旅とは何か
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、…」
芭蕉ならずも、漂泊の念に駆られることがありましょう。
また、実際に旅に出ずとも、魂としての旅もあろうかとも思われます。
旅の目的が本質だったり、あるいは、あてもない旅をすること自体がそうなのかもしれません。
旅とは何か、旅人とは何者なのでしょう。 よろしくお願い致します。
No.20
- 回答日時:
mashumaro2さんは何処に?
ANo.12:
ロマの方の写真はみました。ロマであった方も直接はしりません。
サンカであった方には幼児期可愛がられました。ここで名前は出せません。
私は浅草生まれ、育ちですが、戦災で小3より荒川と隅田川を越えた地域、松戸の間に居住し、全く自然児で過ごし、中学・高校は日光街道最初の関所。
そして向島ですから、隅田川と荒川に挟まれた地域です。
いい店って、お江戸は刺身と蕎麦です。いずれも下りもの醤油に頼らずに下らない醤油が千葉でできるようになり、何百樽を関西から下らす必要がなくなりました。
汁の中で煮込んだような饂飩は、職人の生活にあいません。熱くちゃぁいけない。
箸でちょいと持ち上げ濃い目のたれにちょいとつけて、啜る。
江戸の川々で井戸端に運ばれる魚は生、この紫は関西の醤油では駄目です。
いい店は所詮、気分と意気でしかない。どんな選び方をしますか?マシュマロさんは。
ロマは知らないが、遍歴の箕作り、川漁師たち。定住者を“なんだ、此の人たち?”っていう感覚のようです。
私の拠点の所謂る寅さんのところ、小菅の刑務所(東京拘置所:ここは将軍が狩にでると、お邸としていました)あたりは将軍の狩場です。狩場をもてるのは朝廷と将軍だけ。
ここで数ヶ月、軍事演習・デモンストレーションの狩をして、白鳥を獲り、直ぐにわたをとり塩をつめ、早馬で禁裏に届ける。
禁裏はお吸い物、お公家さんたちの。
白鳥番の旗本や御家人が任命されていました。
お花茶屋(将軍が腹痛になったとき、お花坊の茶屋でお世話になった、お花ちゃんの御茶屋)駅の隣りが、将軍の白鳥が取れたところ。
ここらは日本中の鳥がきていた。この狩の数ヶ月、定住民は肥溜めは蓋、洗濯物罷りならぬ。
人は数人で歩くな、出るな。って不自由だったそうです。
遍歴の鳥追いやご商売の方は、立ち入れません。音も出せません。
向島が文人たち、そして昭和期、掘削した荒川は地続きでしたが、菖蒲と野菜を育て、江戸びとの行楽に供しました、そういう地域です。江戸湾の大きな大きな湿地帯地域です。
帰りにやさいなどを買っていってもらうのです。
鳥追いさんをお嫁さんになってもらった、四十八組のかしら、股だけ残して彫り物(刺青は科人のやるもの)。
風呂に早くにきて、私達が水をうめると、怒る。
せんべぇ食いにおいで。って呼ばれて恐る恐るいったら、長火鉢を間にして座らされ、いろいろな話。
最初のメーデーにいったことなど。読書家。長火鉢にたくさん引き出しがあって、いろいろ出てくる。
鳥追いの小母さんはとても優しかった。小父さんも。三味線が二さお。時折聞こえる、ご近所さん。
小父さんこの辺でしごとしとこどこ?ときいたら。おれ川からこっちはしごとしねぇ。
大川(隅田川のこと)をわたったら江戸じゃねぇ。っていうこと。
江戸も開発されて、与力困ったそうです。それで何処まで江戸かを決めてもらったそうです。
旧(ふる)綾瀬川の真ん中を境にする、っていう裁きだそうでした。
言葉はお江戸の方言。今、話す人は、古い近所でおねぇさんと呼ばれている髪結いさんがそんなことば。後はいません。
いい店、向島は今はないけど。好き好きでね。
風、流れ。何処からともなく、そしてどこかへ。無根拠。だから逆らわない。
芭蕉庵、向島の百花園の中にもあるんですよ。都立になっちゃった。
そう漬物が美味しい料理だしてくれます。風流っていうのにはいい雰囲気かな。
近所もお寺や花町跡。そして学校だし、住宅だから。
高速はここを通っていないし。ひとりではねぇ。ちよっと一杯ではないから。
会合ですね。現役のとき館長以下、図書館全員(三人しかいない)で行きましたが。
神田や駒込、御徒歩町ならあるけどなぁ。好き好きですから。
krya1998様、こんにちは。
お礼が遅くなりまして、ほんとうにすみません…。
>mashumaro2さんは何処に?
一瞬、きょとん!としてしまいましたが、
ああ、「私の生まれた街」のことですね?
東京の幼稚園に入園するまでの数年は香港で過ごしました。
返還前に観光旅行で訪ねた記憶しかありませんけれども。
向島百花園まではどうでしょう、銀座線で浅草経由になるのかしら。
>ロマの方の写真はみました。ロマであった方も直接はしりません。
先日、朝のBSニュースで、フランスA2が放送されていました。
サルコジ仏大統領によるロマの国外送還問題につき、
9月20日付け毎日jpの記事の一部を以下に記させていただきます。
「仏のロマ帰還問題 仏では7月、国内を放浪するロマとは別の「非定住者」の暴動が発生。
これを機に仏は、やはり放浪の民であるロマの不法キャンプ撤去と故国送還の方針を表明。
送還者数は今年約8000人と、昨年1年の約1万人をしのぐペースで、
国際社会から「差別」と強く批判された。
ロマはインドが起源とされ、欧州には推定1000万人以上が在住。差別の対象となってきた。」
放浪の民のロマ問題、
やはり「旅」のくくりでは、とても収まりきらない様相を呈しているのですね。
>私は浅草生まれ、育ちですが、戦災で小3より荒川と隅田川を越えた地域、
松戸の間に居住し、全く自然児で過ごし、中学・高校は日光街道最初の関所。
>そして向島ですから、隅田川と荒川に挟まれた地域です。
>江戸の川々で井戸端に運ばれる魚は生、この紫は関西の醤油では駄目です。
東京は大都会ながら、実際のところは田舎者の集まりなわけでして。
でも、krya様は生粋のバリバリの江戸っ子、
大変粋な御方でいらっしゃるのですね。
「せんべぇ食いにおいで。」のせんべいは、
醤油味で厚みがあって、噛みごたえがありそうな。
私の場合、父方が関西、母方が北陸、主人の実家が九州ですので、
嗜好のほどは、粋も統一感も全くあったものじゃあありません。
魚や天ぷらなど、塩でいただくことが多いのですが、でもやはり、
江戸前のものは香り高い濃口醤油が当然合うのでしょうね。
>私の拠点の所謂る寅さんのところ
そうっか、「寅さん」がいましたね、日本一の旅男!
で、こんな質問を見つけてしまいました。
「「男はつらいよ」の寅さんはいつも良いところまで言っているのに最後には振られます。
なぜでしょうか? 」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/817070.html
回答No.6に惹かれました。
「寅さんは、永遠の漂泊者の象徴として描かれています。
われわれは、結婚などの小市民的な日常性にいかりを下ろしたがごとき幻想を持っていますが、
常に安住のできぬ旅人だというところが、肝です。」
そうっか、だから寅さんは、永遠に独身、真に安住なき《旅人》だったのですね。
でも、案外、
映画のタイトル「男はつらいよ」は、
結婚という小市民的にいかりをおろした幻想の囚われ人である
夫族のためのものだったりしてね?^^
No.19
- 回答日時:
>旅とは何か
と問われても、自分にはすぐに明快に答えられないことが分かり、しかたなく、次に「なぜこの問いが明快に答えられない難問なのか?」と問うてみたところ、古来、しばしば旅は人生の比喩として語られてきましたが、もしかして「人生の方こそ旅の比喩にすぎないのではないか?」という気がしてきました。
ちょうど、ニーチェが「音楽にくらべれば、むしろあらゆる現象は比喩にすぎない」(『悲劇の誕生』)と喝破したように。
でも、芭蕉にとっては、これも言わずと知れたことだったかもしれませんね。
ところで、私の場合、ちょっとした小旅行をして帰宅したときに、一種の《戸惑い》のような感覚に捉えられることがあります。
一つは、数日ぶりに旅先から戻り、自宅の玄関に入ったとき、住み慣れた自分の家のはずなのに、一瞬、まるで間違ってよその家にでも入ったかのような、微妙な違和感を覚えることです。
もちろん、それは一瞬でしかなく、すぐにこの違和感は消滅し、もとの惰性的な生活感覚を取り戻しているのですが。
もう一つは、たとえ数泊程度の小旅行であったにせよ、それがはじめての訪問地への旅だったり、旅先で印象深い経験をしたりした場合には、帰宅してしばらくの間、身体の方がもっと長い間家を留守にしていたかのような感覚を引き摺っていることです。
で、リビングのカレンダーを見て、「エッ?たった3日間しか経ってないんだ、なんだかもっと経っているような気がするんだけど....」と驚いたりするのです。
以上、旅にまつわる私のささやかな体験です。
ついでに、旅を読んだ数々の名歌の中でも私が一等愛誦してきた、哀切きわまりない一首を紹介させていただきます。
からごろも着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ 業平
もっとも、人一倍ひがみっぽい私としては、さんざん妻を泣かせた男でなければ、こういう秀歌はまず詠めないはずと勝手に思っております。
kadowaki様、こんにちは。
>旅とは何か
>と問われても、自分にはすぐに明快に答えられないことが分かり、しかたなく、次に「なぜこの問いが明快に答えられない難問なのか?」と問うてみたところ
「旅は旅に決まっているでしょう!」とおっしゃりそうなkadowaki様、
拙問にお付き合い下さり、嬉しく思います。
でも、「旅とは何か」って、難問なの?
>「人生の方こそ旅の比喩にすぎないのではないか?」
>ニーチェが「音楽にくらべれば、むしろあらゆる現象は比喩にすぎない」(『悲劇の誕生』)
そうっか、誰彼気付かずとも、芭蕉自らはそれを知り得ていたというわけですね。
それにしても、芭蕉を旅へと駆り立てたのは、そゞろ神の仕業もさることながら、古の先達の影響もあったと思うのです。
西行なんて、草庵にあっても「旅」していたのではないかなあって。
隠遁生活を過ごしながら「修行」を続けていたのかもって。
その、一か所に定住しながらも、旅をしたり、あるいは心に描く観念の景色を愛でたりするのって、
やはり歌人の世界を喚起せざるを得ません。
>一種の《戸惑い》
>一瞬、まるで間違ってよその家にでも入ったかのような
面白いことをおっしゃるのですね。
よその「家」ならまだしも、よその「妻」なんて、笑
まあ、愛妻家のkadowaki様には、想いもよらぬことですね。
>「エッ?たった3日間しか経ってないんだ、なんだかもっと経っているような気がするんだけど....」
まるで、浦島太郎になったようなご感想ですね。
それだけ日常と旅の非日常との差を瞬時に覚られたのかも。
浦島太郎の玉手箱、そして白髪というのは、
それだけきっと、竜宮城と住屋が雲泥の差だったことを物語っているのでしょうか。
しかも、おとぎ話はkadowaki様とは逆で、
「エッ?もうそんなに気の遠くなるような年月が経っていたの?」なわけでして。
どうして結末が異なるのかなと、ふと思ってしまいました。
>からごろも着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
東京に「業平橋」ってあります。
通った時、ちょっと感動しました。
だって、伊勢物語が好きだから。
あの辺りが舞台だったようですね。
さんざん妻や女を泣かせる男、それも極上の男性というものは、
「旅」によって仕立てられ、洗練されたりなんかして。
名にし負はば いざこことはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
それとも、奥様が無理なら、他の女性の一人や二人、泣かせてみたらいかが?
なんちゃって、笑
ご回答をありがとうございました。
またまた、減らず口を叩いて申し訳ありませんでした、お許しを。
No.18
- 回答日時:
やっぱり「帰るところがあるお出掛け」で、
やっぱり旅は「お出掛け」に過ぎないのでしょうか。
「帰る場所の無い旅」はあるのでしょうか。
ちょっと悩んでしまいます。
あてが無くっても、何処かに「自分の中心」があるから「旅」なのかなあ。
だからこそ、それを振り切りたくて出て行くのも、旅です、ね。
「次の居場所」を見つける為に、というのもひとつの旅かもしれません。
「死出の旅」って、あれもやっぱり「家」から「死」へ、
自分の居場所を移動?変更?する為のものなのかもしれません。
自分の中心を持たずして、人は生きられないのかも知れません。
その中心は直接的には「心の中」であり、
媒体として「誰か」だったり「何処か」だったりするのかなあ、と思いました。
先日糸切り凧のように家出をした、不良妻です。苦笑
帰る場所があるから嬉しい事も、帰る場所があるからこそ苦しい事も、あります。
どっちが良いのやら。。。
なかなか糸を切っては貰えないみたいです。
yukkinn66様、こんにちは。
>なかなか糸を切っては貰えないみたいです。
そりゃあそうでしょう~
いいなあ、可愛いお子さんが3人もいらして。
しかも若いママで。羨ましいです、ほんとうに。
私なんて、下の子に申し訳なくてね、苦笑
>「帰る場所の無い旅」はあるのでしょうか。
>ちょっと悩んでしまいます。
そうですよね、ちょっと考えちゃいますよね。
以前、パリのとあるクレジットカード会社のラウンジにて、
メトロの切符やらこまごまとしたものを用立てていた際に、旅行者風でないお爺ちゃんが姿を現したの。
で、どうやら、カード・ホルダーでもないのにしょっちゅう顔を出して話をしていったり、
ドリンクサービスを受けたりしている感じね。
受付の女性たちも感じが良くてむげには出来ず、ちょっと困った感じにも見受けられましたけれど、
どうやらそのお爺ちゃん、帰る旅費も身寄りも無いって。
ほんとうにどうやって生計を立てて暮らしているのだろうって思ってしまいましたよ。
日本に帰りたいけれど…という話もしていました。
あとはね、昔渡仏していた際に、師事した先生が干されたとかで、
推薦を受けられない日本を飛び出し、フランス各地の楽団を転々とする演奏家とも知り合いました。
腕一本で渡り歩くとのこと、才能ある若い人たちにポストを奪われることももちろんあるそうで、
小さい赤ちゃんと奥さんがいてね、
家族を養う関係上不安も半端じゃないって話してくれたりしましたよ。
企業の海外転勤なんかではなくって、遠い外国の地で自らの才能だけで切り開いていくって、
日本にいてはとても想像もつかないような苦労があるに違いないの。
それに、旅行って普通は期限が区切ってあるでしょう?
いつ戻れるかわからないというような「帰れない旅」というのも、
「帰るところがない旅」同様に、とても辛い面があると思われます。
まあね、人の幸せなんて、他人から見たら知る由もないのでしょうけれども、でもそれでも、
すぐ身近に帰れるところがある、待っている人、自分を必要としてくれる人、
支えになってくれる人がいるというのは、凄く幸せなことだと思うのですよ…。
…な~んて、家出不良妻どころか、主人を追い出しちゃったことのある悪妻(=私)が、
とても偉そうに言える立場ではないのですけれどもね、苦笑
>あてが無くっても、何処かに「自分の中心」があるから「旅」なのかなあ。
>だからこそ、それを振り切りたくて出て行くのも、旅です、ね。
>「次の居場所」を見つける為に、というのもひとつの旅かもしれません。
はい、そうですよね。
そぞろ神に誘われて旅に出たくなるのか、
宿主の内に旅が憑依しているのか、いずれにしても、
しがらみを振り切りたくもなりますよね、しかも突然だったりして。
>「死出の旅」って、あれもやっぱり「家」から「死」へ、
>自分の居場所を移動?変更?する為のものなのかもしれません。
ん~、それは単にイメージ的にというか、古代エジプトの墳墓の出土品のような、
いわゆる船の模型を想い浮かべたのです。
来世信仰と絡んでいそうでしょう?
でもおっしゃる通り、古の彼等は自分の居場所を移動するものと信じていたのでしょうね、きっと。
>自分の中心を持たずして、人は生きられないのかも知れません。
>その中心は直接的には「心の中」であり、
>媒体として「誰か」だったり「何処か」だったりするのかなあ、と思いました。
はい。自分の中心(心の中)をつよく持つのはもちろんのこと、
「人」という字の如く、誰かや何処かを媒体やら拠り所にして生きているのではないでしょうか。
ああそっか、時に家出をしたり、夫を追い出すことで、
いったい誰を媒体やら拠り所として生きているかを確認できるということかもね?!
そして、私は、あなたの文章をお手本として大いに学んでおりますので
(詩的なニュアンスのセンスの良さとか、とても真似できるものではありませんけれども)、
今後とも、お手隙のときにでも結構ですので、こちらのサイトに今まで同様に投稿していただけたら、
私の拠り所&支えになりますので、今後ともどうぞよろしくお願い致しますね。
(毎度厚かましいお願いばかりでスミマセン)
ご回答をありがとうございました^^
気温の寒暖にはご用心なさって下さい。
No.17
- 回答日時:
雪解け間近かの 北の空に向かい・・・・・
いい日旅立ち・・・してみたい
日本のどこかに・・・いるだろう
夢でしょう
夢に変えて、やっぱり夢だったという後悔のなさ・・・
この世の自分にあたえられた時間を確かめる
もう一度生まれ変わったように
すべてが始めてのことばかり・・・
幸せと名付けるもののない幸せ・・・の始まり
hetanosuke様、こんにちは。
>雪解け間近かの 北の空に向かい・・・・・
ご指摘どうもありがとうございます♪
この歌も、やはりあらためて思えば、「北」を目指していたのですね。
そうそう、この曲も。
「北へ帰る人の群れは 誰も無口で…」も「北」でしたね。
南に向かう歌って、ありましたっけ?
なぜか郷愁を誘うのは「北」なイメージなのですけれども、独善的でしょうかね?
>夢でしょう
>夢に変えて、やっぱり夢だったという後悔のなさ・・・
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
夢とおっしゃりたいの?
「夢だったという後悔のなさ…」というくだりも、すごく不思議に感じます。
仮に、時間や空間が旅人だとして、己が宿主で。
現の生涯を夢だったとする…
う~ん、ちょっとこんがらがってきてしまいました、すみません、笑
>この世の自分にあたえられた時間を確かめる
>もう一度生まれ変わったように
>すべてが始めてのことばかり・・・
>幸せと名付けるもののない幸せ・・・の始まり
ああ、なるほど、
旅を機に、もう一度あたえられた時間を確かめる。
旅先で己にリセットをかけるだけではなくて、それではなくって、
旅の始まりがまっさらな白紙の意味合いを持つのですね。
白いキャンバスにめいめいが心模様を描いていくのでしょう?
>幸せと名付けるもののない幸せ・・・の始まり
う~ん。
旅=100%幸福感ばかりとはいかないけれど、
旅の始まりはきっと、その萌芽なのでしょうね。
hetanosuke様の詩的な世界を汚してしまったのなら、お詫び致します。
すみません、ニブくて足りなくて。
でもね、旅が夢と交錯するのは、とても良くわかりました!!
>いい日旅立ち・・・してみたい
>日本のどこかに・・・いるだろう
はい、いい日旅立ち、してみたいですよね。
そして、日本のどこかに・・・いるだろうと思いたいです。
この期に及んで、厚かましいでしょうかね、笑
またよろしくお願い致します。
ご回答をありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
哲学的とかなんとか、しきりに気にされる方がおられるかも知れませんが、実は私も世の中で哲学的っていうのをあまり分らないで、投稿しております。
(1)わたしが人生なりの旅行をしているとき、私って何だ、誰だこの人は?って思うことが頻りです。
自分の手足やを眺め回しこれって誰だとか、ここはどこだと周りを不思議に思って見回した、最初の経験は小学校に3年生のときでした。
今は自分を生きて、感じ、経験し、認識しているのが自分ではなく、その自分ではないものがその結果を反射しているのだと思っています。
そういう存在が自分を自分の思うようにさせながら、ずぅっと旅して見物しているのだなぁと思っています。
(2)質問文には細道が掲げられています。
芭蕉はどうして、“細道”なのですか?
そしてどうして“奥”なのでしょうね?
“通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道だ”ていうわらべ歌。
参道ですから、細道ですね。産道かもしれません。
異界から異界への細道。気の狂ういそうな異界。
私達は異界に入って、異界から異界へと転生し続けるのでしょうか?
中島敦の話にも、虎になったり、桃源郷とか。
難破して助かった島の住人が自分の実家にくる燕の世界だったり、親子の熊が人間になたり、ありますね。
いろんな異界経験ですね。
そんな思いで、人生の夢想、異界経験をしている感じになるのです。
だから、もっとも普通、白鳥入蘆花(湖人のことば。白馬だと臨済の偈にあるのでうね)。
そして或いは鼓腹撃壌の世界。もっとも希薄の向こうの無。
更に有がないという無を通り越した無、非創造界世界。
そこに何も纏わない、自分の本源があると思っています。
そこにたどりついたとき、旅も途中で、終了するのだと思っています。
細道って、産道、参道かな、なんって語呂合わせを考えています。
マシュマロ2さんのコメントで目を醒ましたく、期待しておりますが。
どなたの何の質問に投稿しているのかもうわからなくなりそうです。
哲学が偉い学問かどうか知りません。
そして私も哲学の質問であるということ考えられずに投稿しますが、どうか寛大にお認めください。
krya1998様、再度のご回答をどうもありがとうございます。
>今は自分を生きて、感じ、経験し、認識しているのが自分ではなく、その自分ではないものがその結果を反射しているのだと思っています。
>そういう存在が自分を自分の思うようにさせながら、ずぅっと旅して見物しているのだなぁと思っています。
このくだりは、まるで、肉体から意識が離れ、傍観したり見物しているという意味に思えました。
拝見していて、ちょっと不思議な心地が致します。
>芭蕉はどうして、“細道”なのですか?
>そしてどうして“奥”なのでしょうね?
>“通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道だ”ていうわらべ歌。
!!なるほど、そうですよね。
”奥”はとりあえず「奥州」だとしても、なぜ細道なのでしょうね。 う~ん…。
>参道ですから、細道ですね。産道かもしれません。
>異界から異界への細道。気の狂ういそうな異界。
>私達は異界に入って、異界から異界へと転生し続けるのでしょうか?
先のご回答で、krya様の理想となさる旅が、どこか険しい道を想起させるものだったので、
やはり、ただ楽しいだけの物見遊山とは一線を画す精神性が感じられる気が致します。
奥の細道には、修験僧さながらに、細く異界のような参道の道程を経る芭蕉なりの独自性というか、求道精神、観察というか見立ての意識が込められていると思います。
そぞろ神に自らを差し出し、まるで肉体から精神を離脱させ、四季折々の自然の美景の中に自らの旅を観照させているかのように映ります。
そしてもちろん、苦難の道を抜けたあとに広がる光景に転生的な浄化も得られたのではないでしょうか。
>中島敦の話にも、虎になったり、桃源郷とか。
>難破して助かった島の住人が自分の実家にくる燕の世界だったり、親子の熊が人間になたり、ありますね。
>そんな思いで、人生の夢想、異界経験をしている感じになるのです。
はい、まったく人間の夢想、幻想/想像力とは豊かで素晴らしいものですね。
おとぎ話や寓話の類って、少なからず故郷、母体回帰的なものを目指しているのではないでしょうか。
>白鳥入蘆花
>鼓腹撃壌の世界。もっとも希薄の向こうの無。
>そこにたどりついたとき、旅も途中で、終了するのだと思っています。
このkrya様のくだりを拝見していて、芭蕉の最期は何を回想していたのだろうかとも思う次第です。
いえ、回想ではなくて、志半ばの旅の途中だったのかしら。
この後もご回答を頂戴しております。
ほんとうにいつもありがとうございます。
No.15
- 回答日時:
こんにちは。
哲学カテゴリーの質問に、哲学のわからない私が回答していいのか、と悩みましたが、回答させていただきます。
私の旅は日帰りがほとんどです。
たまには旅館にとまって、おいしいもの食べて、温泉にはいってゆっくりしたいなあ、などともいますがなかなかそういう時間がつくれなくて。
私は道端に置かれた一見ありふれたように見える石仏にも、何らかの意味があってそこにあるのではないか、と思っています。
そしてその意味を考えることが私の旅の目的です。
なので家を一歩でればもう旅の始まりです♪
以前、マシュマロさんに回答いただきましたっけ、鉢の中のお地蔵さま、のようなものです。
(あのときはありがとうございました!)
最近は、京都の六道の辻にある西福寺の門前にある布袋の石像が、京都の盆歌を意味しているのではないか、ということを発見しました。
京都の盆歌とは次のようなものです。
さのやの糸桜 盆にはどこもいそがしや
東のお茶屋のかどぐちに 赤前だれに繻子の帯
ちょっと寄らんせ はいらんせ
きんちゃくに 金がない のうてもだんない はいらんせ
おう辛気 こう辛気 よいさっさ よいさっさ
これから八丁 十八丁 八丁目のこぐりは こぐりにくいこぐりで
頭のてっぺん すりむいて 一貫膏薬 二貫膏薬
それで治らな 一生の病じゃ
で、西福寺の布袋像は片手で頭をさすっています。
いろいろ調べてみたら、子供が片手に小皿をもって布袋の頭をさすっているような像もつくられていました。
小皿には膏薬が入っていて、子供が布袋に膏薬を塗っているところなのでは・・・。
どちらかというと私の手法は、鑑賞ではなく、観察ですね。
これは「絢爛たる暗号」という書物を書いた織田正吉さんの手法に倣ったものです。
ご存知かもしれませんが、織田正吉さんは百人一首を鑑賞するのではなく、観察するという手法で百人一首はクロスワードパズルであるという説を発表された方です。
旅とは何か。旅人とは何か。
そうですね・・・・旅とは観察である、旅人とは観察者である、と言っておこうかな。
それから、地元の人とのふれあいが嬉しいですね。
枝垂れ桜の美しいお寺を発見したのでよってみたら、檀家さんたちが花見の酒宴を開いておられまして、おにぎりやおでんなどたらふくご馳走になったこともあります。(ありがとうございました。)
祭の起源や寺社の縁起などを説明してくださる方もいます。
普段は公開しておられないみほとけを拝ませていただいたこともあり、そのときは大感激でした。
あー、やっぱり哲学的な内容にならずすいません。
それから芭蕉の言葉はとても興味深いですね。
蜘蛛の巣がはると、愛しい人が会いにくるという言い伝えがあったと言います。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/ …
それからなぜ芭蕉はそぞろ神にとりつかれたのでしょう。
道祖神はなぜ芭蕉をまねいたのでしょうか。
芭蕉についていろいろ調べてみたくなりました。
この回答への補足
>哲学カテゴリーの質問に、哲学のわからない私が回答していいのか
そんなご謙遜をどうかおっしゃらないでね。
だってそれこそ、私なんてどうなっちゃうの?となりまする、笑
rupapo様、こんにちは。
その後もライフ・ワークを愉しんでいらっしゃるようで、嬉しく拝察致しております。
>私は道端に置かれた一見ありふれたように見える石仏にも、何らかの意味があってそこにあるのではないか、と思っています。
>そしてその意味を考えることが私の旅の目的です。
はい、そしてその楽しさが、またこちらにも伝わってまいりますよ。
rupapo様の旅の本質は、意識的に立てる「見る旅」「歴史発見の旅」なのかなあって。
>最近は、京都の六道の辻にある西福寺の門前にある布袋の石像が、京都の盆歌を意味しているのではないか、ということを発見しました。
え、そうなのですか! まったく気付きもせず。
主人と六道の辻を「そぞろ歩き」したのですよ、面白かった!
『幽霊子育て飴』、懐かしい感じのする味のべっこう飴ですよね!←ザ・おのぼりさん
で、rupapo様の手法を真似て写真を撮ってはみたものの(@六道珍皇寺)、
閻魔様の鏡が乱反射してとんでもない画像になったり、あるいは、あの世へ伝うという井戸、
あれも遠く豆くらいにしか扉越しに見れなくて…。
あの辺りって、夜歩いたら、ちょっと「遭遇しそう」な怪しさが漂っていそうで。
でもね、あらためて思ったことは、rupapo様の旅のスタイルを真似しようと思っても、なかなかできないのだなあってこと。
気付くことが出来ずに、いつの間にやらもうお寺を後にして歩いているというか。
つくづく、旅の形は十人十色なのだなあって実感した次第です。
…え? 布袋と髑髏ですって?
「小皿には膏薬が入っていて、子供が布袋に膏薬を塗っているところなのでは・・・。」も鋭いですね。
京都の盆歌、たしかに18禁ぽい、
というか、いつの頃からの歌なのかは存じませんけれども、
花街の遊女文化が身近なもので、京文化の一角を担っていたということかもしれませんね。
>「絢爛たる暗号」という書物を書いた織田正吉さんの手法に倣ったものです。
>観察するという手法で百人一首はクロスワードパズルであるという説を発表
>旅とは観察である、旅人とは観察者である、と言っておこうかな。
なるほど、そうだったのですね。
手法に倣うとは言っても、やはりセンスも推理力も必要でしょうし、
「旅は観察である、旅人とは観察者である」とおっしゃるあたりに迷いの無さが感じられます。
テーマや観察材料は無尽蔵、でも、あとは「拝観料」がネックですよね、たしかに。
>それから、地元の人とのふれあいが嬉しいですね。
はい、ここは声を大にしておかないとね。
やはり、旅人と旅人(いや檀家?)、
そしてお寺の方々との「人のふれあい」も旅の醍醐味ですよね。
>それから芭蕉の言葉はとても興味深いですね。
>蜘蛛の巣がはると、愛しい人が会いにくるという言い伝えがあったと言います。
リンク先を拝見致しました。どうもありがとうございます。
待ち焦がれる感覚というか、心切ない感じが伝わってきますね。
どこか心許なくて、他に身を委ね漂わせているというか。
「蜘の古巣を払ひて」の折の芭蕉の心境、どのようなものだったのでしょうね。
またよろしくお願い致します。
ご回答をありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
自律の契機なのかなと。
車を北に250キロメートルぐらい走らせると、南に流れているはずの川が北に流れるのを
目の当たりにするんですね。
なんだか川にそそのかされているようで、だから、憂鬱になってきまって帰りたくなるんですね。
それなのに、少しわくわくして冒険心をそそられる。
だからまた行きたくなるのかもしれません、これがそぞろがみのしわざなんでしょうか。
不思議ですよね。
(独り言だけど、やっぱりリベラリズムはルサマンチンじゃなかった、自律だったんですね)
それにしても芭蕉って、
時間と空間が旅人で、自分が宿主っていう発想なんでしょ。
現代においてもそういう感覚って、なんだかみずみずしい斬新さが、よいですよねえ。
皆様、まだお礼が書けてなくてごめんなさい。
heartmind様、こんにちは。
>車を北に250キロメートルぐらい走らせると
面白いですね、「北」ですか。
奥の細道の行程で行くと、深川芭蕉庵からちょうど奥州街道の辺り、黒磯付近のようですね。
ねえ、なぜ芭蕉は「北」を目指したのだと思われますか。
そして、heartmind様も、なぜ「北」に?
その「川」が当初のめあてだったわけでもないですよね。
>なんだか川にそそのかされているようで、だから、憂鬱になってきまって帰りたくなるんですね。
>それなのに、少しわくわくして冒険心をそそられる。
「川にそそのかされているようで」には参りましたよ~
何と言う表現力なのでしょう!いいなあ。 好きです、こういう感じ。
で、そのしわざが、
>だからまた行きたくなるのかもしれません、これがそぞろがみのしわざなんでしょうか。
>不思議ですよね。
はい。本当に、不思議。
それに、「そぞろがみ」っていったい何の神様なのでしょうね?
古の旅人といえば、西行が挙げられるかと思われます。
「日々旅にして旅を栖とす。」とまでは言えなくとも、諸国を遍歴したのは確かですよね。
関東から奥州のみならず伊勢や吉野にまで及んだ旅路、これって、
少なからず芭蕉にも影響を与えたのかもしれませんよね。どうでしょう。
で、西行を奥州へと誘ったものはいったい何だったのでしょうね。
heartmind様もそそのかされそうになった「そぞろ神」と何か関係でもあるのかしら、なんて。
>リベラリズムはルサマンチンじゃなかった、自律だったんですね
はい、ルサンチマンの方じゃあないと、私も思います。違うの?
>それにしても芭蕉って、
>時間と空間が旅人で、自分が宿主っていう発想なんでしょ。
>現代においてもそういう感覚って、なんだかみずみずしい斬新さが、よいですよねえ。
はい。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」って、
ほんとうに、自分が宿主と表現しているみたいですよね。
「舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。」もそう。
旅と己の生涯が完璧に一つになっていて、旅が主で旅に自らが取り憑かれている状態というか。
>現代においてもそういう感覚って、なんだかみずみずしい斬新さが、よいですよねえ。
そうなんですよね。
「松島の月まづ心にかゝりて」なんていう発想の旅、とかね。
まさに、彼の旅の本質なのかもしれませんね。
余談ながら、「日本のものづくり」のご質問、なかなか難しそうですよね。
スタンス的にMokuzo様とほぼ同一な意見なのですが、あとでこっそり投稿させていただきますので、
お手隙の折にでもご笑覧下さいね。
あまりに二番煎じな内容になりそう、だから、躊躇していたのですけれども、
でも、せっかくだからと思いまして、てへ。
またよろしくお願い致しますね。
ご回答をありがとうございました。
(しかし、南に流れるはずの川が北に流れているって…なぜ?!笑)
No.13
- 回答日時:
旅とは、行って帰ってくることです。
この世界に来て、また土に帰る。
それがすべてだと思います。
beardman9様、こんにちは。
>旅とは、行って帰ってくることです。
この一文、あとの二行とひとまとめで表現なさっていらっしゃるのを、あえて分割してみたいと思います。
どうかご容赦下さいますよう。
たしか…パイオニア10号という惑星探査機が、今も帰還のない旅の途中にあったと記憶しております。
《片道旅行》なのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A4% …
「地球から53光年離れたアルデバランの方向へ移動を続けているが、もしアルデバランに到着するとしても約170万年かかると予測されている。」ですって!
気の遠くなるような旅程だとは思いませんか。
探査機に取り付けられたあの金属板、未知なるなにものかに認めてもらえるのでしょうか。
>この世界に来て、また土に帰る。
そうですね、
土に帰る。
宇宙の塵に帰る。
人の一生なんて、宇宙からしたら一瞬のまたたきほどにもならないのでしょうね。
なぜか「無量大数」という言葉が浮かんできました。
でもこれ、「無限大」とは異なるようですね、よくは知らないのですけれども。
>それがすべてだと思います。
始まりがあって終わりがないものって、この世にいったいあるのでしょうか。
どなたかご存知の方がいらしたら、お聞きしてみたいです。
そしてあらためまして。
>旅とは、行って帰ってくることです。
>この世界に来て、また土に帰る。
>それがすべてだと思います。
One wayながらも、土に帰還する旅、ということでしょうか。
私達一人一人が、その時代毎のタイム・トラベラーなのでしょうね。
不思議な縁に手繰り寄せられることもあれば、すれ違いもあるわけで。
一期一会を大切にしたいと新たに思った次第です。
真に簡潔な3行、本当にそのとおりですね。
ご回答をありがとうございました。
またよろしくお願い致します。
No.12
- 回答日時:
公務出張、個人旅行。
私は東京生まれ育ちで帰郷の旅行はありません。所用の旅行。遍歴、流浪、サンカや行商の旅。ロマ(ジプシー)たち。逃避や逃亡の旅。
民族の移動や侵略、領土拡張の旅。
動機や目的、態様はさまざまですね。
私は多少、瞑想の行をしています。時として自分が山野などを一笠一蓑一杖で只管ら歩いている姿が目に浮かんできます。
本当はそういう働き動作も、行の最中はいけないのですが。だから今は直ぐにその視界を離れます。
昔、なんていうと年配者にわらわれますが、50年くらい前の20代後半には夏休みに一ヶ月以上旅行しました。
体力もあり、気持ちも何かに合わせる必要もなく、ガッシガッシと力まかせの旅でした。
職場でも衝突や争いなどはものともしないで、力で押し切る態度でした。
70を多少以上に出てきてしまった今、体力も落ち、少しは賢くもなったのかな、そしてずるくもなり、力まかせでの手法は避けています。
流れに素直になりたいと、遅まきながら考えています。
実際の旅はほとんどしなくなりました。でも毎日が旅です。人、日々に違う。日々が旅です。
そして時折、家内の田舎などに行きます。列車に乗るとやはり日常からの解放、開放ですね。
ネットでアジア諸国の町の方の写真や風景に出会います。なんと人間の同じ性だろう。
私がいる、両親や家族がいる。友人達がいる。
芭蕉庵は私の高校のそばにもありました。向島百花園です。ここは年中いきます。授業中も散歩にでて、そこらを歩きました。
芭蕉と曾良の記述がどうのってありますが、両人そして特に芭蕉はリズムと気分で記述していると存じます。
正確な記録など度外視していると存じます。
だからどうの、忍者だのなんだのは、このことでは全く考えられません。
所謂る忍者ではないが、情報いろいろあったろうし、芭蕉からそれを得ていた統治の人達も居たでしょう。
細道は文学であり、記録ではありません。紀行記録でも紀行文学でもありません。という私の受け取りです。
あぁいう旅は体力と節制が必要ですね。self-controlが。だから好きだの、本性だのではなく、イズムではないかと存じます。
自分への仕事だと思います。傍で読めば素晴らしいが、楽しくもある精進であったのでしょうね。
旅、私がしたい旅はやはりそういう一面義務、楽しくもあるが義務。という負わされてする自己での旅です。
だから今の日々の生活は旅となっています。
行楽の旅には興味がありません。必然性のない旅、そういう人生に呼ばれません。
長く教育機関にいまして、何かと卒業生に呼ばれるとき、いつもこれで最後の日だなと思って、出席に○をつけます。
都内であること、昼間であることを希望して。
旧友との会合、あぁもうこれでかな。と思います。長い遍歴はできなくなりました。希望もしてません。
民謡のどの会などがあったら、その都度その地域を訪ねることを計画しています。
楽しいかも知れない。アジアの諸国を歩いてみたい。旅、いいですね。でも苦労なんですよね。
krya1998様、こんにちは。
>所用の旅行。遍歴、流浪、サンカや行商の旅。ロマ(ジプシー)たち。逃避や逃亡の旅。
>民族の移動や侵略、領土拡張の旅。
>動機や目的、態様はさまざまですね。
はい、このように丁寧にご指摘いただくと、とても一口で旅を言い表せないことに気づかされます。
以前、krya様が漂泊の民関連の質問を幾つか立てていらっしゃいましたよね。
さきほど再び拝見し、あらためて、積年の流浪の民につき、想いを馳せてみたりして。
彼等の眼には定住民や文化がどのように映る(映った)のでしょうね。う~ん。
>私は多少、瞑想の行をしています。時として自分が山野などを一笠一蓑一杖で只管ら歩いている姿が目に浮かんできます。
え、行の最中に浮かんできてはいけないのですか、大変厳しいものなのですね…。
>体力もあり、気持ちも何かに合わせる必要もなく、ガッシガッシと力まかせの旅でした。
>職場でも衝突や争いなどはものともしないで、力で押し切る態度でした。
若いって、体力をもて余しぎみで、血気盛んなところがありますものね。
失敗ももろともしない、そんな感じでしたよね。 私にも身に覚えがあります、笑
>流れに素直になりたいと、遅まきながら考えています。
この流れというものは、「風の流れ」に身を任せるということをおっしゃりたいの?
そもそも、風って、どこで生まれてどこへ去っていくものなのでしょう。
「知らず、生まれ、死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。」の如くに
まるで、人の一生のようですね。
>毎日が旅です。人、日々に違う。日々が旅です。
ここがね、一番心に残ったのです…。なぜかしら。
>芭蕉庵は私の高校のそばにもありました。向島百花園です。
! こんど私も行ってみますね!
…と思ったら、芭蕉庵って二か所あるのですね。文京区と墨田区と。
う~ん、知りませんでした。
ついでだから、近くに美味しいお店もあるとなお嬉しいです。
http://kkubota.cool.ne.jp/sekiguchibashouan.htm
http://kkubota.cool.ne.jp/fukagawabashouan.htm
>あぁいう旅は体力と節制が必要ですね。self-controlが。だから好きだの、本性だのではなく、イズムではないかと存じます。
はい、ここはまるごと賛同致します。
まさに、「イズム」なのでしょうね。
諸国漫遊の旅には相応の情報網、かなり古い時代からあったでしょうね、きっと。
krya様にとっての理想の旅は、芭蕉の「奥の細道」にも通ずるものがあるのですね。
そして「アジアの諸国を歩いてみたい。旅、いいですね。でも《苦労なんですよね》。」
とおっしゃるあたりに、《一切の旅の試練や受苦の肯定、類まれなる求道の精神》を拝察した次第です。
引き続きご回答を頂戴しております。
本当にどうもありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
>326AtoZ様は、旅に出ると、やはり脳がリセットされたのがわかりますか。
>それって、旅先で気付くのか、帰宅後に実感するのか、どちらがより実感するのでしょうか。
”旅”に関しては、私は情緒的な何かが脳に作用して”非日常性”が獲得されるとは思っていません。一般的な「雰囲気」として、旅は情緒に訴えますという”常識”がすでにインストールされているので、そういう作用があると結びつけてしまっているだけだと思っています。
”非日常性”に関しては、「初めて行く場所」であれば、どこでもある程度獲得することが出来ると思います。ここでいう”非日常性”は、脳の「いつも行っている場所だから、色々情報収集するのさぼるね」という機構の強制解除です。
脳は常に情報収集体制でいると疲れるので(多分)、よくさぼります。そのさぼっている状態が”日常”です。
一方、旅に出るとこの機能は解除されます。見知らぬ場所で、そんな機能をオンにしっぱなしにすることは、身体を危機にさらすこととイコールですからね。
よって、私にとっては”旅”はそういう脳みそのリフレッシュ体操みたいな位置づけです。普段、眠っている脳の機能を久々にメンテナンスする感じです。(ちょっと起きてもらって、錆びていないか確認する)。
確かに皆皆さんのように、旅に情緒性を感じることは確かですが、旅の本質は”日頃使っていない脳機能のスイッチを入れ、そちらの機能から情報収集を行い、何か目新しい情報処理経路、アルゴリズムのヒントを得る”ことだと何となく思っています。
326AtoZ様、
再度のご回答をありがとうございます。
>脳は常に情報収集体制でいると疲れるので(多分)、よくさぼります。そのさぼっている状態が”日常”です。
なるほど、
日常において私達は、自らの脳をフル稼働せずとも暮らしていけますものね。
案外休眠している脳の部位って多いのかも。
さぼると言えば、旅行でも言えることでして、たとえ一度でも訪れた場所ならば、頭の片隅の残像を掘り起こして反芻したりして。
いったい、旅のどの要素に最も脳機能をリフレッシュさせる効果があるのでしょうね。
土地勘や方向感覚がないことによる戸惑いと心許なさ、方言や言葉、風習の違い、
一期一会の出逢いや思わぬハプニングなどなど…
考えたらキリがなさそうですね。
>身体を危機にさらすこととイコールですからね。
はい、旅に出るということは、日常オフになっている防衛本能を自ずと呼び覚ますことかもしれませんね。
旅に出ると、180度我が身の半径1メートルにレーダーが張り巡らされるのが実感できたりして。
あるわけないのに、背中にも目がついている、そんな感じがします。
脳だけでなく、皮膚から何から、全身が感知器モードかもしれません。
だからでしょうか、滞在先に戻ると、
ど~っと疲れが押し寄せて、あられもない格好で呆けて寝入ってしまったり、笑
そう考えますと、たしかに環境の変化って凄く大きいですよね。
でも、期間限定で戻る時期が織り込み済みの旅だからこそ、エンジョイできる面があると思うのです。
旅先では、どこか戻る日から逆算して考えたりする面がありますし。
たとえば、戻る日を確定していない、ほんとうにあてのない旅をし続けるというのは、
いったいどのような心地がするのでしょうね。
その場合、流離うことがむしろ日常で、
ほんの束の間ある土地に留まることのほうが非日常だったりして。
>旅の本質は”日頃使っていない脳機能のスイッチを入れ、そちらの機能から情報収集を行い、何か目新しい情報処理経路、アルゴリズムのヒントを得る”
そうですね。
そしてその旅の道程が険しく難儀なほどに、脳の経路が飛躍的に増し、
心身ともに多くを学び取り、そしてまた鍛えられていくのでしょうね。
そして、これはなにもそんなに大それたことではなく、
赤ちゃんの頃に母親の手から離れて、トコトコ独り歩きをしていってしまう、
誰に教わったわけでもなく自然な動態の延長線上でしかすぎないものかもしれないわけで、
あ、だから「かわいい子には旅をさせよ」と言うのですね。
目から鱗の旅論、本当に参考になりました!
またよろしくお願い致します。
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