あなたの習慣について教えてください!!

さきに投稿されている自殺を止める方法の質問を読み、思ったのですが、
人がこの世で生きていくことに、ただ一つの正しい答えはない、万人に共通する
「生きる意義」などはないといわれている。どこまでいってもその人にとっての意味しかないという人もいれば
自らそれを探すのが人生だと言う人もいる。
しかし自分は、人によって、おかれている境遇や、価値観が違うという次元を超えた部分に
ただ一つの正しい回答が実際には存在しているのではないかと思うようになりました。

ものごとに自然の理というものが働いているのを感じるからで、その理がどういうものなのか
自分には分からないのですが、この世界と人間が存在している「ただ一つの明確な」意義。「万人に当てはまる正しい生き方、生きる目標」というものがもしかしたらあるのではないかと思うようになっています。いかなる生命にも神が宿っているとして、
人間が等しく創造されたのであれば、そのことにおいて、
万人に当てはまる理もあっておかしくない。

悪文で申し訳ありません。共感してくださる方あるいは反論など何かコメントをいただけますと有り難いです。読んでくださって嬉しいです。

A 回答 (38件中1~10件)

あらゆる言動が記号に留まっていますので、


それの意味は存在し得ないのでしょう。
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『他者達にとって【価値】が有る人生』を模索するのは重要なのでしょうけれども、状況によっては【『命懸け(捨て身)』の自己犠牲】が最適だと言えるのかも知れませんので、無理に考えない方が比較的に健全だろう、と思います。



※因みに、質問文で「意味」という語が使われていますが、此処での適切な語は「価値」です。
(「生きる」の意味は、「『死ぬ』の反対」です。)
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もちろん人間が神仏の子である以上万人に共通する「生きる意義」「人生の真理」があります。





今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生にとって大変重要な事ですので、お心に留めて頂いて、質問者さんの今後の目標設定、人生計画を立てて頂ければ幸いです。



人生に目標を持ち、人生に喜びを見出すには、根本的な人生観「人間とは何か?」、「神は何故宇宙や人間を創ったか?」、「人生と目的と使命」を知る必要があります。



何故、神が宇宙や人間を創ったか?

神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。

そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。

何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です

しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。



人生の目的と使命

私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、お伝えしますと死んで「無」にはなりません。


死後の世界は120%存在します。

質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。

そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。

人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。

ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中で神仏の光の子としてこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。

そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。

なので、ユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。


では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。


なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭で「Yahoo!知恵袋でこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。

上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。


ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにYahoo!知恵袋で上記の回答を様々なチエリアンとシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。


一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人のチエリアンとシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた
10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。


なので、質問者さんが今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。

質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか?


質問者さんの人生がさらに充実して下さる事を心から願います。
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多くの纏まりは「例外の排除」に依存しています。



だから我々は常に排除対象の側からの視点をしませんと、
「複雑化」への対応が間に合いません。
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大自然の中に人間は何故に生きているのだろうか、G,アダムスキー氏は人間の目的と義務は愛(慈悲)と奉仕が人間の目的と義務であると遺稿の中で述べられました。

まず我々が生かされている自然界を観察してみましょう。燦燦と降り注ぐ太陽の陽光や微風、綺麗な色とりどりの草花の香り、空を飛ぶ小鳥のさえずり打ち寄せる浜辺の波音、四季の移り変わり、果物や穀物の実り等、我々、人間

は、いかに創造主(父)の大自然の恵みの中で育まれており見事な宇宙の計画の中で生かされているのか・・しかも人間は創造主(父)の息子や娘として進化進級の学び舎(王宮、庭園)に住まわさせて頂いております。各太陽系の諸惑星の各教室には学習すべき科目や単位があり、私達、地球人は、まず自分の自我の克服(自分のエゴ怒り、貪欲、利己主義、等を取り除く事)や心と宇宙の意識(叡智、命、神、魂)の融合(一体化して溶け合う事)が第一の学習内容です。

釈迦も言われていますように、貪欲、怒り、愚痴、(愚かさ)は三毒と云われていますように人間にとっては魂を殺す毒薬と同様になるからです。現代の我々は古代よりも、もっと多くの誘惑物と欲望の渦に巻き込まれて、おり本来の人間の生きる目的や義務といったものを忘れており盲目の状態と言っても過言では、ありません。私達はGアダムスキー氏が提唱されました想念観察を各人が自分の進化

の為に自主的に行い心中のエゴ(怒り、憎悪、支配欲、嫉妬等)をクリーニングするより方法はありません。その上で貴方の(万人)の内部に内在する宇宙の意識の印象や各種の指示や啓示を知り、生活上で指針として心が役立て協力する事を学ばねば、なりません。万人の内奥の宇宙の意識は各人に直感、衝動、警告、映像、アイデアー、ささやき声等で万人の心を教え導いています。貴方が自身の

自我に過度の集中をしているのを止めて貴方の心が調和や平安である時は、その神の声や印象は各人によく印象付けられるものです。つまり各種の印象や指示や啓示等です。例えば信号の無い交差点に車で来た時に音も光もしないのに無言の指示で徐行しないと危険だよと云う指示が貴方の心に印象付けられます。それで思わず車を減速すると子供が自転車で飛び出して来て無事故で助かった経験は多くの方がされていると思います。

時折、閃きや警告等で、こうすれば良いとか、これは危険だな、とか云う印象や指示や啓示が各人の内部の叡智から心に印象付けられます。それは万人に内在する宇宙の意識(叡智、命、神、魂)からの指導で指示であるのです。それは全知者(創造主、父)の声です。人間の心のエゴで考える事ばかりではなく心の領域で考え思う意志を宇宙の意識の領域の意志に譲り渡す必要があります。

どうしたら心は神に支配権を渡すでしょうか神(宇宙の意識)と富(金や資産)と兼ね仕える事は出来ないし、人は二人の主人には仕えれないのです。人間の心は聖書にも記述があるようにライオンのように吠えまくっているからです。

一方、宇宙の意識は子羊のように豊かで親切で美しく小さな各種の印象や指示や啓示で教え導いています。丁度、心という放蕩息子が見栄やプライドや身を持ち崩した生活を反省して父の(宇宙の意識)家に帰るようにするのです。

心は無知蒙昧で知る者ではなく全知者である宇宙の意識(神)の意志や指示に従うのは創造主(父)の息子や娘として当然の義務であり進化の階段を登る事になるからです。 宇宙の意識に対する強い信頼と確信が皆様方を永遠の命へと導いて下さるのです。我々は、まだ永遠に学ばねばなりません。我々は退化する為ではなく進化向上し学習する為に生きているのであって、パンを得る

為だけでは無く経験や学習を通じて父の栄光と似姿に進化出来るように頑張って生きているのです。我々は皆が地球という小学校の学年で同じ資格を得て学んでいます。 太陽は貧しい者にも富める者にも正しい者にも悪人にも等しく光や熱やエネルギーを与えています。

又全ての生物や万物に等しく偏る事無く光や熱やエネルギーを与えています。これは創造主(父)の愛の象徴です。そして偏る事のない奉仕であるのです。本来、我々も愛と奉仕を創造主(父)のように与えるのが本当であって所有欲、独占欲、偏愛という間違った愛の表現をしています。

我々、地球人も貪欲と利己主義を克服して全体への奉仕や博愛や真の意味の平等を我々は学習すべきです。
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前に同じような質問に対して答えたものを 修正したものです。

ご参考までに。

確かなことは 人間は 何をするとしても 何年か先には必ず死にます。そして 人類もまた 絶滅することは間違いないと思います。その滅亡は100年先か 100万年先か分かりませんが。その中で ひょっとして 個として人間のやっていることに意味があるとしたら 人類の延命に寄与しているかどうか ではないか と思うのです。勿論、人類延命は多様な個の延命の上に築かれております。

例えば 個が生きるためには食物を摂らなければいけませんが 食物連鎖の循環システムを破壊し 次の段階で人類の延命基準に合わなくなる ことが予想されるなら 判断基準に合う 殺し方、生かし方の工夫は絶対しなければならない ということでしょう。そこに思想が生まれます。或は エネルギーについては 電力発生に伴う CO2、放射能 の問題は正しく予想しないといけなせん。或は ある一つの哲学により 人類延命ができる と主張されたとしますか これもまた正しいのかどうか見極めないといけないということです。

重要なことは 人類が遭遇する様々なことを想定して立てられる対策のなかから人類延命に対して 正しい対策を見つけることができるか ということです。これが大問題と思います。各専門家の見識が問われるところです。
そこで参考になるのが 過去 人類は未来人類に何を予想し正しく指摘出来たかであります。重要なことは かなり 間違った予想をし それに従い人類に相当な損害を与えたことでしよう。
これから先も同様に予想は正しいかどうか 怪しいものです。ではどうするか。予想を一つに絞るのではなく 多様な予想を許し 多様な試行が許され その中から よりベターなものを選択するという方法であります。一つに絞ると 間違ったときには 人類の延命ではなく縮命になります。だから モノカルチャー的な発想は あぶないと思っているわけです。ポストモダン的発想は多様化世相とよく合うと思っています。他生物が種の多様化対応して来たのも 一種では危ないということでしょう。人類はホモサピエンス一種であります。一つの思想で未来を描くのは 相当にあぶないと思います。

人間の行為は 人類(個も含め)延命に寄与するなら 出来るだけ多様なモノが許容されるべきだと思います。勿論、なんでもありというわけではなく 人に対する殺傷盗的なレベルは許されないのは当然であります。
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前人未到の境地との関係は、歴史上の全人類に共通しています。



だからこそ科学・哲学の進歩の余地が残り続けているのです。
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「万人に当てはまる正しい生き方、生きる目標」というものがもしかしたらあるのではないかと思うようになっています。



○ 正しい門の入り口に立っていると思いますよ。国や人種、環境に関係なく、全ての人間や生き物に誕生と生き様と死があるということは、共通の問題・目的があるということですね。
共通に生死があるということは共通試験とおなじですね。時間が決まっているということなのです。
時間内に解く問題があり、解けるもの有り、遊んで解けぬもの有り、でも時間は刻々と迫っているということですね。共通の試験であれば採点者がいるはずですね。当然いますよ。合格点か欠点かで行く世界が違うと教えるのが正しい先生ですね。合格の基準を知るものそれが正しい宗教家であり哲学者であるべきですね。
非常に単純なことですが人生や世界を鳥瞰できない人がほとんどなのでわからずじまいで人生を終える人が多いですね。日々を蟻のように刹那に生きていると気づかないものですが、立ち止まって静かな時間の中で考えてみると誰しも気づくようにはなっているのです。ただ、間違った思想にまみれてしまうと無理のようですね。どのような思想や考えを持とうとも全てのものに冬の時代は来ますから枯葉が散るように死はおとづれますね。まあ、死ぬのが怖くて怖くて生にしがみつくようでは共通問題の回答にはたどりつけませんね。共通問題を人生の途道で解いた者は課題問題に挑戦してますね。
全てが一つの考えから生まれたシステムの中にあるのですね。そのシステムを作られたのが仏ですね。神は仏の実践者という位置づけなんですよ。仏のことを神で表現して全知全能の神ともいいますね。
巷にあふれる99%のゴミ知識、思想を排除して1%の真理を掴むことができるかどうかは個人個人の問題でもあるのですね。ただ全人類の共通問題は「生死あるいは転生輪廻」が鍵の簡単なものです。
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あえて言葉にするなら、生きているうちに誰かと出会った、そのことに意味がある。

故にこのことは万人に共通することであると思います。
人は人に出会って人を学んで行きます。潜在的に人であったのが、人であることが顕示されるようになってきます。善き人と出会えば善さを学び、清らかな人と出会えば清らかさを学ぶものであると思います。逆に、悪い人と出会っても悪に馴染まない人が自分を確りと保っているのであり、そのように自己を制する人が善き人々に出会ってゆける人生を送るのであると思います。
生きる意味とは、他者との出会いに存在すると私は思いました。これは信じるということにも関わってくる答えであると思います。
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生きる意味がなくては悲しいけれど、生きる意味に囚われるのもまっとうな生き方とは思えない。


言葉にはできないが意味はあるよ、というのが正しいかもしれません。言葉にすると億万の人生全てについて答えなければならなくなるだろうからです。
それは、価値観や境遇などを超えた意味である、というのは私もそう思います。
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