アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

一体何を持って毎日生きていこうと思えるのですか?私に生きるための動力を説いてください。


説得していただくのに役に立つかもしれない私についての情報
私は有神論者、決定論者、観念論者で、スピノザの神のようなものを信じていますがそれ以上のことは信じていません。
キリスト教福音派の教育を受けたので多少名残はありますが、聖書の細かな矛盾に触れていくうちに現在は現存の聖書に対しては疑いを持っています。
ただし、パスカルの思想から多大な影響を受けていて死後の重大性、彼の言う虚しさを抱えています。(もちろん人生は認識次第でどうにもなるということも理解していますが、死のように起こりうる重大な事実無視すべきではないと考えています)
感情的なものはトレーダーとしての若干の経験から非常に懐疑的に見ていて、それらは長期的な指針には成り得ないと思っています。


私はスピノザの神しか有神論で宗教に根ざさないものを知らないので、スピノザの神に近いものの信者以外の方はどういう概念の神を信じているか回答の端にでも記述してくださると助かります。
また、さほど哲学に詳しくないので難しい専門用語や、個人によって作られた言葉の使用は遠慮願いたいです。

A 回答 (24件中21~24件)

 すいません。

自分は、唯物論者で進化論者で、金が全てです(金もらってるから、仕方なく仕事する派(^^))。

 しかも思いついたのはアニメで、原作は少女漫画のジャンルです。

  http://www.nasinc.co.jp/jp/natsume-anime/

 上記には、むかし神社などで神々と呼ばれていた者ども(妖怪ども)が出てきます。神々と言っても、どう見ても宗教ではないです。そして上記の作品は、たぶんに商業的であり、妖怪どもはもろに人格を持ち、言ってしまえばガキ向けの内容ですが、白状すると自分も、こういう感覚は好きなんですよね(^^)。

 このアニメは、今年の3月まで第4クールが放映されていたほど根強い人気を持ち、第4クールまで商業ベースに載ったというのは、近年稀にみる快挙です。日本人って、案外こういう話が好きでしょうがないんだよな、と思えます。


 あっ、参考資料ですから・・・(^^;)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すみません。
質問とは関係のなさそうな回答ですし、
>こういう感覚は好きなんですよね
と述べているように感覚に基づいて回答されているので、どう突っ込めばいいかわからないので意見は控えさせて頂きます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/10 00:55

一体何を持って毎日生きていこうと思えるのですか?私に生きるための動力を説いてください。


私はスピノザの神しか有神論で宗教に根ざさないものを知らない.

○ スピノザの神しか知らないということですが、単に知識としてスピノザの神という名前を知っている程度なのでしょうね。そうでなければ「一体何を持って毎日生きていこうと思えるのですか?」という質問は出ないですよね。スピノザの神は実在の神ですから、ちゃんとしたお考えがあるんですよ。まず、それを知らないと有神論とも言えないですね。
さて、スピノザの神は科学技術を通して、「最大多数の最大幸福」をお考えになっている神様なんですね。
質問者さんがトレーダーとしての経験からわかるように、巷は感情を制御できない人の群れで埋め尽くされています。それゆえデイ・トレーダが生きていけるわけですね。スピノザの神はこのような群れをただ見ている神ではありません。かれらに対して、科学技術の進歩という手段を持ち込むことで感情に左右されない方向性を示す神なのですね。決して科学万能の神ではないのですね。例えば、原子力の利用もスピノザの神の意思ですね。それを兵器にしたのは感情を制御できない人間ですね。感情を制御できない故に50基もの原発が無駄に停止してしまいましたが、これもデイ・トレーダの格好の材料ですね。でも進歩における、「最大多数の最大幸福」の追求はスピノザの神の意思ですから必要なものは残っていくものですね。
また、デイ・トレーダの経験は新しい技術に基づく新しい会社がより目につくでしょう。何が残り何が消えていくかはスピノザの神のお考えなんですね。その意思が冷静な判断で見えるなら、それを後押しすることも一つの生きる糧になると思いますね。21世紀の一つの窓は科学技術の一層の進歩なのですね。
それをどう推進するかは一人一人の考えと行動ですから、その辺が質問者さんの生きる糧になるかもしれませんね。

この回答への補足

スピノザの神が最大多数の最大幸福を考える神というのは聞いたことがなく、ウェブサイトを見ても見当たらないので、エティカに基づいた参考資料もしくは参考文章を教えていただけると助かります。
もし面倒であれば私がエティカを読み終えてから回答することになりますのでかなり時間が掛かると思います。

補足日時:2012/05/10 00:53
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やっぱり最大多数の幸福を考える神という概念はエティカを完全に理解しなかったにしろ書いてあるとは思えませんでした。

>まず、それを知らないと有神論とも言えないですね。
これはおかしいでしょう(笑)私は神自体はこの質問をした時点で信じていました。その時点で有神論と言えますよ。

ちなみに、トレーダーと言ってもあなたの考えるようなデイトレーダーではなく私はスイングトレーダーですし、fx中心です。原発などと株の関係性については無知です。ファンダメンタルも使いません。

生きる糧と生きる意味をすり替えないでいただけますか。糧を得て、生きてその先に目指すべきものとは?。。。この答えとなるものが生きる意味です。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 23:25

「有神論者、決定論者、観念論者」「有神論で宗教に根ざさないもの」ということで


理神論がいいんじゃないでしょうか

----
理神論(りしんろん、英: deism)は、一般に創造者としての神は認めるが、
神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。

神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。
人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないと
して排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/理神論
----

他にもインド哲学でアートマンやブラフマンなど形而上的な議論が展開されているので
一度触れてみることをオススメします。

生きる動力を説いて欲しいとのことですが、理神論だと「神が作られた世界を隅々まで探求する」と
いうのがわりかし多いと思います。近代の科学者などもだいたいこんな世界観です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

理神論に近いっちゃ近いんですが今のところ意見が固まらず、とりえあえず神の存在は認めていて、それらは自分の信じているものに合致する。というところまでなんですよ。ですからそこまで具体的な象はもってません。
神の啓示もそれは決定されていたといえばそうなっちゃいますし。

>理神論だと「神が作られた世界を隅々まで探求する」
そういうことになるとパスカルの影響のせいだと思うんですが、虚しく感じしまうんですよね。。。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/08 18:55

何が“貴方が生きるための動力”を与える事ができるのですか?世の中にそんなものがある筈ありません。


貴方が何を食べるか、それは貴方が決めることであって他人が決めることではないし、貴方が生まれながらにしてスピノザとかの思想によって生かされたわけではなく、彼に出会うまでも貴方は生きてきたわけです。
だから誰も貴方に「生きる動力」など与えられないし、与えても貴方が食するかどうかは貴方が決めることでしかありません。

他人の意見を同意するのは自由ですけど、その意見が全て同意しなければならないのなら逆に個は必要ありませんよね。キリストはキリスト教を興そうと考えた訳じゃない。ユダヤ教を本来の姿に戻そうとしただけです。だから彼の生活様式はユダヤ教に沿っていたのです。

人間は集団動物ではなく個体で生きる動物。それが集団で生きているに過ぎません。他人の意見を聞きながら自分の生き方を構築するだけで十分だとは思いませんか?
私はカトリックの洗礼を受け、聖書の解釈で神父と論争になり、今ではカトリックから離れて、むしろ神道の考えを重視しています。でも私は自らをカトリックだと主張しているし、それでも、直接神とのつながりを大切にすべきだと考えています。

私は神と自分とのつながり方を理解するために生きています。それがあらぬ方向に進んだとき、私の灯火は消されるでしょう。またそれが十分だと思われればそのときやはり私の魂は引き上げられるでしょう。
それまではがむしゃらにもがき続けるしかないと私は考えていますし。
『ひたすらに生きるために生きる』それだけが人間の生きる理由だと考えています。というか、この世でそれ以外の目的で生きているものが存在するとも思っていません。

この回答への補足

下の文の訂正です。
しかし、そういった理由で生きている人が普遍的な活力の源となるものを見出すことできるでしょうか。

ところで、そういった理由で生きている人が普遍的な活力の源となるものを見出すことできるでしょうか。

補足日時:2012/05/10 01:09
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>だから誰も貴方に「生きる動力」など与えられないし、与えても貴方が食するかどうかは貴方が決めることでしかありません。
私の認識次第からこそ私の情報を書き、そして回答者の方々に私の考え方において生きる意味とは何があり得るかを説いてほしいと言ったんです。

>というか、この世でそれ以外の目的で生きているものが存在するとも思っていません。
生きる理由と目的をすり替えないでください。
基本的に生きる理由は死にたくないし、生きたいと思うからでしょう。しかし、理由は真に動力になり得ないと思います。
なぜなら人はなにかしら自分を社会に見出したり神に見出したりして生きているからです。しかし、そういった理由で生きている人が普遍的な活力の源となるものを見出すことできるでしょうか。

多くの人は根拠はどうあれ理由付けが出来ればいいのでしょうが渡しの場合はそれができないのです。
あなたは一応カトリックで神を信じているでしょうし、来世(天国)の希望もあるでしょうからいいですけど私には数々の聖書の矛盾の存在によってそれはできそうにないですから今ある中で生きる動力を見出したいと考えているのです。

お礼日時:2012/05/08 18:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!