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最近思うに、確率というのは主観でしかないような気がするのです。
例えばある議員が当選する確率はどれくらい?という質問があったとします。
特に情報が無い一般人なら70%くらい?と答えるかもしれませんし
選挙の裏事情に精通した評論家であれば40%だというかもしれません。
一方、実はその議員が交通事故にあって瀕死であることを知っている人は、
当選確率がゼロパーセントであることを知っています。
このように人によって算出する確率が異なるのは前提とする知識が異なるからです。
もし全知全能の神様がいて全ての量子的な素過程まで把握しているなら、確率というのは存在しない
のではないでしょうか。

コインの表裏を当てる過程を考えても、コインやテーブルの材質、コインを投げる人の脳内過程
など関連する因子を全て厳密にシミュレート可能であれば50%よりも精度は高くなるはずです。
事実、脳活動をモニターしていれば、コンピューターが人間にじゃんけんで勝てるという研究がありました。

ベイズ理論というのもありますが、結局何が適切な事前確率なのか、ということを知り得るかどうかに
よって確率は変わってきます。
そう考えると結局、確率というのは人間の主観や経験・知識に強く依存し、知識の発展によって
無限に精度を向上可能な値ではないでしょうか?
つまり真の確率というのは存在しないのではないかと思うわけです。

皆さんどう思われますか?
専門家の方のコメントを歓迎します。

A 回答 (4件)

 物理学の量子力学は確率で物事の有様を語ります。



 その量子力学の完成に一役買ったアインシュタインは「神はサイコロを振らない」という名言と共に、確率が数式にあるうちは、まだ答ではないとしました。

 他の物理学者と協力して、量子力学がまだ最終の答ではない、もしそうなら矛盾が起こるとし、具体的なパラドクスを提案しています。
 確率計算でおかしな答えが出ることを利用したものです。EPRパラドクスと呼ばれています。

 それをベルという物理学者が不等式(ベルの不等式)に表し、アスペという物理学者が実験で確かめました。

 結果は、量子力学の数式が正しく、アインシュタインらが間違っているという、ある意味、非常識な確率が正しいという結論でした。
 それ以降も、量子力学は正しいと確認されても、間違いは見つかっていません。

 モンティホール問題という、選択のやり方次第で当たりの確率を上がられるかどうか、という難問では、名だたる数学者が、結果的には間違えました。

 その確率の解釈で、数学者が考える確率とその説明、ある天才女性が示した確率を高める方法、甲乙つけがたかったのです。
 ならば論より証拠、やってみたら、天才女性が正しく、数学者らが間違っていました。そのあとで、そうなる理由が説明されました。

 しかし、どうなるかの結果を示さず、二つの説明を見せられても、今でも、なかなか判断は付きません。付くくらいなら、当時の数学者らも間違えなかったでしょう。
 これは、結果から説明を選択した、つまり後付と言えるかもしれません。

 ただ、確率、それを含む数式にせよ、人間が何かの尺度で自然現象を理解したいための、脳内だけのことです。そういう意味では、自然現象の中に確率の仕組みが備わっているとか、そういうことはありません。
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この回答へのお礼

ご回答いただいた皆様有難うございました。

愚問だったようです。
真の点や線が存在するか?
ということと同等のことですね。

お礼日時:2012/02/06 03:26

数学上では「確率」とは、有界測度のことでしかありません。


それにサイコロだの何だのの意味付けを行う際に、
その「意味」によって主観性が入り込むのです。
確率計算そのものは、いたって客観的、形式的なものです。
貴方が仰るのは、数学ではなく、統計学または物理学における
「確率」の話だと思います。
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元非常勤講師の代数屋です。



No.1さんに乗る ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

こないだ出ていたけど、「4年以内に70%の確率で地震が起きる」とすると、

2年以内では?

こういう考え方がすでに、違うような気がしています。

ゲーム理論と言うのがあるのですが、そこで確率を考えることもあります。

相手は ??%で こういう手をやってくる。などなど。

これも主観でしかないわけでして。


No.1さんも書かれてあるけれど、

確率って言うのは、「神」や「自然」に左右されず、純粋に計算されて

数学の中でだけ通用するようなもの (?) と、言う気もします。


野球のバッターで例を挙げてありますように、

3割3分3厘のバッターが次の打席にヒットを打つのは、(1/3)ではないんです。

確率とかこの結果がごっちゃになっている例になるのかなぁ?


真の確率 と言うものを考えるべきなのかどうかはちょっと保留させてください。

数学上も止められてきた確率が、実生活でも及ぶのか、及ばないのか、

そこになる気がしますので。

ここだけ少し違うかも? (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
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本来の数学的な意味としての確率とは、そのような因子を一切除外した前提で議論されるものです。



確率とは、同じ試行を無限回やった時の、その結果が出る頻度を表します。
つまり、選挙の当選確率とか、コインの裏表とか、「次の一手がどうなるか」は、確率の議論からは外れるのです。

打率.333のバッターが次の打席でヒットを打つ確率は1/3、というのは、そもそも表現が間違っているのです。
99%安全な手術で死ぬこともあるのです。

真の確率、それは数学や統計学の中にしかないもので、日常生活にある「確率」と呼ばれているものは、すでに偽の確率です。
偽の確率たちの中に、真の確率というものは存在しません。
そう、質問者さんのおっしゃる通りです。
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