アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

手のひらに載るような石を支えて手が動かないようにしているいると、手が疲れてきます。筋肉がエネルギーを使っているのだと思いますが、この石を地面に置いてみた場合にも、手のひらに乗せていたと同じように何かエネルギーが使われているのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

>・・・すると腕を高く上げているのと変わりがないと思いました。


はい、変わりありません。相変わらず、消費されるのは、腕の中でのエネルギー損失だけです。。。。何を言いたいのでしょうか?

>このように考えても石に対しては何もしていないということになるのでしょうか。
石がないのですから、石に対して何もしてないのは当然です。石があると、力が大きくなるので、腕の中のエネルギー損失が増え、より疲れます。

たぶん、これを勘違いしているのではないかと思いますが、
力をかけただけでは、エネルギー消費は起きない。 のです。
エネルギーの公式はいろいろありますが、(エネルギーにいろいろなタイプがありますが)
この場合は仕事の公式(仕事とエネルギーは同じものと考えてよいです。)
W=F*S
W:仕事 F:力 S:力の方向への移動距離
が、当てはまります。
じっと持っているだけでは、移動距離が0なので、エネルギーにならないのです。

この回答への補足

石あるいは腕の位置エネルギーを保持するためにエネルギー損失が起こっているのではないでしょうか。

補足日時:2012/08/15 03:19
    • good
    • 0

>しかし現実には筋肉は疲れますね。

・・・
前の回答に書いたとおりです。
筋肉が、起重機と同じだとすると、疲れるのは、筋肉の「エネルギー損失」分を補充するためです。石に対しては、エネルギーは使っていません。
もしも筋肉が理想的な起重機であれば、じっと持っているだけでは疲れないことになります。

エネルギーの損失は、たいていのものに見られます。
人はじっとしているだけでも、おなかがすきます。(体温の維持など、基礎代謝と呼ばれる作用のため)
電気の送電線は、実際に使用する電力のほかに、送電線を流れる間に失う電力が、かなりあります。
ボールは、理屈では、地面に落とすと永久に弾み続けるはずですが、跳ね返るときのエネルギー損失のため、徐々に弾む高さが少なくなっていきます。

これらがあるため、実際の動作には、計算以上のエネルギーが必要になります。
じっと持っているだけなら、計算上はエネルギーは必要ありませんが、筋肉のエネルギー損失(起重機と同じだとすると)のため、疲れてくるのでしょう。

この回答への補足

駄々をこねているようになってきましたが、石も腕の一部と考えられます。すると腕を高く上げているのと変わりがないと思いました。このように考えても石に対しては何もしていないということになるのでしょうか。

補足日時:2012/08/14 02:36
    • good
    • 0

>重量物を一定の高さに保持するというのは重量物の位置エネルギーを保持するということにならない理由が分からないのです。



 一定の高さに保持する=重量物の位置エネルギーを保持する
これは同じことを、別の言葉で言い換えたに過ぎませんね。もちろん、この表現を否定しません。
正統的な物理の立場から、繰り返し言っているのは
 物体を一定の高さに保持する"ために"、"エネルギーが必要"
と言ってしまうと、それは認められないということです。正統的な物理の理解では、
 物体を一定の高さに保持するために、"力"が必要である
のであって、考えるべきは、その力はどんな力なのか? ということで、石の高さ保持という部分を説明するためには、エネルギーを議論する余地などないのです。
    • good
    • 0

>起重機のワイヤーを巻いて重量物を引き上げるときモーターを回しています。


>一定の高さで保持した後、モーターを止めればワイヤーはほどけて重量物は地面まで降りてしまいます。
>こういう場合重量物を一定の高さに保持するというのは重量物の位置エネルギーを
>保持するということにならない理由が分からないのです。
これは、良い点に気がつきましたね。筋肉よりずっと説明しやすいです。

起重機のモーターが止まった位置で逆回転しないようにするためには、(ストッパーを使わない場合)ずっと電気を流し続けなければなりません。
しかし、このときのモーターの電力は、持ち上げるときよりずっと少なくてすみます。
この電力が何に使われているかというと、モーターの電磁石の損失(導線の電気抵抗などによるもの)を補充するのにつかわれています。
電気抵抗のない超電導電磁石の場合、電気を一度流して回路を閉じる(電磁石の両端の電線をつなぐ)と、あとは半永久的に磁石として働きます。起重機のモーターも(電源まで含めて)超電導で作れば、同じことができる(止まっている時の電力をゼロにできる)はずです。

>筋肉の場合でも同じだろうと思うということです。
前の回答に出ていた、「筋肉のATPの性質」が、これと同じことだと思います。筋肉が「損失ゼロ」なら、おそらく止まっているだけのときはいつまでも疲れないでしょう。

この回答への補足

しかし現実には筋肉は疲れますね。これはATPの枯渇や乳酸の蓄積によって筋肉が収縮を持続できなくなったためとすると、どうなるでしょうか。これはエネルギーの消費があったことを意味しているのではないかと思います。

補足日時:2012/08/12 13:02
    • good
    • 0

>筋肉が消費したエネルギーは熱になっても結果的に石の位置エネルギーを保存したことにならないのでしょうか。


 
正統的な物理の解釈では、"「石の位置エネルギーを保存」するために、他のエネルギーが消費されることはない"のです。
ですから、筋肉の消費エネルギーは、静止したままになっている石の力学的エネルギーとは関連が無いと解釈されます。他の解釈の余地は、(正統的な物理の範囲では)有りません。
 
>また起重機もいつかはさびて壊れてしまいますが、これは疲労と関係ないでしょうか。
 
金属疲労などという言葉が有りますからね。でも、これは、筋肉の疲労とは別ものです。
起重機が重いモノを吊していると、やがては壊れてしまうものでしょうか? 規格を越えた重さの物体を吊すといった状況でなければ、そして、空気(酸素)や水分が無ければ、錆びも生じませんから、永遠に壊れないでしょう。

この回答への補足

起重機のワイヤーを巻いて重量物を引き上げるときモーターを回しています。一定の高さで保持した後、モーターを止めればワイヤーはほどけて重量物は地面まで降りてしまいます。こういう場合重量物を一定の高さに保持するというのは重量物の位置エネルギーを保持するということにならない理由が分からないのです。筋肉の場合でも同じだろうと思うということです。正当な解釈に逆らおうというような高級な話ではない素朴な疑問です。

補足日時:2012/08/12 03:25
    • good
    • 0

>筋肉はATPのエネルギーを使って収縮して、最終的にはこのエネルギーは熱の形で放出されるはずですが、このような場合エネルギーが必要であるということにならないのでしょうか。


 
はい、筋肉でATPのエネルギーが消費されていることは間違いない事実ですので、このことは否定していません。ですが、この消費されたエネルギーは、本レスでの"石"の位置エネルギーとは無関係だというのが、物理的な解釈なのです。
 
或る事象Aと別の或る事象Bとが同時に起こっていても、両者に関連があるかどうかは別問題ですよね。
(例)破裂音がした瞬間、子供がビックリしたように音のした方を見た。
一見、音が聞こえたから、子供は振り返って、見た、ように思えるかも知れませんが、実際にはその方向に母親がいて子供を呼んでいたのかも知れません。だとしたら、「音」と「子供が振り返った」こととは、関連が無かったことになります。いくつかの事象が関連するように思えるときも、それらの間に関連があるかどうかは、注意深く調べてみなくてはならないのです。特に、その時点までに得られている知識と矛盾するようなら、尚更なのです。
 
本スレで話題になっていることは、このような事態に似ているのです。
 筋肉でエネルギーの消費が起こっているのに、石はその高さで保持されている。
このように表現すると、両者には関連があるかのように見えます。でも、繰り返すことになりますが、物理的な解釈では、石は移動していないのですから、石に加わっている力は仕事をしていない(=石を支えるためのエネルギー消費は起こっていない)のです。
とすれば、腕で消費されているATPのエネルギーは、"石を支えるため"、に使われているのではないのでは?と考えることになります。
 
>起重機の場合は、どこも「くたびれない」のが不思議です。
 
先の回答でも書きましたが、「石を支えるためにエネルギーが必要」だという前提でお考えになっているから、地面や起重機はどんなメカニズムでエネルギーを消費しているのだろうか、と考えることになってしまうのだと思います。
正統的な物理では、「移動を伴わない保持なら、保持のためにエネルギーが消費されることはない」ということが前提なのです。この立場では、「地面や起重機がエネルギーを消費しないのは何故か?」という疑問は論外で、むしろ、腕の筋肉でエネルギーが消費されているということの方が解くべき課題だということになります。

この回答への補足

筋肉が消費したエネルギーは熱になっても結果的に石の位置エネルギーを保存したことにならないのでしょうか。また起重機もいつかはさびて壊れてしまいますが、これは疲労と関係ないでしょうか。ますます頭が悪いことことを示しているようで申しわけございません。

補足日時:2012/08/11 16:51
    • good
    • 0

>起重機が重量物を空中で支えている場合でも同じことなのでしょうか



はい、そのとおりです。石が地面で支えられているのも、起重機が石を支えているのも、腕を曲げて掌で石を支えているのも、同じ状況です。どれも、石の位置エネルギーとは無関係です。
どの場合も、石を支え得るために、地面も起重機も掌も、石に対して"力"を及ぼしていますが、"石を支えるために"エネルギーを消費していません。


石が或る高さで静止している状況を、物理では次のように解釈しています。

石には重力(下向きに働く、地球からの引力)が働いています。もし、この力だけが作用しているなら、運動方程式から、石には重力の向きに加速度が生じます。加速度は速度の変化をもたらしますから、止まっていた石はやがて下向きに動きだし、どんどん速くなっていきます。これは、石が静止しているという状況と矛盾しています。石は静止したままなのですから、加速度が0です。これは、先の運動方程式から、石に作用している力は0になっていることを意味しています。重力が作用しているのは明らかですから、この重力を打ち消すような力も石には作用していたと考えなくてはなりません。その、石の重力を打ち消している力が、或る場合には地面からの垂直抗力であったり、掌からの垂直抗力であったり、起重機が上向きに引き上げている力だったりするわけです。
このように、物理的には、"石が静止したまま"という状況は、力の釣り合いとして解釈されます。

一方、仕事とは、物体の"移動"を伴う現象に対する解釈の1つです。
 仕事=力・物体の移動量
と、仕事は定義されています。移動を伴わなければ、仕事は0、と解釈するわけです。
さらに、或る物体が他の物体に対して、仕事をすることができる能力、のことをエネルギーと定義しています。エネルギーの量は、他の物体に対してなし得る仕事量がいくらなのか、で表現することにしています。そして、物体が、他の物体に対してWの仕事をすると、Wだけエネルギーが減少する、としています。
ですから、石を移動させることがなければ、石に対して仕事をしていない。仕事をしていなければ、エネルギーの減少は起こらない、と解釈することになります。

繰り返しますが、このように、石を支えるためにエネルギーが消費されることはない、というのが正統的な物理の答です。

もし、この解釈に矛盾するような現象が見られたら、そのエネルギー消費は、石を支えるためではなく、付随する別の場面でエネルギーが消費されているためなのではないかと考えてみるのが妥当でしょう。

この回答への補足

頭が悪くて済みません。筋肉はATPのエネルギーを使って収縮して、最終的にはこのエネルギーは熱の形で放出されるはずですが、このような場合エネルギーが必要であるということにならないのでしょうか。起重機の場合は、どこも「くたびれない」のが不思議です。 

補足日時:2012/08/10 22:13
    • good
    • 0

石を、その高さを保持しておくためには、石を支える"力"が必要です。


この、"力が必要"だということと、"エネルギーが必要"だということとは、必ずしも同じことを意味していません。
回答者さん達との遣り取りを見ていると、保持するためには"力"が必要であるということを、質問者さんは、"エネルギー"が必要であるということだと思い込んでおいでのように思えます。
 
回答者さん達は口を揃えて、石を地面位置に保持するためには"エネルギーは必要ない!"と回答しています。
そうなのです。物理的には、石を支えておくだけならエネルギーは消費される必要が無いのです。
もちろん、石を支えるように、地面は力を及ぼしていますが、地面はエネルギーを消費などしていません。
 
問題はむしろ、石を支えるという、一見同じように見える現象なのに(エネルギーを消費しないはずの現象なのに)、何故、人の場合はエネルギーを消費しているのか? という点なのです。
 
質問者さんは、腕で支えている状態(エネルギーを消費しながら)が「基本形」で、他の物体が支えている場合にも、腕の場合の説明を適用できるはず、とお考えのようですが、そうではありません。
物理的には、腕で支えている状態(エネルギーを消費している状態)は、異常な事態に見えるのです。
 
>筋肉の中でATPという物質がADPに変わる際、放出されるエネルギーによって筋肉は収縮し続け、保持の高さが固定されます。つまり石の位置エネルギーを同一にするためにATPの化学エネルギーが使われているのだろうということです。
 
"つまり石の位置エネルギーを同一にするために" の部分が言い過ぎになっています。
単に、石(と腕)の重さを支えるために必要な"力"を発揮するために、筋肉は収縮し続けているのであって、石の"位置エネルギー"とは無関係です。

この回答への補足

起重機が重量物を空中で支えている場合でも同じことなのでしょうか。

補足日時:2012/08/10 09:16
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私には力とエネルギーの区別がつけられていないということなのでしょうか。勉強させていただきます。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/10 09:14

これまでの回答のように、エネルギーは使いません。


しかし、じっと持っているだけでも疲れるのですが、その理由については、諸説あって、いまだ決定打となるものは出ていないはずです。
私の知っているのは、
1.(前の回答にもありますが)小刻みに上下に動いている。(たぶんこれだけでは間違い。たとえば、損失のないバネに重りを載せて上下に揺らした場合、エネルギー補給なしに永久に動き続ける)
2.筋肉の非弾性変形によるエネルギー吸収(変形にともなうエネルギー損失)。
3.筋肉は、ちぢんだ状態を保持するだけでカロリーを消費する、という生理的な理由。

この回答への補足

いろいろご教示をいただいて、改めて私の疑問の中心がそれなりに見えてきたように思います。筋肉の中でATPという物質がADPに変わる際、放出されるエネルギーによって筋肉は収縮し続け、保持の高さが固定されます。つまり石の位置エネルギーを同一にするためにATPの化学エネルギーが使われているのだろうということです。また地面に置かれている石の場合は地面の弾性エネルギーと石の位置エネルギーの間の振動状態が実態ではないでしょうか。

補足日時:2012/08/08 17:15
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。物理学的には不正確かもしれませんが、私の疑問を補足欄に記入いたしましたのでよろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2012/08/08 17:17

物理の定義の問題です。

物体は移動するのにエネルギーが必要だということになっています。
重量挙げでは上へあげきるのにエネルギーを使います(位置エネルギーの付加)が、上げきって静止した状態ではエネルギーは必要ないということになります。

>石を支えて手が動かないようにしているいると、手が疲れてきます。筋肉がエネルギーを使っているのだと思います

この場合は、生理的なエネルギーの消費だと思います。我慢や心労によるストレスと同じものではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。地面も同じように反発していないのでしょうか。また生理的なエネルギーの消費というのは物理でいうエネルギーの消費と異なるのでしょうか。

お礼日時:2012/08/08 10:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!