アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

28歳・女です。
私は、今でこそ「友達多そう」「遊んでそう(悪い意味ではなく活発という意味で)」等と言われ、それなりにモテます。
しかし学生の頃は、完全に目立たないタイプでした。
内気・消極的・インドア・男子が苦手。
老け顔のせいか雰囲気のせいか、同級生の男子はみんな敬語で話しかけてきてました。
明るくてノリが良くて、男女問わず友達になれる、目立つタイプの女の子が羨ましかったです。
そんな漠然とした理想像を持ったまま就職して、少しずつ色々なことに免疫ができたり気が強くなったりで、理想に近づこうとしてたのか、気がつけばこんな感じになっていました。

友達は、学生の頃からの友達が数人、就職してからの友達や付き合いが数人なのですが、元々’狭く深く’タイプなのか満足しています。
お酒が強いこともあり最近は飲みに行きあるき、趣味で動物関係に携わったり、スポーツジム行ったり、生活にも満足していました。

ところが、フェイスブックを見ると(私はそういうモノに疎く、弟のIDでログインして)凹んでしまいます。
学生の頃の友達を検索して、みんなの生活の充実振りを見るから-というわけではなく。
ある女の子のウォールを見ると、なんです。

彼女は中学校の同級生で、昔から可愛い美人さんでした。
ずっと登校拒否で卒業まで登校せず、うろ覚えですが「勿体ないな~」と思っていました。
その彼女が、かなりマメに更新しているのですが、友達はざっと300人。
ほとんどが私も知っている同級生。
私が気になっていた初恋の人も、卒業してから疎遠になった人も、mixiでメッセージを送ったのに冷たくされた人も。
実際地元で皆で飲んでいたり、サークルを立ち上げて定期的に活動していたり。

私が唯一仲が良かった男友達も、mixiで冷たい態度だったので友達申請はしなかったのですが、彼女には突然飲みに誘ったようで、そんなコメントのやりとりを見つけて本当に凹んでしまいました。

みんな、彼女とそんなに繋がりがなかったハズなのに。
中学を卒業してからの13年間、私の知らない所でみんなは繋がってたのかと思うと、すごく寂しいような悲しいような気分です。
私自身、同窓会がしたかったり、mixiで同級生を検索したり(当時はmixiしかなかったうえヒットしなかったけど)、旧友と繋がりたいタイプだと思うので、余計にショックです。

彼女のウォールに目を通して、すごく活発で話しかけやすい、誰からも好かれるような人になっているようで、モヤモヤするのは嫉妬心でしょうか。

自分を変えたい!と思いながらやってきた今までが無意味に思えてしまって・・・
フェイスブックを始めようとは思わないのですが、こんな気持ちをどう処理したらいいでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

見るのをやめた方がいいと思います。


ストレスを感じていませんか?そういうのを見ると疲れませんか。
これからの出会いを大切にしたらどうですか、
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フェイスブックで友達300人、って価値ありますか?


マメな更新で友達が増え、たまたまかつての同級生がみつけ、
誰かに教えた。それで他の人も繋がった。
美人だったし登校拒否だったので、気になり飲みに誘ってみた。
それだけのことかも知れませんよ?
更にオフラインで彼女にどれだけ友達がいるかなんて、分かりません。

失礼ですが、学生時代のあなたは、あまり魅力的ではなかった。
そのイメージがあるので誘われない。
でも、あなたは努力して、自分を変えたのです。
過ぎた事はもうどうでもいいと思いませんか?

今の自分をひけらかし、皆を見返したいのでしょうか。
だとすると、あなたは10年以上前の過去に縛られてると言えます。

本当は彼女がどう、というより、あなた自身が
その時代に後悔や挫折や諦めを残してきていませんか?
突き詰めて考え、本当の自分の気持ちが分かったら、
その時代を振り返らず、今から更に向上心を持って頑張って欲しいと思います。
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ほとんどの人が、



友人に対して幻想を持っているように思えます。

一体何が起きてるのだろうか、と心配になっています。

太宰治の「走れメロス」と言う作品がありますが、

これを書いた太宰の創作の切っ掛けを読むと、「こんなものか」と思いますよ。

太宰が放蕩をし、金が無くて遊んだ先から帰れず、心配して駆けつけた友人のお金を使い倒し、

その上で、友人を残して、金策に出かけるとして宿を去り、別の場所でのんびり遊んでいた。

それで呆れて友人が激怒し、

それに対して、自分を信じられない友人に、あてつけて書いたという説があります。

(上は要約ですが、調べると直ぐに出てきますよ)

まさに、今のブログ炎上の切っ掛けとたいして変わらず、常識がなく人間ができていない人物が、

メディアを使って意趣返しをしたと言うものです。太宰は入水自殺をし、恋人を死なせます。



私達が子供時代に大人に教えられる大切なものは、嘘が多い。

これを教える教師や父母ですら、その当時は二十歳を過ぎたばかりの若輩者です。

真実をわけて、子供に分かるように何かを伝えることは出来なかったでしょう。

私たちは、当時の教師や父母の年令を超えて大人に成るわけですから、

子供時代に信じた内容を、ある一定の年令になったら、再度解釈しなおす必要があるのです。



友人の在り方を定義した有名な著作ですら、書いた本人とその友人は、こんなものです。

今定着している友人の概念は間違っており、本著作物の影響が大きく、改変されていると思えます。

(最後に、本来はこういう意味であったと述べます)

実際は、そのような”友人関係”は、現存したことがないのです。

しかし、こうした架空の友人概念は、なまじ作家が有名であると、間違って子供達に伝わります。

そのまま”本当”と思い込んで大人に成ると、自分には友人が少ない、いないと、勘違いをします。

しかも、「友人ならこれくらいしてくれても良いはず」とか他人を脅す事になります。

発端が子供っぽい八つ当たりであり、非常にわがままな理想を創作したものです。

そんな関係になるのも、なって貰う人を作るのは、たった一人作るのも不可能です。

太宰が作った概念でしかなく、太宰ですら得た事は無いものです。

これ以降に誕生した人は、友人が少ないとか居ないと言う劣等感を生み、

自分を苦しめていると思えます。

もしバビル二世を太宰が書いていたら、

自分にはサイコキネシスが無いと悩み、秘密にする大人が増えたの

ではないかと思います。さすがにこれは判別がつきますが。

しかし、なまじ美しい概念であり、心のあり方であり、振る舞いであり、

さらに計測できないものは始末が悪いですね。

愛や誠実、優しさ。現代の概念は、全部間違って定着しています。

さて、美しい言葉は幾つもありますが、この概念を何で得たのでしょうか?

ほとんどがメディアであり、下手をすると私たちより良識がない人物の個人の創作物かもしれません。

本当は無い、美しいものをみせ、誰もがそれを得ていると言う幻想までを定着させてしまうと、

ほとんどの人は自分一人だけが異質だと密やかに悩み、告白できず、苦しむ事になります。

ひどい話です。

子供の頃に見た、ネコ型ロボットが救う駄目な主人公の実家は一軒家であり、

これを誰もが得ている事になっています。

ほとんどの漫画に出てくる普通の主人公の自宅が豪邸です。

親の年収が1500万円を超えていないと、生活が維持できません。

東京都内で年収を800万円を維持する男性は全体の2%だそうです。

これだけ見ても、子供に普通に間違った感覚を植え付けているはずです。

私の少年時代の話ですが、日本人の男性の男性性器は、誰もが20センチ以上あるらしいと、噂になり、

ものすごく悩んだ少年が多かったのです。あわてて、雑誌などで平均がこのくらいと、記事がのり、

安堵したのを覚えています。しかし、これは実際にあった話です。

もし信じてしまっていたら、ずっと自分の性器を眺め、いずれ大きくなるんじゃないかとハラハラし、

密やかに悩み、自分を変えていこうとしたでしょう。(荒業すら覚悟したはずです)

しかし、その真実を公表した雑誌記事。これもおかしくて、実際にどやって計測したのか不明なのです。

本当は30センチかもしれませんね。こうしたものは、それがどうでも良くなるまで、人を苦しめます。

しかし、私達がマスメディアに触れる前から人は生きており、世代を超えて伝える事で、

”なにかしら”の真実を”言葉”(熟語やことわざ)として伝えてきたわけです。

問題なのは、本当の定義と違うものをメディアを利用して、ある個人が変更してしまった事にあります。

幼少のとき、カラーTVが登場し、それを見た父が「これ見てると馬鹿になる」と何度も言ったのを

覚えています。その当時は、電波でも出て馬鹿に成るのか?。勉強しなくなって馬鹿になるのか?

色々考えました。で、その答えは、さきほどの性器の話。太宰の友人の話。

皆がいっせいに信じて苦しめば、これは、馬鹿ですね。

だとしたら、私がまだ子供時代にあった友人という概念は、幾分かオリジナルに近いのかと思います。

当時私達子供の間では、家が確りしている、そうでない。と言う家柄に対する意識が強かったです。

これ(家柄)は、子供の将来の能力を、その家の教育が支配すると言う概念です。

家庭の経済力が同ランクであると、同じ教育(父母が大切として子供に真っ先に教える事)がされており、

この内容が、家柄のランクにより全く違うのですよ。(同じ経済階層にいる家柄同士は全く同じ)

第二次戦後は、貧富や階層を越えて結婚がおこなわれるようになり、

ちょうど私はその違いを知ることになります。

父は母の発想がまったくわからず、母も同様でした。

わたしは両者を比較し、常に悩む立場にあったといえます。

さて、当時の友人と言う概念はどうであったか。

簡単に言えば、多数の知り合いの中から、親が面通しをし、振る舞いなどから家柄を判断し、

親が許可を出し、自由に交友をしてよい相手と認められた人のことです。

なので、友人とは、(成人するまでは)親が決めた遊び相手のことをさします。

メディアで良くある、「もう私たちは友人でしょ?」などと言う言葉は、成立しません。

これも間違った用法ですね。創作をする作家ですら、世代が異なれば知らないはずです。

成人した後は、こうした概念が定着し、やっと友人の意味がわかります。

友人とは厳選するもの。つまり知り合いの中から、その振る舞いを判断し、家柄を理解し、

後に自分の子供(または、子供同士)と交友関係が出来る可能性を考え、

子供の将来に影響をおよぼさないように、今のうちに自らの交友関係を精査すると言う発想です。

一つの智慧の概念を表します。

今でも友達辞めると言う言葉がありますが、

本来は違います。

「いずれ仲たがいし、情に苦しんで悩み、最後は不幸になりそうな結末を迎えることが

分かっている場合、当人同士が出会えないように、親が子供の興味や交友する組織を制限する事」

後に情の狭間の中で子供が悩んだりしないようにする方法の話です。

どんな駄目な人でも、一度知り合うと、情が移るものです。

それを断つのは大変苦しい。それが故に、気持ちよく長く付き合える人としか知り合えないように、

はじめから当人の生活圏を制限してあげる。こういう優しさを親はするのです。

子供が人間関係でこれほど悩むのは、私が知る時代より前にはありえません。

昨今はさらにおかしく、

ネットワークをつかって、未知の知り合いを増やし、そこでトラブルをかかえる。

さらに進化し、

そうした友人ではない人を友人と宣伝し、どうしたってトラブルが多く悩んでいるはずなのに、

リアルが充実していると宣伝します。

私が思うに、

これ(無作為に友人がいると宣伝し)に幻想をもとめ、

あるはずがない幸せを語るのに夢中になる人がおり、

その人を指導した親はどういう家柄の人なのだろうか?

そうした人の振る舞いを見ていると、一緒にどこかにいっても、私をそっちのけにして、

必死に写真を取り、会話を中断するのです。

もちろん、私の友人は絶対しません。だから会っていて気持ちのよい人たちです。

当然ながら、互いに振る舞いを見て、多くの知り合いから厳選したのです。

ネットワークの仮想社会は、友人詐欺の温床でしょう。

偽者で心が満たされる、寂しい人がやるべきです。(実際そうみたいですが)

さいど、まとめますと、

友人とは、自らの子供の将来を考え、自分の交友関係を絞ると言う概念です。

これを知らないことは、自らの教育環境を露呈する事になり、本来は恥ずかしい事なのですよ。

人に好かれるかどうかは、自分を変える事ではじまりません。

マーケティングと言う概念があり、

そのなかでは、人の好き好きに最も強く影響するのは、文化(親の教育、地域の習慣)であり、

後天的に変わるものではないとしています。

成人してから変えられるものは、常識と礼儀だけであり、生活の糧を得るために、

組織の中で互いに気遣うために使用します。

誰もが友人の定義を知らず、間違って用法し、個人の創作で現存しないものを沢山所有していると、

主張し、嘘じゃない証拠を必死に写真で集め、寂しい気持ちを必死に隠しています。

これに付き合わないことです。

ご参考になれば。
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そこまで悩んでるなら、やめたほうがいい気がします…

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「大切な人を大切に」



これは親友からかけてもらった言葉なんですが、

この言葉を聞いてから、

家族や友人をとにかく大切に大切にしようと思いました。


周りがどうこうとかではなく、

あなたが大切だと思う人たちを
愛をこめて大切にしていけばいいのではないかと思います。


「付き合い」とかそんな言葉でまとめられるような友情関係は、
くだらなくて、悲しくて、虚しいものだと私は思います。


あと、最近とても思うことがあります。

それは、
「自分が心から楽しいと思う方を選ぼう!」ということです。


あなた自身が楽しいと思えることをこれからもしてくださいね☆
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友達の多さが、必ずしも人生を豊かにしてくれるとは限りません。




本当に つながっている人が1人いることのほうが 私は豊かだと思っています。
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ありますねえ~。


俺も質問者さんと同じ心境の時がありました。

結構仲良かった人が自分の知らないところで飲み会とかやってたり
んで、自分だけ誘われなかったりでショックのときがありました。

しかし、考えても仕方ないですよ。
無理にキャラ変えても疲れるだけでしょう。
自分の場合は、近づきがたいオーラがあるようで誘いづらいとも言われた事があります。


俺の場合その時、誘われれば嬉しいですが
実際いくとなると面倒くさいなーって思ってしまいます。
また、顔に出やすいとよく言われるので、そう見られてるのかもしれません。

明るく振舞えるのもその人の特性で
根暗な人が、無理にやると継続するのが疲れてきます。
自分が心地いい自然体でいるのが一番だと思いませんか?
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フェイスブックがいいか悪いかは正直、その人が決めることだとは思いますが、ひとつ言えることが、プラーベートに使っている人はフェイスブックに結構縛られている人が多いと思います。

何するにもフェイスブックにアップするからと撮影会が始まります。別にいいんですが、客観的に見ると滑稽です。みんな自慢したいんだろうなって。自慢したいから高級料理を食べるみたいに思えてきます。けど仕事で利用して案件がゲットできた人とかいるので一概に悪いことばかりでは無いですがね。利用の仕方ですね。
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やはりその頃から同級生は美人で密かに人気があったのでは? 私も目立たないタイプで、イケてない学生時代でした。

なのでFBもしようと思いません。 楽しそうな友達の多い人を見ると同じように凹むからです。友達はあまりいませんが、元々地味な方が合ってると思うので今の生活に満足しています。

人生は不平等なんですよ~~~~~。努力だけではどうする事も出来ない事もあります。
人は人、自分は自分で頑張りましょう!
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別に、Facebookの「友達」が本当のお友達かは分かりませんよ?


あー友達申請来ちゃった、断るの悪いから承認するかなぁ、とか、「友達かも?」に出てきた古い友人の名前を見て、懐かしくなってつながることにした、とか。
リアルの世界で300人と楽しく遊んでるわけではないと思います。
それだけ、Facebookはある意味表層の世界。
現実とはまた違うから、気にしない方がいいですね。

とりあえず、自分がFacebookやってないのなら、もう彼女のウォール見るのはやめましょ!!
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