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現在明治20年代の文学作品を読んでいるのですが

「目の中へも入れたき思ひ」

という言葉が文章中に出てきました。

私の考えでは「目に入れても痛くない」
のように「可愛くてたまらない」「大切な」といった意味かなぁと予想しています。

泣いて恨んで摺れ摺れの中に
さりとも憎くから夫婦は
折ふしの仕こなし忘れがたく
「貴郎斯うなされ
彼あなされ」
と言へば
「お美尾お美尾」
と目の中へも入れたき思ひ ←ここです
近處合壁つゝき合ひて
物争ひに口を利く者は無かりし。

おそらく、

けんかはするけれど、お互い憎いとは思っていないので「あなた、ああしてこうして!」と言うと「お美尾(妻の名前)、お美尾」と<目に入れたい>気持ちになり、夫婦喧嘩は犬も食わない様子であった。

という感じな気がします。
「~な思ひ」ということは、やっぱりたとえがきそうな気がします。

小さな事を気にしていると読めないのですが、重要な箇所という気がするので、
「目に入れたい」というのは、どういった意味なのかを教えていただけたらと思います。

どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (1件)

樋口一葉の研究をしていらっしゃる院生さんのサイトがあるので、そこの掲示板で質問してみては如何でしょうか?



…と書こうと思ったのですが、関係者だったら洒落にならないので(笑)、

固まった定義がされている訳ではなさそうですので知識ではなく個人の解釈で恐縮ですが、私も「目に入れても痛くない」(よりオーソドックスには「目の中に入れても痛くない」)の応用と考えてよいのではないかと思います。

「何をされても受け入れ可能」の最大限の(現実にはありえないほどの)誇張として「目の中に入れても痛くない」という比喩がある訳ですが、読者もこの表現に親しんでいることを前提に、この表現を更に推し進めて「目に入れたい」と積極的な表現を用いることにより、最大限の比喩と我々を含む読者が思っていた以上のインパクトを与えることに成功している、と私は考えます。そしてこの最大級を更に上回る「何をされても受け入れ可能」という表現を達成している一葉は凄いと思います。

ちなみに google などで「目の中に入れたい」と入れて検索すると現代の実用例が幾つか出てきます。いずれも書いている本人は深く自覚していませんが、同じ趣旨の表現だと思います。それでもなお明治時代に露骨でない愛情表現としてこういう表現を行っているのはやはり凄いですね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうござます。

>私も「目に入れても痛くない」(よりオーソドックスには「目の中に入れても痛くない」)の応用と考えてよいのではないかと思います。

やっぱりその類でしょうね。
確かに
「朱に交はればという事を」

など、最後まで書かない傾向がありますよね。

やっぱりあのタイプのものでいいんだと思い、その方向で読みをすすめていこうと思います。

Googleの件もありがとうござました。gooで検索して探していましたが、Googleの方がやっぱりすぐ箇所がわかって便利ですね。
自分なりにもう少し工夫して探す努力をしてから質問させていただきます。

勉強不足にもかかわらず、ご丁寧なご回答
本当にありがとうございました!
(一葉とわかったのですね。さすがです!)

お礼日時:2003/11/25 22:46

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