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満豪開拓団の保護

旧関東軍はソ連侵攻、敗戦により指揮系統は寸断、崩壊、身の危険が迫ってる状況で、

満蒙開拓民の保護どころではなかったのはわかりますが、

邦人保護をどのようにとらえてましたか。

A 回答 (4件)

ソ連侵攻の前夜から当日の早朝にかけて兵隊、軍属、一部の関係者


(所謂特権階級の人達)の姿は見事に消えていたらしいですね。
何事が起こったのかわからない状態でいると、岡の稜線が真っ黒
になったそうです。ソ連の戦車の群れです。
丸裸の状態で見える範囲に敵の群れ、恐ろしすぎる光景だったと思います。
軍隊の裏切りですね。
情報を知らせずに自分たちだけ逃げる。
知らせれば混乱の極みになり自分たちにも被害は出る。当たり前のことです。
前の晩に知らせておいて一緒、それより先に逃げる。
最低限のことすらせずに、
言い換えれば人間のすることでないことをした。
同じ見捨てるにしてもしてはいけないがあると思います。
女、子供、老人、残された者の結果は見るに忍びないです。
同胞を「見捨てる」
ソ連侵攻、予想外の出来事であったにせよ追い込まれた時の人間性、本質、
国民性を見る感じがしました。

下手をすればル-ルやぶりのソ連が日本の半分を取っていたとも言われています。
朝鮮半島と同じです。

戦争は「狂気」になるのでしょう。
それでもその状況下、人間としてしてはいけない事があると思います。
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この回答へのお礼

一糸乱れぬ撤退、さすが関東軍ですね。
賢明な指揮官のこと、開拓民の存在無きにしも非ず、一人でも多く連れ帰りたかったものと信じます。
それともソ連軍の追走を遅らせるための捨石だったでしょうか。
全滅より生きて帰ってお国のために、ですか。
そのDNAの結果、不公正、不公平社会の犠牲者は絶えないものと思います。

お礼日時:2010/08/27 09:59

邦人がいっせいに逃げてくるとき、戦車の邪魔になるならば「ひき殺せ」という指示が出ていました。



満州に限りません。いわゆる「本土決戦」においても、関東圏に上陸された場合は非難してくる住民の処置は考えておらず、作戦の邪魔をせずに黙って死んでくれるだろうという見込みでした。
そもそも本土決戦といっても、九州への敵上陸しか想定していなかったのです。

結果的には、邦人保護どころか、関東軍が真っ先に逃げています。
移動云々は言い訳に過ぎません。
文官でさえ邦人保護のために早々に移動すべきではないと意見しているのに、です。
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この回答へのお礼

人命も時と場合によって、消耗品であり、それ以下にもなるんですか・・・・

誰のための、何のための戦争だったのか・・・・

お礼日時:2010/08/23 00:57

満豪開拓団って現地の農民を強引に追っ払って日本人が農業をやったのです 保護も大事ですが・・

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この回答へのお礼

確かに、統治が空白状態だったとしても、現地の方の生活があったわけで、

その密度も気になるところです。

お礼日時:2010/08/23 00:41

基本的に、戦前の政府機関は、すべて天皇陛下のために存在しており、日本国民のために存在していたのではありません。



ですので、関東軍としては、邦人保護はその主たる目的たりえず、陛下の軍隊を無傷のまま転進させる、という至高の目標がありました。
ですので、開拓団より先に、内地に向けて転進を行ったのです。


ただ、日本国民はすべて等しく、「陛下の赤子」だったはずなのですが。
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この回答へのお礼

そうでした。

現代の基準で観るから疑問ですが、当時の視点に立ちかえれば納得です。

お礼日時:2010/08/21 23:29

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