深い問題提起だと思いますよ。

>なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのでしょうか。

その淵源を探り当てようとすると、女性が男性に対して示してきた性的振る舞いにたどり着くのではないでしょうか。
具体的には、女性が自らの身体、特に性器を衣類等で秘匿し、もって男性に対して「女体」が禁忌の対象であるとアピールしたことに帰着すると思います。

こうして、哀れな男性は、女性の奸計にはまり、よりによって「女体」なんてモノに「性的魅力」を感じさせられるハメに陥ったのではないでしょうか。
その結果、女性は男性の性欲や性的嗜好の育成および管理を行うようになり、男性を恒常的に欲求不満状態に置き、女性の課した条件をクリアした男性だけに「女体」を委ねることを可能にしたと考えられます。

女性が男性に対して、意地悪くもこういう性的振る舞いをするようになったのは、おそらく、かつては他の類人猿と同様に本能のプログラム通りに生殖活動を営んでいたわれわれの遠い祖先が、自分たちの性行為を因果の相で捉えることができるほどに脳が発達して以降のことと推察されます。
つまり、性行為と妊娠との因果関係に気づいて以降、女性は望まぬ妊娠(=交尾)を避けるには、男性を性的に忌避したり、性器を隠匿することが有効であると気づいたのではないかということです。

>人間の場合、一般的には、女体は性的に愛撫の対象であり、男性ばかりか、時に女性をも、ドキリと魅了する対象のように映ります。

確かに、多くの男性にとって「女体は性的に愛撫の対象であり」ますが、その他、やはり人類の初期の段階で「女体」を「愛撫の対象」としてだけではなく、視覚(美)的対象として愛でるようにもなったと臆測されます。
思うに、言葉(智恵)を神から奪った代償として、人間のオスだけが「女体」との官能的な接触(=セックス)だけでなく、そうと自覚することもなく、「女体」に自分の観念を投影させて愛でるようにもなったのではないでしょうか。
通常、この「女体」はあくまでも《見る》ためのモノ(=美)ではあっても、「愛撫」の対象とはなりえませんよね。

>ですが、男性の身体は、必ずしもそのかぎりではないと思われます。

女性の場合、「男体」やペニスに「性的魅力」を覚えることが欲情の前提条件ではなく、男性への愛情、好意、同情、憐憫、尊敬、憧憬、あるいは子作り、金目当てを動機にしても男性を性的に受容できる以上、敢えて男性の「男体」に魅了される《必要性》がないからと考えるのは無理でしょうかね。

それだけに、視覚芸術に対する偏った嗜好癖を持った女性が、「男体」に対するフェティッシュな欲望を隠し持っていたとしても、私には全然不思議ではないような気がします。
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この回答へのお礼

kadowaki様、ご無沙汰しております。

>われわれの遠い祖先が、自分たちの性行為を因果の相で捉えることができるほどに脳が発達して以降のことと推察されます。
>性行為と妊娠との因果関係に気づいて以降、女性は望まぬ妊娠(=交尾)を避けるには、男性を性的に忌避したり、性器を隠匿することが有効であると気づいたのではないかということです。


はい、前半部分はyukkinnちゃんのご回答と通底するものと拝察致します。
但しkadowaki様は相変わらず「意地悪な女性の奸計にハマる哀れな男性」という二元論がお好みですね^^

そして以下の1点、決して揚げ足取りではありませんが、確認させて頂きたく。

>>なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのでしょうか。
>その淵源を探り当てようとすると、女性が男性に対して示してきた性的振る舞いにたどり着くのではないでしょうか。
>具体的には、女性が自らの身体、特に性器を衣類等で秘匿し、もって男性に対して「女体」が禁忌の対象であるとアピールしたことに帰着すると思います。

そうなのです、でも、一応男性もそれなりに自身の身体を隠してきたと思うのです。
つまり、隠し方が何らセンシュアルでなかったということでしょうか。う~ん。


>思うに、言葉(智恵)を神から奪った代償として、人間のオスだけが「女体」との官能的な接触
>(=セックス)だけでなく、そうと自覚することもなく、
>「女体」に自分の観念を投影させて愛でるようにもなったのではないでしょうか。

この箇所はとても興味深く拝察致しました。
「言葉(智恵)」からは、以前ご教示頂いた『グーテンベルクの銀河系』をなぜか想起しました。
以下のくだりです。

「西洋社会で育つ典型的な若者は早期に内部指向を目指し、
そのような人間で形成される西洋社会は社会的要請への従順を育む」
あるいは、
「活版印刷文化がいかに西洋文明に対し極端な視覚的要素を強調し得たか、また後世になると、
しかるべき「女性像」、つまり女性の浪漫的な容姿などが映画や広告写真によって均質化を遂げ、
寸断化され、視覚的に画一化された中で大いに完璧な姿を保ち、反復の可能性も得ることになった」です。

強度に視覚化された文明の変質。
ああでも、これは「活字文化」についての考察でしたね。
ズレてしまって、大変申し訳ありませんでした。

>やはり人類の初期の段階で「女体」を「愛撫の対象」としてだけではなく、視覚(美)的対象として愛でるようにもなったと臆測されます。
>この「女体」はあくまでも《見る》ためのモノ(=美)

印刷技術の発明/発展以前の遥か古の時代に話を戻します。

人間の男性だけが《見たい》と願う視覚的な強い欲求と内なる想像力と結託することで、
過度に増幅された仮想のモノを自閉的に愛でるようになり、さらに
はからずも実体の愛撫の上でも多大な役割を果たしてきた一方で、
女性の側は、視界を遮断し《見ない》という視覚の喪失、すなわち盲目状態を受容し、
その世界に身を浸ることを選択する/余儀なくされていったのでしょうか。

むろん盲目状態も、それはそれで、非常に官能的に思われますけれども。

>視覚芸術に対する偏った嗜好癖を持った女性が、「男体」に対するフェティッシュな欲望を隠し持っていたとしても、私には全然不思議ではないような気がします。

はい、男女の性欲における質量差はさておき、
視覚の映像(虚像)をこよなく愛でるかぎりにおいては、
「女体」「男体」共に「モノ」であることには変わりありません。

その一方で「実体のモノと触覚」と「増大した仮想のモノ」との間に乖離が見られたり、
あるいは観念的な方がより好まれることもありそうな気も致します。
男性の側にフェティシストが多いのも何か関連性がありそうですね。

>女性の場合、「男体」やペニスに「性的魅力」を覚えることが欲情の前提条件ではなく、
>男性への愛情、好意、同情、憐憫、尊敬、憧憬、あるいは子作り、金目当てを動機にしても男性を性的に受容できる以上、
>敢えて男性の「男体」に魅了される《必要性》がないからと考えるのは無理でしょうかね。

いえいえ、無理がありません。
全く仰る通りだと思います。
ピンからキリまで色々列挙なさっていらっしゃるのには、思わず笑みがこぼれてしまいました。

でも、上述の不埒な動機を、いくら女性が抱いたとしても、
「山の神」の祟りを畏れる男性陣をなびかせることだけは、至難の業なのでしょうね、きっと。

それにしても「性」って、解らないことばかりですね。
男女間の意思疎通の齟齬が生じるのも無理ないのかも。

また何かご教示頂けたら、とても嬉しく思います。
この度はご多忙にもかかわらず拙文をお読み下さり、本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/17 16:54

#1の者です。


先の回答で「多くの種」と書いて、普遍化しなかったのは、雄の物理的な競争を、個体の栄養状態をシンボリックに誇示する事で同種内での争いを避け、進化より重要な現時点での存続を優先する種もあるからです。
とはいえ、生物界における比率では、決して多数派ではありません。

なぜなら、天敵が少なくてそうした「シンボル」である牙を異常に発達させたマンモス(牙がグルッと一周して丸くなり突き刺せなくなった)が、新天敵・人類の登場に抵抗できず滅びたように、「代償システム」の歪みは大きなリスクともなるからです。
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この回答へのお礼

psytex様、再度のご回答をどうもありがとうございます。

ご回答を拝見して、確かに私の質問やお礼の提示内容に不明瞭な点が認められると思い、
お詫び致します。ちょっと解りづらかったですね、すみません。

そうですね、生物界には多数派ではない種もたしかにありますね。
私も時間の許す限り、調べてみたいと思います。

マンモスの牙は丸く一周しているように思われますが、確かにあれでは役に立てませんね。
愛知万博でユカギルマンモスを観ました。凄かったです。
もう少しでおのれに突き刺さるかと思うくらい曲がっていました。

生命の進化はとても面白いですね。
チンパンジーが乱婚、駆け落ちをするとは…知りませんでした。

また、人間と言えども文化圏により配偶システムに差異が見られ、それも興味深いところですね。
psytex様は、たしか多くの国々で従事なさっていたと拝察致しております。
その土地毎に土着的な文化的性差も多々見受けられたのではないでしょうか。

以前、哲学カテでゴーギャンの『ノアノア』というタヒチ滞在記に触れたことがあります。
百年以上も昔、彼は当時の西洋美術界で、初めて南国の島々へ楽園を見出そうと試みた先駆者でした。

──私の前を歩いているのは、ひとりの男なのであろうか。──これら裸の未開人にあっては、動物たちがそうであるように、性の違いは風土ほどにははっきりとしていない。我々は辛い仕事、とはつまり自己啓発の機会を免除することによって、女性の弱さを強調している。そして優艶という虚妄の理想に従って女性を鋳型にはめているのだ。
 
 タヒチでは、森や海の大気が肺を強健にし、肩幅や腰を広くし、海辺の石や陽の光は、男も女も容赦しない。女たちは男と同じ仕事をこなし、男たちには女の懶惰がある。なにか男性的なものが彼女たちのうちにあり、彼等のうちにはなにか女性的なものがある。両性のこの類似のために、彼等の関係はむずかしいものではなくなり、いつも裸でいても、まったく潔癖であり、風俗のなかから、未知なるもの、謎めいた特権、偶然、あるいは上首尾にいった窃盗といった観念のいっさいが取り除かれている──文明人における愛のサディスティックな特徴のいっさい、恥ずべきこそこそした色合いのいっさいが。──『ノアノア』ちくま学芸文庫 p45-46)

多少脚色が夥しい冒険譚との評が一般的ではありますが、そこに記された彼女たちは、
粗末な麻布の上に描かれた魅力的な象徴のモチーフとイメージが全く重なります。
健康的で豊かな胸を露わに湛えながら、絵画上でも永遠に微笑み続けることでしょう。

日本も江戸時代までは女性が道端で行水など、さほど稀ではなかったと文献に認められるようです。
明治維新以降、西洋文明の導入と共に、性意識もまた、改められた部分が大いにあるのでしょうね。

また何かお気づきの点がありましたら、ご教示のほどよろしくお願い致します。
この度は重ねてのご回答、並びに拙文をお読み下さりまして、どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/05/17 19:43

 私も男ですので、同じ心理を持っていましたし、今は太陽のギラギラした状況はなくなり、どの女性にも女性としての全体的ありよう(有りよう)に面白みをもっています。


 男性である事には変りはないのですが。だから30代や40代の方はおかぁさんをやっているときは面白いですね。つまりお若い方は、単に草木の花みたいであるだけでして。

 中国にもインドにも古代賢者の洞察からの話が伝わります。
 中国:まぁ千字文の天地玄黄にして、・・・はおいておいて、所謂る太極とその中の陰陽(おんみょうではなく、いんよう)ですね。
 太極はむろん天地玄黄以前の全無、虚のときの実在です。
 男性か女性かというとどちらでもないが、男性になっています。
 そして最初にできるのが陰でそれに対する原理がそれに伴います。陽です。これが両儀です。そして四象、八卦、六十四卦と自乗していきます。これは後の八卦思想の両爻などとは異なる次元思想です。
 この宇宙の創造(生成と展開)を語る太極思想でも最初に陰という女性性を美として、理想像として創成します。

 インド:
 ブラフマンという超越存在が何もしない時期とそうでない時期とを持ちます。ここで誤解してはいけないのは時間的な前後関係やや時間的長さという観念での思い描きは不適当だということです。
 ブラフマンが三神になります。ブラフマ(創造)とヴィシュヌ(継続)とシヴァ(破壊・取り込み)。
 三神は一体でしてブラフマンの創造意識状態です。
 そして創造意識は最初にガンガを(“に”ではない)森の中で出会います。自己の意識という森の中から取り出します。ガンジスそしてオーム(アーメン、チベットではフーム)という女性です。
 これは神と物象界との境界存在です。プラプラクリティ。最初の原初的材料である、原理、そして意識。これは女性です。これはプラナの原初形態です。
 中国の“気”に類似しますが役割が大分違います。
 創造意識はガンガと結婚するが、二人の血筋はビッシュマというego意識を除いてみな、天界に戻される(ガンジス川に投げられて、殺される)。つまり不可視となる。
 現象創造界では二人の血筋は消えます。ヴィアサがその後を引き受けます。ヴァガヴァッド・ギータの著者ですが、彼が象徴しているのが区分、分別(分別)の意識です。言語と言語的認識の第二代の祖。
 この地上の祖としての登場者はみな男性ですが、女性は不可視でしかも創造界の基盤として普遍的に、基盤的に存続し、支えます。そして創造の最初に引き戻す牽引を代表します。これが同じ名称ですが、プラナです。男性は消費者でどんどん下降していく、創造の原初から反撥していく原理、ピンガラです。
 そういう神話哲学があります。女性は基盤であり、牽引者なのです。充填者なのです。
 女性の有り方と性格はそういう創造の原理と経緯からきていると、常々考えています。
 女性性と男性性はもの事の表裏で、別のものではない。
 女性の肉体ですか、創造界の美の形象化ではないですか。それに男性や創造界が喜ぶ。
 家内なんて、好きなだけふっくらしちゃっているから、巨大な宇宙です。
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この回答へのお礼

krya1998様、ご回答をどうもありがとうございます。

>男性である事には変りはないのですが。
>だから30代や40代の方はおかぁさんをやっているときは面白いですね。
>つまりお若い方は、単に草木の花みたいであるだけでして。

はい。krya1998様のご指摘通り、
「おかぁさん」も、子どもによって育てられていくようなものですし、
毎日が試行錯誤の繰り返しですから、確かに面白い時期だと思います。
温かいお言葉をありがとうございます。

そして若い女性は、何とも愛らしくて可憐な花のような存在ですね。
krya1998様のご回答を拝見しておりましたら、
先日お見かけしたご質問「婆子焼庵」をあらためて思い出しました。

拙問の主題である「女性の性的魅力」に対し、
ご質問の趣旨としては、「敢えて抗わない」と理解しております。
違いましたでしょうか。

ここに厚かましくもコピーさせていただくことをお許し下さい。
申し訳ありません。

>婆子焼庵
>【枯木寒岩によりて三冬暖気なし】
>は行脚の禅僧が、お世話になっている婆子の年頃の娘さんに抱きつかれて、
>思わず口にしたことばです。
>おかぁさん(婆子さん)は穢わらしいと、修行僧を追い出し、
>ついでにお世話していた庵を焼きました。

そして以下がkrya1998様のお言葉です。

>私たち印哲の行でも、ブラフマが人間(修行の男僧)たちに水のたくさん入った鉢をもたせて、
>人の間を歩いて来い、という命令を出します。
>裸の美女の間も通りますが、ある僧は全くこぼしていなかった。どうした。と聞いたら。
>目をつぶり、無視してきたというのです。
>ブラフマはその僧に落第の判定でした。
>霊林さんは、碧巌録の若い雲水をやはり落第にしていました。
>おぅなんと美しくかわいい事。無邪気で穢れのない。麒麟、聖断す。と思い、賞賛できないのか。
>己の卑しさを口走ったな、っていうのです。碧巌録ですね。素晴らしいですね。

>それを未熟なものは、恐ろしがる。穢和らしく思う。それは自分の心。
>おばさんはそれを汚い、といったのですね。

自己の道心を確保する為に『枯木寒岩によりて・・・』と口走っても、
あるいは目を瞑っても、よろしくないのですね。
咄嗟の所作に思わず心の内が露呈してしまうのでしょうけれども、
話を伺っている身の気楽さからは窺い知れぬものと拝察しております。
元々は中国に由来する説であり、日本の禅師も言及していると、
ご回答中のサイトから知ることができ、大変参考になりました。


>中国にもインドにも古代賢者の洞察からの話が伝わります。

はい。この度もたくさんご教示頂きました。
本当にありがとうございます。

>太極はむろん天地玄黄以前の全無、虚のときの実在です。

この中国の思想は、虚のときの実在、陰と陽、
同様に女性性と男性性は表裏で分かち難いと捉えられるのですね。
男女の性が思想に取り入れられているのは、とても興味深いところです。

そしてこの陰陽思想は合理的に映ります。
古今を通じてリアリストな中国人には理に叶ったものでしょう。そして、
日本人の私達の身近な暮らしの中にも散見できそうですね。

また、古代インドの神話哲学の世界は、ご回答を拝見しておりますと、
よりもっと混沌と多様性の内にあって、躍動感に富んでいるように映ります。
温暖で湿潤な気候が育んだ賜なのでしょうか。

創造界の意識の世界にあって、女性は基盤で、牽引者、充填者という存在、なのですね。
古代インドが文明の交わる場所だっただけに、
少なからず東西の文明に影響を及ぼしたのかもしれません。
ご教示頂いたお話は丁寧に拝見させていただきますね。ありがとうございます。

それにしてもインドの神話上の女性は、両極端に見受けられます。
パールヴァティーやラクシュミーのような、温和で至上の美を体現する女性と、
カーリーのように好戦的で、忌み嫌われる怖ろしいタイプの女性と。
古代インドの男性の女性観が垣間見れそうですね。

古代インドは各種聖典の他に、マハーバーラタのような大叙事詩があり、
カーマ・スートラなどの性典もありますね。
その性典にしても、古の人々は性の営みを真摯に捉え、
探究した結果として得られたものと思います。

>女性の肉体ですか、創造界の美の形象化ではないですか。それに男性や創造界が喜ぶ。
>家内なんて、好きなだけふっくらしちゃっているから、巨大な宇宙です。

現代は、一般的に細くスリムな肢体が好まれる傾向にありながらも、
インドの美女の理想像は、ふくよかでふっくらした容姿だと聞き及んでおります^^

またご回答を頂戴出来ましたら、とても嬉しく思います。
この度もご丁寧なご教示を本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2010/05/18 09:10

 ANo.5 耄碌爺さんの修正を許してください。


 ピンガラ、これは男性性(スシュームナかという幽体の脊柱の脈絡ですね。これはアパーナという陽気の力、原理つまり、男性性を連絡する。どんどん本質から離れて創造界に関っていく)。そしてこれに対応している女性性がida、陰の脈絡ですね。癒し、補充そして支え。牽引の性、力。これが運ぶのが、同じ名前ですが、プラナです。
 神はまず女性性からつくっているのですね。そして創造に入る。ガンガは場ですからね。創造界からは不可視ですが、根底で普遍。永遠。
 神の大好きな女性、そして理想、美、魅力として創造している創造かに根底性です。
 女性はそういうものとして、創造において原初から原理になっています。
 男性の私もそれでいいとしています。陽が先ではない、陰が先なんですね。陰は基本なんです。
 男性も男性らしい人を分析すると根幹が女性的です。基本的に生きていこうとすると女性的となります。なよなよということではなく。宇宙的(The Cosmic)女性性です。
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この回答へのお礼

krya1998様、再度のご回答をどうもありがとうございます。

陰と陽の脈絡があって、男性のそれは創造界を志向し、
女性のそれは、癒し、補充、支え、牽引するとのこと。

たしかに、どちらが欠けても成立しませんね。 

krya1998様がこれまでにご教示下さった古くからの思想の、
男女性が裏表であり、一つを為すという説は、
私にはとても自然なものとして映りますし、素直に納得がいくものです。
そして、何と申しましょうか、とても大らかな印象を受けて心地が良いものです。

むしろ、現代の日常生活に馴染み深く、当たり前のものとして感じていたはずの
「個人」という、ものの考え方のほうが、
とても特異で突出しているように思えてくるから不思議です。

自分自身のバランスをとり、まっとうに生きるという願いのためにも、
古い思想哲学に触れるということは、何よりも得難いことのように思われます。


>男性も男性らしい人を分析すると根幹が女性的です。
>基本的に生きていこうとすると女性的となります。
>なよなよということではなく。宇宙的(The Cosmic)女性性です。

上述の場合の「女性的」というのは、
個別の女性性をも遥かに超越した、宇宙的な意味合いなのですね。
スケールがとても大きくて、
私も、気持ちだけでも、かくありたいと願いつつ…。

>女性はそういうものとして、創造において原初から原理になっています。
>男性の私もそれでいいとしています。陽が先ではない、陰が先なんですね。
>陰は基本なんです。

ご教示下さったことと、
「最初にアダムを創った…」聖書のくだりとは、まるで好対照ですね。

そこではアダムからエヴァが誕生したのですよね。
いえ、それとも、実際は他に女性がまず創られて、
そこからアダムが生まれたとか…?
そういった説もあるみたいですが、
何故諸説が生まれるのでしょうね。これも、何だか不思議です。

あらためてご回答に思い考えさせられました。
いつも本当にありがとうございます。
今後もご教示のほど、よろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2010/05/18 10:42

>なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのでしょうか。



それは多分に先入観のある感想だと思います。
私は正確な真理だとは思いません。
男性は女体に惹かれ、それと同様に女性はたくましい男性の身体に惹かれます。
これは疑いようのない事実です。
ただ、人間の場合、長く続いた男性優位の文化の影響として、その本来の対称性が歪み、女体の美を過度に重視する時代が長く続いているということだと思います。
女性が個人的に男性優位の社会でのしあがっていくためには女性としての性的魅力をひとつの主要な武器として使わねばならなかったという傾向が男性のそれに比べて大きかったためだと言い換えてもいいかもしれません。
長いその時代を経て、女性の性的魅力が非常に洗練の度を高めてきたのがいまの現状でしょう。
確かに美術論では女体の美は様々な分析がなされていて、興味深い場合もあります。しかし、いずれ男性美もこれに劣らず論じられる時代が来ると思います。
女性美が男性美を圧倒していることは、
これは哲学の問題ではなく、社会科学の問題が大きいと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

komaas8様、ご回答をどうもありがとうございます。

>それは多分に先入観のある感想だと思います。
>私は正確な真理だとは思いません。

はい、私の質問の仕方がちょっと不適切だったと思われます。
この点につき、まずはじめにお詫び致します。

私はこの質問に際し、自身の感想を述べたり、
あるいは真理を記したのではありません。

つまり、男性が「女性の性的魅力」に惹かれ、女性に性欲を激しく駆り立てられ、
妄想する、あるいは性交を挑むのと《同様に》、
今現在、そして将来的に、
女性が「男性の性的魅力」に惹かれ、男性に性欲を激しく駆り立てられ、
妄想する、あるいは性交を挑むなどとは、一般的に考えにくいはずです。

だとしたら、それはいったい何故なのか。
このような意味合いで、真剣に質問させていただいた次第です。

ですので、私もkomaas8様と同様に、
男性の身体に性的魅力が「無い」とは思っておりませんし、
「女体のみならず、男体も性的魅力を湛えている」とも言えましょう。
そして男性優位の社会において、女性の性的魅力が時代ごとに洗練を極め、
そして愛でられてきた歴史についても語ることが出来るはずです。

ただですね、「性的魅力」の男女差とでも申しましょうか、
男体の性的魅力として「好ましく映る」とすれば、
一瞬、萌える上品な露出度を要するものと想われますし、
下半身においてはまず絶対的にNGでしょうし、
せいぜい二人きりになった時に…といった「微かな需要」に過ぎないと思うのです。

そして、これらをふまえた上で、私にはさらに幾つか思うところがございます。
もし出来ましたら、お手数ですが再度ご回答を頂けたら、大変嬉しく思います。

まず、
人は美を感じ取る際に、同時に性的興奮を駆り立てるものなのでしょうか。
私には、それが両立し難いように思われてならないのです。
美と感じるか、もしくは、性的な対象とみなしてしまうのか、
その決定的な違いは、一体どこにあるとお考えになられますか。

次に、ご指摘下さった箇所について申し上げますね。

>確かに美術論では女体の美は様々な分析がなされていて、興味深い場合もあります。
>しかし、いずれ男性美もこれに劣らず論じられる時代が来ると思います。

この「いずれ男性美もこれに劣らず論じられる時代が来ると思います。」という、
ご回答の根拠は、いったいどのあたりに由来するのでしょう。
女性の社会進出など男女のあり様を推し測った上で、
男性美を語る需要が増すとお考えなのでしょうか。

まあでも、確かに昨今のネットの普及に伴い、
視覚的な容姿の画像は男女を問わず需要が減るとは思えませんよね。

>男性は女体に惹かれ、それと同様に女性はたくましい男性の身体に惹かれます。
>これは疑いようのない事実です。

う~ん。そうとも言えますし、必ずしも、そうとも言えないと思います。すみません。

それは世界の話ではなく、日本に特化した場合でして、
わが国では相応かつ偏った形(稚児、陰間なども含め)
「男性美」を論じてきた感があるのではないでしょうか。
そしてそれはむしろ、逞しい男性美というよりも、
「両性具有の中性美」を志向するものと言えるかもしれません。

そしてその土壌の上に、たとえば、ジャニーズの華奢な優男系がもてはやされたり、
あるいは、流行りの日本発ネオテニー芸術が育まれたりするのではないかな、と。

我が国の公家文化、性差の転換を伴う古典芸能、或いはテレビのバラエティー番組における
性転換組の露出度と視聴者側の許容度の高さなどから、
性的未文化や曖昧さという点からも、必ずしも「逞しい男性像」を求めていないように映ります。

もしくはですね、巷に見受けられる日本の男性像と、パートナーとして女性が求める男性像とは、
案外異なるものかもしれませんね。

でもそれにしても、かつては日本男児にとり、逞しさの美などが必須ではなく、
(むしろそれは精神面に因るところが大きかったのかもしれませんが)
それ相応に「男性美」が男女を問わず愛でられてきたのではないかなと思うのです。

つらつらと駄文を書き連ねてしまいましたね、すみません。
この度はご多忙にもかかわらず拙文をお読み下さり、本当にありがとうございました。

追伸:「美」というなら、なぜ日本の男性は、女性の「顔」重視なのでしょうね?
欧米では「脚」によく着眼すると思うのですけれども。
この点につきましても、お伺いできたら嬉しく思います。

お礼日時:2010/05/18 13:40

古代ギリシャでは男性の裸像がありますが、どれも筋肉質の像ですよね。


従って男の美は筋肉モリモリが男らしさの表れとなるのではないかと。

女性の場合いくら筋肉を鍛えても、男性のように筋肉モリモリにはなりません。
女性の美しさは仏像にも現れているのですが曲線。
この曲線になまめかしさ があるんじゃないかと。

ゴツゴツしてやせ細っている女性より、ふくよかな女性が男性からみても性的魅力を感じますよね。

ある外国の人が日本人女性フェチで、どうして日本女性にしか興味が無いのかと聞いたところ、肌が滑らかだから だそうです。

西洋の人はしみだらけで毛深く肌のキメも荒く肌触りがざらざら。

シルクって映画がありますが、シルクは絹糸のこと以外に、日本の女性のなまめかしい肌のことを比喩的に表現しており、主人公は蚕じゃなくて日本人の絹のような肌が忘れられずもう一度日本に渡ったってことですね。
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この回答へのお礼

kigurumi様、ご回答をどうもありがとうございます。

>古代ギリシャでは男性の裸像がありますが、どれも筋肉質の像ですよね。
>従って男の美は筋肉モリモリが男らしさの表れとなるのではないかと。

はい、仰る通りかもしれませんね。 古代エジプトで考案され、
古代ギリシアにて興隆した「黄金比」が西洋美術の美の規範と化したように、
古代ギリシアの男性裸像(もしやニケなどの像も?)の美もまた、
西洋における「人間の理想像」「男らしさ」「肉体美」のお手本とみなされたのでしょう。

分割、プロポーションといった諸概念を基に、美的統一感を希求し、
八頭身比率の造形美を理想としてきた従来の美的形式原理は、
20世紀初頭のキュビスム以降に「芸術上の崩壊」が認められはするものの、
「男性の理想像」「筋肉美」「肉体美」としては、以前覆し難いものがありますね。

>女性の場合いくら筋肉を鍛えても、男性のように筋肉モリモリにはなりません。
>女性の美しさは仏像にも現れているのですが曲線。
>この曲線になまめかしさ があるんじゃないかと。

なるほど、仏像の曲線ですか。そうですね。
たおやかでなまめかしく、ふっくらした、包み込む印象がありますね。
仏像も多種多様、百済伝来のものなど、ほっそりと黄金比に近い感じが見受けられますが、
たとえば平安前期の密教系など、艶めかしく官能性を帯びている印象を受けます。
例:「如意輪観音像 歓心寺」
http://image.blog.livedoor.jp/t3asena7tamako1a0/ …

>西洋の人はしみだらけで毛深く肌のキメも荒く肌触りがざらざら。

はい、欧州では日焼け信仰がさほど廃れておらず(アメリカは日焼け事情が違うみたい)、
結構間近で見るとしみだらけ、キメが荒い印象を受けますね。
ちなみに、40過ぎたら、マリンスポーツをやってた私の背中にも、
日焼け止めで完全防備をしていたのに、しみが少しずつ出てきやがった!(笑)
kigurumi様、どうぞお気をつけあそばせ。←老婆心

>シルクって映画がありますが、
>日本の女性のなまめかしい肌のことを比喩的に表現しており、
>主人公は蚕じゃなくて日本人の絹のような肌が忘れられずもう一度日本に渡ったってことですね。

なるほど~。たしかに日本人女性(韓国の女性の肌も綺麗だと思う)
の女性の色白肌は、七難隠すと言いますものね。
この映画は観てないのです。面白かったですか?今度観てみようかしら。

映画の設定上「えええ」の声が上がったとしても、スケールを思いっきり縮小すれば、
「地方在住の色白美人のキャバ嬢や女友達にもう一度会いたいがために喜んで出張」
なんて、全然あり得る話に思えてくるから不思議です(笑)


この質問を立てるきっかけの一つに、
知人の女性が乳ガンで亡くなった知らせを受けたことがあげられます。
何でも、本人は乳房の全摘後の再建手術を望んでいたようなのですが、
叶わなかった、とのことです。

それでね、女性にとって自分の乳房とは、一体何かと考えましたら、
やはり「女としてのアイデンティティ」の拠り所の一つであろうし、
私とて、仮に同じ立場になれば、再建手術を絶対に望むに違いないと思ったのです。

かつては子どもたちを育て上げ、今では細々と夫婦関係のみながら、
彼女同様に年齢的にもリスクを抱える「対象」なのです。
全摘したら、たとえ再建手術をしたとしても、どうなのでしょう、
昨今の美容形成の豊胸手術とは全く違った意味合いなのだろうなあと思うのです。

つまり、自分が女性であるのにもかかわらず、
それこそ女性性としての自意識が崩壊し、危機が訪れるのではないか、
それも、私のような年齢の女であっても、十分考えられるのです。

そしてそれは、自分自身の身体の欠如という意味合いだけでなく、
社会的な「女としての商品化」の幻影を引きずっているとしたら、
《二重の意味で》自傷気味に「女ではなくなる」と錯覚する気がしましてね。
それは例えば、
「女として商品として売れなくなる」=「夫から愛撫されなくなる」
不安とでも置き換えられましょうか、いい歳をして(笑)

また、以前ブラジャーに関する質疑に参加したことがありまして。
「少しでも高く、豊かに」という矯正下着の需要の下支えの意識や、
華奢で美しいランジュリーを好む女心などの嗜好の裏には、
いったい何が潜んでいるのだろう等ともあらためて思っております。

「性」とは、決して侮れないものなのだなあと、つくづく思うのです。

また何かお気づきになりましたら、ご教示頂けるととても嬉しいです。
ご多忙な中、ユニークな着眼点を授けて下さり、本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/05/18 22:57

mashumaro2さん、こんばんは。



ご丁寧なお礼を頂戴し、恐縮いたしております。

>前半部分はyukkinnちゃんのご回答と通底するものと拝察致します。

はい、yukkinn66さんのご回答を拝見しないままで「回答する」のボタンを押してしまい、見事なまでに屋上屋を架すという失態をやらかしてしまいました。

>但しkadowaki様は相変わらず「意地悪な女性の奸計にハマる哀れな男性」という二元論がお好みですね^^

いわゆる《トラウマ》というヤツに囚われているだけとご諒察願います。

>でも、一応男性もそれなりに自身の身体を隠してきたと思うのです。

それは、男性が「隠してきた」部位は、mashumaro2さんもとっくにご存じの通り、ある種の刺激に反応して、持ち主の意志を平気で無視し、恣意的にその姿形を大きく変えたがるからであり、しかもご婦人方にはその現象が必ずしも歓迎されないからではないでしょうか。
その点、やはり女性が「隠してきた」のとでは、同じ《隠す》でもその動機がまるっきり異なると思います。

>強度に視覚化された文明の変質。

はい、おっしゃる通りでして、女性の性の商品化を促したのも、西洋で末端肥大的に擡頭した視覚優先主義であり、この視覚と結託した観念が男性の性的欲望を視覚的にさらに煽り、こうしてポルノグラフィーが幅を利かせるようになってきたのではないでしょうか。
思うに、もともとdistant senseであったはずの視覚は、より生命活動に直結した他の諸感覚の忠実な下僕として、本来は眼前の対象が有用か無用か、安全か危険かを他の諸感覚に告知する役割に徹していたはずなのに、いつの間にか自らの本分を忘れ、傲慢にも他の諸感覚を自らの支配下に収めるようになっていったということではないでしょうか。

>人間の男性だけが《見たい》と願う視覚的な強い欲求と内なる想像力と結託することで、過度に増幅された仮想のモノを自閉的に愛でるようになり、さらにはからずも実体の愛撫の上でも多大な役割を果たしてきた一方で、女性の側は、視界を遮断し《見ない》という視覚の喪失、すなわち盲目状態を受容し、その世界に身を浸ることを選択する/余儀なくされていったのでしょうか。

その前提にあるのは、人間のセックスでは、女性が妊娠する側の性であるという性差に照らし、男性が前もって欲情に向けての準備ができていることが前提条件ですから、これは岸田秀氏も述べていますが、やはり女性の方が男性の欲情を駆り立てるべく、有形無形の性的刺激を送り、同時にこれに反応した男性に禁欲を課しながら、女性の理想に叶った一人の男性を選択するという、女性側の性戦略だったのではないでしょうか。

女性が男性に禁欲を課した、男性の抑圧され、行き場を失った性欲や性的好奇心は、その代償として、女性の身体や付属物に対する種々のフェティッシュな欲望を育まざるを得なくなったのではないでしょうか。
さらには、こういう男性のフェティシズムが、やはり代償行為として、自らの純粋観念の具象化としての視覚芸術(絵画)に向かったと解するとしたら、これはあまりにも牽強付会が過ぎるでしょうか。

なお、「女性の側は、視界を遮断し《見ない》」というのは、女性が視覚以外の諸感覚に全神経を収斂させるべく、エデンから追放される以前の、本来的、かつ健康な性の営為に忠実であろうとしているだけ、男のようにフェティッシュな観念に汚染されまいとしているだけと考えられなくはないですね。

>男性の側にフェティシストが多いのも何か関連性がありそうですね。

前述したように、女性たちは、男どもを欲求不満状態に導くために奸計をめぐらし、愚かなフェティシストに仕立て上げようと企んだのだ、としか私には説明しようがないのですが。

>それにしても「性」って、解らないことばかりですね。
>男女間の意思疎通の齟齬が生じるのも無理ないのかも。

はい、それにつけ思うのですが、男性に先んじて女性の方が欲求不満状態に置かれる性的状況が到来しつつある現在、つまり草食系男子が増加しつつある現在、もはや女性が栓を捻るだけでセックスできる時代は終焉を迎え、これからは男性の性的エネルギーを十分に蓄積するための新たな対男性的性戦略が必要とされているのかもしれません。

すみません、mashumaro2さんが掲げられたテーマから大きく逸脱してしまいました。
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この回答へのお礼

kadowaki様、再度のご回答をどうもありがとうございます。

>テーマから大きく逸脱してしまいました。

いえ、とんでもない。逸脱させているのは私の方です。
では、戻しましょう。
「kadowaki=yukkinn様連合体意見」とは別意見を述べさせていただきますね^^

>性行為と妊娠との因果関係に気づいて以降、女性は望まぬ妊娠(=交尾)を避けるには、
>男性を性的に忌避したり、性器を隠匿することが有効であると気づいたのではないかということです。

長らく不妊治療と流産、子作りセックスに終始してきた身としましては、
いかに女性の身体上の個体としての個性があると頭では理解し得ても、
やはり「女性が望まぬ妊娠を避ける」説が「経験上」素直に頭に入らなくて困っております。

そうではなくてですね、「なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのか」、
それは女性による妊娠回避の作戦というよりも、
人間が営んでいたであろう社会性が育んだ「視覚、視線」によるものであり、
例えば女性が妊娠出産した際には、当時は未知なる力、呪術的な意味合いを「視て畏れ」、
またあるときは、他の男性が女性に言い寄ろうものなら、
その様子を「視て嫉妬、競争心を駆り立てられ、妄想し」厳格に遠ざけたのではないかな、と。

その遠ざけることができた権力者とは、紛れもなく共同体のボス(男性)であり、
私が思うに、女性は容易に妊娠できるから避妊のために身を包んでいたというよりも、
逆に権力者としては、丈夫で多産に耐え得る健康な女性を選び望んだのではないか、
だから、なかなか子を授かれない女性は、お払い箱あるいは払い下げられたのではないか、
などと想像したりもするのです。

当時の栄養事情と衛生状況、ならびに平均寿命を鑑み、それほど多産が可能だったのか、
ちょっと疑問に思うところもなきにしもあらずでして、
また仮に子供を出産したとして、でも今ほどに何が何でも絶対に育てあげようという
人権の保障も得られなかった以上は、悲しい結末を迎えたこともあったのかもしれませんし、
女性にしたって、厳しい環境で一人では生きてはいけないわけで、
自ら避妊のために女性側の意志で「隠し始めた」とは考えにくいのです。

むしろ当初は、呪術的な意味合いとして、時に獣の皮をかぶり、
動物の頭を装着して、豊漁、豊猟を祈願したはずでしょうし、
男女の性器を隠した理由とは、生命の誕生に対する呪術性の「装飾」の一環で、
《そうして隠して見えなくなった》からこそ、結果的に
《余計に性的妄想を駆り立てられるようになっていった》とは考えられないでしょうか。

で、女性の性欲はどうなったかと申しますと、
生存のため、あるいは妊娠、出産、子育てのために、
群れの中で序列と権力者の意向に逆らえず、自身の性欲を抑えていったのではないかな、と。

以上、どうぞ軽くご笑覧下さいね^^

>「女性の側は、視界を遮断し《見ない》」というのは、女性が視覚以外の諸感覚に~
>男のようにフェティッシュな観念に汚染されまいとしているだけと考えられなくはないですね

ここはですね。
水平線の彼方にチラチラと「観念」が見え隠れするのです。
「眠れる美女よ、目覚めるな」^^ 

いえ、本音を申せば、目を開けたら男性が不能になるとか、そんなの頭にはなく、
全身で快楽を得たい、とにかく集中したいという「貪欲さ」ではないかなあ、と。
でもこれも「共同幻想」だったりして。

>それは、男性が「隠してきた」部位は、mashumaro2さんもとっくにご存じの通り、

ですからね、「呪術的な意味合いかな~?」等と、大真面目に考えておりましたから、
どんなにか笑い皺が増える負担を強いられたか、おわかりになりますでしょうか?(笑)

>女性が男性に禁欲を課した、男性の抑圧され、行き場を失った性欲や性的好奇心は、その代償として、
>女性の身体や付属物に対する種々のフェティッシュな欲望を育まざるを得なくなったのではないでしょうか。

ですからましゅまろ理論としましては、男性権力者が勝手に下々の者どもに、
社会的に性的禁欲を課していったために、抑圧の悲劇が生じたのではないかな、と。

>こういう男性のフェティシズムが、やはり代償行為として、
>自らの純粋観念の具象化としての視覚芸術(絵画)に向かったと解するとしたら、
>これはあまりにも牽強付会が過ぎるでしょうか。

はい、この点につきましては全くもって大いに賛同申し上げたいところです。
そして例によって、くっだらない私の例え話や引用をしたかったのですけれども、
残念ながら字数が足りなくなってしまいました。大変悔しいです(笑)

いつもご教示下さり、とても嬉しいです。
またよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/05/19 00:33

私も質問者様と同じく、女性の体にエロティシズムを感じますし、すごく興味がありますが、


鍛えられた男性の上腕にとうきんや、シンボルには、そこまで深いものはないと思います。
女性の体の形や質感そのものには、全く即物的にも美は感じますが、
男性のそれそのものには、存在感は無いですね。しかし男性なりの人体美というのは、あるにはお
あるわけで、やはり、そこに見るのは、そのものの造形というより、やはり造形の中に見る、
形のない、ダイナミズム、エネルギーだと思うんですね。においとか、声とか、筋肉も筋肉その
ものというより、そこに見る、動き、仕事量、熱量。
シンボルも「かり」とか「硬くなる」という変化率。
女性だって「ぼんぼぼよーん」っていう「動」はありますが、それは、そこに肉質のやわらかさ
という質感を見るという出発点だと思うのです。

日本人的な芸術家として「あらーきーさん」という写真家がいらっしゃいますが、人間の本質の
せまりかたとして、日本人が大好きな「素朴さの追求」というのをとっても乱暴な形で、
「尊厳のひっぺがし」をしてるので、ぎょっとするほどです。なーんとなくキュビズムに通じ
ますよね。これは「人間は機械だ」っていう極右的人生論にも少し通じてるし、もっというと、
ニーチェのリアリズムにも通じる。

でも、私自身個人的には、人間は虚飾をまとうのが真実とも思うし、「考える葦」だから、
「尊厳」というのは人間には欠かせないものだと思うのです。

やはり今風のグラビアの文化の様に乳房の美しさや肌の質感を追求し、そこにファンタジー
のエロティシズムを求める方が、今現在は好きかな。
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この回答へのお礼

heartmind様、ご回答をどうもありがとうございます。

先の質疑応答では、本当にごめんなさいね。その意味でもこの度のご回答は嬉しいですし、
何しろ私の文章は支離滅裂、主人も善意で?覗いてくれてるほどのお粗末さですから、
思いこみが激しく意味不明なところにつきましては、ご指摘下さるとありがたいです。 

>女性の体にエロティシズムを感じますし、すごく興味がありますが、
>鍛えられた男性の上腕にとうきんや、シンボルには、そこまで深いものはないと思います。

そうなんですよね。なぜ女性の私達も、時に女体にエロスを感じるのか。
男性と同様に、単純に性的対象としてみなしているのか、それとももっと複雑な話で、
鏡像の如く、もしくは我が身に投射することで感じとっているのでしょうか。

>造形の中に見る、形のない、ダイナミズム、エネルギーだと思うんですね。
>においとか、声とか、筋肉も筋肉そのものというより、そこに見る、動き、仕事量、熱量。

なるほど。
強い「気」のようなものをおっしゃっていらっしゃるのでしょうか。凄く鋭いですね。
それって、やはり視覚を研ぎ澄ませて本質的なものを洞察するのでしょうか。
それとも、視覚も含めた五感全体を通じてオーラを感じとるのでしょうか。

>シンボルも「かり」とか「硬くなる」という変化率。

何故女性は平素の男性のそれにつき凝視したり愛でたりしないのでしょう。
仮に露出している男性がいて、顔を背けたり冷やかな視線を浴びさせるというその裏には、
「恥ずかしい」という以上に「今は私にはその気がない」という表現をしていたりして。

子どものそれを視ても、可愛らしいとは認めても眉をしかめたりはしないわけで、
想像するに、青少年以上のそれを視て顔や視線をずらしたがるのは、
意識せずとも忌避を意図しているのかなって。


>それは、そこに肉質のやわらかさという質感を見るという出発点だと思うのです。
>女性だって「ぼんぼぼよーん」っていう「動」はありますが、

男性は女体の肉質のやわらかさという質感を「見る/視る」。
その順序の過程として、

α)性的対象として「見る/視る」そして「想像/妄想する」、
β)その次に現実の生身の女体に触れ、αに戻る

と考えられるでしょうか。
であれば、βではなくα(=人格形成期間)の質量、つまり、
期間の長短や外的抑圧の強弱と言う点は揺るぎ難くも侮れないわけで、
αとβが相克することになりますよね。

>今風のグラビアの文化の様に乳房の美しさや肌の質感を追求し、
>そこにファンタジーのエロティシズムを求める方が、今現在は好きかな。

はい、やはり性的幻想と申しましょうか、
ファンタジーのエロティシズムの存在とそれによる効果が認められると思います。
手垢のように勝手に意味付与してきた宗教観による「愛」だの、昨今の「コミュニケーション」、
もしくは「子作りのため」といった余計な一切のもの=「幻想」によって、
性交がいかに歪められ貶められてきたかが理解できるのではないでしょうか。

あるいは、結果と目的が転倒していると言えるのかもしれませんよね。
性交によって、男女の間に情愛やらコミュニケーションやらが育まれ、その結果子どもを授かる。
というのが「本来の姿」ではないかなあと考えているのです。

>でも、私自身個人的には、人間は虚飾をまとうのが真実とも思うし、「考える葦」だから、
>「尊厳」というのは人間には欠かせないものだと思うのです。

はい、そうですね。 
アラーキー、キュビスム、ニーチェ、人間機械論などを挙げていただきました。
エロティシズムの観点からバタイユを加えてもよろしいかもしれませんね。
これらの共通点は、従来の固定観念に疑問を投げかけ、それを覆すことにあります。

もちろんそれを望まない自由も各人にあるでしょうし、それもまた尊重されるべきです。
その一方で、男女の性意識のすれ違いにより、苦しむ人々が増加傾向にあるとされ、
性意識以外の男女の行動意識がめまぐるしく変質する傍ら、
性意識だけが既成観念に安穏と囚われている状態というのは、
将来に向けて危惧される由々しき事態ではないかと考えているのです。

質問者として、また経験者である女性として、雑感めいたものと例え話を交えて記しておりますが、
この度の拙問においては、私自身の個人的な悩みや人生相談のアドバイスを求めているわけではなく、
その意味では「思いこみ」のようなもの、又は「幻想」を拭い去ることを望んでいるのです。

でもheartmind様は芸術にも造詣が深く、鋭い視点をお持ちだと拝察いたしますので、
もし叶うならば、これにつきましても思うところをご教示頂けたら嬉しく思います。
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2010/05/19 11:10
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