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般若心経の意味や解説を色々調べましたが、単刀直入に短い説明で子供でもわかるように言うと
何が言わんとしているのでしょうか?例えば、色は空空は色、存在はない、存在はないから云々。
なんだか、盗塁失敗して守備にはさまれ行ったりきたりしてるような気持ちです。それと、漢文は意味があるのはわかりますけど、インドから伝わったお経というものは、もともとはサンスクリット語の語音の漢字での模写のようですが、それならサンスクリット語の意味とは全然違ったものになってしまってるのではないでしょうか?外国人の氏名を漢字であらわしたみたいに。例えばジョージなら城侍と勝手にあてはめれば、このジョージは城の侍(家臣)だったかのかと解釈してしまうようなものではないのでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (18件中11~18件)

簡単なQ&Aをつくってみました。



Q 般若心経を 子供でもわかるように言うと?
A 子供は教えられなくとも わかっています

Q 大人がわからない事を何故子供がわかるのですか?
A 般若の智慧は 産まれた時に授かっているからです

Q それはどのような智慧なのですか?
A 視たとおりに観て 何にも こだわらないことです

Q 何故 大人はわからなくなるのでしょうか?
A 大人は知識として 宗教観に囚われてしまうからです

Q 大人は どうすればよいのでしょうか?
A 知り得る事と知り得ない事の分別を身に付けることです
  おまじないは理屈抜きで ありがたいと感じることです
  それが悟りということでもあります

Q 悟りとは 具体的にどういうものですか?
A 悟りとは智慧に従い 現象を受け入れることです

Q 智慧は何処から授かったのですか?
A 人が知り得ない 万物の志向性という偶然からです
  それはフリダヤとも呼ばれ 気まぐれな意思とも呼ばれ
  遍く万物に行き届いています
  素は一つなのですが 多様性に富み 複数でもあり
  つまり個は多であり 多は個なのです
  (この部分は難解なので 理解しなくてもっ良いです) 

―――――――――――――――――――――――――――      

そういえば「般若波羅蜜多」は梵語の音でしたね
それから「阿耨多羅三藐三菩提」これも音でしたね
アヌッタラ サンミャク サムボーディ
意味は 「この上なく正しく等しい悟り」だそうです。
あとは「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
これも音ですね 音は おまじないでしょうかね。

般若心経は 悟りと おまじない ということで。

ひとつ良い例を挙げましょう
災難を除けるには 災難と思わないことです。
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この回答へのお礼

純粋な誠実な心が必要ですね。人を見たら泥棒と思えの社会に生きている以上、やっかいな話です。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:30

いろいろな解釈があると思いますが


通常の知恵では真理は理解できない(把握できない)と言っているのではないでしょうか。
たとえば
「無老死亦無老死尽」とあります。
老死も無く、老死が尽きることも無い・・・という読み方のようですが
こうした矛盾した物の言い方は普通は有り得ないものです。
無いということと、有るということの両方を肯定している表現です。
また、無明から老死に至る一節は輪廻を表していますが
これもまた、輪廻も無く、輪廻が尽きることもない・・・と解読できます。

結局、通常の知恵である、物事を対象として捉える分別の働きと、その否定を同時に表しているようです。
分別の知恵だけでは真理に到達できないと言っているのではないでしょうか。
無分別智とも般若知ともいわれる瞑想の知恵の優位性を説いているようにも思います。
大乗の諸経典の内容の多くが、瞑想の体験の描写であるということを前提に読まなければ
まったく分かりずらいものと思います。
真言に至っては、翻すべからずと言われているぐらいですから
もう体験のみの世界と心得た方がよさそうです。
そのへんは、空海の般若心経秘鍵のよく知られた一文に尽きていると思います。

いくら考えても分からん
分かる訳がない・・・瞑想の体験なのだから・・・
といった感じでいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私の言いたいことはまさに
>無いということと、有るということの両方を肯定している表現です。
なのです。

お礼日時:2011/10/07 23:19

般若心経って結局何を言わんとしているのでしょうか?



○般若経は、空の説明です。竜樹は空を判りやすく説明するために「非有非無=八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)」と説いていますがそれを空を使って表したということです。
現代風に判りやすく言えば全ては霊的エネルギーの変転する姿ということです。
それを漢文に表せば般若経になるということですね。エネルギーという言葉や概念がなかった時代だったのでエネルギーを空と言い換えているだけです。物理的にはエネルギーに意思はありませんが、宗教的にはエネルギーにも意思があるということなのです。
合目的なエネルギーが存在し、合目的な物質になり(あるいは宿り)、また合目的なエネルギーにもどる。といっているだけです。
こんなこと理解するだけなら、科学知識のある現代人には簡単なことだと思いますよ。
でも、2500年前の人が現代の先端物理学より進んだ考えを持っていたはずがないと考えるから判らなくなるだけなんじゃないかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/10/09 21:25

自性なんか無いよって言ってんです。

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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございます。

お礼日時:2011/10/09 21:18

般若経は真言を含む経典です。


大般若波羅蜜多経は600巻と膨大な数に上ります。
それを要約したのが般若心経ということです。

一言でいえば仏の存在を信じて、善行していなさいということです。
エキスが詰まっているところに最後に真言を持ってきて完成させています。

おまけで真言の一覧。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80

読みはチベット→唐→日本へ伝わる途中、あるいは歴史的過程を経て変化しています。
それは仕方ないとしても、真言の部分が変化するのは感心しません。
真言は言葉にエネルギーが宿るという考え方だからです。

昔から真言を発し、印を結ぶ動作が重要とされていました。
これは神と交信するための作法だったのです。
 
太古の昔からどの文明にも存在するものです。
日本の神道にも当然あります。なかなか強力だそうです。
仏教のそれはインド古来のヒンドゥー教と融合して強力な真言を完成させています。
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この回答へのお礼

真言の一覧で、翻訳より音写が大事ということがわかりましたが、意味よりこの世界に存在する概念以外の感覚でうけとめなければならないのかな。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/09 21:18

こんばんわ。



今、手元に本が無いのでうろ覚えですが、般若心境は仏陀存命中の弟子のひとりであるサーリプッタが仏陀に悟りについて質問をした時のやり取り(というよりもほとんどは悟りの真髄を仏陀が語る)を記録したものだそうです。

正確な意味は玄侑 宗久さんが書かれている「現代語訳 般若心経」が詳しいし、楽しく気楽に読めるのでお勧めです。
※ちなみに作者は禅宗のお坊さんですが、第125回芥川賞受賞者でもあります。


般若心境の中で私が感銘を受けたのは、我々が見て感じている世界の構造を、心理学的、生理学的に考えているところです。
例えば、鼻で感じる匂いはあまり客観性が無く、ほかの人が同じ匂いを本当に感じたのかわかるすべがありません。
ある人が感じた匂いの感覚は、いわば実体が無いものですが、本人は実体があるように感じてしまう。
それで、その匂いを他人に伝えようと言葉にして伝えても、伝えられた相手の脳には違う匂いが想像されているかもしれない。

・・・つまり、世界はそういう作りなんだと。
それを理解して生きれば、よけいな苦しみもできずに過ごせるんだよと伝えたかったようなのです。

上記の例で言うと、
「俺が感じた匂いはこうなのに、俺が伝えた匂いがなんでお前にはそんな匂いだと想像するんだ!」と喧嘩を売られてもしょうがないと思いますが、では目で見たものはどうでしょう?
目で見たものはお互い一致するように思えますよね。


でも、世界の作りから言うと、やはりそれぞれ違うんですよね。
そういった「違い」を認めないと、人生は苦しく生きにくくなってしまうよ。

そういう事を般若心境の中でサーリプッタに伝えているらしいのです。
まあ、これは仏陀が捉えた世界の一側面であり、仏陀の把握した世界は途方もなく深淵みたいなのですが。

ともかく、玄侑 宗久さんが書かれている「現代語訳 般若心経」を見ていただければご質問の答えがすべて判ると思いますし、私のうろ覚えの間違いが訂正できると思います。



それから、これは蛇足ですが。

般若心境を読むと、仏陀は世界の構造を現代の量子力学的解釈と同じ方面から捉えていたとしか考えられないような事も弟子たちに伝えていたのが驚きでした。
「この世を作っている物質は、単独では存在することはできない。それぞれの構成物質は互いに影響を及ぼし合って繋がることで「存在」という状態を作り出している。」「自然の中で生きる人間も同じもので、全ての自然現象や人間関係、ほかの動物との関係を完全に断ち切ることはできないから、その中で生きる事を認めてその法則の中で生きよ。」というような事を伝えたかったらしいのです。

私が特にびっくりしたのは前半です!
正に素粒子同士が影響を及ぼし合って物質を形作っている現象と全く同じことを、2000年前の人物が経験や瞑想で把握したその洞察力に大変驚きました。


仏陀は、まさに世界の真理(構造)を正確に捉えた上で、人生をどう生きるかを語っていたという「超人間」だったんです!
これを感じるだけでも般若心境には価値があると思いますよ。
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この回答へのお礼

よくわかりやすい内容、ありがとうございます。だんだんわかってきたような気がします。

お礼日時:2011/10/07 23:26

 現代風訳文だそうです。

本当に正しいかは未検証だけど面白そうなのでブックマークしてあったもの。

http://tokyogracias.tumblr.com/post/8950728761
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この回答へのお礼

ありがとうございます。こう言う言い方は現代的で面白くてわかりやすいのですが、逆に現代語、俗語すぎてありがたみがかけ離れるのも不思議なものですね。

お礼日時:2011/10/07 23:23

私の解釈では、「この世は捉えどころがない」という


意味ではないでしょうか。
だから、これはこうかもしれんし、ああかもしれんし
ほんとは良くわからんなあ。
これはこうだと断言したとたんに真理から離れて
しまうということでしょう。

サンスクリット語の発音を漢字にあてはめたのは
最後の「ぎゃーてい~~ 。」という部分だけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。簡単明瞭でわかりやすいです。

お礼日時:2011/10/07 23:20

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