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『春に』と言う詩の『枝の先のふくらんだ新芽』はなぜ隠喩なんですか?

A 回答 (5件)

ざっとした言い方ですが、直喩隠喩の区別は「(まるで)~のようだ」 as if と明快に比喩だと分かる表現を直喩、そうでなければ隠喩ということです。



私は鷹の<ように>飛ぶ。私は、『枝の先のふくらんだ新芽』の<ようだ>。(直喩)
私は鷹だ。私は『枝の先のふくらんだ新芽』だ。(隠喩)

直喩はその意味で比喩だとすぐ分かる一方で、<ようだ>を挟むため間接的ですが、隠喩は、論理的にはあり得ないことをまさにそのものだと言い切ってしまうため直接の結びつきを表現できます。試しに隠喩と思われる所に<ようだ>を挟んで直喩表現に変えてみます、読み比べてみると分かると思います。「春に」は青春の心情を歌ったものですが、その溢れるような激しく揺れる思いを表現するには、隠喩の方がふさわしい気がします。

直喩を表現する助動詞には、口語では助動詞「ようだ・ようです」「みたいだ・みたいです」、文語では「ごとし」「ごとくなり」「やうなり」があります。これらの有無で判断できるということです。


   春に
                谷川俊太郎

        この気もちはなんだろう
        目に見えないエネルギーの流れ<ようなもの>が
        大地からあしのうらを伝わって
        ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
        声にならないさけびとなってこみあげる
        この気もちはなんだろう
        枝の先のふくらんだ新芽<のようなもの>が心をつつく<ように感じる>
        よろこびだ しかしかなしみでもある
        いらだちだ しかもやすらぎがある
        あこがれだ そしていかりがかくれている
        心のダム<のようなもの>にせきとめられ<るように>
        よどみ渦まきせめぎあい
        いまあふれようとする
        この気もちはなんだろう
        あの空の青に手をひた<すように>したい
        まだ会ったことのないすべての人と
        会ってみたい話してみたい
        あしたとあさってが一度にくるといい
        ぼくはもどかしい
        地平線のかなたへと歩きつづけたい
        そのくせこの草の上でじっとしていたい
        大声でだれかを呼びたい
        そのくせひとりで黙っていたい
        この気もちはなんだろう
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隠喩の一種に提喩(ていゆ)があって、ご質問の詩で言うと、「枝の先のふくらんだ新芽」は「春(の兆し)」の提喩と考えられます。

この「提喩」という用語はやや専門的なので、大まかに「隠喩」と言ったのではないでしょうか。
直喩と隠喩は、誰でも習いますね。その知識を使って、比喩を直喩と隠喩に大別したとき、提喩は後者の仲間に入ります。提喩を隠喩の一種としない学者もいますが、一種であるにせよ、ないにせよ、少なくとも提喩は直喩ではないわけです。
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#2です。



ネットで検索してみました。

枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく

という内容になっていますね。
『枝の先のふくらんだ新芽』自体が心をつつくわけはないので、『春の訪れ』の特徴を表現するために用いられていると捉えて良いでしょう。
『枝の先のふくらんだ新芽』という表現の中に「春の訪れ」という要素を隠して表現している、という意味で隠喩と言えます。
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誰が「隠喩」と言ってるのですか?


そもそも比喩ですらないでしょう。
あるものの特徴を他のもので表現するのが比喩ですが、『枝の先のふくらんだ新芽』が、何か他のものの特徴を表現しているわけではないと思いますけどね。
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ここの回答者の多くは、たぶんこの詩を知りません。

質問するなら書いてください。
 動画で見た感じでは、「この気持ち」をすべて隠喩で表現しています。なかなか良くできた詩のようです。さすがと言えるでしょう。すべて隠喩ですから、具体的なものは何も出てきません。すべては(わたしの)「この気持ち」を表現しているのです。しかも、嬉しいのか悲しいのかもよくわかりませんが、ただこの気持ちだけがあるのです。現代詩をあまり知らない人は分かりにくいかも知れませんが、分かる人には分かります。
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