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 以前に 「どうしたら離人症の方を元気づけられるか」というご質問があり、その回答に書かれている内容が自分と全く同じで(実際全く同じということはないと思いますが)、そんな方がいらっしゃって頑張っているんだと知り、とても嬉しかったです。それで、質問させていただきたいと思いました。
 わたしは14の頃から、16年間離人症です。症状が現れる、というものでなく、ずっとです。以前に精神科に入院したこともありますが、現在は通院もしておらず薬も飲んでいません。18歳のころから親元を離れ働いています。今まで、離人症のせいにせず、外側に出ようと本当に必死に頑張り続けてきましたが、やはりこれは明らかにハンディキャップになっているとようやく認め、覆い隠された独りの世界で活き活きしようとしている自分自身や、せっかく与えられた一度しかない人生が勿体なさすぎるので、絶対に治したいと思っています。
 前置きが長くなってしまいましたが、わたしと同じ離人症の方にお聞きしたいのは、周囲の方(恋人や友人、ご家族)に伝えていらっしゃるのか、理解してくださっているのかということです。伝えていらっしゃるのであれば、どのように伝え、どのように接されているのでしょうか。そして、仕事をしたり人と接したりと、普通に生活しようとする中で、とても困難なことが多いと思います。わたし自身、もう疲れ果てた、もう何もかもあきらめようかと、しょっちゅう思います。しかし結局は、日々最善を尽くして、できる限りの工夫をして、なんとかやっていっている、という感じです。そのとき、皆さんはご自分自身をどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。とても漠然とした質問ですが・・。今まで、離人症によって困っていることも自分の無能力のように、尻をたたき続け、かなり無理をしてきました。離人症と本来の自分の境目を自身では認識しているのですが、それは当然人には分からないし、打ち明けている親しい間柄の人とも、どのように接したらいいか分かりません。皆さんは、離人症である自分、そんな症状とは関係なく存在している自分をどのように位置付け、毎日の「当たり前の」生活を送っていらっしゃるのでしょうか。どのような心持ちで、人の中で生きていらっしゃるのでしょうか。わたしの場合は・・と、どんなことでも教えていただけると幸いです。どうぞ宜しくお願いいたします。

A 回答 (2件)

はじめまして。


私は離人症と診断はされていませんが、離人感を感じながら生きています。精神科にも通院をしているものです。

16年間もの長い間、自分が自分でないような、霧がかりの世界で、とても生きづらい生活だと思います。
すべてを病気のせいにせずに、社会にもでてもっと、有意義な人生を送りたいと感じられているんですね。

家族や、友人にどのように自分の症状や気持ちを伝えることが出来たら、理解してもらえるのか。悩まれているんですよね。今まで見ないようにしてきた病気を、やっとの思いで受け入れることができて、理解して欲しいですよね。
私も、できることならすべての人に、病気は違えども精神疾患を受け入れてほしいと感じています。
tourbillionさんも私も、精神疾患という障害を今抱えていますよね。健常者という言葉は適切でないかもしれませんが、この世界を経験したことのない人に100%の理解は、本当に難しいとおもいます。恐らく、必死に訴えてもぼんやりとした感覚でしか分からないのではないでしょうか。また、人によっては「受け入れる」ということすらしないかもしれません。拒絶を示す人すら中にいるでしょう。
私、一個人の意見ですが、もし、相手に伝えるのであれば「分かって!」と言いたいと思います。でも、そこをグッと我慢して、冷静に「離人症という病気で、こういう症状があって、こういうときにこうなる。だから、こういうときは、こうして欲しい」という、自分なりの希望を投げかけるほうがいいような気がします。病気の説明だけされても、恐らくどう接していいのかが分からなくなって、相手も混乱してしまうと思うんです。なので、「どうして欲しいのか」を明確に提示してあげるほうがまだ、受け入れやすくなるのではないのでしょうか。
離人症と健常者の溝を感じて、健常者ならどう感じるのだろうと。色々考えられてるようですね。それは、今の私でも難しい問題だなと思います。なぜなら、私は健常者ではないからです。私も思います。健常者なら、仕事をするときどんな感じなんだろう。友達を作るってどういう感じなんだろう。どんな感覚で生きているのだろう…。でも、それはきっと、健常者の方からみれば、離人症ってどんな感じで生きてるんだろ…。と同じなんですよね。
tourbillionさんはどんな人生を生きてみたいですか?健常者、障害者という世界を一旦棚上げして見て、どういうことをしてみたいですか?楽しいことはどんなことですか?今まで、健常者と障害者という言葉を使ってきましたが、きっと同じなのではないかな。と思います。やりたいことをやって、好きなことに触れて、そういう人生が送れたらきっと謳歌できた人生なんじゃないでしょうか。。。
現在、精神科には通院されていないようですが、なにか不安に思われることがあったのでしょうか。離人症が治る病気であるのか、その辺りが詳しくはわからないのですが、もし病人と思いたくないと思って、薬も使わずにがんばってこられたのであれば、とても辛かっただろうなと思います。でも、風邪を引いたら風邪薬のむのと同じで、少し、お薬に寄りかかっても大丈夫なんじゃないでしょうか。
tourbillionさんの求める答えになっていないかもしれませんが、参考程度になれれば幸いです。
あまり、がんばりすぎないでください。がんばり過ぎているような気がして。すこし心配しています。
いつか、霧が晴れる日が来ることを願っています。
長文、乱文失礼いたしました。
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私は14歳から32歳まで離人症で辛く、生き難い想いで暮らした経験が在ります。

離人症から解放されてもう既に30年くらい経っています。

ノイローゼの中で『離人症』が一番辛いという話を聴いた事があります。他の症状を知りませんので確かめる術は在りませんが、実に生き難い想いが強かったと思っています。

私の場合は『生や死』に対する不安がその元になっていました。従って、その元を無くす事が出来ない以上(生や死)から逃れられない以上、症状はもう直す事が出来無いものとあきらめて暮らしていましたが、結婚をした事がきっかけとなって、症状がきつくなった為に、生活に支障がでてきまして、生活を守る為に『入院森田療法』を鈴木知準先生の下で受ける事にしました。

2ヶ月間の入院治療を受けまして、先生の言う生活態度を忠実に守った結果、退院して4年後『自身の感情を沸かせている意識』=『命の働き』と出会うという体験がありました。その一回の体験で全ての不安から開放される事が出来ました。

それからもう既に30年以上経っていますので、貴方の治らないもどかしさと、治った後の『安楽な心持』と両方の心持が分かる者です。

その経験から貴方にアドバイスをしたいと思います。

鈴木先生からのアドバイスと、私からのアドバイスを織り交ぜて貴方へのアドバイスとします。ノイローゼの場合『症状の改善からのアプローチは全て無駄に終わります』その事を森田療法では『不問』としています。

不問という意味は『決して症状の事は口にしない』という意味ですが、同時に『症状の改善からのアプローチはしない』という意味です。神経症の場合症状はどうであれ『症状を治そうという心の働きが症状を発症させて、更に固定しています』従って、症状はもう直らないという諦めが大事です。

症状はもう治らないと諦めが付いた場合、そこが道半ばです。そうして、症状は決して治らない事を了解する事が『悟り』です。この時点で症状は「夢幻と消えてゆきます」その時点が完治です。

完治するという意味は「治らない事が分った」という意味です。

人間を『働かせていた意識』と自我意識が『意識の根底で出会う』という意味ですが、この出会いを見性と言っています。自分の自我意識が、もう一つの自分の意識と出会うという意味です。

自分の心が二つ在った事を了解する時、ノイローゼは全て完治するという意味です。この場合神経症以外でも、例えば『心を病む事でも、自律神経失調症でも、難事性の例えば、過敏性腸症候群等』検査をしても何処も悪い所がない場合の症状を持っている場合等です。

検査をしても何処にも異常が見つけられない場合、その症状はその人の頭の中で『その人自身が作っています』そういう場合の全てが解決します。何故ならば『心の矛盾』を症状として受取っているからです。

検査をしても何処にも異常が見つけられない場合には、本当は悪い所がない事を意味しています。それでも何処かに異常を感じている場合、その人は『自分の意識が異常を作り出しています』

治したいという意識が異常を作り出しています。ですが何処にも異常は在りません、従って治る可能性とは『治す事をしなくなった時』正常であった事が分ります。治そうという意識が漠然とした不安となって症状を作り出している事を意味します。

具体的な質問を受けますので質問下さい。
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