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日蓮大聖人の折伏について教えてください
「妙法蓮華経」という経典は、南無妙法蓮華経の正法の極意が書かれた唯一究極の経典ですよね。
末法の世の予言や、その時の日蓮大聖人の受難、あるいは信徒たち対処、生き方の予言も書かれていますよね。

妙法蓮華経には「折伏」と「摂受」という二つの語は両方とも一切ありませんよね。
妙法蓮華経経典には折伏と考えられる行動、ふるまいは一切書いてありませんよね。
摂受と考えられる行動、ふるまいだけ書いてあり、それをせよと書いてありますよね。

では質問です。
妙法蓮華経には「折伏」「摂受」と一切書いてもないし、「折伏」「摂受」という語の概念すらないのに、
どういう根拠で日蓮大聖人は、妙法蓮華経よりも信頼性の低い下位の経典や一僧の文章からこの語をひっぱり出してきて、なおかつ末法の日本には「折伏」だ、と断言されたのでしょうか?

なお、
妙法蓮華経で、折伏概念であると指摘される箇所は、(釈尊ではなく)羅刹女たちが言っているだけの箇所、すなわち「説法者を悩乱せば、頭破れて七分になること、阿梨樹の枝の如くならん」(説法者(他箇所では法師)を悩ませば七つに枝分かれするアリジュのように頭が七つに割れるバチを受けるでしょう)という箇所だけ。妖怪女たちが謗法のバチという現証、結果を想像している箇所だけであり、これは、いわゆる、「末法には折伏的な勧誘をせよ」という解釈にはいたりませんよね。
妙法蓮華経には、「考えの違う人を軽蔑するな、攻撃するな、短所を挙げるな」という考えを教えている箇所はありますが、折伏について教える箇所は皆無です。折伏という考え方から皆無です。ましてや、「妙法蓮華経の『考えの違う人を軽蔑するな』という箇所は摂受だから、末法の日本用の行動ではない」という考えにはなりませんよね。

教えてください。お願いします。

A 回答 (1件)

法華経の安楽行品で「摂受」が説かれている。


しかし不軽品では「折伏」も説かれている。

平成の摂折論争 その後の展開
日蓮宗 東京西部教化センター
http://www.genshu.gr.jp/Local/Tokyo_W/kikanshi/N …
「戦後に田中智学の折伏主義を取り込んだのは創価学会だった。創価学会は、戦中に弾圧を受けたという反戦イメージを最大限に活かし、戦後民主主義の信教の自由を折伏主義に接続して侵略的布教を展開し、これむ智学経由の国立戒壇を目標化すろことで抑圧されたナショナリズムを吸い上げる機能を果たしながら肥大化していった。」

「創価学会は涅槃経の折伏のみ、しかし日蓮聖人は不軽品の折伏」と結論づけたが、そのような真剣な摂折論研究が日蓮宗ではこれまで為されて来なかったのである。」

「日蓮聖人は特に「摂受」「折伏」という用語の片方を重視することなく、また使用頻度も少なく、折伏立教とはいえないという結果がでた。したがって日蓮聖人の本懐は僧の本筋である摂受であったのだから、現代の日蓮宗の教化においても他宗を破折調伏する布教法は採るべきではない、という見解を出している。」

ところが佐渡御書に「仏法は摂受・折伏時によるべし」
開目抄下にも「夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」 
これは末法の修行は、折伏だと言っているのではないですか?

*しかし、わたしに言わせていただければ、法華経などの大乗経典は釈迦の死後100年ほど経ってから書かれたもので、釈尊の直接の言葉ではありません。これは学界ではもはや常識です。鎌倉時代はそのような事実は知られていませんでした。
しかし現代であれば、科学的にも文献的にも、後世の創作であったことは判明しています。ですから法華経に書かれているからどうかなど、全く根拠がないということです。この事実を初めに認識しておかなければなりません。

また法華経に、日蓮大聖人の受難、あるいは信徒たち対処、生き方の予言などまったく書かれていませんよ。そのように勝手に解釈すれば、日蓮に当てはまるのではないか程度ですね。
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この回答へのお礼

大変ありがとうございました。
>>真剣な摂折論研究が日蓮宗ではこれまで為されて来なかったのである
某座談会に2度しか行ったことがない私が感じ取った不思議さをいまだに疑問に感じる人が少ないというのは少々あきれます。
>>「創価学会(など特に日蓮正宗系)は涅槃経の折伏のみ、しかし日蓮聖人は(法華経の)不軽品の折伏」
私はこれを感じ取っていました。日蓮正宗系のいうところの「折伏」、実践している所の「折伏」は、開目抄にいう「不軽品の折伏」の内容とは明らかに違いますから。
「折伏」とは「日蓮正宗系の折伏」だと今までの社会的イメージにより決め付けていましたので、法華経には折伏は書いてないと勝手に断言をしてしまいました。だから帰結として安楽行品も不軽品も分け隔てのない摂受であり、不軽品が折伏というのは大聖人の誤認であると考えてしまいました。となると帰結として「立正安国論」は日蓮正宗系の折伏であるので間違っているということになります。実際明治初期優陀那院はそういうような解釈だったようですね。しかし、大聖人が間違っているというのはやはりおかしいということで、立正安国論は正しい折伏という考えが出て今それが隆盛を極めている。この帰結をとると、やはり大聖人は「不軽品の折伏」を読み違っていたということになります。どちらにしろ、どちらを立たせばどちらかが立たずの状態になる。これが摂折論争の基本的な論点なのでしょう。そしてどちらをどう使うのかというのが次の論争になるという二重構造の論争ですね。私は、基本の論点だけで結構でした。すなわち「いわゆる折伏は不軽品の折伏と断定して言っちゃっていいのか?」ということになるでしょう。それと開目抄で、下位の文章を持ってきて、「これこれには安楽行品で、これこれには不軽品だ」と勝手に言い切っちゃってる根拠が全く示されていないが、その根拠はなんなのか?ということも疑問としてあるのです。
ちなみに法華経は釈尊入滅後100年ではなく、4~500年経っており、大聖人の仏滅時期の誤認から換算すると1000年も経ったあとに、大乗という新興団体が勝手に創作したまったく信頼性のないしろものなんですよね。
お礼が長くなりましたが、ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/24 18:54

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