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藤原京遷都は持統8年12月(694年)ですが、このころ、朝鮮半島にはどの程度の規模の都城があったのですか。
朝鮮半島からの技術者が多数渡来して飛鳥文化が栄えたとされていますが、それでは、朝鮮半島の国々の都はどんな様子だったのか、気になって質問しました。
質問ばかりして申し訳ないですが、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 中国に発して東アジア全域に都城の建設が広がり、日本がその最後であることは高校教科書程度の知識だろうと思われます。



 朝鮮半島の都城についての本格的研究は、東大の建築史の大御所、藤島亥治郎教授が80年前に取り組みました。内容の紹介は「朝鮮 都城」で検索するといくつも出てきますが、その後の研究史を含めて簡単なのは下記でしょうか。http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tanaka9412. … 
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この回答へのお礼

初心者の私にとって大変分かりやすいサイトを教えて下さってありがとうございます。
私が知りたいことがずばり書いてあるので満足しています。
朝鮮の方が日本より早く開けていたので、藤原京よりも早く朝鮮には「王京」があると思っていました。
また、藤原京は、長安ではなく朝鮮の都城を模したのではないか、という説もあるそうです。
検索はしたのですが、どのサイトを信用してよいのか分からなくて質問しました。

サイトの終わり近くに<京中には17万8936戸。百万人近い>とありますが、これにはびっくりしました。

 「王京ですが、条坊制で区画された中は、坊里があって、京中には17万8936戸。百万人近い。1365坊55里、坊と里をどう理解するか、いろいろ考え方があるんですが、坊と里は王京内の区画と言われていたと思われます。」

お礼日時:2012/12/03 15:08

みすぼらしい小屋とかに住んでいたんじゃないのかな。


便所が無くって、うんこが散乱していたと思います。
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