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九州説、機内説以前に、「邪馬台国なんか存在しなかった。」という可能性はありますか?

ブラトンが「ティマイオス」で記したアトランティスのように、「魏志倭人伝」の中で邪馬台国が東方にあったら都合が良いなという動機で、想像に基づいて描かれたという可能性はないのでしょうか?

A 回答 (8件)

魏志倭人伝そのものがでっち上げである可能性は低いです。


ただし、東方に魏の同盟国である国(邪馬台国)があったらいいなぁ、という希望はあったでしょうね。
つまり魏・呉・蜀の争いによる三国志の世界です。単純にこの位置を考えれば北に魏、東南に呉、西南に蜀となります。
魏にとって蜀と戦うためには蜀の隣国と手を結び、両端から戦をしかける。或いは呉の隣国と手を結び呉を攻めさせれば戦力を蜀に集中させることができる。同じように呉と戦うためには呉の隣国と手を結ぶ必要があった。
つまり呉の東方の国、それが「倭国」なのです。

当時は魏と日本では既に交易がありました。だからいくら使節が書いたとしても南と東を間違えたなどという荒唐無稽な話はありません。せいぜい南を中心に左右40度くらいでしょう。つまり九州全域が可能性があります。
畿内説は文書を間違っているとしなければ出てきませんし、そうなれば世界中どこでもいいことになってしまいます。
それに発掘調査は九州に比べて畿内は多すぎます。それだけ多くても見つからないのです。

私は邪馬台国はあったと思います。しかしその位置は魏にとって都合に良い位置に書き換えられていると考えます。
なぜならその情報自体が呉に圧力をかけることができるからです。
九州から台湾を経て呉に攻め入ることができる。そんな理想の同盟国が倭なのです。

皆さんとても勘違いされているように思いますが、確かに邪馬台国は大国でしたでしょう。卑弥呼を中心として安定した、それでいて強い国だったと思います。
しかしだからと言って、それが当時の日本の中心である必要などないのです。当然国力についても誇張してあるはずです。
また邪馬台国が畿内にあったとして、その場合北九州に中央の意思を時間を置かず伝えられるような強固陣営がなければなりません。でなければ助けにもならないし、弱ければ攻め込んでしまってもイイ訳です。
もちろん呉を襲撃するのはいいけれど、倭が占領しては困ります。あくまでも威嚇してくれればいいのです。

邪馬台国は日本を統制する国ではなく、一地域限定の大国で海を渡って呉に圧力を加えることのできる国でしょう。それを呉に圧力がかけられる場所に、ちょっとだけずらして記録しているということです。

ま、想像ですけどね。
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 無数といえるたくさんの邪馬台国と卑弥呼がいたことではいけないのですか?


 「魏志倭人伝」の記述がどうなのかということに拘った、ご質問ですか?
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「三国志」の中の魏書の東夷伝にある倭についての記述は多量の地誌の一部でそれがあったら都合がよい、というような意味はあるとはとても思えません。


邪馬台国は今鷹真、小南一郎訳の「三国志」では邪馬壱(臺)国と書かれています。倭についての記述は結構ながく、他の地域についての記述もあわせて、概ね信頼がおけるものと思います。
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私は邪馬台国はあったと思います。

ただ自分の国を邪馬台国とか卑弥呼とか、こんな差別的な字をあてているのは、中国の傲慢な中華思想故によるものだろうと思います。

普通に音だけ聞いて字をあてるなら「大和大国」でしょうし、「日巫女」か「日皇女」か「日神子」でしょう。この大和という言葉も、ヤウマトというヘブライ語である可能性があります。神の民という意味だったでしょうか。

一番問題になっているのは場所ですね。魏志倭人伝の記述は本当の邪馬台国の位置を示したものかどうか不明ですね。

というのは、当時の中国は大国であり、古代の日本の軍事体制は中国が日本を侵略してきた時のことを考えて、常にそれに備えていたという痕跡が西日本各地にあります。有名なのは岡山県の鬼の城ですね。

だから、中国からの使者であっても、正確な道順を辿らずに卑弥呼がいる位置がよくわからないように工夫したのではないかと思います。日本の地理を大国中国に教えてしまうのは大変危険ですからね。卑弥呼の住む場所は軍事上の最高機密だったと思います。

このようなことが、邪馬台国の位置を分かり難くしているのだろうと思います。

アトランティスについてですが、プラトンはアトランティスについて書かれている本をエジプトの古代図書館で読んだと言っているわけですね。その本はもう焼かれてないのですが、そういう記述が書かれた石版でも発見されれば、また学説がどうなるかわかりませんね。

ただ、シュメール文明の石版には、超古代に超文明を持った社会があったという記述が残っています。真偽はどうなんでしょうか?ロマンですね~。このシュメール文明についてですが、なぜか日本にもシュメール文字が残されています。安芸の宮島の石に書かれています。不思議ですね~。
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中国の側が勝手に「東方にあったら都合が良い」ということで”創作”された可能性は少ないと思います。



ただ言葉が違って、なおかつ当時の日本に字がなかったことを考えれば、日本の本当の姿が伝わっていない可能性は大いにあると思います。
例えば「邪馬台国」がほんとうに「やまたいこく」なのか。中国風の読みがあって、もっと違う名称だったりするとか。

日本の古代史はとにかく文字で記録が残っていない分ナゾが多く、さまざまな可能性が考えられると思います。
極論を言えば、もちろん「邪馬台国などなかったという可能性」だってないとは言えないのではないでしょうか。
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ちょっと古い本ですが、古田武彦氏の朝日新聞社版「失われた九州王朝」は、古事記、日本書紀に書かれた事項の矛盾を中国のかなり広範ににわたる文献との照合で貴殿の疑問に答えている回答を引き出していると思いますので読まれることをお勧めします。

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たしか、邪馬台国はなかった。


実際は邪馬壹国だったという説があったと思います。
魏書の東夷伝倭人の条では「邪馬壹国」と表記されているそうです。
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>可能性はないのでしょうか?



中国の歴史書の成り立ちを考えると、
その可能性は考えにくいと思います。
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