アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか?

 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか?

 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。

 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。

 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか?

 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか?

 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 

 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか?




 これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。
 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に?



 * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。

A 回答 (12件中1~10件)

 返信ありがとうございました。

元々の切っ掛けは以下の部分でした。No.5での回答部分です。


この質問を挙げた直接のきっかけは 次の質問が出たからです。
 【Q:日本人にとっての「議論すること」の意味】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6833059.html

 話は込み入っていますが 次のふたつの投稿内容が事情を明かしています。
 【Q:西行もトインビーもお爺さんも感動した伊勢神宮】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6712860.html

 つまりその回答No.14とNo.15とをご覧になれば その事情はよりくわしくお分かりになりましょう。
 というのも 前者の質問でわたしはブロックされているのを知ったからです。ブロックが問題なのではなく そこに到る考え方が 一般性を持つ問題だと捉えた結果が この質問です。

 ですから じねんさんは お手数でもこのご回答の旨を その方にお伝えになるのが いちばんの言わば世直しになるのではないかというのが わたしのこの質問者としての考えになります。
 どうなんでしょ?

「ブロックが問題ではない」と言いつつも遠回しな形で私を公の場で非難し排除しようとしているご様子に正直なところカチンときたのです。質問者様の博識からしてみれば私などは歯牙にも掛けないほどの存在でしょう。にもかかわらずこの様な悪し様な物言いをされたのでは堪ったものではありません。
 「伊勢神宮」の問題に関しても未だ「答」は出ていません。私にしてみればbragelonne様の補足並びに回答を読んで、あぁそうか、そういう考え方をする人もいるな程度の印象でした。その結果スルーしたのです。別に他意などありません。したがって質問者様とbragelonne様の間では全く無関係な問題であることは明白です。質問者ご自身が回答を締め切らない限り「答は出ていない」状態が続くことになります。この問題を提起された方はbragelonne様ではないので質問を締め切ることは出来ないのです。異論を排除することは必ずしも生産的な議論にはつながりません。ですから私の質問ではブロックを解除させていただきました。  でも前提がかみ合わない「アマテラス」「スサノオ」などの言葉を定義なきままに唐突に持ち出されても困惑するばかりで何も生産的とはいえないと僕は思います。僕が知る限りでは世界像を構築することが出来たのは過去のヘーゲルやマルクスであり、それに対する異見としてヴェーバーやカント等の対抗軸が生まれてきたとの認識です。それと信仰の問題をレベルとして比較対照することに疑問がないかと言えば嘘になります。
 別に謝って欲しいなどとは申しません。けれど話をするならば自分を高台に置いて上から見下ろされたのでは僕のような俗人にとって堪ったモノではありません、互いに気分良く話しをさせていただきたいと存じますので。

 
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この回答へのお礼

 あらためまして 
 ☆☆(No.10お礼欄)  かまいませんよ。ご自由に振る舞ってください。

 こうなのですが じっさいこのほかに何もわたしからは無いのですが どういうわけか きっかけの問題が伸びてしまいました。
 当事者の一方のかたが言い分があるとおっしゃるからには その他方の側も応じなければなりません。

 けれども どうなんでしょう――話の早いもののほうから先に述べますが――
 ★ 世界像の構築
 ☆ うんぬんと言っても 解説をしても話は始まりません。という問題を そちらの文章に沿ってわたしは触れてみた。それだけのことですので 解説に終わる問い求めは 準備作業の段階であるわけですから それとして必要でしょうけれど いまわたしがしているのはその話ではなく 《じっさい世界をどう生きているか》だと言っています。けれども その話にならない場合が この哲学カテでは多いと言っているのみです。
 ★ 信仰の問題
 ☆ についても触れておかねばならないでしょうから添えますが この問題を含めるかどうかは 《じっさいどう生きているか》の話として そうである場合もそうでない場合もある。これだけの話です。


 さて ご立腹の件についてですが
 ★ 別に謝って欲しいなどとは申しません。けれど話をするならば自分を高台に置いて上から見下ろされたのでは
 ☆ 大きな勘違いをなさっています。
 ★ 話をするならば
 ☆ は もう過去のことです。この質問の段階では 話を続けるかたちでしようと思ってではありません。切れています。

 (1) 伊勢神宮問題は 途中でやり取りが途切れた。これで話しはおしまいとなっています。
 (質問が継続中であるということは 保留となっていると言ったほうがよいでしょうか。けれども 保留として話は一たん終わっています)。
 このことに何の問題もありません。

 (2) その何も問題のないことが わたしの中で再び思いに上ったのは ご案内のとおりたぬはちさんの新たな質問においてわたしがブロックされていると知ったときです。その結果は このわたしの質問のきっかけとなる《推測》を得た。こういうことです。
 ただし 推測は一般性をもった主題としてこの趣旨説明では述べていますので やはり伊勢神宮論からの問題は きれいにおしまいとなっています。

 ぢゃあなぜ《きっかけ》のことまでを具体的に明らかにせねばならなかったか。じねんさんの回答における疑義に対して実際の事例を示そうとしたからです。
 そうして この質問は あくまで誰がどうであったかからは離れて一般的な主題として問うています。

 もっともきっかけの話を示さなくても 或る程度はどの質疑応答と具体的に関連しているかがわかるようになっているとは 思います。
 そして それだけであり そこまでの話なのでしたが その後きっかけのことを特定して示しましたので たしかにその当事者のかたから 何か言ってくるということは考えられます。考えられますし そのことにこれまた問題はないのですが ただ いま二度ほどうかがったお話では それに対してご説明をして来ましたように話がちがう。まるっきり話がちがう。こういう受け取りです。
 
 わたくしのちょんぼは 一般のみなさんに《きっかけ》問題について たぬはちさんが実際にくやしさゆえにブロックしたとわたしが断定してしまったという印象を与えたとしたら それです。これは本意ではありませんので わびたところです。憶測として思っているという意味です。ちょうど世界観の中に信仰論を含み入れると 成り立たないという憶測を持つのとまったく同じく自由なことです。
 
 ですから あらためまして

  かまいませんよ。自由にお振る舞いください。

 というお答えになります。

お礼日時:2011/07/07 10:59

No.5 and 9です



>>> No.9お礼欄
ですから じねんさんのここでのいちばんの誤解は 次のお考えです。
 ★ また、逆に、閉ざされた扉を無理矢理こじ開けたら、扉が壊れるだけではなく、本来あるべき姿も見えなくなってしまうでしょう。
 ☆ わたくしの行動方針によれば 《扉を閉ざすな》と殊更言っているわけではありませんし また《閉ざされた扉をわざわざ無理やりこじ開けよう》などとこれっぽっちも思っていないということです。《間違いを説明したあと 完全に放っておく》と言いました。《完全に》です。つまり 相手がどうなろうと――死ぬまで――完全に放っておくという意味です。
<<<

「完全に」には成っていない中途半端なところがあるのに、そうして、わざとそれに気がつかない振りをしているのは、いかがなものでしょうかね。。。

「間違いを説明したあと」という段階で、「完全に放っておく」にはなっていないのです。
既に、「自分が正しく、相手が間違っている」という前提条件を持ち込んでいます。

外から見ていると、へそを曲げているように見えるのは、隠れているように見える方ではなく、隠れられてしまっている方であるかのごとくにも感じられます。というより、単に独り相撲をとっているように見受けられたので、No.5にて書き込みをしたのですが、自身への言葉ではなく、相手への言葉として取られた時点で、

>>>>>>
だからといって、他人の寝室のカーテンやドアを相手の意志に反して取っ払ったり、公の元に晒すというのもいかがなものかと思う方々もあると思います。

自身にとって「それは哲学ではない」と思うような態度や行為が見受けられたからといって、あからさまに「それは哲学ではない」と公言するのなら、
>>>
優劣とか、やっかみとか、くやしさとか、そういったことを考えること自体、不思議な気がしています。

どうなんでしょ?
<<<
と同等の行為に走っているようにしか見受けられないということ

<<<<<
だということを認められたのと同じになっているでしょう。

>>>
☆ つまりこの疑義に従うならば このわたしも《批判点についてるる説明したあと まったくのかたちで相手を放っておく》という対処の仕方を採るということは 相手と同じように《優劣の判定や やっかみや悔しさをほんとうは内にかこっているのではないか》ということですよね?
<<<

まさに、そのとおりだということを御自身で認めてしまったということです。

如何に
>>>
 これは 見方によりましょう。人それぞれでしょう。そして そこまででしょう。
<<<
と、他者の見解に身を任せた振りをしたとしても、誰もそのようには見ないということです。

>>>
《批判点についてるる説明したあと まったくのかたちで相手を放っておく》という対処の仕方を採る
<<<
とは、すなわち、天の岩戸をこちら側から閉めたのと同じことです。どちらの側が「天の岩戸の内」なのか?

相手が踊ってくれるのを待ちわびていて、踊ってくれたら喜んで岩戸を開けるということを自身で進んで行っている段階で、(相手はどうであれ)
>>>
《優劣の判定や やっかみや悔しさをほんとうは内にかこっているのではないか》
<<<
ということを体現しているとしか見えないのです。
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この回答へのお礼

 今回のご議論は すべて憶測です。すべて ではないでしょうか?

 ご回答をありがとうございます。

 どうでしょう? 何かお応えすべきところはありましょうか。
 むろん 直前のたぬはちさんへのお礼欄でお答えしたように 《憶測》は それとして(つまりあくまで憶測であるとことわって)持っている・ないし述べるぶんには 問題ないと考えます。

 言いかえると 問答になっていません。
 ★ ~~~~
 《優劣の判定や やっかみや悔しさをほんとうは内にかこっているのではないか》

 ということを体現しているとしか見えないのです。
 ~~~~~~
 ☆ あぁ さよかぁ。でおしまいです。

 ★ ~~~~
 「間違いを説明したあと」という段階で、「完全に放っておく」にはなっていないのです。
 既に、「自分が正しく、相手が間違っている」という前提条件を持ち込んでいます。
 ~~~~~~
 ☆ ほんとうは《完全に放っておく》のですから――よほどのことが ヒラメキとしてのように わが行動方針に変更を促すのでなければ 放っておくのですから―― もうお応えもしないのが正解です。こうやって多少でも説明を添えるというのは 親切心からのみです。
 それが
 ★ 「間違いを説明したあと」という段階で、「完全に放っておく」にはなっていないのです。
 ☆ という見え方をするのでしょう。
 ただし
 ★ 既に、「自分が正しく、相手が間違っている」という前提条件を持ち込んでいます。
 ☆ というのは まさにこのように投稿を寄せて来るじねんさんの行動そのものの中身ですよね。と言っても 誰もが自説に相当の自信を持っており 相手が間違っているとも思っている。このことにもあまり例外はなかろうと思われます。じねんさん一人を責めているわけではありません。
 しかも そこのところの事情をきちんとわきまえて話をしないと 自分のことは棚に揚げてうんぬんとささやかれることになりましょう。そのことを言うのみです。


 ☆☆ 見方によりましょう。人それぞれでしょう。そして そこまででしょう。
 ☆ であるゆえに 答えはひとつの問いに対していくつかありうる。答えを言われてしまったときには ややもするとくやしいだろうが 乗りこえて行くしかない。あらたな答えを問い求めればよい。
 もし何なら たとえわが心のどこかに《優劣の判定や やっかみや悔しさをほんとうは内にかこっているのではないか》ということであったとしても いちいちそのことにわづらわされることなく・それはそれとしてむしろ受け容れ噛みしめつつ あたらしい回答をさがせばよい。

 そういう新たな動き つねにあたらしい出発への踏み出しがなかなか見られないではないか。そのために猿回しの猿になって問うていますというのが この質問です。一般的な問いでしょ? 


 あらためてふり返って 問答になる論点(つまり 情報交換をつうじての互いによる問い求めの種)はありました。
 ★ 「完全に」には成っていない中途半端なところがあるのに、そうして、わざとそれに気がつかない振りをしているのは、いかがなものでしょうかね。。。
 ☆ つまりこれも憶測であるわけですが 憶測であるのですから その具体例を示していただければ しっかりとした問答になるはずです。そういうことではないでしょうか?
 わたしの示したそのような見え方をする事情というのは わたしが一たんきちんと批判の中身を理由を挙げて説明したあとなおも親切にていねいに説明をしつづけるという傾向があること ここであろうと説明しています。そのほかに 事例はありましょうか?

お礼日時:2011/07/07 11:27

 この設問のきっかけとなった、と私に対して質問者様が大層に立腹される?当事者からのコメントです。


先ず私が質問者様からの回答を一時的にブロックさせていただいた背景には、私が皆様からのお知恵を借りたいとして質問した「日本人にとっての『議論することの意味』」ですが、これに質問者様が反応される事は十二分に予測できたところです。
 ではなぜブロックさせていただいたかですが、それはその前段階にある例の「伊勢神宮」に関しての質問者からの回答姿勢に一種の疑問を抱いたことがありました。
 逐一の応答は結構なことですが、それも時と場合によりけりと僕は考えています。件の問題では僕が歴史意識としての線引きについてうかがわせていただいた際に詳細な?説明をいただきました。しかしながら僕が質問したことと趣旨か全く異なり、ご自身の解釈を滔々と展開されたのでは堪ったものではない、との印象を受けてしまったことも率直な感想でした。ご自身の解釈を展開されるならばホームページをお持ちのようですので、そちらでじっくりと話をさせていただきたいというのが本音です。
 こうしたサイトは様々な立場の人が質問に対しての知識に基づく識見を寄せ、質問者がその中からベストなチョイスをする性質の場と僕は思います。こういっては質問者には御不快感を与えてしまうかもしれませんが、それ以前の遣り取りなどを拝見させていただいたことからどちらかと言えば質問者様には「説明の形」を採りながらながら自らの意見や方向性に導いてしまうとの危惧を感じてしまいました。
 それゆえに僕の立てさせていただいた質問にはブロックさせていただいた次第です。質問者様がこれまでのようなスタイルで僕の質問に回答されることが果たして他の回答者様からの識見を得ることと釣り合いを保つことができるのか、残念ながら僕には自信がありません。
 また「回答を出されたことがそんなに悔しいのか」との御主旨に関しても、僕は一瞬たりともくやしいなどと考えたこともありません。逆に質問を立てた方に対して趣旨とはかけ離れた問題に論点が移ることに対して申し訳ない思いをすると同時に「あぁ、そういう理解なのね」とスルーさせていただいたにすぎません。意見を聴くことは様々な識見に出会うことであって、点取りゲームなどとは異なります。これよりブロック解除させていただきますが、回答をお寄せいただくには
(1)まず今までのスタイルでは投稿しないこと。
(2)個人を特定している内容を削除していただくこと。
が前提条件となります。当方も仕事を抱えて忙しい身であるので返答が遅くなる可能性も多々ありますことをご承知おき下れば幸甚です。
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この回答へのお礼

 かまいませんよ。ご自由に振る舞ってください。

 もし《答えを出されてしまったことがくやしい》と捉えたこの質問の観点が じっさいにあなたの考えや思いと違っていたとすれば それはそれで そういう場合だったということになります。
 つまり この質問のきっかけとそして質問となったときの趣旨とは――この趣旨としては一般性を持たせて設問していますから――違っていても 問題ではありません。

 わたし自身は じねんさんがそう見たのと同じように《くやしさややっかみあるいは優劣感》がからまっているといまなお見ていますが 《そのこと》と 《この質問や回答の成立》とも別の問題です。
 つまりくどいようにきちんと述べますが じねんさんが 二度ほど《くやしいゆえ》だとわたしと同じ見方において見た事例があるように――その見方が わたしのきっかけとなったたぬはちさんとのやり取りにおけるたぬはちさんの思いや姿勢とはまったく別であったとしても―― 一般性を持つであろうと見るからです。

 ということは ここでわたしはまだうたがっていますが それでもご本人から そのうたがいは間違っていますよとていねいに声をかけてくださったからには わたしのきっかけになったそのやり取りについてのわたしの憶測は事実と違っているものでしたと ひとことみなさんに おわびしつつ あきらかにします。
 たぬはちさんご本人には じつは おわびしません。なぜなら 《くやしさ半分 やっかみ半分ゆえだと見る》わたしの見方が一方的な憶測であるとしても いやそうではなく 《一瞬たりともくやしいなどと考えたこともありません》というふうになされた表明が ほんとうであるかどうかは 別問題ですから。つまり 違っていますよという表明がなされたにしてもやはりこちらも一方的な発言に終わるしろものであるからです。ふたつの発言は 互いに同等です。
 《くやしいと考えたこと》がなくとも くやしいと感じたことはあったと考えられるからです。
 あるいはつまり 延々と《ブロック》の理由が述べられていますが その《考え》は たとえ《くやしさ》とは違っていても くやしさという初めの感覚から出たものであることもありうるからです。


 なお そのほかにこの質疑応答でやり取りされる発言や文章を わたしのそれと ほかの人たちのそれとに二分して扱っておられますが これは ただほかの人たちの文章は いかに高い識見であろうと自分の考えとして表わす内容はゼロであると言っていることにひとしいわけですから 放っておきます。わたしが とやかく言うべき話題ではないようです。


 ご回答をありがとうございました。


 つまり 感覚も考えも《くやしさ》とはまったく関係ないということであれば このようにわざわざ投稿をして来ることはないという見方に立ちます。

お礼日時:2011/07/06 22:45

No.5です



「哲学(愛・智)とはこういったものである」という認識は、それぞれでしょう。

なぜなら「愛」という概念自身が場合によっては排他的になることがあるからです。

博愛を「愛」とする立場からすれば、排他的な「愛」は間違っていると指摘したくなるものでしょう。

だからといって、他人の寝室のカーテンやドアを相手の意志に反して取っ払ったり、公の元に晒すというのもいかがなものかと思う方々もあると思います。

自身にとって「それは哲学ではない」と思うような態度や行為が見受けられたからといって、あからさまに「それは哲学ではない」と公言するのなら、
>>>
優劣とか、やっかみとか、くやしさとか、そういったことを考えること自体、不思議な気がしています。

どうなんでしょ?
<<<
と同等の行為に走っているようにしか見受けられないということも意味しています。

閉ざされた扉は、いつの日にか開くものです。

永遠に閉ざされ続けることはあり得ません。

また、逆に、閉ざされた扉を無理矢理こじ開けたら、扉が壊れるだけではなく、本来あるべき姿も見えなくなってしまうでしょう。

どこかで聞いたような話ではないのでしょうか?

天の岩戸はどうすれば開いたのでしょうか?
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この回答へのお礼

 要するに 相手の抵抗や反発を最小限におさえて ものごとに当たれということですね。

 じねんさん――そう言えば なつかしいですね( toki さん= ri_rong さんのあととして)―― あらためまして こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 もっとも早い話としてわたしのお応えはこうです。

 ★ 天の岩戸はどうすれば開いたのでしょうか?
 ☆ 人間は 一人ひとり個人としての内面における思いがあり人間関係としての外面の事情がある。ゆえに 一概にモノゴトは答えが見つかるものではない。これです。
 
 もう少し説明を広げます。
 ○ ~~~~
 天の岩屋戸に雲隠れした人は へそが大幅に曲がっています。
 (たとえば 実の弟がいとまごいに自分のところにやって来るというとき それは自分の領土を奪いに来るのだと頑なに思って 男装・武装をし戦いに臨んだと言います。
 そのあと 弟の心の清かるか清からざるかを掛けてウケヒという勝負までをおこなっている。うんぬん。
 おそらくわたしがアマアガリ・シンドロームと呼ぶそれとしての障害に罹っていると見ます)。

 従って そのときの対処法は 当座と長期とのふたつの観点から採るべきでしょう。
 ひとつには 岩屋戸の前で みんなが寄り集まってどんちゃん騒ぎをする。雲隠れしたアマテラスも たのしそうだと思い仲間に入りたいと欲するようになる。――つまり神話の語る筋道です。

 ひとつには お山の大将でいなくては生きて行けないという欲動がはたらいていると見るならば・つまりつねに脚光を浴びていないと息も出来なくなるという症候群に罹っていてこれを治すことが大事だという長期の(基本的な)見方に立つならば たとえば放っておくしかないでしょう。
 要するに 自省のときをじゅうぶんに与えるという方法です。
 またそれには きちんとその症候群の中身をおしえてやっておくことも大事だと考えます。

 つまり 《そのあなたの思想(生活態度)は 人びと互いの交通においてきわめてその流れを阻むようにはたらくものである。なぜなら 人びとはあなたの気をそこねないように気づかいをせねばならなくなっており あなたのこねる駄々を溶かしてやってそのあとやっとふつうの仕事にかかるようになっているから》と・つまり《それは 哲学ではないですよ》とはっきりと知らせておくことも大事だと考えます。
 そうしておけば 雲隠れをしても それは本人の勝手であり純粋に(?)本人の問題であるとなります。
 ~~~~~~~~~~

 ☆ さてこのときに――つまり わたしがこのように述べた方針であゆんでいるときに―― そのわたしの行動方針について疑義が立てられているということですね。いわく:
 ★ ~~~~~~
 自身にとって「それは哲学ではない」と思うような態度や行為が見受けられたからといって、あからさまに「それは哲学ではない」と公言するのなら、
  >>>
  優劣とか、やっかみとか、くやしさとか、そういったことを考えること自体、不思議な気がしています。

  どうなんでしょ?
  <<<
 と同等の行為に走っているようにしか見受けられないということも意味しています。
 ~~~~~~~~
 ☆ つまりこの疑義に従うならば このわたしも《批判点についてるる説明したあと まったくのかたちで相手を放っておく》という対処の仕方を採るということは 相手と同じように《優劣の判定や やっかみや悔しさをほんとうは内にかこっているのではないか》ということですよね?
 これは 見方によりましょう。人それぞれでしょう。そして そこまででしょう。

 その意味は 次のように表明された命題についてのわたくしの考えとつながっています。
 ★ ~~~~~
 閉ざされた扉は、いつの日にか開くものです。

 永遠に閉ざされ続けることはあり得ません。
 ~~~~~~~
 ☆ 考え方が違うというその中身としてわたしの考えるところは 
 ○ 《いま・ここなる〈わたし〉の動態としての〈現在時〉こそが 永遠の現在というかたちにおいて その〈いつの日にか〉である》。
 ☆ なのです。ぶっちゃけた言い方をすれば 《扉の閉ざされたまま どちらかが死ぬ》という事態もあり得るということです。


 ですから じねんさんのここでのいちばんの誤解は 次のお考えです。
 ★ また、逆に、閉ざされた扉を無理矢理こじ開けたら、扉が壊れるだけではなく、本来あるべき姿も見えなくなってしまうでしょう。
 ☆ わたくしの行動方針によれば 《扉を閉ざすな》と殊更言っているわけではありませんし また《閉ざされた扉をわざわざ無理やりこじ開けよう》などとこれっぽっちも思っていないということです。《間違いを説明したあと 完全に放っておく》と言いました。《完全に》です。つまり 相手がどうなろうと――死ぬまで――完全に放っておくという意味です。
 《アマアガリ・シンドローム》は それほどの――というよりも 千五百年もの長い間の――病いなのであり いま・ここで完治を目指すよりほかにナホビのミタマにあずかる気づかいはない。こういう考えからです。

 タカマノハラとトヨアシハラとは たとえ二階建てになっていたとしても ウツシキアヲヒトクサ(現実の草の根の人びと)のために・生活のために・共生のために成ることであれば 互いに助け合って世の中をいとなんで行けるのです。
 アマアガリしたアマテラス公民の間には・その内面では ひそかにかおおやけにかは知りませんが 自分たちの無謬性という神話がはびこりその心を溶融させていると見ます。ウツシキアヲヒトクサの心はメルトダウンさせられてしまっています。ほんとうはそうではありませんが 人びとは 憐れみの心からお二階さんの状態と同じようになって 自分たちも炉心溶融の姿を装っています。
 ここで 人びとはアメノウズメのようにどんちゃん騒ぎをやってもよいのですが むろん人びとは対症療法ではなく完治を願っているということではないでしょうか?

 わたくしのいま採っている行動方針は――行為形式ではなく行動方針ですから より一層変わり得るものです―― 以上の考え方にもとづくものです。
 闇の中にいる人が光を見ることができるようになるには・・・。

お礼日時:2011/07/06 11:55

この質問文をお出しになった動機を存じておりませんので、的が外れているのかも知れませんが、自戒の意図を込めまして申し上げます。



◆期待通りの箇所に妥当な回答が存在していなくて盲点を衝かれた場合には、
他の方々からの御意見にも影響するのかも知れませんので、
そうなりますと、利己的な都合に適わなくなる可能性が出てきますから、
一時的にでもブロックが望ましい、と考えていらっしゃったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 No.5のお礼欄にて わたしにとってのこの質問のきっかけのことをはっきり具体的に書きました。その内容に呼応したご回答であると理解します。そしてたぶんほかの質問・たとえば【Q:美しいものを美しいと・・・】へのわたくしの投稿内容をも加味して お考えになったところを表明された。こういうことだろうと思います。
 いちばんの問題は――もしそのお考えが妥当であり当てはまるとしますと―― 次の部分にあることになりませんか?

 ★ 利己的な都合に適わなくなる可能性が出てきますから
 ☆ その質問者たちやほかの回答者たちにとっての《利己的な都合》のことであろうと推察します。
 このことについて ふたつの見方が出来ましょう。
 ひとつは どんな利己的な動機からであれ
 ★ 一時的にでもブロックが望ましい、と考えていらっしゃったのではないでしょうか?
 ☆ という意味で《ブロックした》こと そのことには何ら問題はありません。(また このことは No.5のお礼欄にて わたくしも きちんと触れています)。
 もうひとつは 簡単です。
 ○ 《利己のために人びとの自由な交通を阻むことは 哲学ののぞむところではない》。
 ☆ となるはずです。
 したがって そのために 《哲学にとっての答えとはうんぬん》の主題と論議が――No.5のじねんさんのお考えであるとともに―― この質問にとっての趣旨となっています。
 主題もしくはその焦点が 微妙に違うところに移ったと理解してくださるとありがたいです。


 蛇足ですが:
 ★ 期待通りの箇所に妥当な回答が存在していなくて盲点を衝かれた場合には
 ☆ 回答を得ることに《盲点を衝かれる》も何もありません。《回答であるか無いか》 これだけの問題です。これだけが 問題です。
 《利己》から自由でない哲学者の場合には 《盲点を突かれた場合》に困るということでしょう。知ったことか。
 どうでしょう?
 

お礼日時:2011/07/02 14:47

こんばんは、bragelonneさん。



●ソフィ・ジェルマンと同じようだったのですか? 

リビドー
http://homepage3.nifty.com/act-prc/muishiki2/0-0 …
http://homepage3.nifty.com/act-prc/muishiki2/3-6 …


●ソフィに成りたかったのですか?

無意識のなせるわざでしょうか?
http://www.egao21.com/01/resume/2_2.html


123とくれば、イッキツウカン!ちがうか???(*^^*)v
http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/n8.html

゜゜゜~=凸(▼▼メ)

一服、一服


【囲碁寄せゲームの理論と計算】
http://www.n-fukushi.ac.jp/kenken/jron/kiyou/no. …



●☆何が来ようと みな晴れにしてみせます。雨は似合わない。
 つまり ふしあわせであっても・そうあり続けていても 雨は止ませ空は晴れさせてみせましょう。脳天気にも 奥深い構造がある。

【気象のはなし】
http://www.shoankyo.or.jp/kisyou/pdf/khn.pdf
http://contest2008.thinkquest.jp/tqj2008/100350/ …

【QNo.5303135狂える人 と その制裁】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5303135.html


●集合は知らん



って、、、あのね、、、(@_@;)


ババンバ、バン、バン、バン

ハー、ビバ、ドン、ドン

ババンバ、バン、バン、バン

飯食ったか。

ババンバ、バン、バン、バン

歯、磨いたか。

ババンバ、バン、バン、バン

また、来週。
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この回答へのお礼

 反応は なし。出て来ません。または どう反応してよいかが分からない。
 それぞれの事柄について 同じようにです。
 という結果です。

 正直にお応えして お礼とします。
 ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2011/07/02 09:30

こんにちは、bragelonneさん。





n≧3のとき、
Xn+Yn=Zn
を満たす、自然数 X、Y、Zは存在しない


http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/f1.html

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/f2.html

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/f3.html



「はないちもんめ」
勝って嬉しい 花いちもんめ 
負けて悔しい 花いちもんめ 
あの子が欲しい あの子じゃ分からん 
相談しましょう そうしましょう
http://freeride7.blog82.fc2.com/blog-entry-732.h …


寄せては~~~~~~~

寄せては返す波のよう

~~~~~~~返す波のよう


【数え上げ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E3%81%88% …

「SACHIKO」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2078/index.h …

幸せを数えたら 片手にさえ余る

不幸せ数えたら 両手でも足りない
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この回答へのお礼

 ソフィ・ジェルマンと同じようだったのですか? 
 ソフィに成りたかったのですか?

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ★ 寄せては返す波のよう
 ☆ でもね たぶん わたしのほうは 波にゆられて〔ただし前へ行こうとして〕いるだけ。
 花一もんめの波が そのつど止むのかと思って来ているのだから こちらが寄せたりも返したりもしていないと思うんですが。



 ★ ~~~~~
 幸せを数えたら 片手にさえ余る

 不幸せ数えたら 両手でも足りない
 ~~~~~~~
 ☆ 何が来ようと みな晴れにしてみせます。雨は似合わない。
 つまり ふしあわせであっても・そうあり続けていても 雨は止ませ空は晴れさせてみせましょう。脳天気にも 奥深い構造がある。


 集合は知らん。

お礼日時:2011/07/01 00:14

うーん・・・



そもそも、哲学には「答え」という概念自体がそぐわないと思っているので、優劣とか、やっかみとか、くやしさとか、そういったことを考えること自体、不思議な気がしています。

どうなんでしょ?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ですが 趣旨説明を読みましたか?
 ☆☆(趣旨説明) ~~~~~

 表題:答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか

 1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか?
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~


 ★ そもそも、哲学には「答え」という概念自体がそぐわないと思っているので、優劣とか、やっかみとか、くやしさとか、そういったことを考えること自体、不思議な気がしています。
 ☆ とお考えであれば そういう場合には ほかの人びとのあいだに それでも《優劣とか やっかみとか くやしさとか そういったことを考えたり感じたりする》場合があるかどうか これをお考えになってください。
 そんなバカはいないというご見解であれば そういうお答えをお示しください。

 いやいや たしかに 少数ではあっても そういうやからはいるようだ。それは一部分であるとしても なかなか大きな問題である。そうだなぁ さしづめこれこれのように捉えてはどうか? ・・・といったふうにご回答をお寄せください。

 この質問を挙げた直接のきっかけは 次の質問が出たからです。
 【Q:日本人にとっての「議論すること」の意味】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6833059.html

 話は込み入っていますが 次のふたつの投稿内容が事情を明かしています。
 【Q:西行もトインビーもお爺さんも感動した伊勢神宮】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6712860.html

 つまりその回答No.14とNo.15とをご覧になれば その事情はよりくわしくお分かりになりましょう。
 というのも 前者の質問でわたしはブロックされているのを知ったからです。ブロックが問題なのではなく そこに到る考え方が 一般性を持つ問題だと捉えた結果が この質問です。

 ですから じねんさんは お手数でもこのご回答の旨を その方にお伝えになるのが いちばんの言わば世直しになるのではないかというのが わたしのこの質問者としての考えになります。
 どうなんでしょ?

お礼日時:2011/06/30 12:06

訂正



「山関を閉じよ」→「三関を閉じよ」

この回答への補足

 歌詞付きと加湿器。

 いちおう目をとめたとしておかないと あとで叱られても困る。過失鬼と言われちゃっちゃぁ困る。

補足日時:2011/06/26 15:33
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この回答へのお礼

 鈴鹿・不破・愛発(あらち)の関。
 関の東と西とで 関東・関西。
 でも中部は 関東ではなくなった。

お礼日時:2011/06/26 15:14

こんにちは、bragelonneさん。




●―――――門を閉ざしました。
physiolosic narrowing?

食道狭窄
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10G10600. …


「山関を閉じよ」
http://yumiki.cocolog-nifty.com/chrono/2011/04/p …
http://yumiki.cocolog-nifty.com/


ニューロンの保護や栄養供給を担うグリア細胞
http://www.asahi.com/science/update/0615/TKY2011 …
http://www.sklabo.co.jp/news.html

組織学ペーパー平成19年度本試験解答解説
http://www.geocities.jp/koukaisyugi/histology.html
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この回答へのお礼

 大道は無門なり。

 門はありません。

 これに決めます。(ただし ブロックは続けます。相手が心を入れ替えたと分かるのでない限り それまでのやり取りを見れば済むから。同じことの繰り返しでしかないという意味です)。

 ってとこかな。

 ご批判をありがとうございました。

お礼日時:2011/06/26 15:12

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