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東海道をはじめ、旧街道にはほぼ全線に沿うように鉄道路線が建設されていきました(東海道なら東海道線など)が中山道は全線に沿う鉄道路線がないばかりか、間が抜けてる区間が存在します。

なぜ中山道に沿う鉄道が造られなかったのですか?

A 回答 (4件)

明治時代は中山道経由で鉄道を作ろうとしていました。


東海道は海に近いため戦争になった時戦艦の標的になる可能性が高い(当時飛行機が開発されていなかった)ので中山道経由に決まったのですが、
沢山のトンネルと勾配きつい特に横川⇔軽井沢の碓氷峠越えになり建設費が跳ね上がり中山道経由は断念しました。
上野(高崎線)高崎(信越本線)横川・軽井沢はその名残です。
東海道本線の名古屋⇔草津・京都は中山道経由で建設されています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
現在の東海道(線)自体が東海道と中山道をミックスしたルートですね。
亀山経由と関が原経由と距離関係はわかりませんが、少しでも中山道の「いいとこどり」をしたということでしょうか。

お礼日時:2011/05/09 14:54

もともと京都と地方を連絡する目的で作られ江戸時代に江戸からの連絡として整備された街道と明治以降に整備された鉄道では目的が違いますから一致させる必要も必然もありません。



主要都市間を連絡する目的の鉄道では中間地点まで徒歩が主体の旧街道と一致させる必要はありません。
また鉄道では地形、地質による制限が大きいので必然的に違うルートを取ることになります。

中山道について言えば小諸-諏訪間は山岳地帯で鉄道建設に不向きである上途中区間に需要がないので鉄道敷設法には掲載されたものの着工せずに終わっています。

東海道にしても熱田-草津間は全く別ルートですし奥州街道も東京-栗橋、仙台-一関等々並行していませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
東海道はご指摘の区間で完全な別ルートであることがそれはそれで不思議でしたが、そういう背景があるのですね。

お礼日時:2011/05/09 14:51

そもそも中山道の経路が、京~江戸を結ぶにあたって、わざと不便な遠回りルートになっていたため、鉄道を敷設するに際し、効率性の面から、そのルートが採用されなかったのではないでしょうか。

具体的には、現在の駅名で言うと、以下が該当します。

(1)下諏訪~岩村田:江戸に向かうなら甲州街道が近いのに、別の方向に向かうかのような経路
(2)恵那~御嵩:数多くの峠を越えなければならない山道(軍勢を勢いを削ぎ、待ち伏せしやすいように)

東海道は川越え(大井川など)を自然の障害として軍勢対策としていましたが、中山道は川越えが無い代わりにルートを非効率にして軍勢対策にしていた節があります。

以上、ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
交通や移動の概念ではなくて軍事的意味があるなら鉄道を沿わせる必要は皆無に近いのも納得です。

お礼日時:2011/05/09 14:49

旧街道には、可也険しい地形も含まれています。


例えば、箱根超えとか、碓井峠・塩尻峠ですね。

当時の土木技術では、渓谷沿いに上れるところまで上って、最短距離の隋道で峠を抜けるルートが選定されました。
また、一部には、鉄道の敷設に反対する運動もありました。
ゆえに、必ずしも、旧街道に沿って線路が敷設されていなくとも、何ら不思議な事ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
昔は必ずしも鉄道は歓迎されていないところもあったようですね。
確かに全線単位で見ると中仙道で東京~京都を往来する必要性はないですね。

お礼日時:2011/05/09 14:47

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