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つい最近、「学歴ロンダリング」というインターネットスラングを知りました。自分の出た大学よりも「上」と思われる大学の院に進学することだそうですね。

ただ、この言葉の存在とその意味を知った時、みんな大学院の意味を理解しているのだろうか、と疑わしく感じました。ネット上では(そもそもネットの掲示板という世界自体が閉鎖的コミュニティなのですが)、学部入試を通らなかったからって、別ルートで学歴を獲得するなんてズルい!という認識が一部であるようです。しかし、大学院は学部4年間の延長ではありません。授業を受けるところではなく、能動的に研究をするところです。低偏差値大学の学士と有名大学院の修士は、レベルの上下云々以前に次元が全く違うものです。確か、東京大学院の方の見解だったかと思いますが

「大学入試で落とされてしまった、或いは当大学を受験しなかった他大学の上澄み(文脈上、各大学に在籍する、極めて優秀で研究才能をもつ人のこと)を是非大学院で取りたい。」

と仰っていました。

つまり、「学歴ロンダリング」という単語や「ズルい」という発想が出てくること自体が、大学院の意義を理解していないことの証だと言えるでしょう。そういう人は修士課程の1年目を「大学5年生」のように勘違いしているのだと思います。

さて、ネットの掲示板などでの大学院に対する認識というのはこの程度なのですが、実際のところ一般的に大学院の意義(大学の延長などではないということ)というのは、世間にどの程度理解されているのでしょうか? 皆さんの認識をお聞かせいただけると嬉しいです。

A 回答 (12件中1~10件)

No.3の回答者です。

コメントにお答えします。

>>>>(差し支えなければ、どちらの大学院大学かをお聞かせ頂けると幸いです。)

すみませんが、それにはお答えできかねます。
このサイトでは、(一応)難関の部類の理系、のように書くようにしています。

>>>ところで、留学した場合などに、学歴の記載が長くなってしまう人がいると思うのです。

「学歴」に該当するのであれば、長くても全部書けばよいと思います。
大前研一さん(経営コンサルタント、かつて東京都知事選に出馬してオートバイに乗って選挙運動)は、たしか、早稲田大卒、東工大の修士、MITの博士、全部書いていると思います。
本人のHPにも書いています。
http://www.kohmae.com/profile/index.html

>>>学部だけ書くと何の研究をしたのか不明瞭です。

何の研究をしたかを明かしたい場合あるいは明らかにする必要がある場合は、書けば良いのではないでしょうか。

>>>簡潔さを求めてB大学もしくはC大学の名前だけを書く方がベターなのではないでしょうか?
>>>(著作の性質に合わせて書く経歴を変えるとか)

ケースバイケースなので、わかりやすく書けばよいと思います。
大学、院の名称は全部書くとして、専攻の名前・種類については、個人的には、博士の専攻が第一優先、修士の専攻が第二優先で一つ以上書けばよく、他は大学名だけで十分だと思っています。
大前さんの場合は、早稲田の「応用化学」は書かず、東工大とMITの「原子力工学」を書いていると思います。
ただし、茂木健一郎さんのように理系と文系の両方を卒業しているような人など、著しく異なる分野を学んでいる場合は、両方書くのもよいと思います。
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この回答へのお礼

おはようございます、sanoriさん。はじめ「このような質問の場合、同調する意見をベストアンサーにするものだから……。」と書かれた時には、随分と後ろ向きな方だなあと思ったのですが、とてもお話甲斐のある方でよかったです。実際にお会いしてお話できないのが残念で堪りません。

確かに茂木さんのケースでは、両方とも書いておくのがベストのようですね。私がこの質問を投稿したのも元はと言えば、「誰しも学を重ねる毎に自らの進みたい道が決まってくるものだから、高々18歳やそこらで選んだ道が一生を通じて最も重視されるのは最適ではない。大学4年間で様々なstimuliを受ける中で自ら進学を決めた大学院こそが、その人の人となりや思考の傾向などを把握するための(学歴というカテゴリの中では)いちばんの材料ではないだろうか。」と感じたからでした。もちろん、全ての人にとって大学院が最適な判断材料になるわけではありません(そもそも学問系列によっては大学院へ行かれる方の方がマイノリティであったりしますし)。ですが、それなら逆に全ての人を学部で判断することもまた同様に理にかなってはいないのです。

暫く締め切らないでおきますので、またお気づきの点等あれば、是非ともお書き込みください。

お礼日時:2011/03/03 12:03

 私は私立の工学系大学に入学しましたが、東工大の大学院で研究生として半年間 研究する機会を得て研究した事がありますが、お世話になった教授から大学院の試験を受けるよう厳命されて試験の3ヶ月前より突然 東工大の大学院の試験勉強をした経験あります。

 結果は、次点で大学院には行けませんでしたが、大学の入試を考えると「国立大学レベル」ではない、私が東工大の大学院の試験では健闘したことからも、入学後に専門の科目を頑張ると入学時点では無理な大学の大学院への入学はかなり楽という印象があります。

 そして、社会にでてから聞かれる「最終学歴は? 東工大大学院卒」で通用し、実はxxx大学入学だけど とは殆ど言わなくても済むということが実態なので「学歴ロンダリング」ということは、そんなに違和感ないです。

「学歴ロンダリング」って違法な事をしているような響きがありますが、純粋に入学後に興味を持って勉強し、たまたま入学時よりは偏差値が上位の大学院に入学した! ということではないでしょうか?

 それよりは時々、ここで見掛ける大学院を目指しているであろう人の情け無い質問を見て・・・こんな幼い人が大学院を目指しているのかと不安になります。


>「学歴ロンダリング」という単語や「ズルい」という発想が出てくること自体が
>そういう人は修士課程の1年目を「大学5年生」のように勘違いしているのだと思います。
同感です。
大学院生なのに、指導教官とコミュニケーションできないという質問を見ては、大学はレジャーランドと言われたいたが、いまは大学院もレジャーランド、入社試験の予備校みたいな存在で、研究者を養成する機関という存在意義を理解しないで入学する学生が多いように感じます。
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この回答へのお礼

ご意見、ありがとうございます。

>大学院を目指しているであろう人の情け無い質問

これは、例の自ら「ロンダリングしよう!」という意識を持って質問している人のことでしょうか。まさに私が指摘してきたのは彼らのことです。
調べたところ、どうやら、せっかく2ちゃんねるの中だけで収まっていた誤認識をある書籍が広めてしまったようですね。Amazonで見つけました。URLが長いので貼れませんが、『学歴ロンダリング』でご検索ください。

YAHOO!智恵袋で見つけたある質問では、質問者自ら「学歴ロンダリングしようと思うのですが、○○大学のどこの研究室が一番入りやすいですか?」なんて書いているものも見られ、唖然としました。

お礼日時:2011/03/03 23:55

修士で入ってきてドクターに進学せずに就職する人について、


質問者さんの理論では説明できません。

通常、M1の終わりには就活が始まります。
本当に研究のことだけを考えるならば、
4回生の時と同じ研究室にいる方が確実に専門性を高めることができます。
また、「〇〇先生がされている研究がしたい」というならば、博士課程に行くはずです。
ただ、今まで何人か学生を指導してきましたが、
「能動的な」学生はどのようなテーマでも自分好みにアレンジし、
オリジナリティーのある結果を出してきました。
したがって、「テーマが気に入らない」というのは、
本人に能力かつやる気のない証拠だと個人的には考えています。
そもそも、ポスドクやサバティカルの教員ならまだしも、
修士の学生がたったの1年でその分野の最先端レベルに達することは有り得ません。
したがって、そのテーマの本当の面白さを理解することは難しいです。

ただし、結局の所、世の中結果がすべての所がありますので、
生え抜きよりすばらしい成果を出せばだれも文句を言うことができません。
結果が無ければ「ロンダ」とか、生え抜きでも「昔は神童、今はただの人」等と言って蔑まれるので、
気にしてもしょうがないと思います。
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この回答へのお礼

指導される側の方からのご意見がうかがえて、たいへん嬉しいです。特に「能動的な学生はどのようなテーマでも……」というのは、まさに現場で教育活動をなさっている方のご意見であり、目を引かれました。確かに研究室とは、言ってみれば先生毎の個人の施設のようなものですし、大学院を選ぶとはいっても、実際は先生を選んでいるのですものね。ロンダリング目的の人には興味のない話なのでしょうけれど。

また、少々脱線した話にはなりますが、「結果が全て」という最早イディオムのようになっている言い回しを的確な意味で使われる方に久し振りに巡り合えました。ある結果を出した後で、そこに至るまでにした反社会的・反人道的行為を、その結果に免じて正当化させる言葉として「結果が全て」と言う人々が多いなかで、回答者様のような方に出会えて、安堵感を覚えました。

お礼日時:2011/03/02 22:34

1です 何度もすいません



>再びご投稿ありがとうございます。語句の意味は理解していますよ。ただ、幸か不幸か実際に「ロンダリング」される方を見たことが無いので、「本当にそんな動機で修士課程に進学して研究が務まるのか?」という疑問が拭えないのです。少なくとも私の認識では、大学院というのは回答者様の仰る「本来の目的」以外の動機で出られるところなどではないと思うのです。

自分は聞いたことありますよ、何人か。文系でしたが、それこそモラトリアム的な目的や、学部で落ちた学校へ行ったという話しを。京大でも東大コンプが抜けず…というパターンもあったとかなかったとか。
修士なら卒業は出来ると思いますし、その人達は卒業してました。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

京大で東大コンプレックス!? ますます理解しがたいです。言うなれば、「7月生まれの人の8月生まれコンプレックス」と同じくらいに思えます。なぜそこまで行ってコンプレックスの対象が東大? ハーバードコンプレックスならわからないでもないけれど、やっぱりそれでも理解に苦しみます。

それにしても、学部のコンプレックスが大人になっても抜けず、そのために興味もない分野の研究に貴重な若いときの2年を犠牲にするなんて……。コンプレックス云々以前に、やりたいことがなかったのかな、というのが正直な印象ですね。そういう人は学士を得るまでの4年間、一体何をしてたんでしょう?

しかも大学院を出ただけでコンプレックスが解消って……。人間が薄っぺらすぎますよ(泣)

お礼日時:2011/03/02 21:53

私の思う世間と別の人の思う世間では少々違うでしょうから、結局は個人的な見解ということになると思います。



まず、他大学院に進むことは基本的に「ロンダリングではない」と思います。それが正規なルートだからです。ある大学の付属高校から、よその大学に進学することをロンダリングとは言わないのと同じことです。
その一方で、入試の時に入りやすい4年制大学に入っておいて、難関大学に3年次編入をするということになれば、少々ロンダリングっぽくなるというのが世間の認識ではないでしょうか。つまり、大学は1年から入って4年間の一貫したカリキュラムで学ぶのが正規なルートであり、それに途中から入り込んだのでは正規な教育が受けられないということと、一般論として編入学生の学力が正規の学生よりも劣ることが多いという現実があり、それが問題視されている大学も多いということです。そもそも編入学制度は高専や短大卒業者の受け皿としてできたものであると思います。ですので、多くの大学で認められているとは言え、4年制大学からの進学は本来の主旨から外れると思います。

大学院に話を戻します。東大の見解をあげておられ、その見解は妥当だと思います。ただし、その裏に隠されている部分も考慮すべきです。東大に限らず、多くの大学院で他大学卒業者をとるのは、大学院の「定員」というのがあるからです。定員を満たすことが最重要です。しかも、近年、特に東大では大学院の定員が著しく増大しています。そうすると、たとえ大学側のもとめる水準に満たない能力しかない学生であっても合格させなければならないという現実があります。じゃあ、なぜそんなに定員が多くなったかといえば国の政策とかいろいろな事情があるんでしょう。東大の見解は「どうせ取らなければならないのなら、できるだけ優秀な人を取りたい」という当然のことを述べているだけです。「できれば取りたくない」というのとさほど違わないと思います。なにしろ「取らない」とう選択肢がないわけですから。
そして、次の段階として、大学院の定員を満たすのが困難な大学院が生じます。そうするとその大学院は多くの受験生受験してもらうために試験科目を減らすなどの方策に出ます。それが下位の大学院から上位の大学院へと次第に広がっていきます。そうすれば学生の選抜が不十分になり、質の低い学生が入ってきて、それが問題になるということです。また、そういう学生は卒業研究とは無関係なテーマで研究を開始するわけですから、成果は出にくいです。また、能力が低ければそもそも研究にならないという事態も生じます。それほど院入試による選抜レベルが低下している大学院も少なくありません。
大学院を出れば、多くの場合、企業での研究職で就職を目指します。そのときに外部からの進学者は研究実績が乏しく、研究職に就くためのプレゼンがまともにできません。必然的に就職が決まりにくく、就活期間が長引き、研究が進まないということになります。そうなれば評価が低くなるのも当然であり、「彼は就職のためにうちの大学院に来たのか?全然研究をしていないじゃないか。」という話になります。となれば「ロンダリング」という言葉が浮かんでくるかもしれません。

こういったことは、以前はあまりなかったことです。学歴ロンダリングという言葉も同様です。だとすれば大学院に進みやすくなったことにともなって、質の低い大学院生が入ってきて、その多くが他大学の出身者であるという現実をふまえた上での「感想」がロンダリングということになると思います。以前のように他大学出身者のレベルが内部進学者に比べて見劣りしなかった時代にはロンダリングという言い方はされませんでした。ですから、大学院の意義というのはあなたの認識で良いと思いますが、現実は結構厳しいものがあります。あなたの立場はわかりませんが、仮に外部からの進学者を多く抱える大学院に在籍したとすれば、上述のような感想を持つかもしれません。

ちなみに、多くの人は必ずしもロンダリングを意図して大学院に進むわけではないでしょうし、周囲の人からロンダリングと非難されることもないでしょう。ただし、「一部において」質の低い院生が存在し、さほどの成果を上げずにお情けで(あるいは厄介払いで)修了させてもらい、一流企業に就職するという現実があります。当然、それを快く思わない人も存在します。それが全部であるかのように言われれば、外部からの進学者が気の毒ですが、皆無ではないというのが現実だと思います。
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1.大学院から別の大学に進学する例は,何十年も前からありました。

たとえば群馬大学から東京大学大学院へというふうに。ぼくが知るかぎり,そういう人はたいへんな努力家で優秀でした。当時は「学歴ロンダリング」という用語や概念はありませんでした。

2.当時からしばらく前までは,大学院のある専攻の入学定員が10人あったとして,8人しか受験せず,6人しか合格しなくても平気でした。ある基準をクリアしないと定員にかかわらず入れない,という認識があったのです。

3.現在は大学院拡充で入学定員がふえ,定員13人であれば,どんなことをしても13人を確保しないと,文科省から叱られるという状況になりました。有力大学でなければ,学生集めにも苦労しています。留学生も増えました。むかしの6人から比べると,7人は基準以下ということになります。

4.入れっぱなしというわけにはいきませんから,この7人にまともに修士論文や博士論文を書かせるには,とんでもない手間がかかっています。「学歴ロンダリング」は,ぼく個人は使いませんが,この7人に対していう言葉でしょう。
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私の場合、学生のころ、学歴ロンダリングという言葉はありませんでした。


今思えば、院進学時は、完全な学歴ロンダと言われても仕方なかったと思います(地方大→地方大院ですが)。しかし、修士課程の2年間で学歴ロンダだったけど、きちんと院生として頑張ったし、少なくともロンダ的に見られてはいなかったと思います。
もう33年も前の話です。また、大学(教員)にもよると思いますが、他大学の出身者はとらないと言われたこともありました。
ちょうど共通一次が始まる前の年。
国立大学はI期校、II期校に分かれている時代です。今でいえば、各国立大が前期日程、後期日程のどちらかしか試験がなく、それぞれ1校づつ受けられると考えればわかりやすいでしょうか。たとえば、旧帝大はすべてI期校でしたので、1校しか受けられませんでした。II期校の代表は横浜国大でしたので、東大に落ちた人で浪人したくない人はそちらに流れる人が多かったと思います。
さて、自分の話になりますが、I期校に落ち、II期校を受験することになっておりましたが、自分としてはこの時点で浪人を決めておりました。II期校の入試の帰りに予備校の特待生試験を受け、予備校も授業料全額免除が決まっていました。そんな中で、II期校の合格通知が届き、高校の担任、親から。II期校に行けという勧めが強く、特に担任から「大学院に行く時に旧帝大でも行けばよい」と勧められました。そうこうして、親からも大学院まで出してやる(学費等)と言われ、その気になってしまい、大学に入っても、それこそ教養のどんな科目もさぼらず、4年間、大学院に行くぞと考えながら過ごしました。
 当時は、国立大でも大学院のない大学は多くありました。自分の大学では工学系、農学系は修士課程がありましたが、理学系にはなく、自分の学科では院に行くなら他大学(院に行くという空気自体がまわりにはありませんでしたが)という感じでした。
 正直入試でトップだったであろうと内心思っていましたし、学部時代の成績は、考える科目は1位、暗記が多い科目は2位かなという意識で3年まで過ごし、卒研配属では、院進学を前提に研究室を選びました。そして、研究室訪問をして受験した第一志望の旧帝は専門科目は合格点だったものの英語が悪く、さらにドイツ語が悲惨な点数でまさかの不合格。そして、さらに2つの大学院に落ち、4つ目の大学院に合格しました。
 3年までは、完全に学歴ロンダ的気持ちで勉強していましたが、4年になり、気持ちが少し変わってきていました。卒研ではじめて研究に触れ、研究を続けたいという気持ちが芽生えていました。自分の大学には院がない。研究を続けるなら他大の院へというルートが必然でした。学歴ロンダ的な気持ちから研究がしたいからという方向へ気持ちが変化していったわけです。
 そして、進学した研究室は、実に厳しい研究室で、毎日、朝8:30から夜12時まで助手と院生は全員いるという研究室でした。当時はきつさもありましたが、今思えば、よく頑張ったと思います。
 もともとの気持ちは学歴ロンダだったかもしれません。しかし、院で頑張ったというののどこか悪い点はあるでしょうか。高校時代不器用で数学と理科は頑張った。でも5科目では一流大学に届かなかった学生が大学時代、頑張り続けて、大学院で巻きなおし。別に悪くないと自分は思います。
 就職もあまりうまくいかず、民間企業2社を若くして退職、でもその間頑張って、県の上級試験、国家I種に合格し、県工試、国研を経て、大学教員になり、その後、旧帝大(これは別にロンダ的な意味ではなく出身大学院に現在の専門に合う教官がいないためで、たまたま仕事に関係のある旧帝の先生と知り合いになったため)論博をとり、今では教授になりました(もう50歳超えました)。
 今、いちいち学部がどこだったとかいうこともなくなりました。聞かれたら答えますが、この年になり、今ちゃんと仕事をしていれば、出身大学がどこだなんて関係ないと思います。
 基本的に学歴ロンダだろうが違おうが関係ないと思います。結果的に仕事がきちんとやれればそちらで評価されますし、ロンダでよい大学院に行ったって、仕事で評価されなけれなければだめでしょう。何年もたてば出身大学とか院とか、ほとんど関係なくなるでしょう。
 
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1です


要は「箔をつける」ための進学なので、そういう人達は本当の大学院の意義とは別に目的があるということです。
>理解している人は、その「箔をつける」という認識には自然と至らないと思うのですが……。
そりゃそうでしょう。というかこのネットスラングの意味をもう一度読まれてみては?大学院の本来の目的とは別に行動している節があるから揶揄されているわけです。
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この回答へのお礼

再びご投稿ありがとうございます。語句の意味は理解していますよ。ただ、幸か不幸か実際に「ロンダリング」される方を見たことが無いので、「本当にそんな動機で修士課程に進学して研究が務まるのか?」という疑問が拭えないのです。少なくとも私の認識では、大学院というのは回答者様の仰る「本来の目的」以外の動機で出られるところなどではないと思うのです。

お礼日時:2011/03/02 05:11

学歴ロンダリングなるインターネットスラングがここまで広まった背景として、A大学の入学試験よりも、A大学大学院の入学試験の方が遥かに難易度が低いということを利用して、大学名欲しさに大学院に入学してくる輩が実際に存在することがあると思います。

私が学部の入試でA大学に入学した時には、「大学名だけを求めて大学に行くってどうかと思うけど」云々と散々嫌みを言ってきたくせに、ちゃっかりと大学院から私の出身大学に入学して来た奴がいます。「私だって大学名が欲しかった」とほざいていました。大学名欲しさなら学部一般入試で入れと思いましたし、大学院にこのような理由で進学する馬鹿がいることに呆れました。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。確かにそのような理由で大学院に来られる方もいらっしゃると思います。しかし、高校などとは違うのですから、「適当に定期テストで単位とって、なんとなく卒業」みたいなことはできないでしょう。私が疑問に思うのは、そういった理由で進学した人が研究室においてまともに研究活動が務まるのか、という点なのです。

補足日時:2011/03/02 05:16
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こんにちは。



まあそのようなご質問の場合、質問者さんに同調する意見を回答した人がベストアンサーに選ばれることは目に見えていますが、回答します。

私は大学の研究室と大学院の研究室は、同じ大学の同じ研究室でした。
ですから、修士課程1年は、まさしく大学5年と同じでした。
大学3年からの専門教育と大学4年からの研究だけでは中途半端だというのが建て前です。

同級生の半数も私と同じく同じ学科の院に進み、その9割は4年生のときと同じ研究室に行きました。
他大学から来た人は一人もいませんでした。
他大学の院を受けた人も、たしか、いなかったと思います。
(高専から3年次編入してきた恐ろしく優秀な同級生は1名だけいました。院にも上がりました。)

私が大学院入試の受験勉強を始めたのは、試験の2週間前です。
専門科目はずたぼろでしたが、英語のおかげ、それから3年生からの専門科目成績のおかげで受かりました。
(2年生まではサボりまくりでしたが。)
一方、2年も前から受験勉強していた人が落ちました。
その人はお気の毒とは思いますが、まあ受験は勝負なので勝ちは勝ちです。
同じ大学の院に進めるということも(手前味噌ですが)意義がちゃんとあります。

学歴ロンダリングというのは、自分の経歴を書くときに4年生までどこだったかを明かさないことを言うと思います。
実際、自分の著書に大学院の名前しか書かない人はいます。
同僚に東京理科大卒で東大院修了の人がいましたが、その人は、出身校を聞かれたときに「東大の院ですけど、大学は理科大です」といつも言ってました。

大学院に進む人が大学生の大半ではないので、同じ杓子で比較するとすれば四年生の方、というのは理解できます。
他の大学の院に進んだ人については、正直、「がんばり屋さん」という印象しかないです。
よっぽど有名な研究室に入ったのでなければ。

この回答への補足

なるほど。大学4年の延長ではない、と単純に言い切ることのできない側面があったのですね。(差し支えなければ、どちらの大学院大学かをお聞かせ頂けると幸いです。)

ところで、留学した場合などに、学歴の記載が長くなってしまう人がいると思うのです。
例えば……

【A大学文学部<学士>】→【B大学院スラヴ文化研究所<修士>】→(渡米)→【C大学院開発学研究所<修士>】→(帰国)→【B大学院スラヴ文化研究所<博士>】

……学部の名前などの詳細は変えてありますが、実際にこれくらいの複雑さの経歴をお持ちの方がいらっしゃいました。
この方の場合、著書等に全て書くと、とても長くなりますが、かといって学部だけ書くと何の研究をしたのか不明瞭です。

この方の場合、一般の方にもわかりやすく自己の経歴を説明するためには、自分の学部を隠すためではないにしろ、簡潔さを求めてB大学もしくはC大学の名前だけを書く方がベターなのではないでしょうか? (著作の性質に合わせて書く経歴を変えるとか)

屁理屈のようになって申し訳ありませんが、お答え頂けると嬉しいです。

補足日時:2011/03/02 03:34
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この回答へのお礼

いえいえ、私の考えに同調するしないに関わらず、同等に大切なご意見ですよ。寧ろこのような議論というステージにおいては、貴方のような批判的立場の方の方が、私にとっては貴重な存在です。ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2011/03/02 02:52

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