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諸行無常なんて、見たまんまじゃねえか。w
生々流転する被造物たる自然物や自然現象の背後にある永遠普遍の真理、更にそれを支配している全知全能の神を見出すことが出来なかったことが仏教の限界でしょうな。

例えば、氷が水になり更に水が水蒸気になるという現象を表面的にだけ見れば如何にも生々流転して変化しているように見えてしまうが、
実はH2Oという分子自体は何も変わっていないというが如しだな。
こんな現在なら中学生でも常識になっているようなことすら釈迦は分かっていなかったんだなあ。w

諸行無常や輪廻転生も科学的にありえんし、差別思想にもつながりかねない危険な発想だよね。
やはり釈迦はアフォやね。w
教祖がヴァカなら、信徒もヴァカ。
道理で仏教が影響力を持っていた地域においては科学が発展しなかったわけだ。
やはり東洋思想はダメだね。話にならん。消えるべき。

生れ落ちた直後に立ち上がり何を血迷ったか「自分こそ宇宙で唯一尊い」などと口走ったトンデモ勘違い思い上がり野郎の妄言なんか信じてんじゃねえよ。

「自灯明」とはオレ様正義を振り回せということであり、「法灯明」とは人類普遍の客観的正義たる法に従えということだろ。
こんな矛盾したことを平気で同時にいえるような奴は分裂症気味だよね。w

王位継承者である王子の身分に生まれながら、世の中が空しくなったとかわけの分からないことをほざいて、
後継者がいなくなればやがて路頭に迷うことになる恐れもある家臣・領民を身勝手にも捨てて出て行くような無責任野郎の言うことは信用できないよね。

生老病死が苦だと勝手に決め付けてネガティブキャンペーンをして布教活動していたのはどこのどいつだよ。
出家していくときも、高齢者や病人を見て彼らを惨めな連中だと思ったそうじゃないか。敬老の精神や弱者をいたわる感覚が欠如しているんじゃねえの。
だいたい、生老病死が苦だというのは、若くて元気で生きているのが当然のことだなんて傲慢な考え方を前提としていることになるよね。
人間は神のお恵みによって生かされているという基本的な認識が欠如しているのは不届き千万だね。

という書き込みを見かけました。
この文章、違和感を感じます。
突っ込みどころ満載と言った感じがします。

この筆者、どこを間違っているのでしょうか?

A 回答 (4件)

輪廻転生が科学的にあり得ないとか言ってますけど、そもそも全ての宗教は科学に反する考えです。

神仏の存在そのものが、非科学的ですから、科学や現実と照らし合わせてものを語っているその書き込みには違和感を感じるのではないかと…

宗教とはあくまで人々の心の拠り所であって、本当に神や仏が存在するかなど証明するのも不可能ですし、心の拠り所に対してそんなに向きになって科学で論付けるなんぞ、愚かなこと。答えは一生出てきません。答えのでないことを論じても、矛盾が生じるだけ。結果的にそれは違和感となって読みてに伝わります。
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う~んと、敬虔な仏教徒・曹洞宗です。



代々そういう家柄、坊さんではないですよ^^; 

初代から3代目くらいまでは坊さんですけど。 もう変わってだいぶなります。

えっと、この方の文章は最後の一文だと思います。

>人間は神のお恵みによって生かされているという
>基本的な認識が欠如しているのは不届き千万だね。

ここです。

これを、数学で否定します。 これでも数学屋さんなの(o`・ω・)ゞデシ!!

「神は存在する。自然界の法則性があまりにもきれいだから。
同時に神は存在しない。神の存在を証明できないから」

パラドックスなんですよ。どっちとも取れるのです。

だから、神様がいる という人は、神様にすがる。

いないと思えば、すがることはない。

σ(・・*)たち仏教徒は、仏様だけじゃなくて、先祖代々を敬う。

感謝するんです。この人の考え方の仏教は、感謝がないんです。

そう感じました。

m(_ _)m
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こんにちは。



私も仏教含めほかの宗教も詳しくは知りませんが、質問者様と同じく違和感は感じます。

正直に言えば、「なんだこりゃ?」と思いました。
「モノはとりよう」の具体例ですかね(^^;)

宗教に科学を持ち込むのが間違いなんでしょう。
現代の価値観を何千年前に当てはめようとするのも無理がある。

科学を用いて神の存在を立証できるんでしょうか、この方は。

>生老病死が苦だというのは、若くて元気で生きているのが当然のことのことだなんて傲慢な考え方を前提としていることになるよね。

そうですか?これたぶん違うと思います。
人間がいる世界が苦痛に満ちている、という意味だと思います。
だからこそ、苦痛に耐えて耐えて死んだら「極楽浄土」に行けるのだ、という教えだと…(細かいことはつっこまないでくださいね)。

こういう言い方をしようと思えば、新約聖書でもいくらでもでてくると思います。
(ダーウィンの進化論と、アダムとイブの物語が矛盾することは、有名ですもんね)

自分は信じていない宗教でも、たくさんの人が崇拝しているものを屁理屈をこねてこのように悪しざまに書き散らかすのは、美しい姿ではないですね。

>この筆者、どこを間違っているのでしょうか?

「生れ落ちた直後に立ち上がり何を血迷ったか「自分こそ宇宙で唯一尊い」などと口走った」

ここを信じてるとこでしょうか。
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自分の事は、書いて居ないからでは無いかな?



他者を批判するのも良いが、自らもそれを述べる程の境地に達して居るか
何か色々と、様々な人々が経験してきた人生を超越する様な苦行を自らに
行って居なければ、そこまでは言い切れません。

その時代その時代事を、全て生きてる人間ではないですからね。
宗教自体・神にしても不完全な人が作って来た昔の教科書の様なモノだと
私は捉えて居る為に、使える部分だけ自身に取り入れられればそれで
十分効果的だと考えます。(人付き合いと一緒)

余計な物は、使えないなと感じられる分の教材でも良いではないか。
人は皆、生きて何かを学び取る時に必ず他参照してますからね。
比較対象は多い方がきっと良い。

時代に合わせて、宗教も為るべくマッチする様に更新出来る仕組みが
流行ってれば、その様な批判を受けなかったのかもしれないが
人は一度手に入れた何かを、中々手放そうとはしないもんです。
それに権力・権威が絡むもんだから尚の事保守的に為りがちだ。

話し方としては、言葉を投げるまでは良いと思うのですよ。
その後に、もう一歩分何か捕捉と言うのか自分為らばどうだとか
こうだとか何か見解が有るときっと良い文面に為るのだと
個人的にそう思います。

色々書いて見たり、それすらも何度も書き直したり書き綴った後も
一文一文の矛盾とか、至らなさを読み返してもっと上手く上手に
出来ないだろうかと恥ずかしく為る事が常です。

私自身はですけどね?

言葉は、幾ら尽くしてもそれを十分に伝えきれたとは言えないもどかしさ。
それで有りながら、多くの人々は簡潔に述べよと難しい注文をする。

ままならない世の中ですね。

誰かにとっては、間違いも有るんでしょうし足りないと考える人も居ますし
十分結構な内容の知識吸収出来るとも言えますよ?
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