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「ドナドナ」の「風」は何故笑うのでしょうか。

「ドナドナ」の歌詞について、
安井かずみさんの「ある晴れた昼下がり 市場へ続く道・・・」
が一般的ですが、そのさきのリフレインの部分

How the winds are laughing    どうして 風は あんなに笑うのか
They laugh with all their might    力のかぎりに 笑っている
Laugh and laugh the whole day through   一日中 笑いに笑って
And half the summer's night.         夏の夜が更けるまで 笑いつづける
Dona, dona, dona...         

何故風がlaugh笑うのか、または「laugh」には他の意味があるのか、
私の英語力では、どうにも納得がいく訳がありません。
どなたかご存じの方お教え願えませんでしょうか。

A 回答 (4件)

またまた失礼します。

m(__)m
収容所…ユダヤ人の歌、という説は初めて聞きましたが、これに異を唱えるのではありません。

どんな曲でも作曲者は、何かを考えて、モチーフにして作品を作ります。

アーティストは、作曲者が考えたであろう事を想像し、自分の想像した作曲者の考えをモチーフにして、曲を演奏に仕上げてゆきます。

そのため、アーティストによっていろんな曲の解釈が存在します。
どれも間違えとはいえません。
楽譜でしかない作品を、演奏に仕上げる為のモチーフはある意味、自由に作ることができます。

作曲者を徹底的に研究して「こういう風に考えたのだろう」と解釈するのを専門にするのは、オーケストラで言えば指揮者ですが、ソロでは演奏者個人になります。

私はたまたま、反戦運動の中で歌われた作品としてこの曲を知りましたので、先のような理解になりましたが、他の意見があるのは当然の事です。

いろんな意見を参考に質問者さんなりに理解すればいいことであり、その意見はまた尊重されるべきでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
おっしゃる通り私なりに、また考えてみます。
もし新しい解釈情報等ありましたら、御手すきの時にでもご一報いただければ幸いです。
再度にわたるご親切な回答感謝申し上げます。

お礼日時:2010/05/27 19:08

反戦歌というか収容所に連れられて行くユダヤ人の歌だと思っていました。


以下は松山大学・黒田教授の解釈です。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kuroda/kenkyu-k …
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この回答へのお礼

xs200様 ご回答並びに興味深い資料有難うございます。

原典によれば、「燕」は「喜んで飛んでいる」、そしてリフレインの部分の「風」は麦畑で「笑ってる」。
やっぱり、「子牛は縛られて殺される」のに「風は笑う」のですね。
そして、「風」が「麦畑」で「夜半」まで「笑」いつづけているのは、
そこで日が入れ替わって翌日の「刈り入れ(=豊穣=死の象徴)」を迎えるからであろう、とのことです。
「風」(そして「燕」も)は「麦畑」のもたらす「豊穣」を喜んでいるのだが、
他方で「豊穣」が「死」に近いことも知っているのである。
そして「麦畑」も「子牛」もその運命にほとんど違いはないのだから、「風は笑う」のだ。
(私の読解力では教授のお説概要はこの様なものだと思います。間違っているかもしれませんが)

結局、「子牛」が「兵士」の象徴にせよ「豊穣」の象徴にせよ
「風」が「笑って笑って笑ってる」のは「自嘲」とするにせよ「豊穣の祝祭」とするにせよ、
私には「笑う」という単語を使用する違和感は消えません。

これは
(1)私の個性と作詞者の個性の違いなのか、
または、(2)イディッシュ語の「Lakht」や英語の「Laugh」という単語に、
たとえば日本語の「笑う」に「膝が笑う」のような特別な用法があるように、何か他の意味があるのか、
このどちらかであろうとしか思えません。

多分(1)だろうとは思っていますが、
万一どなたか(2)の情報をおもちのかたがあればとも思っております。
いずれにせよまた考えてみます。ご回答有難うございます。

お礼日時:2010/05/27 19:01

また失礼します。

m(__)m

反戦とは常に反体制になります。戦争をするのは行政ですから。
そして、兵士を作るのも行政、つまり体制側ですが、その体制を決めるのは民主主義社会なら結局は人民です。
つまり、二番の歌詞は、そのまま、「なんでそんな連中に行政を任せたんだ」という意味としてそのまま通じるのではないかと思います。
Laugh はその愚行?に対する笑いというか自嘲みたいな意味ではないかと思いますが。
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この回答へのお礼

再度のご回答 有難うございます。
「愚行に対する自嘲の笑い」
わからないでもないのですが、
かたや「縛りあげられて殺される」わけですから、
それを「笑える限り笑い続ける」と、一番から三番まで繰り返すのは、
何か残酷すぎるような違和感を感じてしまうのです。
「感覚の問題」と言ってしまえばそれまでですが。
再度のご回答感謝します。

お礼日時:2010/05/27 17:47

こんにちは。


この先、何が待っているのかも知らされずに、荷馬車に乗せられて脱走する事も出来ない子牛の境遇を「風が笑ってる」という表現で対比させ、子牛の悲しい将来を強調しているのだと思います。

この歌は、単純な荷馬車と牛の歌ではありません。
戦争に行く兵士を、出荷される子牛に例えた反戦歌です。
風の笑い声は「殺し合いに行く兵士の悲哀」に例えているのでしょう。
あるいは「戦争をしてはいけない」という意思を代弁させているのかもしれません。

この回答への補足

myeyesonly様 早速のご回答有難うございます。
たしかに反戦歌としても歌われたようですね。

ただ、これは感覚の問題かもしれませんが、
これが私の知っている2番の訳になりますと

Stop complaining, said the farmer,   グズグズ言うな」農夫が言った。
who told you a calf to be?       誰がお前をこの世で子牛だときめたんだ?
Why don't you have wings to fly with,  何でお前は翼を持たないんだ
like the swallow so proud and free?  自由な気高きツバメであることができなかったんだ?」
ときて、
そして、How the winds are laughing,
they laugh with all their might,
とつづくと、
この状態でなぜlaughなんだと思うのです。

この違和感は感覚の問題だけなのか、
それともlaughには「笑う」の他の用法や、スラングの様な特別な語意でもあるのではないか
と思ってしまうのです。

補足日時:2010/05/25 22:58
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

お礼日時:2010/05/25 23:00

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