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現代の様に万能細胞とか再生医療が発達する前ならば、将来死ぬ事も漠然と覚悟できたと思いますけど、今はもう納得できないという気持ちです。

遠い未来の100年後か1000年後かに実用的な技術が発達してても遅いし、私たち死んでます。
だけど今、みんなでこの技術分野に取り組めば、皆が生きている内に実用化できるかもしれない。
だけど世の中はその可能性をスルーして進んでいる様な気がしてならないというか、科学の凄さとか命を軽んじて進んでしまっているような感じで虚しいです。

皆の現状認識が足りないのか、それとも社会的にも政治的にも困難だから、この一件はスルーされる運命にあるのか判らないのですが、とにかく歯痒いです。

やれる可能性を残したまま、現状では人生50年というリミッターのまま生きろと、世の中に言われている様な気分であり、やりきれない。

とにかく、今のままだと、やりきれないまま生きなきゃならんので、人生に納得できないんです。
この納得いかない問題を解決するには、どうしたらいいでしょうか?

A 回答 (20件中1~10件)

>何もかも全く判らないです。


>判らないというのは、なぜ同調して貰えないかです。

これができないと、周りを奮い立たせるということもできないと思います。

>だって科学文明の発展って凄いですもの。
技術的進歩はその通りですね、まあインターネットのスタートの理由が違うのは言うまでも無いですけど。

>ネットの進化は正に情報共有にこそ意義があり、思想を共有してこそ、真価が100%発揮される筈だ。
>むしろ、その為にこそ、ネットは生まれたのだ。(これって運命かもw)

情報共有はOKとして、それ以降は主観ですね。

>賭ける価値があるかどうかじゃない。
>何か賭けるとしたら、ここしかない。

やればできるとして、やらないといけないと言う理由は無いのです。


あなたがやりたいことがあるとして、それを全員が行う理由も理屈も無いのです。
個人の願望だから共有されないのです。

また、それに対して賛同した人もコメントはしていないようです。
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まあ、自分が手を出さなかったせいで実現できなかった未来は、自分で責任を持つしかないですね。



とりあえず、考えをまとめて欲しかったのですけど、まあ私の意見を述べます。

・人間は基本的に自由である。
・地球に対しての負荷は本来は掛けるべきでなく、無制限にダメージを与えてはいけない。
・それ以外にも人間どうしでの最低限のルールはある。
・それを守った上であれば、何かしら行動を制限することはできない。
・もちろん自由というのは責任を伴います。

んで、あなたがいろいろ考えているのはわかりますが、基本的にはそこは許容できる干渉を超えています。
「やるべき」と言うのはOKですけど、それ以上の強制力はないし、反論の余地もある。
少なくとも私は「ああ、なるほど、やらないといけないのだな」とは思えませんでした。

ただ、あなたは自分で研究するのではなく、それを伝えるので十分役割を果たしている、と思っているのであれば、もう十分なのではないでしょうか。


個人的な感想から言えば「言葉の重みは人間の重み、すなわち行動の重み」だと思いますので口だけ動かされても胸を打つことはまずありません。
論法としてもいまいちピンと来ません。

客観的な事実から考えていかないと、話をすり合わせるのも難しいかなと思いました。

この回答への補足

何もかも全く判らないです。
判らないというのは、なぜ同調して貰えないかです。

だって科学文明の発展って凄いですもの。
理屈が無くても凄さは皆が肌で感じてる筈です。
特にココ10年のネット発展と情報共有の速度は半端じゃないです。
たった10年が、まるで1000年分の発展の様に思えます。
ネットの無い時代、たった20年程前において、こうなる事が、果たして人類に予測できたか。
ネットの進化は正に情報共有にこそ意義があり、思想を共有してこそ、真価が100%発揮される筈だ。
むしろ、その為にこそ、ネットは生まれたのだ。(これって運命かもw)

賭ける価値があるかどうかじゃない。
何か賭けるとしたら、ここしかない。
やれば絶対できる。
戦後の日本を見よ。
あるいは戦時中の頑張りも見よ。
歴史が、やればできると証明している。

教育の段階から未来にロマンスするのを徹底させろ。
明日が来るのをワクワクする世の中に変えよう。

社会の単なる歯車でも目標を共有してれば、それは価値ある歯車になる筈だ。
価値ある歯車と認識できれば、いらない業界は潰しても、許されるかもしれない。
必要な業種に雇用を促進させれば尚、合理的。

途中、詩にみたいになりましたけど考えている事まとめました。
これで話をすり合わせられたら奇跡ですけど、少なくとも心をすり合わせられるかもしれません。

だから?

補足日時:2011/06/05 00:15
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>>個人的な考えとしては、社会が健全ならば結果として文明速度も上昇すると思ってて、その機会が失われていくのが不満なのです。

健全である事と文明速度上昇の2つも同時に失うのが嫌なのです。

文明が発展して、あるレベル、つまり核兵器、地震兵器、気象コントロール兵器等の大量破壊兵器が(宇宙人の技術援助などを活用して)実用化され、宇宙に出ることが可能なレベル(つまり現代のレベルですね)になったとき、人類は、それ以上進化するか、レミングのように自滅するか?という選択の段階に直面するようです。
その結果、レムリアやムー、アトランティスのように、大量破壊兵器を使っての戦争となり、文明は最初からやり直しってことの繰り返しだったようです。ただ、若干の生き残った人々が、自分たちの科学技術をたずさえ、他の地域に飛行機等で避難して、「神」なんて言われたみたいですね。原始レベルに戻った文明が、現代レベルに戻るまで1万年くらいかかるといわれています。

>>だから、必ずしも将来で不老が達成される必要はなくて、皆が目的を共有できるのが最善だと解釈してるんです。

そりゃあ、現在のところ人類には、宗教的な価値観の相違(キリスト教、イスラム教、仏教、唯物論教など)があるから無理じゃあないでしょうかね。

>>いずれにせよ、皆で共有できる不老目的があるのに、共有されない傾向に納得がいかないのです。

皆で共有はされていないと思いますよ。

>>私にとっては、それこそがカルチャーショックですし、しかも、そういうので悩んでるのが自分だけみたいな感じになってるのも不本意なんです。

そりゃあ、みなさん価値観いろいろです。管首相みたいに、日本が戦後の焼け野原みたいに貧しくなって、そういう世界で貧民に施しをする王様になるのが理想だと思っているような経済音痴というか破滅論者もいますからね。
まあ、世の中にはいろいろな考え方があり、価値観があります。それが憶年レベルの遠い過去から現代まで、いろんな価値観が支配する星々から移民を受け入れた地球文明の特色でもあるそうです。

この回答への補足

>>皆で共有はされていないと思いますよ。

でも、潜在意識では殆どの人が痛い思いや苦しい思をしたくないから、死ぬのは嫌な筈であり、できれば不死を望みますよね。

どんなに信仰の厚い人でも、苦痛にあえいで苦しんでる人を見たら、そう感じるはずですし。本質としては皆は既に同じ夢を共有してると考えられます。

違いがあるとすれば共有している事実を自覚してないというだけです。

自覚してれば私みたいになって主張し、他者もそれを自覚して主張する筈と思います。
主張の連鎖が主張の連鎖を呼んで、結果都合よく皆が主張したら誰も迷う事はありません。


>>そりゃあ、現在のところ人類には、宗教的な価値観の相違(キリスト教、イスラム教、仏教、唯物論教など)があるから無理じゃあないでしょうかね。

この問題についてはココへ質問して初めて気づきました。
でも範囲を日本国内に限定したら信仰者は全体比では、はるかに少ないですから大丈夫と思います。

補足日時:2011/06/04 16:14
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不死を放棄した責任はみんなが背負う。



私は放棄した責任は背負う必要が無いと思います。
義務も無いですし、求めてないし。

科学の可能性を伸ばせない人類、というものを問題と捉えているならそれはあります。
しかし、それは人間の心に乗っ取ってそうなっていると思います。

あなたが本当に望んでいるなら自分で研究するなり、政治家、金持ちになって動くなりするべきでしょうし、心の中で思うだけなら私だって科学はよりよく発展して欲しいとは思います。

一旦、自分の願望と世間一般の道理を整理したほうがいいのではないでしょうか。

この回答への補足

行動力が無いから、ここに書き込んでます。。
皆が行動する事を期待してるから書き込んだのです。。
また、時間的な効率も考えたら、これが一番効率的だと思ってますし、一番効率的なら十分道理に叶うはずだと思います。

補足日時:2011/06/04 16:08
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この回答へのお礼

書き忘れたので、すいませんが、お礼の欄を使って書かせて貰います。

「不死を放棄した責任はみんなが背負う」の一文に対して補足させてください。

この一文は、皆が不死を目的として協力しない場合において、それに伴って失う未来の可能性を受け入れないとならない責任が皆にあるという意味です。

100年後に命を100年延ばす技術が開発されたとして、それを皆で10年以内に実現しようとする考え方ですので、それに対して皆が協力しない場合、100年後に達成する筈の技術を10年以内に得る事は出来ないですよね

つまり、協力的であろうがそうでなかろうが、その技術を得られなかった未来の現実までは受け入れるしかないという訳です。
その現実が受け入れられるかどうかは、各個人の自己責任に委ねられてます。

お礼日時:2011/06/04 18:56

なんか質問者さんの想いというか不満がどういうものかあまり理解できません。

が、ちょっと書いてみます。

>>つまり、文明がいくら進んでも人は自分以外の何かに支配されてて、緊急事態的に振り回されるから、頑張れる潜在エネルギーの使い方も今の時代となんら変わらないと思うんです。

文明というか科学が進むと大きく変化すると思いますよ。たとえば、今は無き1万年以上も昔のアトランティス大陸では、宇宙人との交流があったそうですし、千メートル級の高層ビルなどもあったそうです。われわれが、そのころの科学技術レベルに追いついて、優れた宇宙人と技術交流して、UFOに乗って1分程度で月の裏側に行ったりして、そこにある多数の巨大な建造物を目にしたりすれば、変わるところは多いと思いますけどね。

少なくとも、霊的な面を発展させ、陰陽師のような、いわゆる「超能力」を使えるようになれば、あまり振り回されることは無くなるのではないでしょうか?逆に、その力で他人をマインドコントロールできるようにさえなりますよ。

>>でも、文明が発展し尽くされたら、それこそ夢を追えるものが無い時代がやって来る気がしてて、夢を終えるのも今の時代しかないと思ってしまうんです。

まあ、地球文明で学ぶことが無くなった方は、他の星に行ったりするようです。映画の寅さんは日本を放浪したようですが、宇宙の星々を転生しながら放浪するような旅が好きな方もいるようです。でも、まだ私たちは、宇宙人が持っているような反重力装置やクリーンエネルギの発生装置やタイムマシンも手にしていません。まだまだ、地球人って、宇宙連邦の加盟資格も得られない、小学生か幼稚園レベルなので、「文明が発展し尽くされる」のは、わりと遠いことだと思います。

>>時代的にも個人的にも、チャンスは今しか無いとか考えると、余計にロマンスするんです。

まあ、現在は地球文明が滅びるか、あるいは存続できるか?という試練の時代ですからね。いろいろと大きな災害はやってくると思います。そういう意味では、「あの人類の3/4が死滅した21世紀を生き延びたのか?大変な時代だったね!」なんて未来に言われるのかもしれません。まあ、私はそうだとしても、それにロマンを感じませんが・・・。

この回答への補足

個人的な考えとしては、社会が健全ならば結果として文明速度も上昇すると思ってて、その機会が失われていくのが不満なのです。健全である事と文明速度上昇の2つも同時に失うのが嫌なのです。

不老は社会を健全にする為の鍵になると感じてて、人の夢を一つに束ねる事ができる命題として十分だとも思っているんです。
だから、必ずしも将来で不老が達成される必要はなくて、皆が目的を共有できるのが最善だと解釈してるんです。

例えば、どんなに仲が悪い相手でも、共通の趣味や共有できる目標を持っていると判ったら、仲良くなりますよね。あるいは仲良くならなくても、相手を知りたいと思うかもしれません。

相手の理解できない一面を理解しようと努力する行為なのですけど、こういうのって、その果てに人間関係の問題を解決したりしますよね。
その問題自体はミクロですけど、マクロ的には、その行為の果てに社会問題も解決していくものです。

いわゆる社会的な合理化なのですけど、合理化にするには必ずしも「不老」は目的にしなくても良いのですよね。
要は、皆が納得する目的を用意できればOKなので・・・

いずれにせよ、皆で共有できる不老目的があるのに、共有されない傾向に納得がいかないのです。
金持ち層ならば、不老やら健康問題は幾ら金を注ぎ込んでも構わない様な気がするし、政治を裏から手を回して動かすかもしれない。。
でも、未だにそうならないし、そういう兆候もありません。

私にとっては、それこそがカルチャーショックですし、しかも、そういうので悩んでるのが自分だけみたいな感じになってるのも不本意なんです。

補足日時:2011/06/01 16:45
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今後も平均寿命は確実に伸びていくと思いますが、死は絶対に避けられないでしょう。

この回答への補足

死は受け入れたいのですけど、現代の世の中の流れのままでの死は、受け入れたくないのです。

補足日時:2011/05/31 15:00
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>>つまり、宗教で安らぎが得られない人が居るなら、その人が希望する事を叶える事も宗教思想の一部としてアリだと思うんです。

というより、そう思ってしまうんです。
まあ、だからこそ安らげないんですけど・・・

「その人が希望する事を叶える事も宗教思想の一部」ではあるけど、ヒトラーのような方の希望をかなえることに手を貸す宗教は、基本的に邪教ですよね。
つまり、ある1人、あるいは特定の団体や国の人々の希望をかなえることにより、多数の人々に不幸がやってくるなら、そんな望みは粉砕することことが宗教の役割でしょう。
また、あまりに個人的とか、未熟ゆえの希望を叶えることは宗教の役割ではないような気がします。

ただ、失業等により経済問題で悩んでいる人に対して、宗教は炊き出し程度はできても、それで人々が安らぎが得られるかというと、なかなか難しいですね。それは政治の仕事かもしれません。

>>それに宗教は科学が発達していなかった時代に生まれたからこそ、科学を考慮してないのです。

これは、ある部分当たっています。科学だけでなく、経済システムも昔と現在では大きく違います。
ですので、現代的な多くの悩みに対して、ほとんどの古い宗教は救済力を持たないのは事実でしょう。

>>ある意味で、科学にロマンスして、それを追い求めたいだけなんです。

科学にロマンスというか、すばらしい未来を求めたいってことでしょうかね?
それなら宇宙人や霊界を研究するのが一番でしょう。宇宙船(UFO)による異次元空間の航行(ワープ)は、ある意味で霊界を航行しているともいえます。UFOの搭乗員自身も次元上昇しているはずです。また、物質と非物質(エネルギー)の相互変換について、現代科学は、長い間、行き詰まりをみせています。

宇宙人や霊界など、未知の領域に関して、先入観をもたずに、科学的なスタンスで探求していくことが、それらをブレークスルーし、わくわくする未来を切り開いてゆく可能性があると思っています。

この回答への補足

ワープの研究も良いと思いますが、個人的には確実に研究成果を望むのなら多分野の研究が重要だと思ってます。

再生医療の場合、化学や生物の研究以外にも、機械系の発展が無かったら研究そのものが不可能な訳ですし、そういうのを考慮すれば機械工学の研究をしてもいいんです。
機械工学の研究の結果として、霊界的な研究も進むかもしれなくて、いろいろが同時進行するのを望みます。


 >科学にロマンスというか、すばらしい未来を求めたいってことでしょうかね?

そういう一面もあるんですが、それだけじゃなくて、今もすばらしくしたいというか・・・
未来に繋がる劇的な過程というのも見たいんです。

例えば人々が一丸となって一つの目標に向かって頑張った事って、歴史上では戦争くらいしか無い気がするんです。
なんだかそれが情けないというか、物凄い潜在的なエネルギーを隠してて、それが使われないのが勿体無いと感じたりするんです。

地球に巨大隕石が衝突する事になったら、それを阻止すべく踏ん張るでしょうけど、緊急事態でない限り人々が一丸とならないというのも、なんだかロボットのごとく判りきった反応で面白くないんです。

面白く無いから言って、個人的な感情を正当化していくのは間違いなのですけど、一度きりの人生だと考えれば尚更強く未来の可能性に縛られてしまうんです。

また文明が発達した1000年先であろうと、その時代に生きる人たちは結局、緊急事態的な反応に縛られてでしか、一丸となれないという感じがするんです。
つまり、文明がいくら進んでも人は自分以外の何かに支配されてて、緊急事態的に振り回されるから、頑張れる潜在エネルギーの使い方も今の時代となんら変わらないと思うんです。

断言はできないんですけどね。
でも、文明が発展し尽くされたら、それこそ夢を追えるものが無い時代がやって来る気がしてて、夢を終えるのも今の時代しかないと思ってしまうんです。
時代的にも個人的にも、チャンスは今しか無いとか考えると、余計にロマンスするんです。

もし、1000年先、1万年先、10万年先の時代の人が大学の研究レポートを出すとして『歴史において、もっとも頑張った時代の人類は何時代?』とかになったら、少なくとも私だったら勝ちたいんです。
「21世紀の人々が、どんな時代よりも一番頑張ってて充実してたんだ!」って言ってやりたいかもなんです。
ああ、またもロマンスに拍車を・・・

補足日時:2011/05/31 13:50
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自分は、永遠に続く代(自分が子どもを生まなかったとしても、人間としては続く)の中のたった一部です


人生がもったいないとかは、自分を特別に見ている証拠です(当たり前ですが)

それでも怖いなら、宗教を勧めます
神などは、昔の科学が発達していない時代の人間が作り出した心の安らぎですが、それこそ安らぎなので信仰することで安らげます

この回答への補足

ある意味で、科学にロマンスして、それを追い求めたいだけなんです。

それに宗教は科学が発達していなかった時代に生まれたからこそ、科学を考慮してないのです。
悲しい事に宗教は時代の変化に対して配慮が無いのです。。
宗教で安らげる人が居るのは認めますけど、安らげない人も居います。

我侭な理屈になりますけど、宗教を信じて心に安らぎを得てるならば、尚更、安らぎを得られない人に手を差し伸べるのが、神や宗教の教えなんじゃないかと考えてます。

つまり、宗教で安らぎが得られない人が居るなら、その人が希望する事を叶える事も宗教思想の一部としてアリだと思うんです。というより、そう思ってしまうんです。
まあ、だからこそ安らげないんですけど・・・

補足日時:2011/05/30 14:00
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創価学会の者です。



>この納得いかない問題を解決するには、どうしたらいいでしょうか?

「人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ」(『死刑囚最後の日』)

これは、他の回答でも記したことですが、フランスの作家・ユゴーの言葉です。

このように、人間は誰でも、死を回避することはできません。死を恐れるから、「納得いかないと、死を受け入れることができない」というわけです。この問題を解決するには、所詮、死という問題から逃げずに、死の問題に真正面からぶつかるしかないのです。

しかし、そのためにはどうしても、正しい宗教哲学(特に仏法)が必要です。質問者さんは毛嫌いしていますが、死の問題を解決できるのは、宗教哲学だけだからです。たいていの場合、科学万能主義の人は、宗教を非合理なものとして馬鹿にし軽んじていますが、そういう人であればあるほど、死の問題に無力さをさらけ出すのは、何とも哀れというしかありません。

死を徒に恐れ、受け入れたくないというのは、死の本質を知らないからです。だから死が恐く、恐怖におののき、回避したいと願う。死の本質を知れば、死は必ずしも恐れるものではなくなります。

人間をはじめ生命体は、死を迎えれば肉体は風化して消滅しますが、生命それ自体は厳然と存続し続けているのです。ではその生命はどこに行ったのかというと、宇宙の空間に溶け込んだのです。目には見えなくなった。しかし、生命自体は存在し続けているのです。

そして、一定の時間が経過し、条件が整えば、再び目に見える生命体となって生じるのです。これが「生」です。そしてまた、死を迎え生命は宇宙に溶け込んでいく。これを永遠に繰り返すのです。これが仏法における生死観です。

日蓮大聖人は、「先(まず)臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)と仰せになっています。科学万能主義の人は、この御文を拝するべきだと思います。科学だけではどうにもならないことです。仏法哲学の中にしか、死の問題の回答はないのです。死という問題を根本的に解決できてこそ、正しい人生観、価値観も確立され、幸福もあるのです。

不幸なのは、死という問題を恐れて忌み嫌い、逃げ回ることしかできないことです。正しい仏法哲学を学べば、死は徒に恐れ、嫌うものではなく、「生も歓喜、死も歓喜」(池田名誉会長の言葉)の、次の生への荘厳な「出発式」とすることができます。幸福な生死が永遠に繰り返されるのです。

ちなみに、私はここで質問者さんに宗教の勧誘をしているのではなく、原則を述べたまでですので、誤解されませんように。私の意見を受けいられるか否かは、あくまで質問者さん次第ですから。

この回答への補足

死を恐れてる訳じゃありません。
皆でやれば、なんとかなる未来があるかもしれないのに、自分を含めた皆が手をこまねいているのが納得できないんです。
あくまで恐怖しているのは、納得のできない状態のまま、時間を生きる事です。

皆が手をこまねいて変化しないなら、それはそれで納得できると思うのです。
けれど皆は意図的に手をこまねいてる訳じゃないし、そう見えるだけなんです。
だから変化させようと考えるし、変化する事に期待してしまうんです。

例えば1000年先の文明が、100年後に達成されていると考えれば、凄く面白いしワクワクします。
そういうのに、つい期待してしまうんです。

皆が協力的でないなら、それは仕方が無いんです。
でも、協力的でないなら、その気持ちをハッキリさせて欲しいというか・・・

ハッキリしてくれた方が期待せずに割り切って生きられるでしょう?

補足日時:2011/05/30 10:22
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>当然そのツモリであるのですが、だからこそ悩んでいるのです。


長いだけの人生ではなくて、人類が一つの目標に向かって頑張る方向があるからこそ、充実してると思うし、自分自身がそんな未来を生きてみたいと思うんです。。

今の世の流れだと、その未来の可能性を捨てられていく訳で、それこそ、だらだらと長いだけで夢の無い人生になると思ってしまうんです。


まあ、500年1000年の寿命があったとしても、質問者さんはダラダラと無為に生きるだけでしょうね。
今の世の流れのせいで、自分の人生が充実しないと言う事なら何年生きようが同じ。
自分で自分の生き方というものを見つけられない言い訳にしているだけ。

回答するだけ損。
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