No.2ベストアンサー
- 回答日時:
参考まで
イエス様30歳ぐらいまでのことも弟子の福音書には詳しく書かれていたようです。(イエス様のお話による)若い時のイエス様は非常に勉強されていたようで書き物もたくさんあったのでしょう。伝道期間の3年間は旅先ですから書き物は少ないでしょうがすこしはあったはずですね。しかし人間くさいイエスは残したくないという後世の弟子の意志が働き、全て抹殺されたというのが事実のようですね。弟子の福音書さえ人間イエスの部分は削除ですね。つまり、人間イエスを消して生まれながらの神イエスにしたかったのでしょうね。意図的に消し去ったからなにもないんですね。誰しも普通に両親から人の子として生まれるのですからそこまですることないように思うのですが、イエス様最後の3年の生涯を光らすためにはいたしかたないことだったのでしょうね。
ありがとうございます。なるほど!と思いました。弟子が師を尊ぶ気持ちが理解できるような気がします。悪に支配された私たちを購いによって救われた方ですので、み子として人間くさいイエスは残したくない気持ちが分かります。さらに聖書を読みどのような生涯を送ったのか思い巡らして見るのみ良いかもしれませんね。
もしかして死海文書のように発見されるようなことも無きにしも非ずですかね。ご回答に感謝致します。
No.6
- 回答日時:
今朝読んだ不定期の個人新聞に、こんな事が書かれてありました。
“福音とは”との題目で、マタイ4:23『イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、また、民衆のあらゆる病気や患いを癒された。』 新共同訳 ここから、イエスが語っていたのは、御国の福音と有ります。しかし、確かにイエスの記述ではなく、著者とされるマタイが証言した記録です。無論、マルコ・ルカでも同様な事が言えるでしょう。マルコ3:14には、『そこで、12人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、・・・・』とあります。ここから、イエス自身が御国の福音を弟子たちにも語らせた事が判ります。>・・・異母兄弟のヤコブであったようです。ならばこの時代に贖いによる死の前にイエス本人の手記でみ言葉を記した「イエスの言葉(手紙)」なるものが存在してもおかしくはないように思えるのですがいかがでしょうか。
尤もな疑問と思います。とは言え現時点では、その様な断片すら聞いたことがありませんから、無いと見るべきでしょうね。最近、マグダラのマリアの福音書なる福音書モドキの小説もあります。話題としては面白いですが、本質的な所は、フェミニスト神学の流れかとも思われます。考古学的な信頼性が少ないのは基本的に論外だと思います。
個人的には、私もキリストの福音を待望する者の1人と言えるでしょう。但し、キリストの墓と言われる村興しもあり、くれぐれも混同しなように気をつけたいと思いますね。
ご回答ありがとうございます。
soudan-ari様のおっしゃるように、世の中には信仰心を持ちながらみ言葉を素直に受け入れず、疑う傾向の人たちがいますね。
私、聖書は、神のみ言葉をその時代によってそれぞれの人たちが神の霊感、予言、予見を受け記したものと、お聞きしたことがございます。
福音書もイエスのことが多く記されていますが、神のみ子ですので、やはり神の、み言葉と理解しています。
旧約聖書の、出エジプト記31章18節には、シナイ山でモーセが神の指で記された石の板のことが記されています。きっと比喩的な表現だと思いますが、このようにイエスも本人が書き記したものがあるのではと思いました。
>私もキリストの福音を待望する者の1人と言えるでしょう。
私もその一人としてイエスを模範として、生きたいと願っています。
貴重なご意見ありがとうございます。感謝致します。
No.5
- 回答日時:
>その中で一番私のためになり、そのことによって人生観が変わったのは「愛」です。
確かに旧約聖書は、お互いの愛を推奨しています。
ただし、この民族内における同胞愛です。
イエス作家もそうです。同胞愛(イスラエル人同士の愛)を解いています。
旧約聖書は、イスラエル人独自の物語ではないんですね。
シュメール・アッカド神話が採用されていますし、律法はエジプトの死者の書からきています。
イエスはエジプトのオシリスなど、紀元前3000年以上も前からある神話の物語を、主人公をイエスと摩り替えたもの。
異教の神話の神の物語が、イエスの人生として書き直されているわけです。
どうしてか?
だって、キリスト教はギリシャ方面で成立したわけですよね?
そこにはイエスの物語と同じ神話が古代よりあった。
そうすると、聖職者は言うわけです。
サタンがやったと。
イエスが誕生するより何千年も前に、何千年後かにイエスが行うことと同じことをやった神話を残したと。
どうしてそんなことをやったのかというと、神様が信仰を試すためだと聖職者は説明する。
苦しい言い訳ですよね。
簡単なこと。
イエスの物語を書いた作家たちは、古代から伝わる神話を保有する社会に生きていたからですよね。
ロード・オブ・ザ・リング。
トールキンの指輪物語が原作ですが、トールキンは突然そんな話を思いついたわけではない。
プラトンのギュゲスの指輪の話を知っていたから。
ライラの黄金の羅針盤。
これもギリシャのダイモンの概念を作者が知っており、グノーシスの創世記も知っていたからだと思えます。
イエスの磔刑の場面は、もろプラトンのギュゲスの指輪ですよね。
プラトン、イエスがいたとされる時代より何百年も前の人。
キリスト教はプラトン主義だといわれる理由、少しはおわかりになったでしょうか。
だって もろ プラトンの思想だから。
No.3
- 回答日時:
>イエス本人の手記でみ言葉を記した「イエスの言葉(手紙)」なるものが存在してもおかしくはないように思えるのですがいかがでしょうか。
偉大な思想の持ち主ほど、自らの思いなり、考えなりを文字(書記)言語という形で残そうなどとは考えもしなかったと思われます。
イエスのみならず、ブッダにしても同様で、口ずから説かれたとされる「仏説阿弥陀経」もブッダと舎利弗との阿弥陀仏及び浄土に関する応答をその場に居合わせた者が「如是我聞」と記録したという形式が取られております。
『論語』にしても、これが孔子の著作でないことは、「子曰」という書き出しからして明かですよね。
さらには、中世の人々がプラトンをソクラテスの一介の書記にすぎないとみなしていたことからすると、ソクラテスもその仲間に加えられるのかもしれません。
思うに、文字(書記)言語は自らの言葉を外在化(客体化)しますから、音声言語と違って、良くも悪くも人を反省的思考による観念操作へと促します。
一方、音声言語はあくまでも対面する他者との対話(応答)という形を取り、言葉は呼気という生きた人間の身体活動という形を取って表出されますよね。
たとえば、イエス自らが発した言葉であろうと、それは文字化されたとたんに、幸か不幸か、イエスが口ずから発した際に帯びていたはずの、その場だけ、その時だけのイエスの呼気を伴った、生きた言葉ではなくなっている、言わば一種抽象的な概念に変質してしまっているのではないでしょうか。
イエスが人々に発したのは、辞書次元での一般概念ではなく、彼自身の血の通った生きた言葉、つまり《声》だったはずです。
《声》として発せられた言葉だけが、その強弱、肯定、抑揚、長短、大小、語調、声色、速度、リズム、アクセント、イントネーション、プロミネンス等々を多段階的に変化させることで、さらには《声》とともに身体が動いて示す身振り、手振り、表情、姿勢等々と相俟って、文字テクストでは到底示し得ない多様で奥行きのある、無限に豊かな意味を表しうるからです。
文字で表しうる意味が、辞書で規定された最大公約数的な一般概念の制約を逃れえないとすれば、イエスをはじめとする偉大な思想の持ち主たちが、いずれも文字による自己表現の欲求を感じなかったとしても、全く不思議ではないと思われます。
ご回答ありがとうございます。
確かに!!納得致します。(《声》として発せられた言葉だけが)から続くご回答は、私も同感です。ここまでは、私も気づきませんでした。声が魅了するすばらしさを確信できました。きっとイエスは表情豊かに話し、聞くものを説得させて行ったのでしょうね。
その本人が文字によって記すより、師と仰ぐものがそのすばらしさを記した方が、正しく説得力があるとも気づかされました。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる平行記述の福音書が存在する理由が自分なりに納得できました。
過去の有名人を詳しく説明していただき、ありがとうございます。kadowaki様の、文章能力にも感謝致します。失礼致します。
No.1
- 回答日時:
イエス自身は書物に残すことではなく、民衆に『直接語りかけること』を
旨としていました。また、両親への手紙には宗教のことをどうこう書く
ことはなく、単に今どの辺を回っているという程度の私信しか残して
いません。
新約聖書は、イエスが死んだあとに弟子たちが『ナザレの我らがラビである
イエスはこういう言葉を残した』ということを誤解が生じないように
まとめるために文字記録として残すところから始まったので、『イエス
本人が書いた部分がない』方がむしろ自然です。逆に言うなら、弟子達が
書き残した言葉全てがイエスの残した教えなのですから、イエスの言葉と
敢えて書く必要がない、と言ってもよいでしょう。
ちなみにイエスは自分の言葉を『キリスト教』という新たな宗教と
して語ったわけではなく、旧来のユダヤ教のラビたちが形式や賄賂に
おぼれている腐敗した現実を『それは権力を笠に着た過ちではないか、
本来人が助け合って仲良く暮らすことはこうではないか』と『一ユダヤ
教徒』として批判したにすぎません。『イエスの教え』を『キリスト教』と
名付けたのは彼の死後の弟子や後の世代の人たちです。
ありがとうございます。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネにて、同じ状況を見て書かれている福音書(平行記述)でイエスのことが伺えますね。謙遜さを常に全うした方にふさわしいと思います。「両親への手紙」の内容を知りたい気がします。ご無礼なこととは存じますが・・・。
この度は有難うございます。感謝致します。
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