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文化の対義語が文明というのは、どのように解釈したらいいのでしょうか?
私見で構いませんので、もしわかる方がいましたら、教えてください。

A 回答 (17件中11~17件)

文化と文明は類語として扱われています。

対義語は野蛮ですが、

文化と文明は広い意味では精神と物質両方の発展と成果を指すが
狭い意味では技術の発展による都市化等物質的成果を文明
人間の精神的な行為による価値、成果を文化という。
とされています。(広辞苑)
この違いを対義語と呼べるかどうかは疑問ですが、考えられるとしたら
これしかないと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
NO.9のghostbusterさんの回答を読んで、広辞苑の定義に納得しました。
確かに、物質的成果=文明⇔文化=精神的成果という対比は単純すぎて、「物質と精神の違いとは何か?」という別の問題になりますね。

お礼日時:2011/09/24 22:01

ご質問は、私も関心のある事でずっと考えてきました。


文明の発達によって滅びる文化がある事についての感情論に由来しているではないでしょうか。

文化住宅や文化包丁という言葉があります。これらは物なのに、技術よりもコンセプトが強調されています。ですから文化という言葉をくっつけたのだと思います。単に文化が当時の流行り言葉だったのかもしれませんがね。


文化と文明を対比させる文脈においては、

思想、芸術、習慣、情操などを文化、

道具、技術、制度、演算などを文明にしていると思います。

生活が便利になると文化が変わりますよね。納豆売りが無くなって、廃品回収車でしょ。紙芝居が無くなって携帯ゲームでしょ。これは文明によって文化が消されたとも言えるのです。文明に責任転嫁しているのではありますがね。
文化が文明よりも弱いとは言えません。現代の高層ビル建設においても地鎮祭をしたりします。現代の若者の感覚、たとえば空気読めないとかは、江戸時代の百姓と同じ倫理観です。

そんな中で、文明には時代を変える強力さがあります。
民主主義は思想という文化ですが、旧来の階級社会の思想を打破して民主主義思想を普及させた立役者は、思想活動ではなく、産業革命に始まる近代の物質文明なのです。さらには、産業革命以降、資本家が労働者を搾取するという視点があります。このプロレタリア思想も文明批判をしていますね。思想家によって文化と文明が対立させられています。
民主主義を維持するための諸制度は文明です。

どちらの語も抽象的なので、対比的に使う事で初めて具体的な意味を持つようになると思います。
幕末、日本は文明の進んだ西洋に迫られて開国します。文明開化です。しかし文化は日本の方が進んでいたのです。こういう議論において、文明と文化が対決的に使われていると思います。端的には思想文化vs物質文明という構図でしょう。
ですから実際、文明と文化の対義語関係が正しいかどうかよりも、文化重視側からの反論に使われているレトリックの一つと認識していいと思います。

既出回答の司馬先生の話は、この作家が専ら古い文明を相手に仕事をしているからです。現代文明は化石ではありませんね。

文明が文化を創っている面もありますね。この場合は、対立関係とは言えませんね。共同している関係です。
もちろん新しい文明の力によって新しい文化を創る創造力は、文化です。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
具体例があり、とてもわかりやすかったです。
文化と文明が対立関係ではなく、共同関係(相互関係?)にあるというのは、
私も考えていることで、対立していることが納得できませんでした。
本来、既存の文明の中で文化が展開していくのですが、開放系の(文明が開かれている)場合、
外から別の文明が入ってくることになります。
少しでも新しい文明が入ってくれば、そこに新しい文化が起こります。
開国や侵略ではそういったことが起こったではないでしょうか?
その結果、(古い)文化と(新しい)文明が対立しているように感じるのですね。
間違ってたら、ごめんなさい。

お礼日時:2011/09/24 23:18

質問は、


文化・文明論ではなく、
  対義語なる用語の定義と文化⇔文明の関係ですね。
            (⇔は対義語記号とする、以下同様)
“文化が文明の対義語”だとすると、その理由は、
  「両者の相互関係」かもしれません(参照:文末の参考)。

対義語は慣用に準拠するため、定義がなく、
文化⇔文明は使い方や文脈によっては、類義語ともいえます。
 文化⇔文明 だと言う本人にどのような観点で定義したのか、その根拠を問うしかありません。
もしくは、ご自分の文化・文明の解釈に基づいて、
 文化⇔文明 への賛否を決めることです。
少なくとも、文化⇔文明 は常識として定着したものではありません。
 ----------------------------
そもそも、文化が文明の対義語とはどこにありましたか。
むしろ、これらの対義語を想定すると、
 文化⇔自分、個人、本能、自然
 文明⇔未開、野蛮

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%BE%A9% … 
を参考にするならば、
・対義語対は一般・慣用的に用いられているものを蒐集したものであり、そのなかには一定の法則性が存在していることが指摘されていますが、絶対的なものではなく、どのように使うかによっても、対義語として成立しないことになります。
・どのペアを対義語ととらえるかはその言語がもつ文化的背景や、その言語が使用される文脈に大きく影響される。
・ 例えば「値上げ」「値下げ」など。商品Aの単価が「値下げ」になったとしても、その商品の容量が減り(実質的には)値上げになっていることもある。「増税」「減税」、「改善」「改悪」など字句上では対義語として蒐集・教本化されているものが実際に文脈の中で使用される場合、
 *その意味が正確に適用されているかどうか
   「対義語」の意味コレクションはなんら保障しない。

■すなわち、辞書や教本類に載っている対義語例は、必ずしも当てにならない。といえます。

■興味が湧いて、対義語辞典と称するもの複数当たりましたが、文化の対義語は見つかりません。Web一般には文化⇔文明なる記事もありますが、言語として論じたものではありません。
広辞林審判30版-文明の項に、
「~生活が快適で豊富になり、野蛮な状態から遠ざかって行く現象」
   とあります。
この観点に立てば、文化⇔文明も、古代⇔現代、遠⇔近 と同列?

参考:
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
たいぎご 0 【対義語】
同一の言語のなかで、その持つ意味が反対の関係にある語。「出席⇔欠席」のように中間の段階が考えられないもの、「大きい⇔小さい」のように中間の段階のあるもの、「親⇔子」のように
   両者が相互関係にある ものなどがある。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
質問の「対義語」は、「両者の相互関係」という広い意味で使っています。
ただ、全く関係していないものとしての解釈もありうるのかどうかも知りたかったので、
私見を述べずに、大雑把に質問させていただきました。
因みに、人類学では文化と文明が対義語にあるそうです。
NO.1のmizukiyuliさんとNO.2のhunaskinの回答を参考になりました。
でも、対立構造ではなく、相互関係で理解するために、新しい解釈を求めたいと思います。

お礼日時:2011/09/24 22:22

司馬遼太郎の文章の中に文化は文明の化石だというような意味の言葉があったように記憶しています。



文明が(過去現在未来を問わず)アクチブな、どんどん発展している途上の明るい感じがあるのに対して、文化というのは完成された、ひとつの体系として固まってしまった、ある意味過去のもの、時間的にフリーズしたものという考え方、感覚なのかなとか思っています。

あくまで、お互いを相対的に見比べた考え方ですが。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
未開社会の視点に観れば、変化=革新=文明⇔文化=伝統=停滞になりますね。
ただ、現代社会の視点で観れば、文明の方が個人の力で動かしがたいように思えます。
その意味では、「外的変化=文明⇔文化=内的変化」という対立軸も成り立つのではないでしょうか?

補足日時:2011/09/24 23:44
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 あくまでも個人的な見解であることをお許し下さい。

僕は「文明」の一つの側面が「文化」である、と理解しています。
 以前『文明の衝突』というS.ハンチントンの書物がありましたが、20世紀も末以後の「対立の構図」は「異なった価値観と価値観の対立」である、との指摘を目にした記憶があります。端的に言うなら、信仰と信仰あるいはそれを引っくるめた形、たとえばイスラムと西欧あるいは「中国なるモノと西欧」の様な図式になるかと思われます。これらの根底にあるモノを考えてみるならば、哲学や価値観に喩えることも可能かもしれず、それは「国家」という枠組みをあっさり越えてもしまいます。
 一方「文化」には「若者文化」や「活字文化」などの用例があり、対峙する対象がほぼ明確な場合に使われる傾向にあります。70年代から80年代そして90年代の流行やスタイルが生み出されてきた背景には少なからず「雑誌文化」が影響していることもあります。原宿文化とはいっても原宿文明とは呼びません。文化の発信地との表現はあっても文明の発信地とはいいません。文明の発生地なる表現はあります。
 
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この回答へのお礼

ありがとうごいます。
「文明」の一つの側面が「文化」であるというのは、同感です。
言葉では、文化は「文と化す」で、文明は「明らかになった文」という解釈できるのではないでしょうか?
個人的には、「結果=文明⇔文化=原因」と考えています。

お礼日時:2011/09/24 23:49

文化の中でも「伝統」という要素に着目したからではないでしょうか。


伝統文化に対する新しい技術(文明)みたいな意味なんでしょう。

実際は文明は文化の一部であるし、文明によって文化は発展し広く伝播する(衰退する場合もあります)んですけどね。

例えば機械や農薬を使わない伝統的な農業と言ったって、人類の文明の証である金属製の鎌なんかは使う、とか、外国の言葉や食べ物や音楽を楽しむことができるのも、車輪だの樽だの船だの羅針盤だの印刷秘術だの数々の文明の力に依っているわけで。

一般的には文明の対義語は野蛮、文化の対義語は自然ということになると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人類学で対立しているらしいので、その解釈で正しいと思います。
ただ、もし文明が崩壊した場合、文明の対義語は野蛮ではなくなるかもしれませんね。

お礼日時:2011/09/24 23:54

大雑把に分類すると



文化…伝統など古くさいが浪漫を感じるもの
文明…利便性を追求した近代的なもの

だと思います。
文明が発達すれば発達するほど文化は失われて生きます。
文明重視派から見ると文化とは効率も能率も悪く意味がわからない とかそんな言葉をよく聞きますね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
「文明が発達すれば発達するほど文化は失われていきます」というのは、
「確かに」と思うと同時に、「なぜだろう?」と思いました。
文明が発展すると、依存してしまうからなんでしょうかね。

お礼日時:2011/09/24 23:57

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