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天皇を慕って涙するような精神は、いつころ生まれたものですか?

松岡洋右は、天皇のことを話し始めたら、したい申し上げるあまり、涙しながら話したりしていたというのを聞きました。
東条英機も、そのような精神の持ち主であったと聞きます。

私は、キリスト教をやっていたこともあるので、イエス・キリストを慕って涙する、という感覚は分かりまして、それと類似したものだと思っています(気分を害される方がおられれば、すみません。あくまで個人としてそう理解しているやつがいると思ってください)。

親であるような存在が、子である自分たちに対して、態度で示す(実際には直接会えないので、間接的に聞いた言動から判断するわけですが)寛容さや深い愛情や責任感に対して、ありがたくて慕わしくて涙するのだと思います。

明治以降の教育において生まれたのかなと思いますが、尊王攘夷運動のころからあった感覚なのか、平田篤胤にあったのか、本居宣長にあったのか、中世からあったのか(古典文学において、個人的には、そんなの見たことないので、多分なかったと思うんですが)、はたまた明治天皇や昭和天皇の人柄に対するものという要素が結構強かったのか、どうなんでしょうか?

A 回答 (11件中11~11件)

少なくとも天皇を神格化し始めたのは明治以降です 天皇中心の国づくり体制になってからです


ただ それが顕著になったのは太平洋戦争前 昭和に入ってから特にです

天皇は神(現人神)として 国民は教育を受けてきたので
だから戦後 昭和天皇が人間宣言を出して 国民の前に姿を現し 全国を行幸したさいは 国民は
やっぱり天皇も人だったのか と思い知ったはずです

天皇を慕って涙するのは 戦前 戦中のごくわずかな期間でしょう

この回答への補足

人間宣言は、それほどインパクトがあったのかは疑問です。
教育上、神格化というようなものがあっても、基本的に、国民は人間だという感覚が強かったのではないかと思います。八紘一宇というように、一人の人間としての家長に対する敬愛だったのではないかと思います。

キリスト教の非日常的な神学とは、ぜんぜん違っていて、西欧人が思ったほどには「人間宣言」は、日本人には衝撃をあたえず、ある意味あたりまえと受け取られたのだろうと考えます。

補足日時:2012/09/02 10:49
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私も、慕って涙するような感覚は、時期的には、昭和以降なんだろうなと思います。どうやって形成されたのかは疑問です。昭和天皇の発言のエピソードなどが、脚色されて教育環境に伝えられたのか?

お礼日時:2012/09/02 10:32

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