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統治形態の変遷小史

 人類が誕生して以来、一体どのように人間は統治されてきたのであろうか。
今でははっきり言えるが、まず最初は、最も強い者たちが、自分たちの掟を他の者たちに物理的に押しつけたのである。
 強者はその力によって、富や財産を蓄積していった。強者の子供たちは、その富を相続し、こうして強者の統治は有産者の統治へと移っていった。
 有産者は統治し、彼らの従者の中で最も知恵のある者たちによる緒発見によって、次第に知識を獲得していった。
 次に有産者たちは、専門知識人による統治を実現するため、かれらの知識を民衆のすべてには与えないように気を配った。
 こうした専門知識人たちは、世襲の優越性を一般民衆に信じさせて、民衆を搾取し抑圧し虐待したのである。
 やがて民衆は、こうした専門知識人たちを打倒し、自分らを統治する他の専門知識人たちを民主的に選び出すにいたった。
「権力の座についた知識人」であった。
 しかし、知識は知性ではない。だから、事はうまく運ばない。なぜなら、知識というものは、どんなコンピューターでも行うことのできる記憶作用にすぎず、それによって問題の解決策を発見することはできないからである。
 そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。
 ついで「統治する知識人」は、管理の技術を教える高等専門学校を創設した。つまり、「高級官僚」の養成である。これらの高級官僚は、他者の発明を、自分たちの利益のために利用して統治することを学んだ。
 権力を持つ天才が、権力を持つ知識人にとって代わらなければならない。
高等専門学校が提供するのは天才では全くなく、いっぱいに詰めこまれた記憶でしかない。良識と知性を獲得するのに、この学校を卒業する必要はない。
 どの世代も、発明家たちを生み出すが、人類という種の生存を危険にさらすために、権力がそれを利用する。そして、こうして利用され裏切られた発明家たちは、自分の発明品が、罪もない人びとを殺りくするために用いられるのを見て、嘆く。
 こうしたことは、もう続いてはならない!
 人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである!
(1994年ラエル著天才政治)

いかに?

A 回答 (4件)

> いかに?



かなり間違いを含んでいる。特に後半が酷い。

例えば、
> こうした専門知識人たちは、世襲の優越性を一般民衆に信じさせて、民衆を搾取し抑圧し虐待したのである。

この一文は、古代マヤ文明に見られないこともないが、圧倒的大多数の文明には当てはまらない。近代までのほとんど全ての文明は、その統治機構を暴力機構の延長線上にしか見出すことができない。

後半については、特に統治の歴史認識としてみた場合、論をなしていない。統治形態に関しての話が一つもないからだ。

しかも、技術と統治の関わり方についても、重大な間違いに立脚している。例えば

> そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。

と書いているが、原子力のように全く逆であるもの、すなわち、軍事目的で開発され、それを平和的な目的のために利用しているものが非常に多い。このインターネットも軍事目的で開発されたものの一つであり、コンピュータもそうである。電子レンジや缶詰や瓶詰に至るまで、軍事目的で開発されたものは日常生活の端々まで及んでいる。

もう一度書くが、平和目的に作られた技術を殺人目的に利用しているのではなく、軍事利用目的という殺人目的に造られた技術を平和目的に利用しているのが現実である。


> 人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである!

専門知識を持たない人間が科学的な技術により人類を進歩させることがあり得るだろうか? いかなる専門知識のバックグラウンドも持たずに科学的な技術を発展させうると考えるのは、丁度小さな子供が教えられていない言語(例えば英語)で大人と対等に会話できると信じるのと同じくらい、奇妙な話だ。

もっとも「天才」とは、どうもラエリアンの主張から言うと、ラエリアン自身を指しているものとしか思えないが、要するに選民思想のなれの果て、とでも解釈すればよいのだろうか?

この回答への補足

人類の歴史は自然との闘いかも知れない。ライオン、トラ、動物園なら人々の観賞に耐えるが、不意に遭遇すると成人男子にしても食われるかもしれない。都合の良い武器を携帯すれば、その難は避けられるかもしれない。生身の人間にはおのずと限界がある。熊の出没も懸念される。火を利用し、新しい機械、強い技術等を開発する、体力では劣っても人間には知恵がある。動物とのトラブルもきっと解決されるものと信じたい。

> そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。

 もしアインシュタインが、自分の発明が何に利用されるかを知っていたなら、かれは決してその利用を許さなかったであろう。しかし、かれがそれに気づいた時には、もう遅すぎたのだ。
軍人という組織された野蛮人たちが、すでに空飛ぶ要塞で「ヒロシマ」に向かって飛んでいたのだった。
 しかしまだ、天才たちが、かれらに加えられる政治的、軍事的な圧力を拒否し、独立と非暴力の思想を確認して集結し、かれらの発明の利用を決定するのはかれらのみであることを、強く要求する時間は残されている。
 そして人類が、その中で最も重要な素材、つまり天才たちを利用する時間は、まだまだ残されているのだ。

> 専門知識を持たない人間が科学的な技術により人類を進歩させることがあり得るだろうか
発明はひらめきとも言われるが何とかひらめいてほしいものです。

「あらゆる知性的な活動は、困難を解決し、提案された目的を実現するために、既知事項の諸要素と、成されるべき発明との間の関係の理解、ということによって特徴づけられる」〈G・ヴィオー〉
すなわち、
「知性とは、既知事項を用いて、それらがどの枠組みにおさまるかを見定める能力である」

補足日時:2010/09/01 03:02
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この回答へのお礼

1939年から1945年にかけての世界大戦が、本当に最後のものであり、「広島」の原爆が、同様に無辜の民を殺りくした最後のものになることを望んでいる、すべての人びとに向けて書かれたものである。

自分たちの発見が、政治的および軍事的に権力者によって、殺人目的に悪用されるのを見てうんざりしている科学者、天才、そして発明家たちにも向けられている。

人類が現在直面している全面的破壊の絶えざる脅威や不安から脱出するために、世界の運命を引き受けるのに最も適した人びと―――それは最も想像力に富み、私たちの文明にふさわしい新しい世界機構を創出することのできる人びと―――、つまり科学者、天才、そして発明家であると考えている、自分自身は科学者でも天才でも発明家でもない人びとに向けて書かれたものである。(ラエル著)

thanks.

お礼日時:2010/09/07 14:14

前段は意味不明なのでコメントしない。

誰か宛の何らかの暗号かもしれない。

> もしアインシュタインが、自分の発明が何に利用されるかを知っていたなら、かれは決してその利用を許さなかったであろう。しかし、かれがそれに気づいた時には、もう遅すぎたのだ。

アインシュタインがルーズベルト大統領への手紙で原子力爆弾の開発を促したことは有名な事実だ。事実を曲げるのは良いことではない。

もう一度書くが、平和目的に作られた技術を殺人目的に利用しているのではなく、軍事利用目的という殺人目的に造られた技術を平和目的に利用しているのが現実である。


>> 専門知識を持たない人間が科学的な技術により人類を進歩させることがあり得るだろうか
> 発明はひらめきとも言われるが何とかひらめいてほしいものです。

塾講師もやっている身から言わせてもらえば、全く下地となる基礎学力がないのに閃くことはあり得ない。閃くのは、なんらかの下地があるからだ。科学技術に関していえば専門知識が下地に当たるのは当然のことだ。

> 「知性とは、既知事項を用いて、それらがどの枠組みにおさまるかを見定める能力である」

を引いているが、既知事項を知らなければ、当然にして見定めることも出来まい。

この回答への補足

遺伝子操作によって、延命が達成されそうな時代ですが、
殺人目的の武器開発にこだわる、武器を使用し、瓦礫の下に食料でも転がっているのか?疑問ですが、動物を食とする肉食文明の発想だろうか?

補足日時:2010/09/01 10:26
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この回答へのお礼

 「倫理」とは、神を信じる保守主義者や伝統的宗教が科学と新しい技術を
怖がらせることによって、人類を無知と蒙昧の中に囲い込もうとする最後の
あがきにすぎません。

私たちの祖先が歴史と呼ぶものには、輝かしいところは何もなく、それ
は過ちと非寛容と暴力の寄せ集めでしかありません。

 100%自由な新しい技術と科学を擁護しましょう。それは人類を神話、
昔からある恐れ、病気、死、そして労働から解放するのです。 ( ラエル )

thanks.

お礼日時:2010/09/07 13:54

翻訳が稚拙故に読む人に何の感慨も与えない。


依って、幸い影響力は皆無。


>いかに?

質問に成っていません。

この回答への補足

この書籍、あえて分類すると、新・新聖書なのですが、翻訳も複数あって然るべきか?

補足日時:2010/09/03 10:35
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この回答へのお礼

( 翻訳、どの辺りが気になるのでしょうか? )

thanks.

お礼日時:2010/09/07 14:01

> 「倫理」とは、神を信じる保守主義者や伝統的宗教が科学と新しい技術を怖がらせることによって、人類を無知と蒙昧の中に囲い込もうとする最後のあがきにすぎません。



全く意味がわからない。
実際問題、「倫理」に言及した部分は、ただの一言も私の回答にはないのだ。


> この書籍、あえて分類すると、新・新聖書なのですが、

ラエリアンの著作は聖書の焼き直し以上の価値はない。聖書の神話の科学的な説明は、かなり以前から様々な科学者が試みたことではあるが、その程度の話だ。

===
自分たちの発見が、詐欺的および売名的に偽宗教者によって、売名目的に悪用されるのを見てうんざりしている科学者、天才、そして発明家たちにも向けられている。

ラエルが現在直面している全面的破産の絶えざる脅威や不安から脱出するために、ラエルの世界の運命を引き受けるのに最も適した人びと―――それは最も想像力に富み、私たちの文明にふさわしい新しい世界機構を創出することのできると妄想する人びと―――、つまりラエルの忠実な追随者であると考えている、自分自身は詐欺的新宗教にはまっていると考えてもいない人びとに向けて書かれたものである。(ラエる)


ラエリアンたちが天才と呼ぶものには、輝かしいところは何もなく、それは過ちと非寛容と無知の寄せ集めでしかありません。

100%自由な新しい宗教であるラエリアンと教祖であるラエル本人を擁護しましょう。それは一部のラエリアンと、もちろんラエル本人を神話、昔からある恐れ、病気、死、そして労働から解放するばかりではなく、その他の人類を新たな神話、昔からある恐れ、病気、死、そして労働へと投げ込むのです。(ラエる)

この回答への補足

何の解決策もない金権論者の搾取は必要ない。時間、生命の無駄である。

世界に存在する無数の宗教の痕跡、断片、それを統一できる、それだけでも発展であり、偉大である。

補足日時:2010/09/10 09:02
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この回答へのお礼

替え歌に出来ないものはないとおもうが、いったん締め切ります。。。

お礼日時:2010/09/11 10:28

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