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スピリチュアリズムにおける輪廻転生について

誰もあの世のことは見ていませんので、本から得た知識等で構いません。よろしくお願い致します。

スピリチュアリズムでは、「グループソウルをコップの水に例え、コップの水から1滴がこの世に生まれてきて、いろいろ経験し死んでからその経験をあの世に持ち帰ってコップの中で混ざると。 しかし各1滴である魂の個性は消えないと。 そして足りない部分を埋めるべく、コップの中からまた1滴の魂が生まれ直してくる。」と言います。

上記スピリチュアリズムの考えを前提にした質問ですが、

(1)よく「前世ではこうだった~」とか「足りない部分を埋めるべく生まれ変わり~」とか言いますが、自分自身はあの世で個性を維持し、違う1滴が生まれ直すのならば、自分にイコールと言っていい、この世に生まれ直した魂をあの世から心配はするでしょうが、あの世の自分自身の個性&生活(?)は続く以上、自分そのものは生まれ直していないと考えられます。 その意味でやはりこの世における人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか? スウェーデンボルグも、「転生はない。 あの世で転生した魂の例に1回も遭遇しなかった。」と言っています。

(2)そのように自分そのものが転生する訳ではない以上、一体全体新たな1滴たる魂はどこから来るのでしょうか? それは全く新しいエネルギー体に、その時点まで転生したA~Zさんまでの魂の個性の総和がコピーされ、そのNEWコピーが生まれ直して来るのでしょうか?(これは上記質問(1)の、人生は1回きり説を前提にした推定です。)  それともZさんが今回死んであの世に戻ったなら、また最初に戻ってあの世に何万年も滞在したであろうAさんに再び転生の順番が回ってき、生まれて来るのでしょうか? 

(3)亡くなった人達が、幽界から霊界に行き、そこから更に神界へ、無限の高みを目指すという流れがある一方で、この世に下ってきて生まれ直す流れもある? グループソウル全体としては、この2つの(ベクトルとしては正反対の)進化を同時進行で行っているのか? という新たな疑問が生じてきます。

(4)グループソウルは幽界でなはく、霊界に存在するという解釈でいいですか?  転生する魂は幽界ではなく霊界から来るのでしょうか?   亡くなって成仏した魂が幽界に行き、更に第2の死とも言うべき幽体をも脱ぎ捨てて霊界に行くといいます。 それは現世の時間で言うと通常30~50年もかかると。
よく前世の記憶があり「私は元どこそこ村の○○だ。 △の理由で死にこの世に生まれ直した」という証言があって、実際調べると確かに30年前にそうした人がいたことが分かるという話を聞きます。  その場合時間的にとても霊界に戻っているとは思えません。 幽界からろくに反省もせずにすぐ生まれ変わったのか? そうなると生まれ変わった個性は似た者としてのコピーではなく、「転生は自分自身説」が有力になります。 そうだとするとスピリチュアリズムの考えに反しませんか? 


転生する場合同時代に1人ずつという訳ではなく、複数の魂が同じグループソウルから生まれて来る場合もあることは知識として分かりました。 しかし上記(1)~(4)は、どの本を読んでも、どのHPを読んでも(現時点では)どこにも書いてないです。

「転生だのグループソウルだの、ねぼけたこと言うな!」という方は御遠慮頂き、こうした分野に抵抗がなく「こう書いてあった」とか「私はこう解釈する」という御意見のある方から御回答を頂けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。  

A 回答 (6件)

>グループソウルをコップの水に例え、コップの水から1滴がこの世に生まれてきて、いろいろ経験し死んでからその経験をあの世に持ち帰ってコップの中で混ざると



これは江原スピリチュアリズムのものですね。多分私の領界内で対応できる質問であろうと思います。


>その意味でやはりこの世における人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか?

その通りです。全く同じ個性が現世に再生するということはありません。必ず部分的に強調された性質をさらけ出すようになっています。例えば前世が王様だったが今世はホームレスだったという場合、全く同じ人だったとしても、環境に対する適応の仕方によって、全く違う人物に見えるでしょう。そこがつまり、前世と今世で、現世に顕現させた部分に違いがあるということなのです。でも、再生しているのは全く同じ、その人なのです。すると、なにをもって同じと言えるのか。それは私の納得によると、深層心理、無意識的個性の部分だろうと思います。そこで、類魂は深層心理、無意識的部分と言い換えても良いという風に考えています。

スウェーデンボルグの場合は、スピリチュアリズムのはしりということで、まだキリスト教の影響下にあり、幽界の偏った意識にとりつかれていた部分があるので、あまり重要視しない方が良いと思われます。再生のような、仕組みの実態などは、霊界の高い意識を獲得しないと意識の領界に入ってこないと思われますので、特にスウェーデンボルグから信憑性は失われます。


えーっと、前提がすでにおかしくなっていると思われますので、難解な感じになっています。1の繰り返しになりますが、フロイト的な自我意識と無意識の図式をイメージされると良いのではないかと思います。魂は自我意識です。類魂は広大な無意識と考えられたらよろしいのではないかと。自我意識は現世の環境に左右され、色々と切磋琢磨されます。無意識から湧き上がってくる個性は基本、現世生活全般を通じてほとんど変わりませんが、ほんの少しずつ変わっていくということなのではないかと思います。それが、魂(自我意識)と守護霊(類魂の無意識)たちの密接な関係でもあるのではないかと。つまり無意識は自我意識を鍛えようと色々手を尽くし、自我意識を成長させるその時、指導する守護霊も学ぶ。

自我意識は幽界で現世の垢を抜いて霊界に返る時、初めて現世での学びを完成させる。その時、自我意識というものは消滅して無意識的個性だけが残る。自我意識はそもそも現世に個分けされた特殊な状態だったからです。それを指して類魂と魂の融合と表現しているのではないかと。


現世は霊界の霊が霊性を進化させるために、大霊の仕組みによって作られているものです。つまり、霊性進化と再生はセットです。イエスほどになると、もはや現世に生まれるほど波動を荒くすることが出来ないようです。しかし、普通の人霊には、現世に降りてこれるような仕組みになっています。それは肉体の波動と魂の波動が糊(のり)のように吸着する何かの仕組みだろうと納得しています。自分の波動の低い部分が、現世の波動と吸着出来るのだろうと。


その具体例は、私の勉強不足で分かりません。私が知っているのは、江戸時代に現れた鎌倉時代の武士の霊です。自分の素姓をはっきりさせ、実際確認も取れた霊でしたが、死後数百年はたっております。まだ現世のある事情に心残りがあり、その部分が幽界の形質として彼の意識にはあったと思いますが、基本的には霊界まで知っている霊ではないかと思います。一つの魂でも、幽界と霊界を行ったり来たりすることがあるようです。例えばシルバーバーチだって、当然霊界の住人であろうと思いますが、コンサートや演劇をたのしんだり図書館で本を読んだりするわけです。これは幽界の形質を利用した自己研さんでしょう。

死後霊界を経ずに再生するという例外は存在するようです。志半ばにしてやむを得ず人生を絶った人(人間の自由意思ですが、その中で高尚なもの)が、霊界の特別の配慮によって同じ課題の人生をやり直すことがあるようです。その場合霊界に返るまでもなくそのまま生まれ変わっても問題ないでしょう。

まあこんな感じですが、書いてあることについて、自分でよく吟味してみるということも必要だということでしょうね。理論的に考えてみると。それが分析、ひいては祈りというやつでしょうね。
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この回答へのお礼

有難うございます。 このまま締め切らずにおけば、2年後位にキーワード検索で辿り着いた方が、良い回答を書いて下さるかもしれないと思っていたら、早速素晴らしい御回答に出会えてとても嬉しいです。

(1)霊能者が霊視である人間の守護霊を見ると、「Aさんという守護霊がいます。Bさん、Cさんという守護霊もいます。」と答え、「これらA、B、Cさんはあなたの守護霊であると同時に、前世のあなた自身でもあるんですとよ」と言って、霊視された人が「え!?」と驚いたりします。

すなわちコップの水理論(これは日本では最初に江原氏が言ったと思いますが、最近それに影響されたのか、似たような表現で説明する本が数多く見受けられます)によれば、自分とは既に過去生を生きた複数の人生郡の総和であり、そうした人生を過去に生きた人達は自分自身であると同時に、自分がこの世に生き続けている間も、あの世に別の個性として存在し続け、一部は守護霊になったりしながら、霊界や幽界で生活しているんだと。 そう考えると、自分が死んだらいずれ(自分自身又は某かが)転生はするが、同時にあの世で死んだ自分の魂の個性は残っいて、あの世の生活も続くんだと。それって分身の術?と訳がわからなくなりりました。

かつて木村藤子さんが、美輪あきひろ氏を前に、中居から質問を受けて「美輪さんは、天草四郎の要素を持っていると思います」と言いました。  天草四郎そのものじゃなくて「要素」? 要素って何? つまり決してイコールではなく、天草四郎が所属する類魂があって、その一員が美輪氏なのだと。  そうなると美輪氏は今生きている訳ですが、天草四郎はあの世で美輪氏の守護霊になってるかもしれないし、また現在どこかで別に転生してるかもしれないと。 天草四郎は美輪氏の過去生であるのに、別の歩みもあるのだと解釈しました。

多くの人が(例えば須藤元気の過去生は、大昔迫害された、大変有名なキリスト教の聖者と本人が言っているように)、有名人の過去生=今の自分と言ったりしていますが、これもイコールということではなく、類魂の別のメンバーの過去生が、今いるその人の中に要素として入っていると考えられるのではないかと類推しました。

一方エドガー・ケイシーの本を読むと、類魂の話等は出ず、完全にその人自身の転生としてリーディングれています。 

nande11iiさんは、
 >人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか?  
その通りです。全く同じ個性が現世に再生するということはありません。
という意味で1回きりと言っているのが分かります。  

>でも、再生しているのは全く同じ、その人なのです。
とも言われているように、転生とは何回も全く同じ人が生まれてくるのであって、類魂からの代役がバトンタッチする訳ではないのだ、と言っているのだと思います。 つまり人生は1回ではなく何回もあると。  私はスピリチュアリズムにおけるコップの水の例えからして、今の人生が終わったら、あとはずっとあの世で自分は生活し、守護霊役があるなら時々類魂の転生役をあの世から応援するだけ、と思っていました。 nande11iiさんの説明は、エドガー・ケイシーのリーディング例に近い感想を私は持ちました。 つまり(繰返しですが)、類魂からの転生ではなく、全く同じ自分自身の転生であると。   

まとめると、転生とは第一義的に自分自身の転生であることは間違いないが、そこに類魂の経験・過去生も大いに要素として含まれているということでしょうか。 類魂の経験・過去生の要素にあたるのが、nande11iiさんがおっしゃるところの、類魂の無意識というものですね。 つまり自分自身の転生と、類魂からの影響。 人間の中にはこの2つの流れがあり、それが自分を構成していると。


2~4の御回答も含蓄があり、整合性がとれていますよね。 よくここまでしっかりした世界観を確立されたと感心します。 瞑想であの世を実体験として把握したり、御自身の守護霊とコンタクトできているのでしょうか?

ところで今回の質問は、わりあい単純な動機からでして、最近母がなくなり、母ともう1回この現世で会いたいなと。 でももう自分自身の転生がないというなら、あの世の、”感覚だけの世界”でしか会えないのかと。  幽界では食べたふりはできるそうですが、本当に食べているのはこの世であり、その意味でもう2度と母と一緒に食事したりとかできないのか、という無限の寂しさがあり、ここ最近急激に精神世界のことを勉強しました。  で自分の中で合点のいかない部分をここで質問した訳です。 
お蔭様で大体把握できた気はします。 間違って解釈しているところも大いにあるでしょうが、今の自分の力ではこんなものと納得しています。  重ねて有難うございました。

お礼日時:2010/09/18 16:26

私の考えは江原スピリチュアリズムを元として、シルバーバーチや日本の古典的スピリチュアリズム、そして意識や無意識を解釈、理解していったものです。

「ツインソウル」と「ソウルメイト」の区分けその他、言葉の使い方において、江原先生をトレースしています。用語が「すべて江原スピリチュアリズムのものです」としたのは言い過ぎでした。無意識と自我意識については書籍では見ていません。『オーラの泉』でちらっと無意識について述べられたことがある程度です。

江原先生は、スピリチュアリズムなど全く知らない庶民にスピリチュアリズムを理解させるために、知識ゼロの状態でも理解可能な書き方をしていると思います。しかし、あなたの場合はスピリチュアリズムに造詣がおありのようですので、それほど苦心しなくても良いと思われます。

江原先生の言葉で「思いぐせ」というのがあります。これは現世の経験が心理に及ぼした影響で、生まれながらにして持っている個性とは違うものです。現世の経験に左右されないリラックスした状態では、霊界の類魂の個性が湧き上がってくるものと思いますが、現世で様々な経験をするたびに心理にくせがついて行きます。自我意識は、無意識的な領域にあるそれを、自我意識のくせとは感じられず、客観的にそれが起こっている、と思ってしまうのです。
例えば、
http://okwave.jp/qa/q6165078.html
この質問者の蝶などです。

江原先生は自我意識とか難しい書き方はしておられませんが、もう少し考えて掘り下げて説明するとこうなるだろうという書き方を私はしているつもりなのです。

エドガー・ケイシーでもスウェーデンボルグでも、そういった思いぐせが幽界に自らの夢を作り上げてしまうことがある、ということでしょう。江原先生はそのことをよく把握しておられます。江原先生自身が思いぐせによる霊視をしたことがないかは分かりません。ただ、そういう間違いがあるということを江原先生は良く知っておられるのです。

ご紹介のサイトは「心の道場」の関連サイトのようですが、このサイトが江原先生を糾弾した記述にある、シルバーバーチやアラン・カルデックが本当にそう言っているのか検証したことがあります。
http://okwave.jp/qa/q4660664.html
1年半前の記述で、今より言葉の使用が乱雑だったり、ちょっと若いなと思う部分があって、ご紹介するのが恥ずかしいのですが、情報的には今も変わらない考えです。あのサイトは信用できないと思います。

質問者様が、江原先生は信じられないと思われるのなら別にそれでも構いません。あなたはスピリチュアリズムの概要が分かっておられるような感じがします。(現在の仕事としての)江原先生の出番はその時点で終わっているのです。
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この回答へのお礼

私は江原氏の本は前に4冊位買って読みましたが、シルバーバーチはインターネットで斜読みした程度で、初心者です。 精神世界全般について初心者です。  nande11ii様は霊訓を全巻読んでおられるし、現世で生きる人間が、あの世の仕組みと人間のあり方について到達できる理解レベルとしては達人の域に達しているのではないでしょうか。 今回私は御回答を3回も頂けて大変幸運でした。 

「心の道場」は信用できないですか。  これから読み込もうと思っていたんですけど。 
しっかりした判断の軸がないと、何が信頼でき何が怪しいかの判断は難しいですね。 
シルバーバーチをこれからしっかり読み進めたいと思います。 いろいろと有益なことを教えて下さり有難うございました。

お礼日時:2010/09/21 06:03

再回答するか悩んだのですが、やはりもう少し掘り下げてみるかと思います。



類魂は、単純に現世で捉える自分自身と割りきれない部分があります。現世では魂は個に分かれています。そこで、悠久の過去から蓄積されてきた意識どもの集合体、類魂に意識が融合した時、個だった魂はどういう意識世界になるのか、現世の意識にははっきりイメージ出来ない難しさがあると思います。

先の回答にちょっと補足すると、自我意識が消滅して無意識だけが残るというのは、おそらく、無意識が自我意識化するから、元の自我意識としての存在はなくなるということなのだろうと思います。その悠久の過去から続く意識たちと一体化した時の状態は、今、個に分かれて現世で切磋琢磨している我々からは、どういう状態なのかつかみきれないと思います。

例えばツインソウルというのがあります。類魂は同じ時代に二つ以上の課題を孕んでいる時、魂を同時に二つ以上派遣するのです。これは現世から見ると、共通の無意識を持つ二人以上の人間が存在するということです。この時、現世での自我意識は二つ以上存在することになります。

また、小桜姫物語によると、浅野和三郎の奥さんは小桜姫という三浦半島の先にある小桜神社を守護する姫君を守護霊に持っていました。つまり、奥さんの無意識は奥さんを守護しながら小桜神社も切り盛りしていたわけです(龍神と人間との取り次ぎ役という課題を背負って)。

同じ個性の意識の集合体類魂、と言葉では述べる事が出来ても、部分が単独で動いたりしており、それでいて全体の感応があるので全体が自分自身とも言えます。それは、幽世(かくりよ)を知らない我々にとってイメージしきれない難しさがあると思います。

幽世は、自分自身の類魂に限らず、親和性の他者と接触する時、読心が自由自在の世界です。これは自分の意識世界が枠を越えて全体とつながっているということだと思います。それがどういう感じなのか、現世からは想像しにくいのです。

ついでに申し上げると、質問者様のお母様はあなたのソウルメイトです。ソウルメイトは現世で居合わせることによって共に学ぶ仲間、クラスメイトということです。摩擦し合い、いがみ合いながら親和力を強めたり別れたりすることによって学ぶ仲間です。現世で出会うすべての人がソウルメイトです。もし、あなたとお母様の触れ合いによる、現世での課題が終了していない場合、次の再生で再度会うことになります。そうでない場合、幽世のみの付き合いとなります。

ちなみに私が使用した用語はすべて江原スピリチュアリズムのものです。
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この回答へのお礼

再度の御回答有難うございます。  難解な用語の連続と感じましたが、数回読み返して言わんとすることが大体掴めました。  更に理解が深められ、感謝・感謝です。  


>私が使用した用語はすべて江原スピリチュアリズムのものです。

私が江原氏の本を数冊読んだ限りでは、あまり難しい言葉の記載はありませんでしたが、上級者向けのものもあるということでしょうか。  

ところで、時々チェックしているブログの中に(精神世界に造詣が深いようですが)、そのブログ主がある霊能者に霊視してもらった時の記載がありました。 その霊能者いわく、「江原氏は元々霊界に通じていたが、芸能界に入ってからあまりにも現世的な垢にまみれてしまった。 現在の彼に霊能力は無い。」と。  

私は元々オーラの泉を欠かさず見るくらいのファンでしたが、壇れいの件で批判されたあたりから、確かに昔霊視していた時に守護霊とコミュニケーションした時の(傍目からも分かる)入り込み方がなくなって、”霊視”の時に目が泳いでいるなーと。 人が嘘を付く時よく断片的な情報をつなぎあわせてストーリーを作ったりするように、なんかたどたどしく語るようになったなー、と感じていました。  スピリチュアリズムの考え方を説明する時は、完全に身についている理論でしょうから、流暢にしゃべっていましたが、霊視の時となると、「もはや彼は見えていないのでは?」と私からも疑いが生じていました。  
ただたとえそうだとしても、霊界と通信できていた時があり、高級霊からの通信があったならば、既に著した本の価値が失われるものではないとは思います。  やはりあれだけマスコミで取り上げられて、経済的に豊かになって、講演をすれば熱狂的な信者が集まって、という風に環境が変わっていったら、そりゃー人間は堕落するかもしれません。 その点早々に芸能界から退去した木村藤子さんは、(今も昔も)霊能力があると信じているのですが。 これは私はの単なる感想であり、また一般に江原氏を叩いている人達とは違った種類のものですので、もしこの書込みが不愉快でしたら何卒ご容赦下さい。 

なんでこんなことを書いたかと言いますと、昨日
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/sp …
なるサイトを見つけまして、そこに当初の私の質問に、部分的に答えてくれる内容もあったと同時に、
今まで著名な霊能者・預言者のたぐいに、勿論真っ赤な嘘もあれば、部分的に正しいものもあると。
それはひとえにコミュニケーションの取れた霊界の、霊の質・能力によると。 その点エドガー・ケイシーの場合は・・・とあり、では江原氏のケースはどうなのだろう?と。 特に現在どうなのだろう?と思った次第です。

つまり過去に霊界からの通信をを紹介した記録は数多くあれど、その中から私達は何を信頼し、また部分的になら正しいものがあるなら、それらをどうつなぎ合せて、できるだけ正しい全体像を作り上げていくか。そしてそれをどう人生に生かすか、が大切なのではないか?と思ったのです。 

nande11ii様のご回答は、(私のような人間から言われても意味ないですが)、実に合理的解釈の下に、また物質界に生きる人間が把握できる部分と厳しい部分を仕訳けした上で、かなり真実に近い世界観を呈示されていると思います。  その解釈の背景が江原スピリチュアリズムということでしたら、私も江原氏を信頼したいと思います。  上に書いたことと矛盾するかもしれませんが。
 
当初の質問に対する満足という点では、この質問は締め切るべきですが、あと数日だけこのままにしておきますね。  有難うございました!
 
 
 

お礼日時:2010/09/19 23:48

No.2です。



お返事ありがとうございました。
それから質問者さんを怒らせてしまったようで、大変すみませんでした。

スピリチュアリズムという言葉だけに広義な意味(チャネリング、シャーマニズム、巫女、宗教、個人など含む)で受け取ってしまいました。

質問者さんが仰られているのは出典もとがあることを聞いておられたのですね。

私の文章の出典もとは、前文章に書いたすでに亡くなった知り合いの言葉でした。
彼女は神と呼ばれるものと対話し、魂を探し家族に告げる、そして1つのところへ返す…ということを生前しておりました。
この行為が何に分類されるなのか解らないのですが、私が知っていることが少しでも…と出過ぎてしまいました。

言葉が足りなかったことも重ねてお詫びいたします。
不快な思いをさせてすみませんでした。
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この回答へのお礼

スピリチュアリズムの出典は、シルバーバーチだと思います。 
下記URLのHPをざっと読むと、大体分かりますので御参考までに。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htm

各出典によって解釈が違えば、それを信じる人があの世に行ってから経験する世界が変わる訳ではありません。 ですので、出典元の世界観だけにこだわっている訳ではありません。 ですが私としてはいろいろ読んで、シルバーバーチやスウェーデンボルグの述べるあの世の仕組みが一番真実に近いのではないか?と感じるのです。 タイトルにスピリチュアリズムと書いたのは、そう書かないと、ある宗教の教義そのもので答える人もいるかもしれないと思ったから限定させて頂きました。 ですが絶対の世界観、と思っている訳ではありません。  

このような質問に答えて下さっただけでも感謝すべきなのに、先の投稿で非難してしまった自分は未熟者です。 逆に熱くならずに、冷静に御返答を下さったOruko000様は、人間ができていますね。  本当に失礼しました。 お詫び致します。 

お礼日時:2010/09/17 21:51

スピリチュアリズムには全く疎く、言葉を知っている程度のものです。


ですが多少感があり全てではありませんが感じることが出来るものです。

(1)これは例えですから、捉え方は様々だと思います。
私の感覚ですと、元々の魂の数は決まっていて、それが形の中へ入る。
存在するものが減ったり増えたりするのではなく、入れ物(体)が変わるだけで、質量(数)は同じだと思います。

個は死んで、全体になり、その全体から個を識別できる人間はいないと思います。
例えるならやはり「水」と感じ、元素で認識はされないでしょう。

(2)こちらは(1)で説明した通りの考え方です。

転生という考えは人→人や形へと考えられていますが、そうではないと思います。

直接の知り合いではありませんが、亡くなった方で魂そのものが光になってしまった方がいます。
光とは私の例えなのですが、これも転生と言うのでしょうか。
形や魂としてでは彼女に2度と会えないと認識しています。

(3)高い低いがよく解らないのですが、魂にも年齢があるのなら形として生まれてきているものは、個として生かされているのかなぁと思います。
魂が熟すと与える方、生かすほうになるのかなと感じています。

(4)反しているかどうかが私には解らないです。
すみません。

ただ記憶がある方はいます。記憶が正しいかどうかは解りませんが、2つ前くらいからのがあるそうです。
とても感の強い方で、1つ前の記憶は殺されているそうで、その相手を探していると言ってました。
これは参考までに。

長文になりましたが、これらを言葉で説明するのは難しく、例えにしてしまうと薄まってしまいます。
実際見て感じてもらうのが一番なのですが…

かなり不思議ちゃんに捉えられる文章ですが、私の取り巻く世界はこんな感じです。
また回答に相応しくないところ、質問に答えきれていないところも多々ですが、ご容赦下さい。

乱文失礼いたしました。

この回答への補足

下のお礼で偉そうな物言いをしてすいません。
こういう精神世界・死後の世界について質問すると、No.1の方もそうでしたふが、御自分の意見の発表だけに終始していますよね。 こういう分野に親しむ方はそうした傾向を持つ方が多い、ということが分かりました。  御自分の意見や世界観・教義の発表なら、大○隆法の本でも読みます。 よろしくお願いします。  

補足日時:2010/09/17 17:29
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この回答へのお礼

(1)の質問で私が聞きたかった核心部分は、輪廻転生を知ると「次の人生では頑張ろう」等と考える場合もありますが、「次の人生などない。 輪廻転生があるにしても、それは自分に似た者の転生であって、やはり人生は1回きりではないか?」ということです。 ですから、全体として質量が同じ・・・ということが知りたいわけではないです。

(3)は私の質問に全く対応してませんし、(4)は分からないということですね。

>実際見て感じてもらう
のは私には無理です。

>かなり不思議ちゃんに捉えられる文章ですが、私の取り巻く世界はこんな感じです。
その世界の中におられることは分かりませんし、否定しません。 ですが人の文章から質問の意図を
汲み取る力はないですね、正直。 人の気持ちを汲み取ることが、現世で生きる目的の一つではないでしょうか?  あの世的な世界に浸るのは死んでからもできることです。 

こういう質問を真顔ですること自体、私も相当不可思議な人間なのでしょうが。

とはいえ答えて下さろうとした姿勢がうれしいです。 有難うございました。

お礼日時:2010/09/17 17:23

個人的な意見で申し訳ないですが、輪廻転生について。


ここに関わってくるのが、因果応報です。
人は産まれてから死ぬまでの間に何をしたかで、次に産まれてくる生命が違うと思います。
はっきりとした具体例では、ありませんが、天理教の教本の中に、毒を持って人を殺そうとした人がいました。その人は牛に輪廻転生したとありますが。
特に僕は天理教ではありませんが、色々興味があり様々な宗教から輪廻転生について学びました。
神界に行く魂は、この現世で、神様と共に生きている人達です。僧侶や牧師と思いがちですが、そういう人達が神界に行くのは、とても難しいことです。
神界に選ばれる魂とは、どんな貧しい状態でも神様と共にいる事で、自分の内なる霊と魂が満たされ、貧しい中でも、なに不自由なく、悪い事があっても神に感謝し、自分が貧しくても、更に自分より貧しい人達に施しができる人達です。
人間に輪廻転生するときは、よほどの大罪がなければ、人間に輪廻転生しますが、そこに人生の生き方が関係してきます。
今、現世で、お金や権力をもち、人々を強いたげてる人達や、自分の美しさを自慢する、言わば、心の醜い人達は、次の転生では、まるっきり逆の状態になります。
また、現世で貧しい、又は美しくなくても、心の綺麗に生きて行けば、来世は美しく、またお金もちになって産まれてくる。現世で、人々を傷つけ又、殺人や詐欺など大罪を犯して人々は、現世の意識をもちつつ、人々が嫌がり、すぐ殺されてしまう虫や食用の動物に何回も何回も産まれ代わる。上記が人間の輪廻転生だと思います。
誰でも、神界への輪廻転生も可能です。
自分の霊性を神と共に磨いてもらい、常に神様と共にいると魂から感謝する。
そうすれば、神界への輪廻転生は誰でも簡単です。
ただ心だけで生きて行けば、結局又人間に生まれ変わるだけ、ですが、一度死んで、魂だけになると、人間の心の記憶がなくなってしまい。またゼロからの出版になります。
大罪を犯した人達は魂に、その罪が焼き付いてしまっているので、現世で生きてる意識を持ちながら、生まれてもすぐ殺されてしまう虫や動物に何千年・何万年と永遠に転生していく。
そんな事を輪廻転生だと思います。
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この回答へのお礼

御回答下さり有難うございます。 

>個人的な意見で申し訳ないですが
とおっしゃる通り、内容は私の今回の質問に対応してないですね。

でも興味深く読ませて頂きました。

お礼日時:2010/09/17 09:30

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