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カンボジアの歴史について、自分がしっているおおよその流れが正しいかどうか教えてください。

0. WW2後にフランスの植民地だったカンボジアが解放され
1. 1954年にノロドム・シハヌーク国王によるカンボジア共和国が成立する
2. シハヌークが北ベトナム支持を表明し対米関係があっかによる国交断絶。経済政策の不安。
3. 将軍ロン・ノルによる親米クーデターでカンボジア王国からクメール共和国に成り。シハヌークを追放。シハヌーク中国へ。クメール・ルージュと国王が同盟
4. インドシナ共産党の分派であるクメール・ルージュが反発武力闘争。表向きは親ベトナム。
ベトナム戦争の終了(ベトミン・ベトコン)の勝利。民主カンプチア成立
5. パリ協定調印
6. インドシナにおける戦争の停止
7. シハヌークは後にカンボジアに帰るが、既にクメール・ルージュ独裁体制。クメール・ルージュは国王批判 シハヌーク国王軟禁と政治失脚
8. ポル・ポトは国内ベトナム人を虐殺→国境付近ベトナム領の町村を襲撃
9. 1978年からのカンボジア・ベトナム戦争はベトナムの完勝。クメール・ルージュの虐殺発覚
10. 1979年1月10日にカンプチア人民共和国(新ベトナム・ベトナム傀儡政権)がカンボジアに成立。
11. 中国はベトナム批判。越中戦争に発展。ソ連ベトナム支持。中国、日本、米国はカンボジア支持
12. 越中戦争はベトナムの勝利
13. 三派連合(シハヌーク、ノン・ロル残党、クメール・ルージュ)VSベトナム。ベトナム撤退
14.UNAMICがカンボジアに入り調停
15. クメール・ルージュ一派が政権から脱落 辺境で武装闘争
16. 求心力を失ったポル・ポトはタ・モクに拘束され、またタ・モクもカンボジア暫定政府軍に捕縛される
17. 選挙の結果シハヌークが当選。カンボジア王国の復興をはたした。

カンボジア内戦の歴史の経過は自分の以上の認識で正解でしょうか?間違っているところをご指摘してください。お願いします。

A 回答 (1件)

途中からのニュース報道など、爾後のドキュメンタリーモノの記憶を辿る。



1.カンボジア王国ではないか?

10.~14.は、ヘン・サムリン政権の筈で、
そうすると15.の政権から脱落というのが通じない。
 三派連合からの離脱という意味か?
 そもそも対政権側という意味で緩い連携はしていたが、三派間でも勢力争いはしていた筈。
 特にポルポト派は徹頭徹尾独自路線で、当初から良好な関係では無かったのではないか?

17.シアヌークは国王になる。
 選挙で共同首相になったのは、シアヌーク国王の息子のラナリット王子。
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