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以下の5か所がどこに書いてあるのかわかりません
旧約のどこに書いてあるのか教えてくださいお願いします。


ヨハネ 8
「16 ですが,もしわたしが裁くとすれば,わたしの裁きは真実です。わたしは独りではなく,わたしを遣わした父が共におられるからです。
17 また,あなた方自身の律法の中に,『二人の証しは真実である』と書いてあります。
18 わたしは,自分について証しする者であり,わたしを遣わした父もわたしについて証しされるのです」。」

で律法の中で二人の証しは真実であると書いてあるのはどこですか?


ヨハネ 18
「6 しかしながら,「わたしが[その者]です」と[イエス]が言われた時,彼らは後ずさりして地面に倒れた。
7 それゆえ,[イエス]は彼らに再びお尋ねになった,「あなた方はだれを捜しているのですか」。彼らは,「ナザレ人のイエスを」と言った。
8 イエスは答えられた,「わたしが[その者]ですと告げたではありませんか。それゆえ,あなた方の捜しているのがわたしであれば,これらの者たちは去らせなさい」。
9 これは,「わたしに与えてくださった者のうち,わたしはその一人をも失いませんでした」と言われた言葉が成就するためであった。」

わたしに与えてくださった者のうち,わたしはその一人をも失いませんでしたと書かれているのはどこですか?


ヨハネ 18
「31 そこでピラトは彼らに言った,「あなた方が自分で彼を連れて行き,自分たちの律法にしたがって裁くがよい」。ユダヤ人たちは彼に言った,「わたしたちが人を殺すことは許されていません」。
32 これは,イエスがどんな死を遂げることになっているかを示して言われた言葉が成就するためであった。」

イエスがどんな死を遂げることになっているかを示して言われた言葉が書いてあるのはどこですか?


ヨハネ17
「11 「そしてまた,わたしはもう世におりませんが,彼らは世におり,わたしはみもとに参ります。聖なる父よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように,彼らも一つとなるためです。
12 わたしは,彼らと共におりました時,わたしに与えてくださったあなたご自身のみ名のために,いつも彼らを見守りました。そしてわたしは彼らを守り,滅びの子のほかには,そのうちだれも滅びていません。それは聖句が成就するためでした。」

これが書いてあるのはどの聖句ですか?



マタイ 27
「9 この時,預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。こう言われていた。「そして彼らは,値をつけられた人,つまりイスラエルの子らのある者たちが値を定めた者の代価である銀三十枚を取り,
10 エホバがわたしに命令されたところに従い,陶器師の畑のためにそれを与えた」。」

これはエレミヤのどこに書いてありますか?

A 回答 (5件)

申命記の19章15節にはふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない、とあります。

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第三番目について


新改訳聖書では、32節は「ご自分がどのような死に方をなさるのかを示して話されたイエスの言葉が成就するためであった」とあります。
どちらの表現がより書き手にふさわしいかの議論は難しいですが、この解釈をしたときにはマルコ10章33節が参考になると思います。「人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。」死刑にしつつ、自分たちの手では死刑を行わないということではないでしょうか?
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第四のものについて、解釈は割れると思いますが、彼らとは弟子(もっと言えば十二弟子?)の事ではないでしょうか。


後になって裏切るユダの他は、十一人全員が生き残りキリスト教を伝える中心となっています。
これは20節にある「彼らのことばによって私を信じる人々のためにもお願いします。」とも合うような気がしています。
また第二のものも同じことを言っているのではないかと考えます。
ただこれは、まったくもって私個人の見解です。

第五のものは、ゼカリヤ11章12~13節であると思いますが、エレミヤの18章~19章にも陶器師の話は出てきます。何かしらの関連があるかと思います。

この回答への補足

私も5番目は、他の成就と書かれている部分を見つけた時のようなこれだというの見つからないので、エレミヤになければ、ゼカリヤの部分じゃないかと思うんですが、これを読むと、


ゼカリヤ 11
「13 するとエホバはわたしにこう言われた。「それを宝物庫に投げ入れよ―彼らの見地でわたしが値積もりされたその立派な価を」。そこでわたしはその銀三十枚を取って,エホバの家の宝物庫に投げ込んだ。
14 それからわたしは自分の二番目の杖である“結合”のほうを幾つにも断ち切った。ユダとイスラエルとの間の兄弟関係を断つためであった。」


銀三十枚を宝物庫に投げ込んだ後に、ユダとイスラエルとの間の兄弟関係を断つと書いてあり、銀三十枚をイスカリオテの子ユダが投げ込んだと新約に書かれていて、他の使徒との関係が分かれているのも事実だと思うんです。それで、使徒はお互い兄弟じゃないと思うんですが、ここでは兄弟と書かれている部分なんですが、


啓示 21
「12 それには大きくて高大な城壁があり,また十二の門があった。そして,門のところには十二人のみ使いがおり,イスラエルの子らの十二の部族の名が書き込まれていた。
13 東に三つの門,北に三つの門,南に三つの門,西に三つの門があった。
14 その都市の城壁にはまた十二の土台石があり,それには子羊の十二使徒の十二の名があった。」

これを読むと、十二部族と十二使徒は関係していると思うんです。
それだけならいいんですが、ゼカリヤ11の次に、


ゼカリヤ 12
7 「そしてエホバは必ず,ユダの天幕をまず第一に救う。ダビデの家の美しさ,またエルサレムに住む者の美しさがユダに対して大きくなりすぎることのないためである。



このユダとイスラエルとの兄弟関係が断たれた後、最初に神が助けるのはユダであると、書いてあるのが気になるんです。この預言が成就と新約に書いてあり、銀三十枚に関して成就していて、さらに兄弟関係が回復していないなら次に成就するのは他の兄弟と兄弟関係が分かれた一人であるユダに関してだと思うのですが。思うというか、それじゃ嫌だからとか、旧約が間違っている証拠がない限り最初に助かるのはこの一人であるとしか読めないんですが、内容が内容だけにまず最後まで疑問を聞いてくれる人がいなくて困ってます。自分達の組織が正しいというのであれば、聖句で一か所でも不明な箇所があってはいけないはずです、その不明な箇所がわかった時に全て覆る可能性だってあるわけですから、答えられない所はないと思うんです、なので質問を聞きさえすれば答えてもらえると思ったのが間違いで、この質問、どうしてそう思うのか最後まで聞いてもらえません。聞く方も苦しいでしょうが、言う方も苦しいです、気を抜くと別にそれぞれの組織の解釈で幸せなら成就しなくてもいいんじゃないかとかとか思ってしまいます。ユダは最初に助かると書いてありますが、最初とあるのでそのあとイスラエルの兄弟も恥が地に落ちた後助かるはずです。創世記でも、11人がヨセフが死んだと騙した後最初に飢饉で神が助けたのはヨセフですがそのあと11人全員助かってます。これがなければ苦しくて質問もできなかったと思います。エレミヤにその言葉がないならゼカリヤで、ゼカリヤなら最初に助かるのはユダなんですがゼカリヤのことで本当にいいんでしょうか?

補足日時:2011/05/21 15:16
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旧約は創世記からヨハネ福音19:30の十字架事件までです。

そしてヨハネ福音19:30から新約が始まります。予言は、早いのはすぐ(マタイ14:72)、遅いのは何千年もかかります(創世記3:15がヨハネ福音19:30で成就)。                                                  「1」ヨハネ福音8:17は申命記19:15                                                              「2」(私が彼らと一緒にいた時は御父の御名によって彼らを守りました。御父が私に下さった彼らを私が守り、滅亡の子の他には彼らの中の誰も失って無かったのです。これで聖経が成し遂げられるようにしました。ヨハネ福音17:12)はヨハネ福音18:8,9で成し遂げられます。滅亡の子であるユダは詩編1:19でイエスキリストを裏切ると予言されています。飼い馬が飼い主を裏切る時には後ろの足を上げて飼い主を蹴ります。ユダはイエスキリストに踵をあげて裏切りました。)。                                               「3」(モーセが青銅で蛇を作って細長い棒の上につけると、蛇が人を噛んでも、彼がその青銅の蛇を見ると生きた。民数気1:9)。悪魔として喩えられる蛇(serpent)はあらゆる罪を犯します。彼は罪の塊です。罪が支払う代価は死です(それは罪が支払う報酬は死であり、神様の賜物はイエスキリスト私達の主による永遠な命だからです。ローマ書6:23)。罪の塊である蛇が長い棒につけられています。その蛇にはイスラエルの人々が犯した罪々も含まれてあります。このようにイエスキリストは私達の罪の身代わりとして十字架につけられました。罪一つ無いイエスキリストが世の中の全ての罪を背負い、罪の塊である蛇の状態になられ処刑されました(ヨハネ3:14)。このようにイエスキリストが私の罪の故に処刑されたので私が罪について支払う代価の死は無くなったと信じ切る人を、罪が無いからイエスキリストが復活されたように私も復活すると信じ切る人をキリスト人だと言います。私達の周りには偽りのキリスト人が数え切れないぐらいいます。ヨハネ18:32はマタイ20:18,19の成し遂げです。                                                                                          「4」聖経にはイエスキリストが言われた全てのことが書かれてあるのではなく、極一部だけです。書かれたと言われたら必ず書かれてあります。しかし、言われたと言うならば書かれてない場合もあります。エレミヤ18章には陶器師の話があるし、イエスキリストの時代にイスラエルの人々はエレミヤが言ったことを知っていたはずです。マタイ27:9はエレミヤが記したと書かれてあるのではなく、言ったと書かれてあります。

この回答への補足

なぜユダが滅びの子になるのかがよくわからないのですが、
アブラハムに対する命令で息子イサクを殺すことに、神の命令だからという理由以外にあるんですか?なぜ律法と預言者の言葉の通りに裏切りを演じていた場合それが滅びの子に繋がるんですか?


まず、

テサロニケ第二 2
「3 だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされないようにしなさい。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わし示されてからでなければ,それは来ないからです。
4 彼は,すべて「神」と呼ばれる者また崇敬の対象とされるものに逆らい,自分をその上に高め,こうして神の神殿に座し,自分を神として公に示します。」

滅びの子は、つまり不法の人であると書かれています。
滅びの子はすべて「神」と呼ばれる者また崇敬の対象とされるものに逆らい,自分をその上に高め,こうして神の神殿に座し,自分を神として公に示す者であると書かれています。これがユダである根拠はなんですか?


また、


テサロニケ第二 2
「8 まさにその時になると,不法の者が表わし示されますが,主イエスはその者を,ご自分の口の霊によって除き去り,その臨在の顕現によってこれを無に至らせるのです。」


とありますが、これを読むと、不法の者つまり滅びの子が表わし示されるのはその時とあり、その時とはいつなのかはまず置いておくとして、この者を除きさり無に至らせるのはイエスの口の霊によってであると書かれています。


これがどういうことなのかを調べると、


ヨハネ 12
「47 しかし,わたしのことばを聞いてそれを守らない人がいても,わたしはその人を裁きません。わたしが来たのは,世を裁くためではなく,世を救うためだからです。
48 わたしを無視し,わたしのことばを受け入れない人には,その人を裁く者がいます。わたしの話した言葉が,終わりの日にその人を裁くのです。」


で、イエスを無視し、イエスの言葉を受け入れない人が裁かれるのではなく、その人を裁く者がイエスの話した言葉で、終わりの日に裁かれるとあります。


マタイ 7
「1 「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。
2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。」


と念をおしていますが、問題は裁かれるのはイエスの命令を守らない人を裁いている人で、その時は終わりの日であると書かれています。つまり、イエスの口の霊、イエスの言葉の中に何かが隠されていて終わりの日まで意味がわかっていない事があるはずなんですが、ここからは質問とは全く関係ないので、話を戻すと、ユダがこの不法の人、つまり滅びの子である根拠はどこからきたんですか?
どこかの組織の教えが正しいと主張しあっている現状で聖句をあてはめるだけではまったく解決できません。聖句の解釈を出して、その解釈を証明する聖句をください。不法な者がユダでなかった場合、パウロの言葉により、滅びの子もユダではなくなり、蛇もユダではなくなってしまうような次元での聖句の引用だとどの組織が一番正しいのかの見分けがつきません。
信じなければ救われないで突然突き放し、必ず最後にお前はサタンだから助からない、これを信じなければ聖書を読んでも分からないと言われて終わるんですが、
全ての組織が同じように聖句を使っているので引用されただけではわからないというこっちの立場を少しは考えても見てください。私が考えて話しているわけではなく他の聖句にそう書いてあるから聞いているだけだということをまず理解してください、ユダが、終わりの日に裁かれ、神の神殿に座し、自分を神として公に示した者であるという理由を教えてください。改めて再度ユダが裁かれるということなのですか?教えてくださいお願いします。

補足日時:2011/05/21 08:46
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こちらの質問も誠実なもののようで、回答を試みたいとおもいます。





(1)
申命記17:6
二人の証人または三人の証人の口によって、その死ぬべき者は死に処せられるべきである。一人の証人の口によって死に処せられることはない。

申命記19:15
「人の犯すどんな罪の場合であれ、何かのとがまた罪に関しただ一人の証人が立ってこれを責めるべきではない。二人の証人の口または三人の証人の口によってその件は定められるべきである。



(2)ヨハネ6:39
「わたしにお与えになったすべてのもののうちわたしがその一つをも失わず、終わりの日にそれを復活させること、これがわたしを遣わした方のご意志なのです。というのは、子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです。わたしはその人を終わりの日に復活させます」。

これはイエス自身が前もって言われた事柄なので、旧約(創世記からマラキ)からの引用ではありません。



(3)
マタイ20:17-19
さて、エルサレムに上ろうとするにあたり、イエスは十二弟子だけを連れて行き、その途中で彼らにこう言われた。「ご覧なさい、わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は祭司長や書士たちのもとに引き渡され、彼らはこれを死罪に定め、ついで、これを愚弄し、むち打ち、かつ杭につけるために諸国民の者たちに引き渡すでしょう。そして、三日目に彼はよみがえらされます」。



(4)
使徒1:15-20でペテロが説明しています(11人になったために1人を追加するときに)。
 さて、そうした日のこと、ペテロは兄弟たちの真ん中に立って,こう言った(その群れの人々は全部で百二十名ほどであった)。「皆さん、兄弟たち、聖句の成就することが必要でした。それは、聖霊がダビデの口によりユダについてあらかじめ語ったものですが、この人はイエスを捕縛した者たちの手引きとなりました。彼はわたしたちのひとりに数えられて、この奉仕の務めに参与したのです。(それで、実にこの人は、不義に対する報酬で畑を買い取ったが、まっさかさまに落ちて、その身は真ん中から音を立てて張り裂け、その腸はみな注ぎ出されたのである。そのことはまたエルサレムの全住民に知られるようになり、結果としてその畑は彼らの言語でアケルダマ、すなわち“血の畑”と呼ばれた。)詩編の書の中に、『彼の宿る所は荒廃するように。その中には住む者がいなくなるように』、また、『その監督の職はほかの者が取るように』と書いてあるのです。

ちなみにダビデの述べた預言とは、詩編41:9、詩編109:8です。ご覧になってみてください。



(5)
すこし単純ではないのですが、マタイ27:9に登場する「エレミヤ」は
シナイ写本、アレクサンドリア写本、バチカン写本1209、シリア語フィロクセヌス・ヘラクレア訳欄外では「ザカリヤ」と訳していて、
シリア語ペシタ訳とシリア語シナイ写本では「エレミヤ」という語を省いて訳しているようです。

そして、ゼカリヤ11:12、13にはその「預言」が書かれています。
その時わたしは彼らに言った、「それがあなた方の目に良いとされるなら、わたしの賃金をわたしに下さい。そうでないなら、やめてください」。そこで彼らは、わたしの賃金として銀三十枚を支払った。
するとエホバはわたしにこう言われた。「それを宝物庫に投げ入れよ―彼らの見地でわたしが値積もりされたその立派な価を」。そこでわたしはその銀三十枚を取って、エホバの家の宝物庫に投げ込んだ。

ご存知のとおり、ユダ・イスカリオテが報酬として受け取った銀30枚は結果としてユダヤ人たちにより、神殿の宝物庫に投げ入れられましたから、それも預言されていたことがわかります。さらに、イエスの死は、贖いとして神に捧げられたものですので(アブラハムとイサクはこの点で予型となっている)、エホバの神殿の宝物庫に「立派な値」として投げ込まれる、というのは意味深いことです。




以上、エホバの証人の資料から調べてみました(勉強になりました(笑))。
調べようとおもえば、その物理的あるいは知的余裕があれば深く掘り下げて調べることができます。
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