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書道で「二度書き」は悪いことのように言われますが、なぜなのでしょうか?
1度でうまく書けるに越したことはありませんが、気に入らない所を修正しても悪くないような気もします…。
1回きりの偶然性を楽しめということなんでしょうか?

まあ、別に深刻な質問でもないので、みなさんのご意見をお願いします。
「二度書きテクニック」などありましたら、それも教えてください。

A 回答 (6件)

偶然性もあると思いますけど、二度書きした形跡って、十中八九バレてしまうんですよ。

そうすると、見苦しい抵抗って感じがするんだと思います。

武士の精神?、っていうと多分違うと思います。
書道はもちろん中国から伝来したものだから……

あ、ひょっとすると経典などを書写する時に、二度書きしてしまったら、大切なことを改竄されたような気がするから、かもしれません。

自信のない答ですみません。後続の人が解決してくれるのを待ちましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに二度書きした結果、さらに悪くなってしまうっていうことはよくありますよね。なるべく1回で成功させたいものですね。

お礼日時:2001/04/21 13:46

書道は線の芸術ですから(にじみとかかすれなど)その偶然性を楽しむということが一つに有るのではないでしょうか。


何度も書くとにじんでしまい、不自然でしょう。
特に行書や草書などを書く場合、二度書きをすると線と線のつながりが途切れてしまうわけですし、そこに不自然さが出ると思います。
小字(はがきを書いたり)のときには少し位かまわないのではないでしょうか。
あくまで作品としてはふさわしくないといえるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
行草での二度書きは、ほとんど成功しませんよね。
ただ線の流れがうまく出なかったときに、つなぎの線を書き加えたくなったりしませんか? 失敗するのであまりやりませんが…。
小字や多字数の作品では、結構二度書きでごまかせますよね。

お礼日時:2001/04/21 13:57

 俺は「ド偉い先生方がそれを嫌っているから」という見解を確信しています(笑) 写真では、「真ん中に1つだけポツンと被写体がある」いわゆる日の丸構図を専門家は嫌いますが、これと同じですよね。

何が悪いのか具体的に分かってる人はいないってわけです。
 「見苦しいから」はあくまで見た人の主観であり、これは本人の意見にすぎず、「これこそ真理なり」といった顔で語るようなモンじゃあないと思いますね。

 というより、てめーの字の上手下手を他人に判定してもらう、という行為自体が嫌いなんです(^_^;
 下手でけっこう。余計なお世話(笑)(←他人から字が上手と言われたことがない。よって、字を見てその人の性格を見る占いも嫌い。だから日○ンの美子ちゃんは内弁慶か何かじゃないかと思っている(笑))

 2度書き、大いにけっこうじゃないですか。「2度書きテクニック」みたいなものができたら、それはそれで面白いと思いますよ。
 変なところが飛び出たら、そこに毛虫の絵とか付けてごまかしたりとか(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

deagleさんのような意見があってもいいと思います。
作品の評価は、どうしても主観が混ざってくるので難しいですね。
でも芸術作品としては、誰もが同じ意見になる統一見解みたいなものは(低いレベルで)あるのではないか、とも私は思っています。今回の質問の意図から外れてしまうので、ここではやめておきます。

私も「二度書きテクニック」は、それはそれで面白いと思います。ちょっと研究してみたいです。

お礼日時:2001/04/21 14:13

二度書きは作品として認められていないだけで、練習の時は誰でもしています。



しかし、もし二度書きの効果が芸術的感動を呼ぶところまで高められるなら、挑戦する価値はあります。

誰の作品か忘れましたが、薄墨で柳のような葉を交差させて、その部分を濃く表現して・・・重ね書きとは違いますが

素晴らしい作品を見たことがあります・・・書道という枠を外せば自由な発想が出るのではないでしょうか。

OOsevenさんの二度書きとは違うかもしれませんが、一回限りの偶然性に加えて、影絵のような技法の可能性もあると思います。
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この回答へのお礼

Eivisさんのおっしゃるように、墨絵の世界などでは二度書きを表現効果として使ってますよね。

それとは別に、失敗を隠す目的でやった二度書きは、やっぱりダメなんでしょうか?
少しでも良い作品にしようと思って二度書きをやるわけで、(成功/失敗は別にして)それほど否定されるものでもないような気がするのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/21 14:31

書作品は筆を持って舞った軌跡です。

練習の時は部分練習したり、先生が朱筆を入れてくれるみたいに形の工夫をしたりします。
清書の時にはちょうどステージにあがった歌手や舞踊家のように訂正ができません。出来上がった作品を見比べると一気書きのものが、それも無心に書けたものがよいということが分ります。二度書きは恥の上塗りになってしまいます。気に入らない所を修正したいときには新たに書いたほうが良いようです。気に入らない所があるということはそれだけ自分の目が育ったということですので書きなおせば良くなることが多いです。
刻字や印刷の版下などでは補筆は必要に応じて行われます。技術は目的により人により色々あろうかと思います。
肉筆ではその部分に直接筆を持っていくのではなく少し前から空振りすると自然に見えます。少し墨色を薄めにするという人もあります。どの部分なら触ってもばれにくいというようなことは経験で覚えますが、作品としては後ろめたさもあって発表できません(苦笑)。
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この回答へのお礼

大抵の場合は、何も考えずに無心で書いた作品が一番良い作品になりますよね。
構図がしっかり頭の中で描けていて、その通りに書ける技術があれば、二度書きなんかいりませんね。 練習します!

cotikuさんのおっしゃる通り、二度書き作品には「後ろめたさ」があるんです。うまくいった二度書き作品にも「後ろめたさ」があるのは何故なんだろう?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/21 14:49

それは「書道」だからです。

中国では「書法」です。言うならばレタリングやカリグラフィーと同じです。

向うの有名な書家とやらが書いているところを向うでも日本の百貨店でも見たことがありますが、「チョウチン」(=二度書きのことを子供の頃そう言っていた)を平気でしていました。かすれても一度で書き切らないとダメダ~メなんて言っているのは日本人だけだと思います。

しかも、中国人の書家は中国画の絵師を兼ねている場合が多く、尚更「チョウチン」を恥としないようになっているのではないでしょうか?

私個人としては、カリグラフィーではなく、「道」であった方がいいと思います。しかし、その最近の「書道」とやらも、漢学の素養のない連中が書いているので、何ともおかしい、「絵画」になりつつあると私は感じます。
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この回答へのお礼

中国のことを教えていただきありがとうございます。中国と日本で、二度書きの捉え方が違うんですね。

最近の「書道」が「絵画」になりつつあるというのは、分かるような気がします。
青山杉雨さんの作品には、絵画に近い作品があったと記憶しています(私は、そういう作品も好きです)。書道でも、絵画的な作品を書くという方向性では、二度書きをうまく使っていく手もあるのではないかと、私は思います。

お礼日時:2001/04/21 15:07

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