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諸行無常はあらゆるものが常でないなら、諸行無常という心理でさえ永遠ではないではないか。

科学は科学を科学することができない。

といったような、答えのでない問いに何か哲学的な名前は付いていないのでしょうか?

それと、上記のようなセンテンスをご存じの方は教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

ご質問に挙げられた例のように、同じ次元内での自己言及は説明になり得ないですね。

これは結局「同義反復」=「トートロジー」と言われるものになります。
これについて、ゲーデルの数学の定理を紹介しておきます。

ゲーデルの不完全性定理=どのような公理系もそれ自身が整合的であることをその公理系の内部では証明できない、という数学上の定理

この定理は数学に限らず、論理学、哲学、社会学などにも大きな影響を及ぼしています。
この定理により、トートロジーを抜け出してある言説の正当性を主張するには、その公理系の一次元上の公理系によって証明されねばならないことになります。2次元に対する3次元、ユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学、ニュートン力学に対する相対性原理など、下位の次元を上位の次元が包摂していることが必要です。

また、社会的には、封建主義に対する民主主義、ナショナリズムに対するインターナショナリズム、保守主義に対する進化主義、形而上学に対する弁証法・脱構築、など軋轢はありますが同様の問題を含んでいます。

こう考えると、様々な論争の根幹にはこの次元の視座がいずこにあるかが関わっていることが明確になります。ですからこの問題は決して言葉の上での遊戯ではなく、実際生活や世界把握にも重要です。またパラドクスにはその次元に限定する暗黙の前提が指定されていることが多いので、それを排除し、あらためて考え直すことも必要と思います。

ご質問とはずれましたが、参考までに。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてすみません。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/01/19 20:29

「全てのクレタ島人は嘘つきである、と一人のクレタ島人が言った」は


ポストモダン思想が盛んになった時の一例としてよく取り上げられ、
Syo-ya氏の言うような「自己言及的なパラドクス」として取り上げられます。
“自己言及的な”とはつまり「嘘か本当かわからない」ことを指します。
総称するとパラドクス、アポリア、あるいは詭弁と言った言葉にまとまり
ますが、哲学の流派(?)や、その言葉の持つ性質等により呼ばれ方もまた
様々です。

「私の命令に従うな」というのもパラドクスの1つです。クレタ島人の例とは
区別され、“ダブルバインド的パラドクス”と呼ばれたりします。

いわゆる「言語の謎」として、古くから哲学で取り上げられている分野です。
インド哲学、中国哲学、西洋哲学・・・とグローバルで、探求されると面白い
と思います。

また、哲学において非常に重要な議題で難問であるにも関わらず、
普段の生活にさして影響がないところが面白いですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!
普段の生活にはまるで影響がないですね…
ダブルバインド的パラドクスですか!?
いろいろな言い方があって面白いです。

お礼日時:2005/01/18 00:56

カテゴリーは論理学。


イギリスの論理学者バートランド・ラッセル。
有名な
質問のような文内に自分自身が集合に属している・
いないが矛盾を引き起こすことを
「ラッセルのパラドックス」と呼んでいる。

それを簡単に表現したもので、非常に有名な
数理論理学と集合論における重要なパラドックスで
「床屋のパラドックス」がある。
ある村でたった一人いる男性の床屋は、自分で髭を
剃らない人の髭を全員剃り、それ以外の人の髭は
剃らない。この場合、床屋自身の髭は誰が剃るのか?


下記アドレスから、検索してみたら。
いろいろ見つかる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%8A%E5%B1%8B% …
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この回答へのお礼

ラッセルのパラドックス面白いです!
集合論は難しいですね…
ありがとうございました!

お礼日時:2004/12/03 18:32

私見ですが認識主体の不可知性というのはどうでしょう.要するに認識が可能である場合その認識を行っている主体のことは認識できない.逆に

言えば認識の対象にならないから主体になれるということではないでしょうか.他の場合でも自己言及の矛盾という意味では同じ原理になっているのではないでしょうか.
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この回答へのお礼

科学の方はまさしく認識主体の不可知性ですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2004/12/03 18:31

「自己言及のパラドックス」というのはいかがでしょうか?



「俺は正直者だ」の場合、正直の可能性もあるし、ウソをついている可能性もありますよね。
自己を含めた言及におこる矛盾のことを言います。
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この回答へのお礼

なるほど。おもしろい言い方ですね。
確かにパラドックスであることに違いはないんですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2004/12/03 18:28

「アポリア」ではありませんか?


ニュアンスが違ったらごめんなさい。

アポリア[(ギリシヤ) aporia]
〔「道がないこと」の意〕問題を解こうとする過程で、出合う難関。難問。アリストテレスでは、同じ問いに対して二つの合理的に成り立つ、相反する答えに直面すること。論理的難点。

(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
アポリア、調べてみます!

お礼日時:2004/12/03 18:27

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