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今から30年ほど前ジャイアンツの長嶋が後楽園で

『、、永遠に、、、と』と引退声明を発表してるとき、

アンデスの山に墜落した飛行機の乗客が寒さと飢えで、

死んだ乗客の肉をを食ったという事件が起きました。

全員キリスト教徒だったのですが、のちに乗客は『正当』というキリスト教の

判定を下され生き残った人は最大の名誉を助けられましたが、

翻って、あと100年後におきるであろう食糧問題が発生した時

あなたは人肉をたべますか?

A 回答 (8件)

食べます、人類の歴史において飢饉などが起こった場合は人肉を食べて生き延びた歴史があると何かで読んだことがあります。



そう言った事態に陥れば何でも食べるでしょう。
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物理的な意味でのカニバリズムではなく、象徴的な意味でなら、経済活動を通じて人は人を日常的に食べているといえるのではないでしょうか。



他人の富を食べて自分の富を膨らませること。これはタブーどころか推奨さえされているものです。

質問者さんは経済活動をタブー視されていますか?そうすると生きていけませんよね。象徴的な意味では人は他人を食べなければ生きていけません。

スポーツなどの競技で相手を負かしたり、職場で出世したり、選挙で当選したりするのは、自分は地位を獲得し、負けた相手は失うのですからこれも他人を食べているといえるかもしれません。

集落の長老が死ぬと、その長老が持っていた力を受け継ぐために喜んで肉を食べるという習慣について聞いたことがあります。これは質問にあるような極限状態ではなく日常的なもののはずです。

言葉の表現で「食べちゃいたいほど可愛い」というのがありますが、それは実際に食べていたことの名残なのかもしれません。

人肉を食べたいと思うことはありませんが、究極的で異常な状況に追い込まれても食べないという主張には偽善を感じています。

実際に人肉にはウイルスや細菌、多くの抗生物質が含まれていて、食べることによって病気になるかもしれませんね。食糧問題対策として人肉を食べるということはないのではないでしょうか。

極端な方法、たとえば虐殺や戦争による人口削減が人肉を食べるよりも倫理的とは自分にはとても思えません。しかし、人肉を食べる行為が(佐川事件のようなのを除いて)倫理的でないという見方も正当ではないと考えています。
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昔。

佐川事件が有った後で、日TVがご質問の問題について実験をしました。
(佐川事件については検索して見てください。)

実験内容は、果たして人は人の肉を口にすることは出来るか?と云う日曜日の夜遅くの科学番組でした。

佐川事件を素に、若い男性に催眠術をかけ、手に普通の精肉を持たせそれはそれはあなたの愛する人の身体の一部と、静かに説得し、その男性は大変迷いながらも手に持った肉を静かに口をつけようとしました。 放送では、完全に食べさせたのではなく、口をつけたところで催眠を解いたと記憶しています。

イースター島にもカニバリズムで島が滅びたと聞きます。
山崎豊子の大地の子の小説の中にも人肉食の話が出てきますし、戦争時のボスニアヘルツェゴビナのニュースでも聞いたことがあります。

私は、食べるより一番に死んで食べられる方がいいです。 元々、菜食ですし、手塚治虫のブッダの中のアッサジが飢えた虎の子に自分の身をささげる方が合ってます。

話は違いますが、100年後に食料問題が起こりえるのなら、TPPは絶対に反対しなければいけませんね。日本は今から第一次産業を見直した方がいいかも…。
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北朝鮮では人肉を食べたというニュースがあったのを覚えています。


子供がじゃんけんをして、負けたらその場で犠牲になったらしいです。
ここで切って、ここで焼いて・・・とか食べた側の子が図入りで話してました。
別のニュースでは、葬式を終えた後、埋葬は夜にしなければならないってのかありました。
村人に後をつけられて掘り返されるからだとのこと。
どちらも、拉致被害者が帰国した頃に伝わったものです。

今はそんな心配はまったくしていませんが、
本当に何もなければ、人間ってどうするか分からない、というのが私の意見です。
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世界的に食糧問題が発生した場合、食糧が調達出来ない人が大量に餓死し、この問題は解消します。



現在GDP3位の日本が、わずか100年後に、食糧問題で人肉を食べるかどうか?と言うレベルに陥る可能性は、ほぼ全く有りません。

人肉を食べる可能性が無い日本人に、「食べるか?」と聞くのは全く無意味です。

また何より、有り得ない仮定で聞いて良い様な内容でもありません。
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死んでしまうくらいなら、自分は食べます。

だって貴重な「糧」ですから。
生命は結局「食うか、食われるか」です。自分は愛する誰かが生きるなら、喜んで自分の死肉を捧げます。それはある意味、自然な流れなのではないでしょうか。


「人を食べるな」なんてのはただのキリスト協の考えの1つでしかありません。極端に中絶反対しているのも、アメリカの一部の原理主義者だけ。キリスト教に元々そんな教えは無いのです。

人の考えや価値観や常識なんて、そんな不安定でいい加減なものなのです。
ある大国である事件がありそれが大きな問題になったからといって、その反応をあたかも「グローバルな反応」などと鵜呑みにすべきではないです。

まことに余談になりますが、グローバリズムなんてのはビジネスに都合のいい考え方でしかないのです。だからビジネス大国はいつもそれを「普遍の価値観」であるかのように掲げます。
でも、深い歴史と文化、精神性、洗練された社会・国民を持ってしまった今の日本にとっては、場合によっては必要の無いものなのです。わざわざ「多数派に合わせる」なんてことをしなくても、その「独自性」だけで世界に居場所を作れる力があるからです。いえ、そういった「独自性」を排除することは、むしろ日本の今後にとって命取りです。「多数派」路線で勝負しようとしても、結局中国・インド・アメリカにはかなわないからです。そういう意味で、日本の取るべきスタンスはヨーロッパのそれに似ているかもしれませんね。
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> 全員キリスト教徒だったのですが、のちに乗客は『正当』というキリスト教の


> 判定を下され生き残った人は最大の名誉を助けられましたが、
・この判定は、次の、聖典によるモノです。
旧約聖書(エレミア書第3章24項)には「息子、娘たちを食い尽くしました」という記述があります。

=エレミア書第3章24項=
我々の若いときから
恥ずべきバアルが食い尽くしてきました
先祖たちが労して得たものを
その羊、牛、息子、娘らを。

> あと100年後におきるであろう食糧問題が発生した時
> あなたは人肉をたべますか?
・私もご質問者様も99.9999%、100年後には生きていないので人肉を食べることは無いと思います。
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100年後は生きちゃいないけど。



今のところ、生き延びるだけの理由がないので食べません。

もし、食べてでも生き残らなければならない理由がその時にあったのなら、食べるかも。
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