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人間が永遠に存続することは無理だと思います

が生命としては40億年 人間としても何百万年 存在を実現充実して来た人間です

存在するためには存続することが有利です

人間はどこまでも永遠を目指すのでしょうか?

それとも刹那的な利益や価値で動くものと考えるべきでしょうか?

人間は増えすぎましたが 一人一人可能性があり人権があると思います。

長生きは良い事でしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

”人間はどこまでも永遠を目指すのでしょうか?”


    ↑
そうだと思います。
だからこそ家族を造り、国家を造って永続性の
あるものに憧れるのです。


”それとも刹那的な利益や価値で動くものと考えるべきでしょうか?”
    ↑
これも当たっています。
物欲、性欲で動きます。
同時に、永遠にも憧れます。


”一人一人可能性があり人権があると思います。”
   ↑
これは幻想です。おとぎ話です。
全知全能の創造神でもいれば、そうなるでしょうが
そんなものは存在しないでしょう。
人間が、そう信じたいだけです。
事実とは異なります。


”長生きは良い事でしょうか”
   ↑
長生きに善悪、良否はありません。
生命よりも尊いものがある、ということに
意味があります。 
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長寿も度が過ぎると、「極楽浄土」という訳にはいかない、現実を知っているのです。

「人間は永遠を目指すか?」の回答画像11
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母親が人工透析を受けているのですが、透析場の患者さんの現実は、酷いケースになると、吐き気が止まらなくなり、実際、吐いてしまわれるそうです。

認知症を患った上に、人工透析が不可欠です。これが、特に、後期高齢者の現実のほんの一部です。生き地獄のような思いだとも、感情失禁で言葉でも言い表すことすら、出来ません。これが長寿社会の生の現場の一コマです。その現場を知っても、ゆにこさんは、長寿社会に安心感が持てますか?僕はそうは思えません。ですが、宗教上でも、法的にも、安楽死は我が国では、非合法です。

この回答への補足

どういう話向きでしょうか?非合法だから? 合法にしたほうが良いと言う事でしょうか?その考えが出てくるのはまだ早い気がしますが。

補足日時:2012/06/04 18:36
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長寿の野望 って、死にたくないですが、何であり続けるのでしょうか?

この回答への補足

長寿の野望 という言葉を知らないのですが。多くの人は楽しければ長生きしたいと思うものだと思います

それを止めることは人間の自然な感情に反します

お年寄りには死んで貰おうと言う気運が高まらない限り

親やおじいちゃんおばあちゃんに長生きして貰いたいと言う気持ちがある限り

人として天寿を全うしようという気持ちや本能や文化があると思います。

補足日時:2012/06/01 23:17
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目指しているわけでは無いでしょう。


毎日生きる積み重ねが今の人間だってだけです。
生きられる限り生きてきたって事ですね。
そんな事を考えるのは人間だけです。
ミミズはなぜ生きているのかなんて考えもしないでしょう。
(可能性が無いわけでは無いですが…)

生きることに意味や目的などありません。
人間は余計な知恵がついたから余計な事を考えるだけです。
意味の無い物に意味を見出そうとするから厄介な事になる…
まあそれ自体思考ゲームとして楽しんでいるってのも人間にしか出来ない技ですがねぇ。
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人間は永遠に生きており、六道輪廻を繰り返しているのです。



大抵の人は人間やこの世は物質でできていると考えていますが、それは間違いです。この世界ははじめから物質として実在する世界ではなく、人間の造った幻の世界です。

人間は毎晩夢を見ます。そして翌朝目を覚まします。これが夢の一生です。明くる日も明くる日も夢の一生を過ごします。これが夢の輪廻です。

このように今この世界も輪廻の一つの世界であり、この世で死んでも六道のどこかに生まれます。これを延々と繰り返しているのです。
原始仏教でブツダは次のようにいっています。
**********************************************
「閻浮地(人間界)の五十歳は四王天の一日一夜なり。その日夜の数を計算すると、三十日を一月として十二月を一歳として四王天の寿命は五百歳である」
(阿含経より)
**********************************************
四王天の世界は六道の中の一つの世界で、欲天の中では最下位の世界です。それでも四王天の寿命は50×365×500=9125000つまり、地球時間の九百十二万五千年の寿命なのです。

またブツダは各世界の寿命を次のように述べています。
**********************************************
☆欲界
仏は比丘に告げられた「閻浮提(この人間世界)の人の寿命は百歳である。それ以前に終わる人が多い。
狗耶尼の人の寿命は二百歳である。それ以前に終わる人が多い。
弗于逮の人の寿命は三百歳である。それ以前に終わる人が多い。
欝単曰の人の寿命は千歳である。それ以前に終わる人はいない。
餓鬼の寿命は七万歳である。それ以前に終わる者が多い。
龍・金翅鳥の寿命は一劫である。それ以前に終わる者が多い。
阿須倫(阿修羅)の寿命は天の千歳である。それ以前に終わる者が多い。
焔摩天の寿命は天の二千歳である。それ以前に終わる者が多い。
兜率天の寿命は天の四千歳である。それ以前に終わる者が多い。
化自在天の寿命は天の八千歳である。それ以前に終わる者が多い。
他化自在天の寿命は天の一万六千歳である。それ以前に終わる者が多い。

☆色界
梵迦夷天の寿命は一劫である。それ以前に終わる者もある。
光音天の寿命は二劫である。それ以前に終わる者もある。
遍浄天の寿命は三劫である。それ以前に終わる者もある。
果実天の寿命は四劫である。それ以前に終わる者もある。
無想天の寿命は五百劫である。それ以前に終わる者もある。
無造天の寿命は千劫である。それ以前に終わる者もある。
無熱天の寿命は二千劫である。それ以前に終わる者もある。
善見天の寿命は三千劫である。それ以前に終わる者もある。
大善見天の寿命は四千劫である。それ以前に終わる者もある。
色究竟天の寿命は五千劫である。それ以前に終わる者もある。

☆無色界
空処天の寿命は一万劫である。それ以前に終わる者もある。
識処天の寿命は二万劫である。それ以前に終わる者もある。
不用処天の寿命は四万二千劫である。それ以前に終わる者もある。
有想無想天の寿命は八万四千劫である。それ以前に終わる者もある。」
(阿含経より)
**********************************************
このように、死後の世界は無数にあり、色界・無色界を天界ということができます。つまり寿命一劫は永遠の命を表すからです。
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この回答へのお礼

う~む 成る程 寿命1劫が永遠の命をあらわすのですか・・・成る程。

お礼日時:2012/05/30 21:14

もし、あなたの生きる目的が、あなたの肉体的満足や


物質的な繁栄ならば、命は永遠ではなく、物欲に限り
はありません。

しかし、生きる目的が物質的な豊かさではなく、心の
豊かさ=精神的充足量の人生を通算した最大化であ
るならば、話は別だ。
量子論的にいえば、有限的な存在性は認識される事
によって派生する=宇宙は心の中に有るといえ、その
意志は無限の宇宙の果て、永遠の未来に届きます。

人は「たくさん物を得た」といっても、書類上の所有者の
名が変っただけで、“そこにある物”は何も変りません。
また、いくらお金を得ても、満腹以上に食べても喜びに
はならず、金をかけてヘリで山頂に行っても、汗だくで
山に登る喜びはない。

むしろ、社会生命として助け合って生きている事を
自覚し、その愛によって自律的に社会行動をとる時
(お金をもらうために嫌々働くのではなく)、社会全体
の可能性の最大限の発揮が誰もの目的となり、
その共通の意志において「所有者」の問題は意味が
なくなり、自分が糖尿病になるほどの“豊かさ”と違い、
他の人に分かち合う喜びには限りがない。

肉体を離れた充足の源泉は、永遠の未来、無限の
彼方においての実現が感じられ(今だって、「得た」
といっても自分の目の前にある訳じゃない)、信頼の
限りにおいて、あらゆる一瞬に無限の喜びに至る。

この回答への補足

人間の心の中に無限の永遠の未来に届く意志があるのですか

これは私の考えと似てますねえ 成る程 成る程

補足日時:2012/05/30 21:16
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こんばんは。



一番大事なのは、未来は誰にも分からないということです。
今の時点では、全ての生命の中で誰もが最も進化した個体である可能性があるということです。後の世になれば、貴方がミトコンドリヤ・イブのようになるか、そういう個体群(共同体)に入るのかもしれません。私は誰もが始まりの可能性がある(思想等に於いても)と考えれば、長生きして永遠を目指すのは生命の根源であると思います。
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その視点は至極人間的ですね。


永遠を標榜しつつ刹那に生きるしかないと言うところでしょう。

そこを超えて永遠も刹那も実は同じもので全ては今に集約されていていることになると事態は自分から逆流します。存在を実現充実してきたのは唯一自分であることに驚くことになります。
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両方でしょうね。


その時々の満足を求めつつ、永続的な幸福を求めるため、日夜進歩に励む。
ただ地球の歴史から見ると恐竜の時代があったように、人間の時代があるだけかも知れません。
何億年かあとには人間でない時代が到来していて、「何億年前に哺乳類、ヒト科ホモサピエンスが繁栄した時代があった」というだけかも知れません。
コミュニケーションも言語ではなく、音やテレパシーかも知れませんしね。
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