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「この写真に霊が写っています。」というと、科学者はなぜ否定するのでしょうか。

A 回答 (19件中1~10件)

 まず、科学者はもの・ことを多く知っていると思われる部類の人たちですが、彼らとて知らないこともあるのです。

まずはそれが一番の原因ででしょう。
 霊が写ったということ、それ自体「現象」として存在しているので重要なことです。
 ちなみに、私ごとで恐縮ですが(ストロボを発光させての)スナップ写真をよく撮ります。また、約一年前から、毎夜夜空に向けてストロボを焚き夜空を撮影しています。何が写ると思いますか。そうオーブ(霊光球)が写ります。スナップ写真では時々(オーブが)写ります。ここ約10年間で400枚以上の写真に写っておりました。それに対して、夜空の撮影では日に約12枚撮りますが、毎夜ほぼ全ショットにオーブが写ります。現在では丸いオーブだけでなく「形状」オーブと称していますが、なんと「蝶」や「竜」とはっきり言えるものが写るようになりました。また、夏祭りの夜、大勢の人々が神社の境内で祭りの夜を楽しんでいるとき真上の空を写して見たところ空いっぱいにオーブが写りました。先祖の霊が参加していたのでしょう。ここでお見せできないのが残念ですが、いつか、発表するつもりです。(是非、あなたもデジカメで夜空を写してみて下さい。心がきれいな人には写ります)
 それを何故、否定・拒否するのでしょうか。
 それは「霊が存在する」ということを教わっていないからです。受験のときに「霊の存在は」受験生には無関係・じゃまな存在。だから、教わっていないものは思考外で、そんなことは考えてはいけないとなります。そういう人たちが成人して世に出ても科学者も含め誰もが「霊なるものは存在しない」となります。私もそうでしたから。「霊が写っている写真、そんなものあるわけないじゃん、認めないよ」と言っている全ての人は科学者を含め自分は無知だと宣言しているのです。
 では、「霊が存在する」ことを何故教えないのでしょうか?
 それは現在、「霊が存在する(実在)」は生活の範疇(はんちゅう:囲い)に入っていないからです。(宗教団体の中には存在を認め・教えているところがあるかも知れませんが)
 何故、そうなったのでしょうか?
 もとをたどれば2400年前のギリシャ哲学まで遡らなけらばなりません。少し長くなりますが大変重要なことですので続けさせていただきます。ギリシャ哲学が始まって後、ソクラテス・プラトン・アリストテレスという偉大な哲学者たちが出ました。プラトンはソクラテスの弟子、アリストテレスはプラトンの弟子でした。ソクラテスは当代一の知者とデルポイ(デルフォイ)の神託により評価を得ていました。それはソクラテス・プラトンが共に霊能者で霊界へ出向き、霊界事情に通じていたからです。プラトンはその著書で「誰かとソクラテスが対話する」という形でイデア(霊界)・霊魂の不滅等を本にして世に出しました。そのプラトンが死んで、霊能力のないアリストテレスは自分にはソクラテス・プラトンの言うことが理解できない、きっと、それらはプラトンらの観念からでたものに違いないと思い込み、イデアや霊魂はプラトンらの観念上の理想郷として、彼自身が間違った「観念」を考え出しました。それが、彼の死後「形而上学」として世に出てしまいました。それを知った霊能力のない一般市民や哲学者はそうかアリストテレスの言うように、あれ(霊魂やイデア:理想の国)はプラトンらの観念の産物だったのだとして、「本物の霊界等は露と消えて」しまい、その後、アリストテレスは理性的なことを言う人だとアリストテレスの観念の方をとり、ソクラテス・プラトンのイデア・霊魂は観念論の「理想郷」だから「あるよ」とは教えられないできました。その後、約2400年の間、大部分の哲学者が実在と観念を逆さまにして哲学し、多くの哲学者が「深遠なる哲学者」の称号を得てきました。(プラトンを観念論者と定義している人(相当な哲学者)がいますがプラトン・ソクラテスは霊能者です)
 それ故、霊の存在を信じ(たく)ない人たちが増えました。すると、霊が見えない人たちが増えます。「見えない」でなく「見せてもらえない」のです。それで、見えないものは無いと言い切るようになりました。
 もう一つ、近代に入って科学(理学)が発達し、ものごとをエネルギーで捉えたとき、宇宙的に広げたエネルギー保存の法則が成立することと再現性があることが科学の法則に不可欠なこととされるようになりました。科学者は勿論、世の中の人々もそれは当然なこととして認めています。
 従って、霊現象はじめ超常現象はそのどちらにも反していることは誰にでも明らかで、これが少なくとも科学者のハナから「そんなもの(霊が写ること)はあるはずがない」となるのです。すると、その後は何も考えずに「ないもの」にしなってしまいました。
 だが、もう一度考え直して見ましょう。
 まず、写真に「霊」が写りこんだのは事実です。この事実を本来、「これおかしいね」と科学者が真っ先に「一体、これはどういうことを意味しているのだろう」と興味を持つのが本来の姿ではないでしょうか。 
 これは二つの物理法則に反しています。が、写るものは写るのです。それでも、霊や霊界はないのですか。あの偉大なソクラテス・プラトンがウソをついたというのですか。そうは思えません。これから、古くて新らしいソクラテス・プラトンの主張した時代にやっと戻ることが出来るのです。
 私の推論ですが(幽)霊を見ても証拠は残らないので水掛け論になります。そこでデジカメとストロボの組み合わせで「証拠としてオーブ写真が写るようにした」のです。ときどきは霊が写りこむを含めて。
 科学者が「霊が写真に写ることはあるよ、何故だろう」という疑問を持つようになってくるのがいいしそうなると思います。
 では、現在の物理法則との兼ね合いはどうなるのでしょうか。
 霊界や霊魂・超常現象の再現性のない現象をいよいよ「科学の範疇」に入れるべく、現在の科学の前提を見直していくことが提案されなければなりません。宇宙の定義は霊界まで拡大され、その中でエネルギーの保存則が成立すること、また、再現性は現象が確立1(100%)から不確定確立or低確率であっても類似現象があるものは認め研究対象にするということにすべきでしょう。
 ですが、まだまだレベルの低い私が上記のように解説をしたものの、実体的にはもっと複雑になっているものと思われますので、これを契機に皆のレベルが上がり少しづつでも真理に近づいて、正しい理解を深められるようになりたいし、そうすべきです。
 結果が出にくいこの現象を研究していく勇気を持った若い人たちがこれから続々と現れることを期待して止みません。(勿論、悠々自適の現役を引退された方の参加は大歓迎です) 
 近いうちに多くの科学者が霊や魂を研究する時代が来て、研究することがますます増えていくことになるでしょう。きっと。待っています。
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「この写真に霊が写っています。

」というのが、世間でよく言われる心霊写真みたいなものであるなら、ほとんどは否定されるでしょうね。それは、写っているものが霊ではないことが合理的に説明できるからです。

以前、雑誌か何かに紹介された心霊写真。写真を少し知っている人ならすぐわかるものなのにもっともらしい解説が書かれていました。ものすごく馬鹿らしい、と感じてしまいました。
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私は科学者ではありません、私も否定します、というより信じません>

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 否定はしてないですよ。

否定しているのは「分からないモノが写真に写っているから霊に違いない」という断言・主張についてです。そう主張したがる人が挙げた、得手勝手な選択肢以外に、他の可能性もあるでしょ、と。
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否定するというよりは相手にしていないという事でしょう。


要するに、まじめに研究するに値しないと思っているのです。
偶然任せで、再現性がないような現象では研究のしようが有りません。

本来、科学者ほど、分からない事、不思議な事に、どん欲な人はいません。
分からない事、不思議な事を研究する事は楽しい事だし、大きな業績を上げるチャンスですからね。
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>科学者はなぜ否定するのでしょうか。



一般的な回答は出ていますが、科学者の中でも否定しない人も居るのではないでしょうか。その写真と写したときの状況を深く考察し、分析すれば、あるいは「霊」といわれるものに接近できるかもしれないと考える人も(少数ではあるでしょうが)居ると思いますよ。それが真の科学者だと私は思います。

先日いわゆるUFOについて研究している科学者達のことがNHKのBSで取り上げられていました。日本の一人の科学者が、ある条件下でUFO現象があらわれることを実験で再現していました。このように、多くが目を向けなかったまれな超常現象も、粘り強く追求していけば中には科学的に解明できるものがあると思います。「霊」がそういうことになるかどうかは私もわかりませんが、幽霊のことをまじめに研究していた一流の科学者も日本にはいました。
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科学者は、「一般人はなぜ、科学者が霊を否定すると思い込んでいるのでしょうか。

」とあなたに質問したいと思います。
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仮に科学者が「自分はそうは思わない」と答えたとして、それは「この写真に霊が写っています。

」というのを否定したことになると思いますか?
科学的には、それは否定していることにはなりません。否定しているというのは「それは霊ではない」と断定することですが、科学者が責任を伴う立場でそういう言い方をすることはないでしょう。

前の回答でも指摘されているように、霊というものが科学的に定義されていないということもありますし、その写真を見ただけで客観的に言えることは、不可解なものが写っているということだけです。場合によっては、不可解でもなんでもなく、錯覚のようなものかもしれません。
仮に不可解であったとしても、次の段階は原因を調べることであり、そういったことをせずに霊が写っていると断定するようなことはありません。それは極めて非科学的だからです。もちろん、説明できないものが「霊ではない」と断定することも非科学的ですけどね。だから、霊であるとも霊ではないとも断定できないんです。しかし、科学者で霊が写真に写ると考えている人は少ないでしょうから、「自分はそうとは思わない」と答えます。これは自分の思いを述べているだけで、霊を科学的に否定しているわけではありません。
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再現性のないものは、科学では扱いません。


同じ条件がそろえば、必ず霊が写る。のであれば、科学になるでしょう。(まず、どんな条件かを示す必要がありますが)
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 科学とは、「疑問があれば、その原因を推測し、その原因を確認する実験や観察を考案し、それを実施して、その仮説を証明していく過程」、それ以外の何者でもありません。



 写真と言う証拠があれば、・・
1) それが霊だと証明する、誰でもその写真が取れる実験方法を提示していくと、
2) 同時にそれが霊であるという実験を提示すればよいだけです。

 このように、科学と言う土俵に上げるのは、とても簡単ですね。

 誰でもその写真が取れる方法を示してください。
 それが霊であるという証明ができる実験方法を示してください。

 それがない限り、科学では扱いようがないのです。

 宇宙人が存在するなら、どこに行きどう合図すれば会えるかを示してください。科学で喜んで扱うでしょう。
 常温核融合 ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%B8%A9% … )の実験方法とその結果が公表されたとき、世界中の何千、何万と言う科学者が追試を行いました。--見事科学の土俵に上がりました---しかし、だれもその結果を追認できませんでした。
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