最速怪談選手権

座禅の上達法

座禅で両足を上げて組む座り方が長い時間出来ません。
ヨガの名前で「蓮の花のポーズ」です。
しっかり組めるコツなどあれば教えてください。

質問の経緯を説明させていただきます。
20代後半の女です
結婚を前提に交際している彼が寺院の次男です。
先方の両親から「寺の嫁になると思ってるならウチの宗派の事を知っておいて欲しい」と申し出があり、禅宗の寺ですのでまずは座禅からとなりまして修行僧堂が一般向けの座禅会を行う日があるので体験しながら覚える事になりました。

花嫁テストの意気込みで向かい、ピシッと座禅を組んで彼の両親にいい所を見せようと思ったのですけどボロボロでした^^;
途中で足は崩したし、作法の間違いは多いし、人が背中をバンバン打たれるのを見て怖くなったし・・・と言う(苦笑

両足を組む座法はをヨガをやってた時に出来てましたし、事前に練習もしましたけど実際やってみると足が痛み出してから時間が長く感じられました・・
座禅40分~経行(座禅堂の中を歩く)~座禅40分~経行~座禅40分のスケジュールで2回目の座禅の途中で足を崩してしまいました。一度足を解いてまた組み直すと痛いのが強くなりますね・・
教えられた座禅の呼吸法も足の痛みが気になるまで順調に出来てたので残念に思います。

彼は「普通は片足だけ乗せる組み方でもいいし、無理しなくてもいいよ」と言ってくれますが、座禅を通じて私自身が試されている立場と思ってますので次はピシッと両足を上げて座禅したいと思っています。

本来の座禅の目的から外れてると思ってますがアドバイスなどあれば教えてください。

A 回答 (5件)

>本来の座禅の目的から外れてると思ってますがアドバイスなどあれば教えてください


最初の三行だけだと
座禅は我慢して足を組むのが目的ではありません。
慣れるまでは半跏趺坐でもいいし、回数を重ねて足が慣れると結跏趺坐に移行しやすいです。
無理せずに結跏趺坐が出来るようになれば安定して座れますので無理なく努力してください。
とアドバイスしてましたが・・

残りを読むとあえてこちらも同じく目的外れの回答をします。

「どんなに足が痛くても根性で組み通せばいいだけじゃ?」

相手のご両親の前で背伸びして自分を見せたいのなら尚更でしょう。
警策は受けられましたか?
いい警策をもらえば足の痛みが紛れるし、大切な作法の一つですので経験しておくべきと思います。

この回答への補足

>警策は受けられましたか?
いえ受けていません。
前を通った時に合掌して下さいと言われてましたけど怖くて^^;
肩を一発ビシッってやり方でなく、前屈みにして背中を数発打たれるやり方です。
音から想像すると相当痛そうで・・・
常連っぽい男性の数人が打たれていたのを見る限り修行僧とも変わらない強さに見えてましたけど、座禅の熟練度などで強さは変わるのでしょうか。

やっぱり座禅の作法なので経験しておきたいと思います。
ご存知でしたら教えてください

補足日時:2010/10/25 14:07
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この回答へのお礼

「どんなに足が痛くても根性で組み通せばいいだけじゃ?」
確かにそうですけど・・・
・・・の続きを書くと言い訳になりそうですので。
次は気合を入れて頑張ります。

性格的に背伸びするというか一言多い性格というか、
「座禅の両足を上げて組むのはヨガやってましたのでマスターしています」
って宣言してしまってますので後戻り出来ません^^;

お礼日時:2010/10/25 14:15

No2です。


補足で警策について質問を頂いてますので、私なりの経験談から回答させていただきます。
詳しい事はインターネット等で調べてください。

>肩を一発ビシッってやり方でなく、前屈みにして背中を数発打たれるやり方です。
同じ禅宗でも「肩を一発ビシッ」が曹洞宗、「前屈みにして背中を数発打つ」は臨済宗・黄檗宗の作法です。
あなたの行ったお寺は臨済宗か黄檗宗の修行僧堂でしょう。
夏は左右二回ずつ四回、冬は左右三回ずつ六回ほど打つケースが多いです。
冬に回数が多いのは着ている衣が厚くなるからだと言われてます。

>座禅の熟練度などで強さは変わるのでしょうか。
あなたのように初めてだと考慮されますがその日だけでしょう。
修行道場ですから一般人とはいえ修行の場を求めて集った人々なので、打つ方も相手を見ながら強弱をつける事はしないと思います。
実際に我が娘が大学生の時に僧堂摂心に参加した時も皆と同じ警策をもらっていました。
終わった日の夜に腫れた背中を見た時には親として少しだけ可哀想に思いましたが、当の本人は厳しい僧堂摂心を完了した実感を話し続けてました。

ちなみに一般寺院で行う座禅会などでは初心者はもとよりお年を召した方、子供など様々な人々が参加しますので相手を見ながら加減が必要だと思いますし警策の厚さも薄い物を使ってます。

警策は打たれた直後は痛いですが、座禅中の体の強張りや澱んだ気持ちがすっきりして新たな気持ちで座禅に入れますので怖がることなく受けてみるべきと思います。
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形にとらわれている時点で、座禅修行失格ですね・・・まァ冗談ですが


座禅は何をするのか、何の為にするのかをもう一度考えてみてください。

ザゼンというと座禅とかきますが、正確には「坐禅」と書きます。つまり座ることと意味しない。
そして座禅というと質問の座り方を連想しますが、実は結跏趺坐という一つの形に過ぎません。
このほか片方を太腿の上に乗せる形を半跏趺坐といいます。

坐というのは単に座る事を意味するものではなく、安定する、揺るがない事を意味します。
従って、座禅における体位は座るだけではなく仰向けに寝る仰臥位もあります。(実は立位もあります)
仏像に坐像、立像、臥像がありますね。臥像では仰臥位ではないけれど涅槃像がそうです。そして坐像でも結跏趺坐だけではなく、半跏趺坐の代表(正確に言うと違う名前でも紹介されますが)は広隆寺の弥勒菩薩があります。(他人が結跏趺坐臥出来ない事を指摘したら「弥勒様の体位だ」と言ってやればいいのです)

つまり体を安定させて障害なく内観ができるようにするだけであり、結跏だろうが半跏だろうが同じなのです。
座禅の目的は内観で、簡単に言えば自分の心の中にある仏の姿を見る事。最初はその周囲に取り巻く様々な思いやしがらみを邪念として解き、霧散させることから始めます。つまり座禅は何も考えないというのは間違いで、最初は湧き上がって来る邪念に囚われず流してしまう事から始めます。その第一歩が物理的安定、つまり安定した形で座るという事になります。だからこそ「上手く見せたい」と考える事が邪念だというのです。
(考えないようにとか無念夢想しようと考える事も邪念です…難しいですね)

そして、人が皆産まれながらにして自転車が漕げる訳でない様に、誰もが結跏趺坐の体位ができる訳じゃありません。あくまでも練習です。それが座禅時の瞑想についても同じです。
ですから、座り方は座禅の時ではなく、チョット時間があったら何度も練習して行けばいずれ座れるようになるかもしれないし、ダメなら半跏趺坐で充分。座禅の時間では半跏趺坐でも安定すれば立派な座禅の形だと考えて下さい。
禅は行住坐臥(毎日の生活)全てが行です。禅宗の御次男様との縁もまた貴女に必要な行ですし、これから来る様々な問題も乗り越える事が行です。人生は全て行ですから(と言っても大層に考える必要はありませんが)ゆっくりとそして確実に向えば必ず道は開けます。気楽に頑張ってください。
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この回答へのお礼

>座禅は何をするのか、何の為にするのかをもう一度考えてみてください。
本来の座禅の目的は理解出来ましたし、略式の座法でも構わないのは理解できました。
行き着く先はヨガの瞑想と同じと思います。

ただ、今のあたしの事情は、本来の座禅の目的とは違うわけでありまして・・
彼のご両親にきっちりした作法で座禅が出来る事を見せる事です。
事情につきましては回答番号:No.2様、No.3様のお礼に書かせていただいてます。

ヨガをやってましたので両足を上げて組む(結跏趺坐、蓮の花のポーズ)は出来ます。
ただヨガの瞑想より座る時間が長く、しかも途中で足を解いて座禅堂を歩く時間もあって解いた足を再び組むと痛みが増加するのです。そのせいで足を崩してしまいました。おそらく姿勢も乱れまくっていたと思います。
No.2様の助言で次は根性で座り通そうと思ってますけど痛み方の少ない工夫などあればアドバイス下さい。

以前から瞑想は好きでしたので、これからも座禅は続けて行こうと思います。

お礼日時:2010/10/25 17:04

そんなに気にせず、彼や先方の風習に従えばと思いますよ。



座禅の組み方や座禅をするお寺様など身近にあると思いますよ。

当方は、大学時代ゼミで永平寺で座禅をしたことがあります。

ふだんしなくても、自然に組めるようになります。

彼が寺院の次男です。・・・とありましたが、

要は、質問者様が初心者でも、座禅や寺院について一生懸命
取り組む姿勢と思います。

ここで言うまっとうな宗教の寺院・他宗教であれば、
初心者でも、座禅や寺院について一生懸命取り組む姿勢を
経験して挫折をしながら学ぶことを否定しませんよ。

わたくしは、仏教徒ですが、学校はキリスト教の有名校を
出ています。


一生懸命取り組む姿勢を経験して挫折をしながら学ぶことを
経験しなくて、だれに、いざというときに説法できますか。

彼のご両親もその努力あっての次男の嫁でないでしょうか。
経験と挫折が分からない人に、次世代に伝え、その道を
わかることは無いと思いますよ。

どんな宗教であれ(ここでは、世間一般の有名宗教を示す)
この努力なしには、その聖地にはたどり着けないと思いますよ。

挫折をしながら学ぶことを経験を積み上げる事に、異論をとなえる
人があれば、そのとなえる人の宗教観念が間違っていて、信じる
値が無に等しいとわたくしは思います。

お釈迦様やキリストもこの積み上げに説法を説いているわけです。
ある日突然仏陀がお釈迦様になり、キリストが神になったわけては、
ないのです。

現代の若者として一生懸命積み上げれば良いと思いますよ。

質問者様の自宅の近くに、座禅をするお寺様はあるはずです。
気になるようでしたら、そこで座禅の練習してみればと思います。

彼に相談しながらなれていけば良いのでは。

彼を信じて、あなた様はついて行けばきっと幸せになれますよ。
(ここでは、世間一般の有名宗教を示す)
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この回答へのお礼

>そこで座禅の練習してみればと思います。
確かにその通りです。
家でもひそかに彼と練習してましたけど実際にやってみると違いました。
自宅の近くですと彼のご両親の知り合いの可能性が高いので少し遠方を探してみたいと思います。

彼が言うには最初は「座禅の作法や雰囲気を知ってもらいたかった」だけなのに、お母様の「座禅する姿を見ればその人がどんな人かは判るもの・・」の言葉に反応してしまい余計な事を言った事もあって後戻りが出来ません^^;

本来の座禅の目的とは事情は違ってますけど練習して頑張ってみます。

お礼日時:2010/10/25 14:31

無理せずに半跏趺坐でいいと思います。


禅の心としては、あるがままと言いますか
うまく座禅ができないなら、その自分を
受け入れることだと思いますが、
どうしてもと言われるなら下記サイトが
参考になるかもしれません。

http://syukubo.com/spot/02zazen.html
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この回答へのお礼

教えていただいたサイトを読みました。
参考になる話が並んでいて助かります。

将来、座禅の話題が出た時に役立ちそうです。

お礼日時:2010/10/25 13:30

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