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最近の世界的な不景気を見ていると資本主義経済の限界を感じませんか?

かと言って、共産主義はもっと悲観的ですし・・・

世界経済を立ち直らせる、画期的な第三の主義・思想はないのでしょうか?

A 回答 (5件)

『 エデンの園


 現在のあなたがたの科学技術を、暴力や軍備、少数者の個人的利益といった誤った目的にではなく、人々の幸福のために使うなら、あなたがたは、すぐに本当の意味でのエデンの園、つまり地上の楽園に住むことができるでしょう。科学技術によって、人類は世界中で飢えの心配から完全に開放されるばかりでなく、働かなくても十分暮らしていけるようになるのです。日々の退屈な仕事は、オートメーション化のおかげで、機械がすべてきちんと片づけてくれます。すでに地球上でも、最新式の設備を誇るいくつかの工場では、ついこの間まで、一台の車をつくるのに数百人を要していたにもかかわらず、今ではコンピュータの監視員がひとりいれば十分なまでに進歩しています。一台のコンピュータが、車を組み立てるためのすべての操作を指令し、管理しているのです。将来、この最後のひとりもいらなくなる日が来るでしょう。これは、労働組合にとってはあまりうれしいことではありません。企業は以前ほど多くの人員を必要とせず、首切りが続出するでしょうから。
 しかし、これがそもそもおかしいのです。何百人分もの仕事をこなせるような素晴らしい機械は、経営者というひとりの人間を富ますためにではなく、その何百人かの生活を支えるために使われるべきなのです。だれも、人に仕えたり給料のために働いたりしてはなりません。
―――
 将来はどうなるのだろうか?労働時間はますます短縮されるだろう。一日六時間、五時間、四時間、三時間......と次第に短くなっていくはずである。
 逆に、年次休暇は長くなっていくだろう。また引退の年齢は、五十歳、四十五歳、四十歳......と次第に早まっていくだろう。

 そのとき人間はどのように時間を費やすのだろう?あなたはどう思うだろうか?ここに一つの問題が浮かび上がってくる。あなたの受けた教育があなたをも汚染し、強制労働の終身刑に同意するようにあなたを形造ってしまっていることだ。人間には二つのタイプが出てくることになろう。一方は、一つの天職「天賦の才」を持ち、余暇もしくは引退後に、自分の好きな領域で自発的に労働することで自己開花する人びと、他方は、余暇を、自分の教養を高めたり文化活動やスポーツなど、各人に応じた娯楽のために活用する人びとである。
 各人の自由時間が次第に増えるにつれ、常時あるバカンスでこれらの大衆を楽しませるために、あらゆる種類の作家、画家、詩人、エンターテイナー、芸術家がますます必要となるだろう。あるときは生産者、あるときは消費者というように、各人がその能力と嗜好に応じて自由にその立場を変えるのである。

 一定期間(できる限り早急に)が経過すると、労働時間はますます短縮され、引退年齢もますます早まり、最後には義務的労働、強制的労働は完全に廃止されることになるだろう。働くことが好きな人々のみが「自発的に」労働を続けるのだ。そのとき人びとは、「人権宣言」の第一条に「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」と記すであろう。

 それではその時、必要不可欠な仕事をいったい誰がやるのかと、あなたは私に問うだろう。それは、機械がやるのだ!まだあなたが十分気がつかない程度ではあるが、既にロボットは人間の負担を軽減し始めている。もし私たちが「既に」一日八時間以上は働かなくなっているとしたら、それは機械のおかげに他ならない。もし機械が存在していなかったなら、私たちは五十年前と同じく、いまだに一日十時間は働かなければならないだろう。

 しかし、明らかに資本主義社会では、このシステムは成功の見込みがない。というのは、例えば工場の所有者は、全労働者を解雇し、かれらにはもはや給料を払わず、そうすることでかつての労働力であった労働者を飢えるままにしておきながら、機械のおかげで自分たちは荒稼ぎするからである。これは不正であり容認できないことである。
百人の労働者に代わる一台の機械を製造させた経営者は、もはや働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない。その時機械は、労働者たちがレジャーと開花の文明に入ることを可能にするのだ。

また、人間が強制労働の機械、もしくは強制労働の場所へ行く通勤の機械と混同されている限りは、技術は社会の人間性を喪失させることになろう。機械と人間とは決して混同されてはならない。人間は開花のための場所で存在するように造られており、いっぽう機械は、ロボットやコンピューターに管理されて、労働のための場所で存在するように造られているのだ。
 人間によって遂行される労働はすべて、必ず機械によって遂行されることが可能だ。人間が行うことのすべてをコンピューターは行うことができ、しかも、人間よりもはるかに上手に行うことができる。人間にはミスがあるが、コンピューターには決してない。
 もし地球上の軍事予算に使い尽くしている金額を、工場、生産現場および事務所の改良に投資するなら、七年間で労働は完全に自動化され、人間はもはや労働する必要がなくなるであろう。
 人間は自己開花するために造られ、機械は働くために造られている。ロボットが人間の作業を行うべきであって、人間がロボットの作業を行うべきではない。しかし現在、すべての企業で起こっていることは、残念ながら後者である。
 それでは、誰が機械を監視するのかと、あなたは私に問うかもしれない。それは実に簡単なことだ。生産手段の完全な自動化に必要な最初の約十年間は、軍隊が、この監視と保持の仕事に配属されることが可能である。あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない。そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。 
―――
  所得格差の是正から貨幣の廃止へ
 世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。フランスではその差は六倍以内に、またスウェーデンでは、既に格差を四倍以内におさえ、さらに近い将来は所得の最大格差を三倍以内に、つまり最低賃金の三倍以上の所得を得る人を無くす方向で検討している。
そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がO(ゼロ)になる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」 
  配給経済
 「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。
 この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。
 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。
 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。
 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。
 もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。 ( ラエル著 )  』

>> 資本主義経済の限界を感じませんか? >
 科学技術が進歩し、生産の自動化機械化オートメーション化がすすみ、招いたのは、生産資本(経営者)の荒稼ぎと人々の経済環境としてデフレではないでしょうか。
科学技術を、人々の幸福のために使う政策・改革が急務ではないでしょうか..。
人々のデフレ環境を放置し後手を踏む政治/行政、タダ単に殺人行為では..? 現在の政治/行政、最悪の波動を有しているのではないでしょうか。

>> 共産主義はもっと悲観的ですし >
 共産主義は、革命にて、過去の政権を打倒し、軍事政権にて国を指導したのでしょうが、東西の情報公開も進み、災害時には各国の救援活動の派遣も見られる、
『 人間は過去を元にして未来を考えます。しかし、これは間違いです。過去は笑い飛ばすべきものであり、現在を過去の上に築くのではなく、未来のために現在を築き上げなければなりません。』 、
過去は既にないのでは...?

>> 世界経済を立ち直らせる、画期的な第三の主義・思想 >
・・・実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。・・・
 生産手段の世界共有化、これは、全世界の全生産から全流通までそのすべてを全管理する社会を意味しているのではないでしょうか。 それは、過去は笑い飛ばす社会であり、常に前向きな社会、赤字経済などという過去の足枷の存在しない社会なのでは...。
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経済のことだけなら、今後も理論上は発展可能なんだろうけど、環境問題的には「一刻も早く時計の針を戻すべき」という状態ですよね。



更なる工夫やアイデアで更なる発展を!というのが今でも主流なんでしょうけど、これからは「不便さを受け入れる社会」への転換が必要じゃないのかな。
特に日本は企業からのお仕着せの「消費する愉しみ」だらけだし。
小室哲哉が収入が減っても贅沢をやめられず転落したとき、みんな嘲笑ったけど、本当に嘲笑える資格のある人ってあまりいないと思う。
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金融資本主義が破綻しているだけな気がします。


先進国でその辺がとっても疎かった日本は、ほとんど傷つかず、その結果、円高になっています。
バブルの時もそうでしたが、円高は、企業レベルでも、個人レベルでも海外との競争をするチャンスで、規模ではなく、高付加価値を付ける頭の良い人が勝ち残れるチャンスになります。

ものづくりの自由主義経済は、これから再び見直されるのでは?
そこに移るために、体制と上での邪魔なものを排除できるかが、日本経済再生の分水嶺でしょう。
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そうですね。

NO1のかたに賛成します。

日本の場合、歳出と公務員の人件費が同額みたいな、
役人天国になってますから、

共産主義圏の国々が崩壊したのと
同じ道を辿っています。

また、日本の経済・金融対策なんかは、
共産主義国並みに共産主義的な手法を
とってきましたので、
一概に資本主義・共産主義が悪いとは言えないと思います。

ノーベル経済学賞を受賞するほどの画期的な経済理論が
大規模な金融破たんを招くなど、
合法的に取ったもんがちみたいな政治や経済が
まかり通っていること自体が世の中をおかしくしているのだと思います。
http://www.qmss.jp/prob/finance/6-ltcm.htm
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と言うか20年程前に大きく変質した資本主義が破綻したと言う事になるのでは?


その後「強欲資本主義」は一部の資本家に金が集中する様になりました。
つまり貧富の差はアメリカから始まり、そして今日本がそうです。
健全な資本主義とはどういうものか私には分かりませんが今は不健全、不公平で
ある事は明白です。
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