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やれ公民圏だの市民だのと、なんだか対立的な権力関係を読み取っちゃったみたいな見解があるようですが、古事記をいくら読んでも、優等生アマテラスに対してはスサノヲはどこまでもやんちゃな暴れん坊。全然そういう政治的な読み方はできないと思うんですが、さてどうなんでしょうか。神話研究的にはどういう解釈なんですか。教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

かつてレヴィ=ストロースはスサノヲをとりあげて、「バイトゴゴ」というあだ名の青年が登場する南米の神話群と同列に扱ったことがあります。

バイトゴゴというのは、一人前の男性になろうとせず、母親など女性との分離を拒む振る舞いの数々をする、という存在です。

スサノヲの行動には、確かにそういった特性が強く現れています。女性とのつながりを求めるなかで無責任かつ自己本位な振る舞いをとるのです。

まず、父イザナキが三貴子にそれぞれの土地の統治を命じた際、アマテラスとツクヨミがすぐにその任に当たったのに対して、スサノヲは「母のいる根の国に行きたい」と駄々をこね続け、そのせいで天地に大変な禍いをもたらしたとされます。ここでスサノヲは、まさに母親との分離をいやがり、男性としての成熟を拒否したのです。

呆れたイザナキから追放されると、突然今度はアマテラスに会いに行こうとし、無用の混乱を招きます。しまいには機屋での狼藉によって機織女を死に至らしめてしまいます。ちょっと資料が出てこないのですが、この点は確か大林太良氏もスサノヲとアマテラスとの近親相姦を示唆するものではないかと分析されていたと思います。その見立てに従うなら、、スサノヲは自分の職責を果たすどころか、成熟や社会性を一層拒否して、女性との合一という繭のなかに閉じこもろうとした、ということになります(レヴィ=ストロースはバイトゴゴが「閉じこもる者」という意味であることを強調しています)。

やがて追放され、オロチ退治をするというくだりは、世界各国の神話や昔話に見られるとおり、一人前の男性として社会的人格を確立するという意味でしょう。つまり、このオロチ退治はスサノヲにとって大人の男性へのイニシエーションという意味を持ちます。ここにきてスサノヲはやっとバイトゴゴ的心性を脱却したと見えるわけです。

ところがもう少し言うと、ずっと後になってからでもスサノヲは、オホクニヌシに娘のスセリビメをやるのを好ましく思わないがために数々の難題を押しつけています。やはりバイトゴゴマインドは抜けきっていない、ということでしょうか。

吉田敦彦氏は、猛烈な力を秘めながらもどこか女性性との癒合を断ち切れずにいるという、いわばスサノヲ的な性格を日本人男性の一種の典型ではないか、と評しています。この女性性との切れない関係というのは当然、河合隼雄氏がはやくから昔話の分析を通じて日本人の特質として指摘してきたことに重なるものです。

アマテラスとスサノヲが政治的な意味で何かのアナロジーになるのかどうかは、まあ読み方次第というところでしょう。読み手によってどう読んでも自由だと思いますが、ただそうすることによって現実がよりわかりやすくなったり、あるいは意味が明確になるのでなければ、本人にとっては結構な概念操作のつもりでも、周囲の人間にとっては意味がないということになりかねないのでは、と思います。

余談ですが、研究者のなかには、単にアマテラスとスサノヲだけを対立させて分析するのではなく、三貴子という存在とそのなかでの両者の意味を重視する人が多くいます。つまり、ツクヨミといういわば「何もしない神」が中空構造を支えるキーとして重要なのではないか、という視点にたったうえで二人の関係を読み解こうとするわけです。重要な視点だと思います。
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この回答へのお礼

スサノオはけっこう分析されているということですね。大人の男になりきらないというのは確かに理解しやすい説明だと思いました。アマテラスは普通に優等生すぎて分析の対象にならないんでしょうか。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/05/09 22:14

mythos


神話は「能力のない」特に 思考能力のない
「ぼんぼん・おじょうさま」の逃げ道です。

神話は、語学的に見ると絵文字文化の論理表現です。

つまり、絵をかけない語り手・説得力にかける話者のごまかしです。

発展と変化の違いがわからない非常識な人の「言葉」です。

ゲームという観点から分析してみます。

1かつて、テクストベースのゲームが存在しました。

「がいこつは、15ポイントのダメージをあたえた。」とかという文章が、えんえんとつづくプログラムです。

これを「面白いものだ」と信じ込んで今でもやっている人がいる。

2
1を経験した人が、テクストが「改ページ」している間に絵を表示するよう変化させた。そうして、テクストと静止画が、入れ替わり立ち代りえんえんを表示されるゲームが生まれた。

これを「面白いものだ」と信じ込んで今でもやっている人がいる。

3
2を経験していた人が、静止画の変わりに 動画を使って表現しようと思い、表示にビデオと音声を差し加えた。

これを「面白いものだ」と信じ込んで今でもやっている人がいる。

4
3を経験した人が、実写にちかい立体的動画を使ってゲーム開発し、より大規模な音楽を導入してゲームを作り出した。

これを「面白いものだ」と信じ込んで今でもやっている人がいる。

注意してみるべきことは、1-4は変化であり発展ではありません。加えて、ゲームには生産性というものがなく、それ自体「消費」であるということを忘れてはなりません。

神話に立ち戻ると神話に出てくる単語を使ってオペレーションするというのは、「レベル1」段階のテクストゲームです。
ひらがなで「がいこつ」ってイメージどうよ?と真剣に議論している状態です。

技術的に絵がかけない+音楽に詳しくないという事実から出発して、しょうがないから言葉だけで何とか面白い物をつくろうとしているおじいさんたちです。

ただの時代遅れです。

ちなみに哲学的にみて「最も抽象的なものは音楽である」とされています。

勘違いという観点から「dude phantasy」という概念を検討してみてください。ジェンダー理論から思考してゆく為の手懸りが見つかるはずです。
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この回答へのお礼

はい、まあそういう観点もあるかと思いますが。一応神話として分析を尋ねてるんで、ちゃぶ台ひっくり返されると困っちゃうんですが。

お礼日時:2011/05/09 22:24

幻想を抱いているのかも。



アマテラスとスサノオは、よく神話に登場するパターンで、神話の基本を抑えていると思う。

アマテラスとツキヨミとスサノオ。
3神一体ですよね。 神話のお約束のひとつがこれですから。


で、昼と夜と黄泉の国の主。
スサノオは死の神なわけですが、死神もこの世に必須ってことで、登場させたのだと思う。


だってスサノオって破壊の属性を持ってますよね。
暴れん坊どころか命を奪う属性を持っているので、生命あるものにしたら怖い神様なわけで、怖い神様に対しては日本人は、毛嫌いするどころか ヨシショして、褒め殺しにすることで、暴れないようにする。

だから、大宰府の神様は大神って名前をつけたでしょ?
そうやったら やっと疫病が鎮火したってことで、ほっと胸をなでおろした。
人間の手ではどうにもならない場合は、憎むのではなく ヨイショして難を逃れるってのは、人間界でもそうですよね。
ひとっひねりにするほどの権力を持った人には、ごまごま すりすり ほめごろしぅ 袖の下~ ってやることで、災いを起こされないようにする。
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この回答へのお礼

えーと、すいません、回答のポイントがまったく理解できないんですが。スサノオは別に古事記の中では誉め殺しなんかされてないですよね。それとも古事記の作者が「登場させて活躍させた、ごますりしたぞ」って思ってるってこと???

お礼日時:2011/05/09 22:23

 ANo.7:○○ェンヌ氏のことだろうか?かの尊敬する博学碩学に補足:



 哲学って、凡そ知性と理性があれば、万人に通じるべき普遍の展開であるというのが私の固定観念であります。
 無学であれ、低い境地であれ言語を介してそれなりに表現し、それなりに相手も自己の内に構成し紡ぎ出すものと存じます。
 そういう次元においては、前提になっているものの表明と説明は、いえ提示は不可欠と存じます。
 共通の情報知識をがない人を含む一般を対象にするなら、そういうことのためのイントロはあってほしい。
 前提と対象領域範囲と、目的のゼロからの無前提からの説明は知を求め愛する者同士の思いやりだと存じます。
 
 (どこかで超能力をひらけかす・・・・というご質問がありますが、超能力は説明の外ですが、哲学は表示や顕示なんて意味がないですよね。)

 
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この回答へのお礼

最初のお答えにも書いたんですが、前提になる知識が問題というより、変な表現ですが感性が理解できないんですね。説明をくわしくされても、なんでか「、」を打たない文章がずらっとあっても読みにくいだけですし。

お礼日時:2011/05/09 22:17

 sakurazzさん、つまり古事記の記述内容やその読解をかの○○ェヌ氏は述べているのではないのでしょう。


 新しい観点や意味のご講説でもないのですね。
 だから私たちはかの博学氏がもってきている河合何とか氏の本を読んでいないと読み取り難いか、まぁ読めないのです。
 かの博学氏はそういう読書をしている方を相手にしているのではないですか?
 そして回答1のようにご自分の思考や分析などの整理と描出のための形式と手法なんでしょう。
 そうすると、博学氏が直接に内容を出してくる前に、イントロや分析のプロセス内容の説明が欲しいですね。
 一生懸命あれだけを読解するのは無理だという事でしょう。

 私も50年ほど勉強しているインド神話や聖典、そして最近の聖書の勉強で古事記に共通のことがあるので、質問したいと思っていますが、自分の信仰というプライベートのことに関るので、表現が難しいですね。

 まぁ、知的思索の次相であれば、もう少し親切なご説明も欲しいですね。
 私個人はどうもかの河合なんとかさんとはどうも波長というか、対面していることが違うようなのでそっと礼をして通り過ぎています。
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この回答へのお礼

博学で本を読んでないとダメというより、なんでそういう風に考えるの?っていう方向性が理解できないんです。考え方の基本的なフレームが違う感じです。

お礼日時:2011/05/09 22:11

アマテラスとスサノヲの関係に



○ アマテラスやその弟スサノヲの時代はヤマトの国はまだまだ小国同士が争っていた時代ですね。
男性首長同士の争いを治めるには女性の巫女が最適であったということですね。それがアマテラスです。
ところがその弟スサノヲは和を持って良しとするより滅ぼして纏めようとしたのですね。
まあ、例えば、明治維新の坂本竜馬と薩長の考えの違いのようなものですね。江戸幕府を滅ぼすか懐柔してしまうかの違いですね。維新では坂本竜馬は排除され、薩長の主張がまかり通って、勝てば官軍になりましたが、アマテラスの時代はあまり図抜けた小国がなかったのでしょうね。ヤマトの国に統一国家が出来上がるのはずっと後の時代でしたからね。
つまるところ各首長はアマテラスを選び、弟のスサノヲを海の向こう、現在の韓国へ追放したのですね。
政治的といえば政治的ですね。今も昔も人の生業はたいして変わっていないということですね。
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この回答へのお礼

はあ、スサノオは韓国へ追放されたんですか。その神話はどこで読めるんでしょうかね。

お礼日時:2011/05/09 22:08

訂正



×珍獣ぶらゲロん

⇒ヘンタイぶらゲロん


×しかしオレはこいつを許すことが出来ない。

⇒許す必要性がない。
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この回答へのお礼

一度に見ればよかった、珍獣じゃなくて変態でしたか。確かに珍獣なら保護の対象だからね。

お礼日時:2011/05/09 22:06

珍獣ぶらゲロんの言うことは一側面としては正しいのです。



しかしオレはこいつを許すことが出来ない。
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この回答へのお礼

珍獣ですか、なるほど。

お礼日時:2011/05/09 22:05

 こんにちは。


  
 ★ 優等生アマテラス
 ☆ も玉に瑕があります。

  (1) 《われうたがう。ゆえにわれあり。》を信条としている。

     ・じつの弟のスサノヲをもうたがう。人間としてうたがう。
      人格をうたがう。うたがいつづける。ついに弟にも誰にも
      みづからの心を開かなかった。

     ・《われあやまつなら あり。》にもとづくスサノヲと比べる
      なら かれが
 
       《自由にもとづき あやまちうるスサノヲ人間語》

      であるのに対して アマテラスは アマテラス普遍概念を用
      いて探究し おのれを陶冶した結果 いちおう

       《アマテラス科学語》を駆使し 
       《アマテラス人格語》を表現し得る。


  (2) 世界一の優秀な人間であったらしく それが高じて《われ
     は神のごとくいかなるものの下にも立つまい》という誓いを
     立てたらしい。

     ・ すでに自分の領土から追いやったスサノヲおよびその子孫
     のオホクニヌシに対して おまえたちはその領土もろともこち
     らに服属せよ》と言って迫った。

       オホクニヌシらは 主戦論も非戦論もどちらも同じく人間
     の弱さから出るもの。ならば 殺し合いを避け非戦論を採ろう。
     と言って 《くにゆづり》をした。

      そこから もともと平屋建てだった社会が二階建ての国家と
     なり 

       《アマテラス公民‐スサノヲ市民》の連関制

     が始まった。評価をくだせば これは頭で立って逆立ちしている。



 (1)なる主題については たとえば次の質疑応答を参照してください。

   【Q:アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めなかったか】
   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6088388.html


 (2)をめぐっては ひとつだけ挙げるなら 次を見てください。

   【Q:スサノヲだけがなぜ自由か】
   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6044196.html

   ・(1)の主題を含みます。くにゆづりについては そのNo.1補足欄&お礼欄です。


 * 古事記からの引用もおこなっていますので 或る程度の《神話研究》をも含むと申し上げます。
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この回答へのお礼

なんだか思い込みが強いのではという印象をぬぐえません。
わたしはあほばか国民のひとりのせいか、おっしゃるてることのポイントがよくわかりません。「、」のない文章もあほばかのせいか読みにくくてしょうがない。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/05/09 22:04

Ojiji2011


問題は、
オレもバカだが、オレ以外もみんなバカ。といっていることでしょうね。
他人に対する評価が間違っている。
また、
「俺のばかさ加減は、のうてんきであり、若さである。」とのべるのが、間違っています。俺のばかさ加減と他人の ばかさ加減の違いは、オレと他人の違いです。

他人のバカは、ただのバカ・オレ様のばかは、生命力だというのは、いただけません。

自分はおじいさんなのに(ばかさかげんでは)まだまだ若いと思っている。

正しい意見をのべるオレは正しいが、たにんは、間違っているという傲慢さがまちがっているのではないでしょうか。

結局自分の目から見て正しい主張をする俺様は、主観的にみて正しい
といっているだけで内容がない。

俺は基本的に見て正しいが、間違っていれば、それは俺が生き生きとして若いということの証拠である というのは、人騒がせで間違った見解です。

さらに、キリスト教が絶対正しいというのも間違っている。
現実世界で犯罪を犯しているくせに偉そうなクチをタタくのが間違っています。

神話的2元論にひきつけて言うとすると、「俺はお前らに社会を経営していく権利を与えた」と自分の脱税の根拠を捏造しています。お前らに任せたオレ様は偉いという錯覚です。

実際問題として、土地家屋を相続していながら、脱税目的で名義変更せず、相続税を滞納するという犯罪を犯し、関連会社には、脱税を薦め、脱税できたらそれに見合う報酬を要求しながら、さらには、哲学者を装っているという
キリスト教的偽善者の姿のが大問題でしょう。
哲学のない経済犯罪者=哲学経営者は、社会の害毒です。経営哲学を持たない
ということは
いうまでもありません。

国の為に何もしておらず、
脱税供与で生計を立てながら、

年金をがっぽり懐に納めるのが人生の目的であるという不正の偽善者が偉そうにしているのが問題なわけです。
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この回答へのお礼

質問は古事記の話なんで、いちおうそこに絞って回答してもらえれば。
でも経済犯罪とは興味をひかれるなあ。どうやってわかるんだろ?
どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/05/09 21:58

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