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彼は悲劇のヒーローですか?
自分はこんなに可愛そうだ、こんな辛い経験をしたんだと歌ってます。
(私にはそう聞こえます。特に、ギルド、くだらない唄、続・くだらない唄、メーデー、ロスマン、ベル、宇宙飛行士への手紙、など)

だとしたら、くだらないですか?幼いですか?
彼はプロだからマスターベーションにはなっていない所が凄いです。
彼が売れていなかったら、彼の詩は単なるオナニーなんでしょうね?



ちなみに僕は彼の詩が大好きです。

A 回答 (2件)

 No.1で回答しましたquidaoleです。



 なぜ藤原さんが歌うのかという質問に答えるのはちょっと難しい気がします。彼にとってそれが生きる手段だったのだろうという推測しかできません。職業という意味ではなく、彼の中の想いを彼だけのものにせず彼の外に対して「ここにある」という事を表現するのに「歌う」という行為が適っていたのではないでしょうか。

 あくまで私個人の感じ方になりますが、『宇宙飛行士への手紙』は孤独の末に出会った人への気持ちを綴ったものなのではないかと思います。その孤独が質問者様のお話にある高校1年で家を飛び出してからの藤原さんの日々の事なのか、もっと前から藤原さんの中にあったものなのかは分かりません。恐らく周囲に人がいないのではなく、心が通じる相手がいない類の孤独を抱えていたのではないかと思うのです。だからこそ同じ体験をし、おなじドキドキを共有できることがかけがえのない物として感じるのでしょう。だからこそもっと前に会えていれば一人で抱え込む事のなかった苦しみがお互いにあったことを惜しみ、これからはずっとそばにいてせめて同じ痛みと喜びを分け合って行きたい、そういう歌だと感じます。


 「稲妻」に関しても人の数だけ解釈があるのでしょうが、「瞬く間だけ存在して、空一面をその輝きで満たす物」なのだと感じました。ほんの一瞬の出来事が生涯忘れられない程の輝きになって心に残るなら、その輝きを一緒に見ることができた「僕」と「君」にはもっと多くの時の中で掛け替えのない「記憶」を共有できるんだよ、と。

 誰でも知っている「かけがえのないもの」、例えばひっくり返した砂時計が刻む2分のその重みを僕はこれまで言葉でしか知らなかったけれど、これからはその重みを大切に二人で時を重ねよう。いつかどちらかがいなくなってしまったとしても、重ねた時間を胸に暖めて未来へ進んで行ける。「孤独に戻る」のではなく、思い出と一緒に踏み出して行けるよ。


 どこでかは覚えていませんが、藤原さんは歌詞の意味はそれぞれで好きに解釈して欲しいというような事を言っていたと思います。それはつまり形はそれぞれでも自分のものだけでない気持ちを歌ったものだから、誰かを後ろから照らす光になるのならそれでいいという事ではないでしょうか。ですから私は藤原さんの経歴がどうということは気にせず、むしろ自分にとってどう感じるかの方を優先させています。「言葉だけでしか知らなかった」気持ちを自分のものとして感じ取った藤原さんと私の共感といったものこそが一番大事だからです。

 「オナニー」というのは個人がその人だけのためにする行為です。BUMP OF CHICKENの歌は彼らだけのものとしてではなく、誰かに届くように歌っている時点で私は「オナニーではない」と思います。かれらがプロ(=メジャーデビューしている事?)でなかったとしても、それは変わりません。私にとっては過去の情熱が「オナニー」ではなく、過去の情熱を現在の自分の都合で歪めてしまう事こそが「オナニー」だと感じます。

 質問者様が「オナニー」という言葉を使う真意が、私には今でもうまく飲み込めていません。言葉は人それぞれの意味を持つものですから「過去の情熱」=「稲妻」=「オナニー」となる理由が質問者様の中におありなのだとは思うのですが、頂いたお返事を読んでみても正直困惑が先に立ちます。

 ただ、質問者様のお言葉でもっと気になったのは「彼が売れていなかったら」という部分です。確かにBUMP OF CHICKENが売れていなかったら私も彼らの歌を知ることはなかったでしょう。ですが、売れる・売れないで価値が変わるなら、その曲を聴く一人一人の価値観は(特に少数派の人間の価値観は)意味を為さないという事になってしまうのではないでしょうか。質問者様が誰かの言葉をそのまま持ってきたのだとしても、あまりに残念な言葉です。
 
 藤原さんが孤独だったのだとしたら、個人個人が持つその価値観によるものだったでしょう。それらを「自分と違うから価値がない」と切り捨てる事をしなかったからこその孤独だったわけで、その孤独の末に出会えた「君」を惜しむ歌を聴きながら、誰かの都合で作られた数字をさも絶対の価値であるかのように言ってしまうのは全く残念です。
 
 「BUMPの歌が好きだ」というならヒットチャートも知名度も要らないと私は思います。まして他のアーティストと売り上げで比較するなんて全く意味がないと思います。誰に誇るものでもなく、ただ自分の心の真ん中にあればよいものでしょう。

 冗長になってしまい申し訳ありません。質問者様のお話を見ているとBUMP OF CHICKENを大事にする気持ちとそれとは間逆の表現とが混在するため、どうも第三者の影響を感じてしまい 私の文章もいささかきつい表現になってしまった気がします。どうかご容赦下さい。何かを好きだと思うことと別の何かを好きでない事は本来矛盾しないはずですが、何もかもを同列に並べてそれらをの一部分を表す一つの数字で評価・選定する事がどうにも私は苦手なようです。

 質問者様のお話からは若干逸れてしまったかも知れませんが、気の向いたときにでも一読頂ければ幸いです。それでは失礼します。

この回答への補足

「ここにある」ということは、存在の証明という意味でしょうか?
存在の証明が出来なかったら(プロではなかったら、つまり食っていけなかったら)(要はプロにならなければ大勢に聞いて貰えない、存在の証明ができない。二人以上でないと、一人だったらオナニーなんだ)
これこそ、ただの自分の慰め、つまりオナニーで終わったと私は思います。

駅で歌ってるうちは、ただのオナニーに過ぎません。

「オナニー」の部分ですが、趣味は金にならなかったらその時点でオナニーだという意味です。
自分で自分を慰める好意だという意味です。

『宇宙飛行士への手紙』の解釈はquidaoleさんと同じです。
過去なのか過去の過去なのかはどりらでもいいんです。でも過去の傷を歌った歌であると考えます。

私は、第三者の影響は受けていません。
自分の小さな頭の中で考えた結果です。

ただ、もの凄く彼の詩に惹かれたのは確かです。
自分に都合が良すぎて、初めて唄で泣きました。


私は芸術関係の夢を追っていますが、私の作品は売れなかったら、ただのオナニーに過ぎなくて、売れたらそれは共有という事になります。そしてその時初めて価値ができると思っています。売れなかった作品はただのオナニーに過ぎません、自己満足に過ぎないという意味です。

誤解を招いたかもしれませんが、BUMP OF CHICKENが大好きです。
彼は成功した訳ですから、立派です。
更に、歌う事で、彼は心の傷を癒やしていることと思われます。
だから余計に、売れなかったら、マスターベーションで終わり、失望し、おそらく、続・くだらない唄の3:03 秒を決行していたと考えてしまいます。
でも彼は成功したから訳ですから立派です。
そんな藤君が僕は大好きです。

quidaoleさん。ありがとう。僕のこんな稚拙な質問に真剣に答えてくれて。
僕の原点であるから、これから生きていく為に自分を納得出来る回答が欲しかったんです。

補足日時:2012/04/16 20:37
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 詩は必ずしも自分の体験を伝えるものではありません。

自分の近しい人であったり、遠くにあって身近に感じる物(人ばかりではなく、たとえば路上に咲いたタンポポ等)であったり、その対象は様々ですから、詩で描かれた事柄が誰のものかという事に拘り過ぎる必要はないと思います。

 私は藤原基央さんの個人的な経歴は一切知りませんが、BUMP OF CHICKENの歌が好きです。小難しい言葉でなく、ごく身の回りにある言葉で大事な事を歌っている所が特に。

 質問者様は『リリィ』をご存知ですよね?私はこの曲が彼自身の迷いも含めた気持ちの表れなのではないかと思っています。「自分も人も上手に騙し夢を見て夢を見せた 『大言壮語も吐いてやろう』そういう歌も歌った」その後で「『出て来い嘘つきめ』と自分の歌に格好悪く脅されるんだ」と続けています。

 歌詞も含めて「言葉」は口から出た途端に人の目に・耳に捉えられるものとなります。彼が誰かの痛みの為に放った言葉も、聞く人によっては偽善に聞こえる事もあるでしょう。彼自身にさえ偽りだと思えることもあって、それでもその言葉を聞いた全く別の人から、彼にさえ思いもよらない強さを貰ってここまで歌い続けてきたのではないでしょうか。「この歌が部屋のドアを叩きに来たって胸を張れるから」と。

 彼は悲劇のヒーローではなく、「BUMP OF CHICKEN」であったからこそたくさんの人に支持されているのではないでしょうか。「笑われる事無く恨まれる事無く輝く命などない」のなら、「たやすく人一人を値踏み」するような人がどう言おうが私の中の価値は変わりません。質問者様にとってもそうであって欲しいと思います。

 『カルマ』ではこう歌っています。「鏡なんだ僕ら互いに それぞれのカルマを映す為の 汚れた手と手で触りあって 形が分かる」。マスターベーションやオナニーといった言葉が誰の口からでた言葉なのかは分かりませんが、その人自身を映す言葉と気づいて言ったのでしょうか。そうして、どんなに汚れていてもその手で触ってしか私たちは分かり合えない事を、その人はどう思っているのでしょうか。

 悲劇でもなんでもなく、生まれて死ぬまでに綺麗なままでなんかあり得なくても、皆ここぞって時に踏ん張れる自分でありたいですよね。「BUMP OF CHICKEN」ってそういう意味なんだと思います。「本当の恐怖に気づいた」後に始まる「自分の人生と闘い続ける人」の歌、だからこそ私はこれからも聞き続けていきます。

 以上、ちょっと長くなってしまいましたが「BUMP OF CHICKEN」は下らなくも幼くもない、というのが私の結論です。

この回答への補足

じゃあどうして彼は唄うのでしょうか?(私が思う、マスターベーションについて補足いたします。)


「生きようとして生き抜いた稲妻を一緒に見られたから」
理由、死ぬまでなんて嘘みたいなことを 本気で思うのは・・・

「分かち合えない遠い日の事. こんな当然を思うだけで. すぐに景色が滲むよ」(目に涙がたまれば景色は滲む。)
理由、そこに君がいなかった(そことは、藤君が体験した過去の事を意味する。これが未来だったら彼は私の想像を遥かに超えている。しかし、遠い日のこと。といってるので過去だと解釈。)

現在、彼の立ち居地は過去でも未来でもなく「現在地」に立っていますが、過去を振り返る詩が多いと思います。特にロストマン以前の詩。ロストマンを書き終えてから立ち居地が現在地になった様に思います。そこから、(R.I.P、宇宙飛行士への手紙の様に現在地から未来、過去へと移動できる空間、つまり現在地に辿りついた。だからロストマンで苦戦した。
(野田洋次郎も昔は現在地に立って唄っていたと感じます。)


彼の生い立ちを振り返ると、ホームレス時代から這い上がった情熱、つまり「稲妻」←(宇宙飛行士への手紙参照)

「震えてるのはきっと寒さのせいだけじゃないな」
彼は体験したんです。代々木公園で真冬の中、野宿した事を。
ここを、R.I.P、宇宙飛行士への手紙に繋げてみると、高校1年で家を飛び出して(くだらない唄・続・くだらない唄、参照、実話)住む場所もなく、孤独な日々が続いた。そこで彼は稲妻を見た。
しかし、見たのは彼一人であり、誰も傍にいてくれなかった。(もしかしたら野良猫はいてくれたかも)
宇宙飛行士への手紙のPVの様に隣に誰か居てほしかった。

そんな過去の情熱、つまり「稲妻」つまり、「オナニー」であると考えたんです。しかし、
彼はプロなので、オナニーではなです。
quidaoleさんには伝わると思ったので書きました。長文失礼しました。

補足日時:2012/04/15 22:04
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