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神は全ての生物を支配しろと人間に言いつけました。
創世記:1:28
『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』

それなのになぜ神は人間に知恵の実を食べるなと言ったのでしょうか。神の様になれば他の生物を確実に素晴らしい状態で支配できると思うのですが……。逆に神の様にならなければ恐竜や象などの巨大生物には負けてしまうでしょうし、ウイルスなどの感染症によって他の生物を支配するほどの力を人間は手に入れることが出来ないでしょう。

神の様になった方が神の意向に確実に従えるはずなのに、神の様になってはいけない理由がいまひとつ飲み込めません。

どなたか、ご教授のほどをお願いします。

A 回答 (41件中1~10件)

唯一神を崇拝する宗教は、どちらかと言うと社会学に近いところがあります。


「神」とは人間より上位に位置する存在で、全能性を持つ物と認識されています。
その「神」に近づくなんて、日本風に言えば「畏れ多い」とか、そんな話になるでしょう。

下僕がつけ上がるなって感じでいいんじゃないかな?

まあ、一神教の殆どは宗教の名に値しない戯れ言のような物です。
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この回答へのお礼

分かりやすい説明、有難うございます。
確かに神に近づくのは恐れ多いというのはあるでしょうね。
一方で私が神だとしたら下僕を作りたいとは思わないのですが……。
最後の一行が鋭いです。

お礼日時:2011/07/12 06:43

知恵には、悪知恵、裏切り、嫉妬、恨み、妬み、欲なども含まれるからではないですか?


仏教で言う、煩悩みたいなものです。
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この回答へのお礼

そういう考えは初めて知りました。
一方でそれすらも抑制するのが知恵という気もします。

お礼日時:2011/07/12 06:44

知恵をつけた人間は、自らの力によって滅びようとしているではないですか。



だから食べてはならなかったのです。
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この回答へのお礼

鋭いですね。
一方で人間は本当に素晴らしい知恵である自制だけは身につけなかった気もします。
もし知恵の実を食べれば、自滅すら免れたような気がするのです。
反論みたいですみません。

お礼日時:2011/07/12 06:45

「知恵の実を食べるな」というのが神の作った人間への枷だからです。


人間が支配すべき全ての生物に、当然ですけど神ははいっていません。神は人間を支配する存在でなければいけないのです。つまり人間が神の言うことを聞かずに神の所有物を勝手に食べる、という行動そのものがすでに許されないものなのです。
それが知恵の実であったのは、知恵というのに悪徳や罪が含まれていたからでしょう。
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この回答へのお礼

枷、というのが説得力があります。
もし人間が神の様になったら、神自体が危ないのかもしれません。
私自身は失楽園は神が人間に与えた試練だと思っています。

お礼日時:2011/07/12 06:46

> 神の様になった方が神の意向に確実に従えるはずなのに


逆に言ってしまうと…大半の人間は、おごりが強く成るのでは?

> 神の様になってはいけない理由がいまひとつ飲み込めません。
自ら創造主に成ると…神を超えようと考える人達が確実に出る
のでは、有りませんか…現にそんな愚かな人達の名簿が歴史書
に溢れ返ってますし…

西洋のカルト教団なんて…自ら神を生み出すと言う目的で自ら
選んだ人種の遺伝子を組み合わせて、人工的に神を作ってます。

倫理問題を無視した行為に全世界から非難を浴びながら、すでに
その神?は、誕生しました。

この回答への補足

<西洋のカルト教団なんて…自ら神を生み出すと言う目的で自ら
<選んだ人種の遺伝子を組み合わせて、人工的に神を作ってます。
<倫理問題を無視した行為に全世界から非難を浴びながら、すでに
<その神?は、誕生しました。
もしよろしければ、このあたりについてもう少し詳しく教えて頂けませんか?

補足日時:2011/07/12 06:49
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この回答へのお礼

<逆に言ってしまうと…大半の人間は、おごりが強く成るのでは?
恐らくは傲慢になるでしょうね。一方で本当の知恵ならば謙虚にもなれると思うのですが……。

反論みたいですみませんが。

お礼日時:2011/07/12 06:48

永遠を意味するヘブライ語は世界も意味するのですが


もしかしたら永遠に生きるものではなく
世界に生きるものを禁じたのかもしれません。
神はエデンにずっとアダムとイヴを閉じ込めたかった?
でもアダムとイブはでていくことになるのですが・・・
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この回答へのお礼

私は失楽園は神が人間に与えた試練だと思っています。
獅子はわが子を千尋の谷に突き落とします。
それと同様に神も人間を追放して苦労させて人徳を磨かせたかったのではないでしょうか。
これは私なりの解釈なのですが……。

お礼日時:2011/07/12 06:50

現在小学校低学年まで、成長を遂げたその神?は、天才ぶりを


発揮して、すでに某・大学の入学試験に合格して飛び級で入学
したそうです。
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この回答へのお礼

詳しく教えてくださって有難うございます。もし出来たら、教団名なども知りたいと思います……。一方でその神?は挫折を知らないので、ある意味では苦労知らずな問題児という気もしますが……。私はどん底に堕ちて初めて見つかる宝物は沢山あると思いますし、それこそが人間性を一番磨くと思っています。
ちなみにアメリカの大学入学試験や日本の偏差値の低い大学なら英才教育を施せば小学生でも受かるとは私は思うのですが……。遺伝子のお陰か、それとも英才教育の賜物かは気になるところではあります。

お礼日時:2011/07/12 06:54

知恵を付けると、生物の進化論などにたどり着き、聖書に書いてあることが嘘っぱちだと判ってしまうからでしょう。

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この回答へのお礼

これも鋭いです。キリスト教では聖書が全て神の言葉と教えています。聖書には恐竜が載っていないので、嘘っぱちというのもある意味では本当かもしれません。

お礼日時:2011/07/12 06:55

キリスト教の門外漢ですが、知恵の実を食べると、自我が芽生えるものと考えています。



人類が知恵の実を食べ、個我を持つに至ったが為に、神の計画は狂ってしまった。万物の霊長となるべくして授けた高度な知覚と思考力が、他の生物への脅威となってしまった。個我を持つのは、全知全能の神のみであるべきだったのです。

・・・とまあ個人的には、そんな事を妄想しております。
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この回答へのお礼

非常に説得力があり、夢中になる回答でした。
『自我』ですか。確かに万物の霊長となるべき人間が、今では世界の脅威となっています。
ちなみに、神の計画は何だったのか個人的には気になります。
素晴らしい回答を有難うございます。

お礼日時:2011/07/12 06:58

 こんにちは。



 まづ聖書の記事は 人間のことばで神のことについて 仮りに表わせばこうなるであろうというかたちで書いています。いろんな書き方がありうると言えましょうし したがってまたそのひとつの表現がすべてであったりその言葉どおりの意味が事実そのものであったりするとは 考えられません。

 その実を食べてはいけないというところの
 ★ 知恵の木
 ☆ は 《善と悪とを知る木》と言っています。

 そうして 人間の歴史は そもそもこのエデンの園を追われたあとから始まっています。というのは 神からすればアダムとエワとが善と悪とを知る木から採って食べることは分かっていたからです。

 けっきょくこの知恵の木とも呼ばれる木の実を食べるというのは おそらく《人がおのれの心の感じ思うところに逆らってその意志を決めること またその意志による選択を実行すること》を言うものと考えます。
 おのれの心に従うことが 自分にとって善であり 心に逆らい胸騒ぎをおぼえつつ言葉をふつうには発することができなくなるようなことをおこなう これが 負の善であり 善の損傷であり 名づけて悪と言うようになった。

 ★ 知恵の木から採って食べると 神のようになる
 ☆ と言うのは 蛇が言ったことですし おそらくそのようになったとしたら それは《人間の側から見て》のことであり 神から見たらどうであるかは たぶん分からないことでしょう。つまり 《人間はこのように善悪を知り知恵をつけたと思ったときには あたかも自分が神のようになったと勝手に思いなした》ということであろうと言うべきでしょう。

 要しますと:
 1. おそらく単純に言えば 知恵の木から採って食べたというのは うそをついたということ うそをつくことを覚えたということ さらには ウソイツワリをその《知恵》によってあやつるようになったことを言うのでしょう。

 2. これを称して 人には自由意志がそなわっていると言っているのだと思います。意志による自由な選択をとおしてそれぞれは生きるのだということ。

 3. 知恵の木は 科学の木とも呼ばれます。たぶんですが――まちがっていたら ただしてください―― 動物は きのこや草に毒があるかどうかを 感覚あるいは本能において見分けるとすれば 人間はいちいちそのような毒性について認識をつうじて知りながら見分けなければならない。試行錯誤を覚悟しなければならない。そのことをも意味していましょうか。

 4. このように知恵の木から採って食べたあとにおいて 実際にはじんるいの歴史が始まっているのだけれど それではなぜエデンの園などという物語を差し挟んだのか?
 単純に考えれば ウソなることを知らない状態が人間にはあったことに対応させているのでしょうが それだけでは わざわざ神がその風かをるエデンの園を歩いたという意味が出て来ない。

 5. どうなんでしょうね。つまりは いわゆるこのアダムとエワの犯した原罪とそれを のちに神は自分の独り子を地上に遣わしたというほどにその神の子によってあがなわせたという物語。
 つまりは ぎゃくにになるかも分かりませんが この十字架物語のあとの歴史においては むしろエデンの園にある状態よりもさらに好ましい存在へと 人間が 飛躍するということを言いたい――つまり聖書記者たるあくまで人間が 言いたかった――ということであるかも知れません。

 6. それは 端的に言って ウソの自治。悪の共同自治。このような自己経営や社会経営を やがて或る程度は――その社会の三分の一の志ある人びとによって―― かなりうまくやって行くであろうと〔聖書記者たちは 神の物語に託して〕言いたかった。
 実質的に楽園とさえ呼び得る社会を エデンの園の外の世界において 自分たちの手できづいて行けるであろうと。

 そういう作り話もあってよかろうと。
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この回答へのお礼

<こんにちは。
こんにちは。

<まづ聖書の記事は 人間のことばで神のことについて 
<仮りに表わせばこうなるであろうというかたちで書いています。
逆に言えば神のことを人間のことばで表しているので、不完全、ということでしょうか。もしくは誤謬が生じてしまう、と。

<神からすればアダムとエワとが善と悪とを知る木から採って食べることは分かっていたからです。
初めて知りました。


<知恵の木から採って食べると 神のようになると言うのは 蛇が言ったことですし 
確かに蛇が言ったことでしかありませんね。

<《人間はこのように善悪を知り知恵をつけたと思ったときには 
<あたかも自分が神のようになったと勝手に思いなした》ということであろうと言うべきでしょう。
人間が自ら本当の神を知らずして自分自身を勝手に神のようだ、と思っているのはあるかもしれません

<知恵の木から採って食べたというのは うそをついたということ うそをつくことを覚えたということ

知恵の実によって嘘を覚えた。これは非常に勉強になります。

 2. これを称して 人には自由意志がそなわっていると言っているのだと思います。意志による自由な選択をとおしてそれぞれは生きるのだということ。

<知恵の木は 科学の木とも呼ばれます。たぶんですが――まちがっていたら ただしてください―― 
そうなのですか。知りませんでした。そう言えば人間は知能は発達していますが、動物的な勘、野生の勘は非常に退化しているのは感じます。

<ウソの自治。悪の共同自治。このような自己経営や社会経営を やがて或る程度は――その社会の三分の一の志ある人びとによって―― かなりうまくやって行くであろうと〔聖書記者たちは 神の物語に託して〕言いたかった。
<実質的に楽園とさえ呼び得る社会を エデンの園の外の世界において 自分たちの手できづいて行けるであろうと。

非常に丁寧に教えてくださって有難うございます。色々と得るものもあり、とても嬉しく思っています。とても勉強になりました。

お礼日時:2011/07/12 07:06
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